ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相

冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相

 自民党から民主党に移り、国会で公明党を追及した石井一が著者ということになっている。彼はダッカハイジャックで名をあげたといって良いだろう。昔型の政治家だった。
 田中角栄の「青年将校」だったと自分でいっている。田中角栄ものが大流行の中で出したといわれても仕方が無いかも。産経新聞出版(だからあんまり信じちゃいけませぬ)。
 村木事件で石井が登場したことを覚えている人はあんまりいないかも知れない。地検特捜部の筋書きは悪手だったなぁ。

事故も起こしていない

酒気帯び運転で懲戒免職の処分を受けた山口県の小学校の元教諭が県を訴えた裁判で、最高裁判所は、県の上告を退ける決定を出し、処分は重すぎるとして取り消した二審の判決が確定しました。4年前に酒気帯び運転で懲戒免職の処分を受けた山口県山陽小野田市の小学校の元教諭の51歳の男性は、処分が重すぎるとして、県に対して取り消しを求める訴えを起こしました。
 一審の山口地方裁判所は訴えを退けましたが、二審の広島高等裁判所は「体内のアルコール濃度は高かったとは言えず、事故も起こしていない。免職処分は著しく妥当性を欠く」として、処分を取り消す判決を言い渡しました。
これに対して山口県が上告していましたが、最高裁判所第3小法廷の山崎敏充裁判長は6日までに上告を退ける決定を出し、免職処分を取り消した2審の判決が確定しました。(NHKニュース10月6日 20時46分)

 ん?酒気帯び運転で多分逮捕されたんでしょうね、この小学校の先生は。「濃度も高くないし、事故おこしていないし」というのでこの処分はひどすぎるって訳ですよね。
 事故を起こしていたら、違うんですね?じゃ、事故さえ起こしていなかったら良いんだって事になりませんか?懲戒はともかく、辞めさせるほどではないという、その程度問題の判断が裁判所が下したわけですね。だからといって、この人小学校の先生に復帰できます?懲戒免職じゃないということになると、退職金も、それまでの給料も、今後の年金も出るということになるんでしょうねぇ。

参議院予算委員会 山本太郎

 原発に過酷事故が起きたときに「責任をとる」とはどんなことか。健康を害する恐れがある人たちに対しても「責任をとる」とはどういうことか。
 県民健康調査。甲状腺ガンについては放射線の影響とは認められないと環境大臣。他県のデーターと比べて特徴として認められないと安部晋三
 甲状腺ガンの数について安倍晋三は通告がないから数は知らないと。山本太郎は、関心が無いから頭にないと。174人だ。甲状腺ガンになる確率はどれほどか知っているか、と聞かれて安倍晋三は事前通告がルールだからと答えられない。青森、山梨、長崎等と比較して、大きく変わらないと承知していると答える。
 山本太郎は、株価、為替と同じように頭に残して欲しい。山下俊一は思春期を超えた子どもに見られるが百万人に一人くらいと発言している。ところが38万人に174人というのはどう思うか。他県のデーターはサンプル数が少なすぎる。
 山本環境大臣、過剰診断の可能性も指摘されていると発言。医師の中には「多発だ」といっている人はいる。
 山本太郎福島県以外にも同様な健康調査が必要ではないのか。環境大臣は他県では必要ないという結論が出ていると否定。
 山本太郎環境省に聞いてもいつも逃げ。」
 安倍晋三は、放射線由来かどうかという不安に答えなくてはならないけれど、他県に比べてどうかということで三県のデーターを比較したといって答えられない。
 山本太郎が、福島医大にも多くの要望が出ている。福島の復興なくして日本の復興はないんですよね。
 安部晋三、福島に住んでいる人たちの不安に答えていかなくてはいけない、結節があるからガンではない。コミュニケーションを図っていく必要がある。医学的見地に立って考えていくべきだと理解している。(なにも答えていない)。
 山本太郎、二巡目の検査がでるまで縮小するべきではない、という専門家の意見がある。
 環境大臣環境省としては続けていく。
 山本太郎は早口でたたみ込む。福島以外の県についても、放射線由来かどうかは今はどうでも良い。とにかく継続するべきだ。

