祝日(こどもの日)。未明起床。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第一番 BWV812、第六番 BWV817 で、ピアノはイングリット・ヘブラーNMLCD)。これでアルバム一枚をすべて聴き終えた。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十九番 op.106 「ハンマークラヴィーア」で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。朝から疲労困憊。野平さんの演奏は、この曲を十全に表現し切ったたいへんなものであるが、とにかくわたしにはしんどかった。正直、もう、早く終わってくれと思いながら聴いていた。自分の器の小ささを痛感する。

養老孟司『人生の壁』 / 安藤寿康『日本人の9割が知らない遺伝の真実』

祝日(みどりの日)。日曜日。曇。
 
養老先生の『人生の壁』(2024)を読み始める。
『ある時から、身体を使って、社会を回すのに必要な仕事をしている人たちのことを「エッセンシャルワーカー」などと呼ぶようになりました。でも彼らのやっていることこそがエッセンシャル(本質的)な仕事であって、特別な名前をつける必要はないはずなのです。ところが、そうした人たちを特別なもののように扱い、わざわざ「エッセンシャル」などと付けて呼ばなければいけない社会になってしまった。
 本質的な仕事をしている人たちの収入が上がらないのに、東京のオフィスでデスクワークをしている人たちのほうが大金を得て、結果として格差が広がっている。乱暴に言ってしまえば、とても大切な仕事をしている人よりも、よくわからない仕事をしている人のほうが裕福になっている。この不健全さに不満を抱く人たちが革命を起こさないのが不思議なほどです。』(p.60)
 ほんと、おっしゃるとおり。我々は、エッセンシャルワーカーに対して無意識の蔑視感情がある。勉強ができる人間が体を使う人間よりえらいと見做される時代。でも、こういう時代はいつか終るようにも思われる。もうそれでは、実際に社会が回らなくなりつつある。
 
しばらくうとうとする。
 
図書館から借りてきた、養老孟司『人生の壁』(2024)読了。読んだ人それぞれに何か刺さるところがあるだろう。わたしに刺さったのは、人は「何か背負うものを持ったほうがいい」(p.185)ということ。つまり、ある程度は、社会の厄介事を引き受けた方がいいということで、わたしなんかは普段、家族以外と接することがないし、いい歳して、やっぱり老両親の「庇護」の下にあり、めんどうなことをほぼ何もせずに暮らしている。いや、ま、それはそれで、意外と気楽安楽な暮らしというわけでもないんだけれどね、わたしはわたしで、誰もお金はくれないけれど(笑)、じつは、めんどうな「仕事」をやっているつもりだ。
 確かに、人間関係のめんどうは、ほぼないよな。でもね、家族(だけ)といつも気持ちよく暮らすってのも、結構やさしくないんだぜ、ともいいたいけれどね笑。実際、会社で重要な仕事をバリバリ片付けているような人が、家族とうまくいっていないってのは、別によくある話だと思う。
 じゃなくて、わたしの話。そう、ほんと、社会の厄介事は、分担しないとな。わたしだけじゃなくって、結構皆んな、共同体を失って、孤立してるんじゃないのか? 最後の砦である家族すら、安泰でなくなっている(例えば、親が子供の人生を操作しすぎる。家族というものがコスト・パフォーマンスの問題になっている)。養老さんも、そんなことをいっていた。それぞれが孤立した時代だ、ってね。これは、わたしがあんまり考えてこなかった、というか敢て避けてきた、大問題だと思う。
 ま、無名で孤独でヒマで、っていう、そういうだいじな「修行中」ではあるんだけれどね、わたしは。それが一時的にせよできているいまのわたしは、本当に幸運・幸福だと思う。そしてそれは、そんなに長くは続かない。

 

4.29 の庭。フランス菊がいっぱい。
 
昼。
許光俊さんの『決定版 交響曲の名曲・名演奏』(2025)にバーっと目を通したんだが、これはひどいね。著者は、録音も実演もたくさん聴いておられるし(わたしなんかとは比較にならない)、大学のえらい先生でもあるんだが、残念ながら、音楽(たぶん、芸術一般も)というものが、根本からまったくわかっていない。
 というと、へー、じゃあお前は音楽がわかるんだ、っていうことになってしまい、もちろんわたしごとき不勉強なドシロートに音楽がわかっているとは到底いえないんだが、とにかく、まあそういう話ではない。目の見えない人が基本的に絵画を論じられない、論じてはいけないようなもので、この人には「芸術に対する感性」がない、ようにわたしごときには思える。たぶんそれは、「人生」に対するまともな感覚も、ないということだと思う。
 別の言い方でいえば、そもそもこの程度の文体・文章では、音楽は(他の芸術、いや、エンタメもですが)論じられないのです。超エラソー何様でごめんなさいですが。
 まあ、わたしのいっていること、めちゃくちゃですね。別に、わたしごときのいうことを信じてもらう必要はまったくありません。また、わたしはもちろん、著者に対して何の含むところもない。ただ、現代日本にはこの程度の批評家しか、他にいないのも事実で、本書のようなのを参考にしなければならない人というのがもしいるとすれば、哀しい話だと思う。
 
 
散歩のついでにきたや珈琲店長森店、ストロングブレンド500円。ここはなかなか気持ちよく読書ができるのだが、もう少しコーヒーがうまかったらなーってちょっとだけ思う笑。

ジョン・ネイスン(1940-)『ニッポン放浪記』(邦訳2017)を読み始める。第三章「三島由紀夫」まで読んだ。これはおもしろい。
 著者はハーバード大学ライシャワーの学生であり、ライシャワーが駐日大使となったときに一緒に来日、大学講師をしながら結婚、しばらくして東京大学に入試を通じて入学する(外国人としては初)。大学では野口武彦などと親交を深め、また、その語学力をもって三島由紀夫の『午後の曳航』を英訳する。三島はその翻訳を気に入り、一時期はかなり三島に近かった著者だが、『絹と明察』の翻訳を断り、大江健三郎を訳したため、三島の怒りをかった。
 ってな感じで、お堅い学者って思われるかも知れないが、かなり変わった人物のようで、自分の恋愛などについてもあけすけに書いている。率直なところがおもしろい。(当時の)日本の上流階層というか、アッパークラスについていろいろ書いているのも、なかなか俗っぽくて悪くないね。著者についてまったく無知、予備知識ゼロで読み始めたが、これは「当たり」っぽいな。
 

 
図書館から借りてきた、安藤寿康『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(2016)ざっと読了。前半の科学的な話はまともで、おもしろかった。後半の「オレオレ教育論」は、正直いってマジメに読めなかった。 
夜、早寝。

こともなし

祝日(憲法記念日)。晴。
日日是好日。読み方はひと通りでないが、玄侑さんは「にちにちこれこうにち」と読んでおられた。禅語である。わたしは朝起きると、よくこの言葉がひとりでに脳裏に浮かんでくる。
 これまでしんどい人生を歩んできたが、どんな過去でも、過去のことは意識の底に沈めて、新たに今日一日をよく生きよう、って解釈で合ってるのかな、知らない。どんなにルーチンな一日でも、同じ一日は決してない。また、過去も、あまり気にしないで生きられたらいいな。
 でも、たとえ今日もまた地獄の一日だったとして、それでも「日日是好日」なんだろうか。また、我々は今日をよく生きずに未来(の目標)ばかり気にして生きているが、それは「日日是好日」の精神から遠いであろう。生はこの一日、過去でも未来でもなく、この現在にしかないのだ。
 
NML で音楽聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻〜No.12 BWV857 - No.20 BWV865 で、ピアノはイディル・ビレット(NMLCD)。
 
いい天気だな。スーパー、三倍ポイントの日、お客さん多し、めずらしく活気がある。いつもより一日分多く買ったので、荷物でいっぱいになってしまった。
 

 
延滞している本があるので、夕方、市図書館へ。ついでに借りていた本すべて、一気に16冊返してしまう。
 借りたもの。新着で許光俊『決定版 交響曲の名曲・名演奏』(2025)。
 小説は木村紅美『あなたに安全な人』(2021)、レイモンド・チャンドラー『プレイバック』(2016、村上春樹訳)。エッセイで石田月美『まだうまく眠れない』(2024)。
 安藤寿康『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(2016)、養老孟司『人生の壁』(2024)。
 市民公園近くの街路樹、ヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)の白い花が満開だ。「ナンジャモンジャ」なんていうけれど、もうありふれた、めずらしくも何ともない樹になってしまったな。
 