小池晃

 参議院予算委員会で、とうとう共産党小池晃稲田朋美の白紙領収書に噛みついてくれた。待ってました!
 これは要するに同僚国会議員のいわゆるパーティー参加費を政務活動費として計上しているのだけれど、その領収書がまったく同じ筆跡のものが何枚もあってどうみても政治資金規正法に触れるという問題。
 ところがこれが稲田朋美だけに限らず、小池晃が指摘したのは官房長官菅義偉の政治資金管理団体でも同じことが行われているという事実。3年間で約270枚、約1875万円分といわれている。これに対して彼らの答弁は、同僚議員のパーティー参加の際にいちいち領主書をその場で記入して渡していたのでは時間がかかり、肝心のパーティーの運営に支障が出るから、白紙のままで渡して、主催者側からの委託として参加者側が記入したもので「何ら問題はない」ってなものだ。
 この説明で小池晃だけじゃなくて、国民が納得するはずがないのだけれど、それで通ると思っているところが非常識も甚だしい。どこの世界に公然と白紙領収書の手渡しが正当に認められるべきものだと思っている輩がいると思っているのか。
 ここで小池晃が作戦通りに所轄の総務大臣にこれで良いのかと訊くわけだ。その総務大臣というのがかの高市早苗なんだからびっくりしゃっくりなんだけれど、彼女は「パーティーに支障を来すからそれでも良いのではないのか」といったんだ。そうしたら小池晃は今度は高市政治資金団体も同じ事をやっているとコピーをかざして指摘した。驚き桃の木山椒の木って奴だ。
 だめだ、こりゃ。世の中の常識が奴らには通用しない。だから、平気で介護設備のレンタル費用を全部自己負担にしちまえ、なぞと現場を見たらとてもいえないようなことを平気でいう。

高市早苗総務相 個別の事案については、具体の事実関係に即して判断されるべきものですから、いま先生がお挙げになった事例について一つひとつ政治資金規正法上の問題の有無についてのコメントは困難ですが、一般論として申し上げますと、政治資金規正法上、国会議員関係政治団体はすべての支出について、当該支出の目的、金額、年月日を記載した領収書、その他の支出を証すべき書面を徴さなければならない。入手しなければならないということです。なお、領収書の発行側の作成方法についての規定はございません。法律上、ございません。
 先生がお配り頂いた資料の中にですね、約3年前に開催しました「高市早苗さんをみんなで激励する会」に稲田朋美先生の関係団体から2万円をちょうだいしてますので、あえて申し上げますが、来賓として、スピーチなどをお願いするために来て下さる国会議員のみなさまについては、まず普通、当日の受付の場に封をした封筒に入れた現金を持参される場合が圧倒的に多うございます。その場で開封して金額を確認し、記入していては近接した時間帯に皆さん受付に来られますので、多くの国会議員をお待たせすることになりまして、当然パーティーの前半にスピーチなどの機会が多いですから、パーティーの開始が遅れるなど、その運営に支障を来します。(朝日新聞2016年10月6日18時53分)

 こんな答弁、ごく普通な顔をして良く平気でいえるものだとあきれ果てますね。国会議員様はお待たせしては悪くて、白紙領収書を乱発するのは悪くないんだってんですからね。バカか!

高市大臣も同じことをやっているじゃないですか。2013年度と2014年度の領収書の写しがある。自由民主党奈良県第2選挙区支部の領収書。これもやはり筆跡鑑定を行いました。6人のここにおられる閣僚が全く同じ領収書、白紙領収書を受け取って、金額全部書き込んでいるじゃないですか。総務大臣がこういうことをやっているんですよ。だから、今みたいな答弁をするんだろうと思いますけど。やっぱり根源にはパーティー会費の問題があります。まさに企業・団体にパーティー券を売って、そこからお金を集めて、そのお金でパーティー券を買う。そして政治力を強めていく。そういったことをやってきたんでしょう。これが最大の問題ですよ。(同)

 「あの」産経新聞ですら報じているというのに、これをNHKはニュースで伝えないんだから、んったく!