庭の一本のツツジに蓑虫がびっしり付いている。

近年まったく見なくなっていた。じつにめずらしいことなのであるが、さて、さすがにこんなに付いていると、仏ごころを発揮して放置しておいてよいものかと悩んでしまう。
 
夜。
劇場版『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』(2019)を観る。テレビ版『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(2018)はもう何度繰り返し観たかわからないが、この続編映画は2020年にレンタルで観て以来、展開がつらすぎて、これまでどうしても観返すことができなかった。アニメを観始めた頃だったせいもあるが、恥ずかしながら、あのときはどれだけ泣いたかわからない。ま、観た人はわかるだろうけれど、なにせ麻衣さんが……という、衝撃的展開で、初めて観たときは予想だにしておらず、まさにトラウマ級のショックだった。いやもう、お笑い下さい。
 しかし今回も、話を知っているのに胸が痛すぎたな。この「青春ブタ野郎」シリーズ、これまで観たアニメの中で、SAO と共に、もっとも思い出深いそれになっている。なお、原作ライトノベルは、先日完結した。夏アニメで2期やるし、たぶんすべてアニメ化されると思う。

こともなし

雨。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十三番 op.57、七つのバガテル op.33 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。天地がひっくり返るような「アパッショナータ」の力演。一方バガテル集作品三十三の方はうってかわって、かわいくてチャーミングな演奏になっている。この両者が適切に演じ分けられるのが、野平さん。特にバガテル集は、次がどう演奏されるか、聴いていてワクワクが止まらなかった。管見では、この曲集のベスト・パフォーマンスだと思う。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十八番 op.101 で、ピアノは野平一郎(NML)。2002年の録音。なお、ソナタ第二十五番、第二十六番、第二十七番を収録したアルバムが、NML に欠けている。つまり NML では野平さんのベートーヴェン全集が揃っていなくて、めっちゃ残念。なんでこんなことになっているのだろうか?

 
「勉強だけの高校生活でいいのか」“島留学”で廃校寸前の離島の高校が人気校に 半数の生徒が県外出身 卒業生も島に戻り貢献「島の人の力になりたい」【news23】|TBS NEWS DIG | YouTube
うん、なるほどな。「勉強だけでいいのか?」それは本当にそう。確かに高度資本主義を回していくには「勉強」が必要だが、いま、あまりにも「勉強」ばかりになっている。普通人(?)の知的能力(だけ)が広範囲であまりにも上がっているので、(わたしは採らないけれど)資本主義的「差別化」の観点からしたって、「勉強」だけでいくのはこれから生きていくのにあまり有利でないかも知れない。つまり、皆んな「勉強」しているから、「勉強」だけで抜きん出、マウンティングしていくのは、これから容易でない、ということ。
 また、いま日本中が東京の感性で埋め尽くされ、自家中毒を起こしているから、田舎で習得したセンサーをもっているのは、資本主義で勝ち抜いていくという観点からも、不利かどうかは容易にはいえない。
 ま、でも、わたしは正直、そんなことどうでもいいんだけれどね。田舎でも東京でも、どっちでもいいんだけれど、人としてまともな、大切な感性を我々皆んな、身につけないといけないと思っている。で、なにが「まとも」かは、ここではいわないことにしておく。
 離島ってのは、確かにある意味「好条件」ではあるな。しかしこの動画に出てくる若い人たち、皆んな立派でしっかりしていて、かなわないな、頼もしいな、って思わずにいない。
 

タチジャコウソウ(立麝香草)か、4.29 の散歩中に撮ったもの。タチジャコウソウは Wikipedia によると広義のタイムの一種で、英語では common thyme、日本でタイムといえば、主にこのタチジャコウソウを指す。ハーブとしてよく料理に使われるのは、広く知られているとおり。
 
昼。
ミートソースパスタ、タバスコをたっぷり振りかけるのがおいしい。そのあとインスタントコーヒー。
 
“名古屋嬢”に異変? 若い女性が東京へ… 止まらない人口流出に歯止めを(CBCテレビ) - YouTube
これを観ても、問題は「都市vs.田舎」というよりは、「東京vs.地方」である、ということだ。名古屋という「大都市」でも、東京の「魅力」にまるで敵わない、ということである。
人口減少の一因 若い女性の東京圏流出 男女比不均衡で婚姻減 新成人「向こうの方が…」長野県200万人割れ目前(NBS長野放送) - YouTube
若い女性の東京流出による、男女比不均衡かー。あんまり考えたことなかったな。地方では男女マッチングしても、あぶれる男性が必然的に多くなる、ってことだよね。そのせいか定かでないけれど、長野県での婚姻数が、2000年から2022年で45%減というのは、ちょっと衝撃的な数字だなあ。手の施しようがない。はー。
【転出超過】なぜ若い女性は流出する?「やりたい仕事は広島になく東京に」 一極集中のその先に…(広島ニュースTSS) - YouTube
東京に出ていく若い人たちを責めるのはまちがっているんだよね。東京は魅力的、地方には魅力がない、人がそう思うのは、避けられない。はー。
 
雨がザーザー降っている。雨の音を聴きながら、ぼーっとしている。
 
しかし、地方から東京圏へ流出する女性たちは、出産や育児、子育てを考えると東京の企業の方が魅力的、ってよくゆーけれど、でも、その割に東京の出生率は極めて低く、合計特殊出生率はいまでは1.0を切っているんだよね(全国では1.26、2022年)。つまり、出産や育児、子育てによいと言いはするけれど、実際は上京しても、東京で(こそ)子供を産まない、ということだ。わざとではないのだろうけれど、そこに欺瞞を感じずには、ちょっといないな、わたしは。
 むしろ、地方にいると「結婚しろ、っていわれるのがイヤだ」ってのが、多くの女性の本音に近いんじゃないか。結局、いろいろいっても、じつはそんなに結婚したいわけじゃない、それには東京が都合がいい、んだよ。ま、別に結婚だけが人生じゃないし、それに、人によるとは思うんだけれど。って、わたしも(地方で)結婚できなかったおっさんだな笑。
 
東京の人口がまた増加…全人口の11.5%占める 総務省人口統計 | YouTube
人口が増えたのは東京都と埼玉県のみ、(日本人のみの)人口は全国で一年でほぼ90万人減(2024年)。
出生数 過去最少の72万人 政府の想定より速いペースで少子化進む | YouTube
2024年の数字。政府の想定が楽観的なことがわかる。
 

何もない田舎、4.29 の散歩中に撮ったもの。
 
夕方、雨上がって晴れる。
ポテトチップス+インスタントコーヒー二杯目。さても今日は、自分ごときが考えても意味ないことを調べて考えて疲れたな。たぶん、誰の何の役にも立たない。誰を幸せにもしない。何やってんだか。
 
夜。
日当5万円超でも苦戦する事態も顕在化…2024年問題による"人手不足" 「効率化&技術継承」に打開策を見出す建設現場(北海道ニュースUHB) - YouTube
後半の武部建設のレポートは感銘を受けた。一人親方の大工は不安定、だから大工を社員にして、生活を持続的に保証し、技術の継承も安定して行なっていく、というのは可能性があるように思える。実際、そんなに大きな会社ではないが、若い人材が不足している業界で、若い人たちが魅力を感じて入社してきている、というのが信用できる証拠だ。若い人たちは、ちゃんとわかっているものだから。いまの建設業界は、多く、現場技術者にリスクを背負わせ、彼らを使い捨てにしているように見える。
 