解散選挙準備

 こんないい加減なことをいっている奴がこの国の代表!
 配偶者控除を廃止するぞと脅かしておいて、いや、とりあえず延期といって、ホッとさせておく。自分たちが決めた党内の約束を平気で踏みにじる奴は、憲法も平気で踏みにじるだろうな。

失敗というか

 アベノミクスは誰がどう考えても失敗だ。だって、彼が政権を取って以降、何かが変わったかといったら(確かに変わったけれど)、それは悪い方に変わっているだけだ。
 デノミ脱却だというけれど、物価的に変わっているところといったら、季節要因の変化。あるいは無印良品ユニクロあたりが分不相応な価格の商品を売り始めた位かなぁ。あ、銀行がいつでも手数料を取ろうと身構えている。
 結局彼らが何をしたのかといったら、自分たちにお金をくれる、大きな、それはそれは大きな、従業員が何千人といるような大きな企業が儲かるようにした、ということだけだ。
 社会保障をどんどんはがして弱者から金をふんだくって大企業に回しているというスタイルですよね。配偶者控除をなしにして、「自由に働いて貰う」と説明して実質増税する。どんどん一人一人の消費者が負担する額が増えていっているような気がする。
 こうなるとそうそう、日頃の消費にお金を費やす気にはなれない。そのうちもっともっと身ぐるみをはがされていっちゃう可能性が考えられるという気になるからだ。
 つまり、このやり方だと、消費者は余計なものに出費したくない。従って個人商店の売り上げが広がらない。つまり、美味しいところはひとつまみのところへ集中する。大多数はつましく暮らすことになる。格差が広がって当たり前だ。
 しかし、こうした政策を進めている連中は自分が充分な歳費を貰っている上に、その下で働いている格好になっている高級官僚たちは、国民にバレない特別会計をつかって退官後も美味しい生活ができちゃうわけだから、そんなことは知ったこっちゃない。おもしろおかしく暮らせればそれで良い。
 安倍晋三は争点は経済だといっていたけれど、これを経済というんだとしたら、なるほど、奴が文化的分野における高等教育は国立大でやらないというわけだ。その分、少しでも懐に入れたいからね。

国歌

 アメリカの各スポーツ中継なんかを見ていると、必ず試合開始前に国歌を誰か有名な歌手なんかがやってきて、朗々と歌いあげ、選手諸君は胸に手を当てて敬意を表しています。ま、昨今はSan Francisco 49ersのQuarter Back、コリン・ケイパニックがアメリカの黒人に対する警察の扱いに抗議をして跪いていて、私にはむしろあの方が敬虔なる意思を表しているように見えちゃったりするわけですが。
 ところがなぜか「君が代」がまったく同じように日本のスポーツ開始前に唄われて、誇らしく感じない。むしろ深い悲しみというか、イヤな感触というか、ま、とにかく爽快でない。
 それはやっぱりあの戦争に繋がる記憶というか、感触というか、感覚が蘇るからではないかという気がする。私は終戦後の生まれだから、まったくそんな記憶は無かったはずで、本人があの歌とともに蘇る記憶、感触、嗅覚、触覚を持っているわけではないけれど、多分その余韻の中で育ったのだろうと思う。小学校へ上がったときはもう既に占領下ではなかったわけだけれど、世の中全体があの歌、そして軍が持っていた旭日旗、日の丸にそんな色がついて回っていた。
 学校ではちゃんと君が代の歌い方を指導された。♪いしぃのぉ〜♪のあとにブレスを入れてはいけないんだとまでちゃんと教わった。それでも付いてしまっていた手垢を感じていた。
 しかし、今の人たちはそんな感触なんてまったくあるわけはない。だから、多分あの歌に対する感覚は私とはまったく違うんだろうと思う。
 なんの屈託もなく、歌える国歌だったらなぁとずっと子どもの頃から思ってきた。
 多分アメリカの国歌だって、あれからここまでずっとどこかで戦争をやってきたわけだから、そんな色が付いて聞こえている人たちもいるに違いない。

2016年10月05日のツイート