 
ゲーテの『詩と真実』を読み始める。岩波文庫の旧訳(小牧健夫訳)で、第一刷は昭和十六年、第三刷昭和二十四年に改版され、わたしのもっているのは昭和四十一年第二十刷である。まだカバーもついておらず、星三つというやつであるから、当然いつごろか、古書で入手したものであろう。全四冊である。
 もはや「義務」として古典を読もうという気もあまりないのであるが、ゲーテは文庫本になっているのはおおよそ読んでいるので、これは以前から読まないとなと思っていた。調べてみると、岩波文庫で山崎章甫による新訳が1997年に出ているようであるが(これも既に古書でしか入手できない)、全然気づいていなかった。
 旧訳(小牧健夫訳)は、相当に読みにくい。正字旧仮名はあまり気にならないが、いまのこなれた翻訳に慣れているので、どうしても直訳調に思えるし、ところどころ、(わたしには)意味の取りにくい文章もある。まあ、こういうのは、原文と比較しないとはっきりしたことはいえないが。固有名詞もはっきりと問題があって、例えばオウィディウスの『変身物語(メタモルポーセース)』が、オヴィート(ドイツ語読み)の『変形』などと、なっている感じである。なので、なかなかすらすらと読み進められない。
 でも、であるが、これでもゲーテの記述がいきいきしているのはわかる。難渋しながらも、つい惹き込まれてしまうところもあるな。
 ゲーテ、名のみ高くして、いまでは(たぶん)世界的にもあまり読まれていないだろうし、最近では軽く見る人が多いという印象がある。ゲーテ=世界文学、という紋切り型とか。わたしは、何となく幸田露伴を思い出したりする。ゲーテ露伴も、たんなる小説家として見れば、確かにそれほどの存在ではあるまい。でも、わたしはものがわからない人間なので、ゲーテ露伴も勝手に高く評価しているのである。とか、わたしごときが「評価」するなど、もちろん烏滸がましいな。
 確かトーマス・マンゲーテが死んで、ホッとしていた筈である。マンにはゲーテが天才だとわかっていたので、同時代に生きているだけで、プレッシャーだったのだ(後記:いや、マンじゃないな、時代が合わない)。それから、吉田秀和さん、ドイツ語ができていちばんよいことは、ゲーテが原文で読めることだと、これも確かそんな風に仰っていた筈である。
 さて、かくも読みにくいから、途中で挫折しそうではあるが、ね。とりあえず、よたよたと50ページくらい読んだ。

辻井伸行君の avex 録音が NML で配信 / 大山顕監修・編『モールの想像力』

昧爽起床。晴。
 
さて、図書館から借りてきた、福尾匠(1992-)の『非美学 ――ジル・ドゥルーズの言葉と物』(2024)全463ページに、ようやくすべて目を通し終えた。結局、わたしは著者が何をいいたいのか、まったくわからなかったといっていい。不勉強でかつ頭が悪いというのは、困ったものであるな。著者はわたしよりほぼ四半世紀だけ若い、ほとんど子供みたいな年齢、だってさ。

となると、なんともいまさらながら千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない ――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(2013)を、図書館で借りて読もうと思う。もう書庫に入っていて、さすがに予約をかけなくても借りられそうだしな。これも、読んできっと何もわからないだろうという自信(?)があるよ笑。昔なら、まちがいなく買っていた本だけれどな、既に文庫化もされているし。
 と思ったら、ブログ検索してみたらこの本、もってるし、10年以上前にもう読んでるんだ。アホだなあ、オレは、何も覚えていないとは。まあ、どこに置いてあるかわからないし、図書館で借りて読もうや。
 
「とらわれない、偏らない、こだわらない」これって、どこかで…住職が「養老孟司」の本にみた“仏教の解釈”とは | レビュー | Book Bang -ブックバン-
玄侑さんによる、養老先生の新刊『人生の壁』に対する長文書評。最近玄侑さんはあまり文章を書かれないから(むちゃくちゃお忙しすぎるからね)、読めてうれしかった。これだけで見事なエッセイになっている。さて、この新刊、図書館に入らないかなあ。
 

 
NML で音楽を聴く。■ショパンのピアノ・ソナタ第二番 op.35 で、ピアノは辻井伸行NML)。
 あー、ショパン・コンクールの予選始まったなー、あー、ジャリどものショパンとか、いまいち YouTube で聴く気しねー、そーだな、ちょっとピアノ・ソナタ第二番のいい演奏を NML で探してみるかなー、
 とかいうわけで NML で検索してみたところ、地上に下りた最後の天使、辻井伸行君のショパン・アルバムが、それもなぜか DG (ドイツ・グラモフォン)から 3.6 に配信始まっているではないか! 既に2015年に avex で CD が発売されているものであるが、avex は NML に参加していないので、これまでわたしは聴いていない。でも、なんで DG から?
 まあ、そんなことはいいや。辻井伸行教の信者(=わたし)がいうことであるが、現在世界最高のピアニストによるショパンであるから、期待どおりじつにすばらしい。辻井君は、圧倒的に広大なパースペクティブの中で、素直に曲を、ベストな形で再現前化するタイプのピアニストだから、クラシック初心者が聴いてもいいんだよね。最強のオールラウンダー。でも、わたしみたいなこじらせたクラヲタが聴いても、すばらしいんだぜ。最初の一音から、ゾクゾクする。現代において、天才って、可能なんだ、という驚き。まことに、天才と同時代を生きる幸福を、辻井君は味あわせてくれる。2015年の録音。

■ピアノ・ソナタ第三番 op.58 の演奏も聴く。わたしごときにいうことはないんだけれども、しかし終楽章、圧倒されたし、感動したね。まぎれもなく21世紀のショパンであるだけでなく、ルービンシュタインポリーニといった、過去の最高クラスのショパン弾きとも比較したくなってしまうようなところが、ある。まあでも、大げさな絶賛は、ここまでにしておこう。2014年の録音。
 ちょっと調べてみると、過去の avex への録音、全部かは知らないが、他にも既にいくつかが DG から配信始まったようだ。やったー、でも、知らなかったじゃないか、誰か教えてくれよ、ってぼっち君がいう。
 

オオアラセイトウ、一昨日の散歩中に撮ったもの。
 
昼。いい天気。
納豆と甲津原味噌による韮(ニラ)の味噌汁だけで、ご飯がめっちゃおいしい。これだけで食べられてしまう。デザートは自家産イチゴ。
 
コンビニでほうじ茶600mL(118円)を買う。
米屋。ハツシモ 5kg、3640円で前と同じ。あと、キャベツ丸ごと一玉(148円は安い)、飛騨の漬物×2など。
銀行ATMに寄る。初めて訪れた支店だが、駐車場が狭くてちょっときびしい。
 
図書館から借りてきた、大山顕監修・編『モールの想像力』(2023)読了。本書に一切そういう記述はないが、我々田舎者にとってショッピングモールの内部は、たんなるアメニティ空間ではなく、まさにキラキラした「都会」なのである。無意識的な疑似都会の幻想。それは、都市やあるいは「郊外」に住む人間には、わからない感覚なのではないか。実際の都会に、じつは(基本的に)ショッピングモールはないのであるが。
 田舎では、田んぼの中にショッピングモールがあることは、めずらしくない。だから、ショッピングモールの外壁は、外部を遮断して内部の「都会」を保護する一種の「結界」なのである。わたしの家の(車で行ける)近くに、イオンモール各務原の中ほど人が集まり、ゾロゾロ歩いている場所はない。あと他にはまあ、市民公園、「学びの森」くらいか。そういう意味でも、ショッピングモールは「田舎の日常」とちがう。というか、田舎者は、それをこそ「日常」にしたいのである。そこから、都会へいけばそれが「日常」になるかも、という想像まで、もうすぐのところである。田舎では、外に人があまりいない。退屈で、活気というものが、ない。オシャレでない。と、そんな風に思っているのである。
 

 
日本の高校生になりきるツアーが、インバウンド観光客に人気 アニメの世界を追体験 廃校舎の有効活用にも(ロイター) - YouTube
驚くというか、さすがにその発想はなかった。しかしまあ、アニメをそこそこ観ているわたしの感覚からしても、何とも奇妙な話だよね、ちょっと信じがたい……。そこまで日本って、外から見ると(いや、アニメで見ると)不思議の国なのか。それは喜んでいいことなのか。
 
ショートムービー「リコリス・リコイル Friends are thieves of time.」|第3話「Scintillation of genius」 | YouTube
 
夜。
なぜ地方の若い女性は東京を目指すのか…大学生の本音とUターンの魅力を取材!人口減少ストップへ(新潟ニュースNST) - YouTube
新潟県庁の目標が到底達成不可能なものであることは明らか。「それくらいしないと」っていう、危機感の表れであることはわかる。でも、やっぱり現実を直視すべきではないか。地方の人口減少・人口流出を食い止めることは、まず不可能であることを、認めることからしか始まらない。有効な対策は(いまのところ)ない。一部地域では、いかにうまく「消滅」するか、というのが最適解である、ということもあり得る。田舎者としては、ほんとに身を切られるようにつらい話であるが。
 ベストは尽くす、あとはなるようにしか、ならない。
 
 
アニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2021)を観る。『モールの想像力』で傑作ショッピングモール・アニメとして何度も言及されていたもの。そうね、傑作なのかな、あまり工夫のないボーイ・ミーツ・ガール作品だし、正直、ショッピングモールが舞台というのも、特に意味があるとは思えなかった。
 ま、独特のポップな色使いは印象的だった。途中で何度も観るのを止めようかと思ったけれど、なんとか最後まで観られたのはよかった。平凡作という他ない。監督はイシグロキョウヘイ。87分。

速水健朗『1973年に生まれて ――団塊ジュニア世代の半世紀』

昧爽起床。晴。
まだ外が暗いなか自分のブログ日記を延々と読み返す。自分だけでもたまには読んで、供養してやらないとな。
 
福尾匠『非美学』の続き。第四章と第五章にざっと目を通す。あいかわらず、わたしごときには著者が何がいいたいか、さっぱりわからない。
 
いい天気。スーパー。プリペイドカードにチャージする。
 
昼食に半田めんを食べたあと、インスタントコーヒー。おいしいな、ホッとする。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第五番 BWV816、第三番 BWV814 で、ピアノはイングリット・ヘブラーNMLCD)。よいな。■バッハのヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042 で、ヴァイオリンは諏訪内晶子、ヨーロッパ室内管弦楽団NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十八番 op.31-3、前奏曲 ヘ短調 WoO55 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十二番 op.54、第二十四番 op.78 で、ピアノは野平一郎(NML)。2002年の録音。
 「つまらないベートーヴェンの小ソナタ」が、野平さんの手にかかるとちっともつまらなくない! すばらしい。この二曲、全然ちがう曲だから、アプローチも適切によく変えて弾かれている。特に「テレーゼ」(op.78)、これを超える演奏はちょっとむずかしいんじゃないかとすら、思っちゃうね。野平一郎を、聴け!

 
図書館から借りてきた、速水健朗『1973年に生まれて ――団塊ジュニア世代の半世紀』(2023)読了。途中から速読してざっと目を通した。このメディアとゴシップの(わたしには)どうでもいい「同時代史」を読んでいると、我々が生きる意味はまったくないように思えてくる。空疎。もっとも、我々が生きる意味は実際ないのであり、その真実に容易に堪えられない我々は、だからこそ生きる意味を探さずにはめったに生きていけない。
 それで何にも考えずにいると虚栄心を満たすため、モノシリ、頭がいいとか思われたがったり、ネット上でイジワルをいったりしてマウンティングなどしてしまうわけだが、いまわたしがやっているのもそれじゃないだろうな、ってね。なかなかほがらかに、仲よく楽しく生きていけないなあ。

 
夜。
お勉強ができても幸せにはなれません‼️(綾瀬ちい) - YouTube
爆笑、クソワロタ。つい観てしまった、皆さんは視聴禁止。しかし、ペラペラとよー喋る女やな。IQ130、阪大出のニートかよ。わたしもかつてエリート予備軍にいたので、このよく喋るバカ女(褒め言葉)のいうことはわからないでもない。
 まあでも、エリートでも、立派な人間もクズもいて、その割合は普通人(?)と同じやで。ただ、かしこいという「力」をもっているだけ、つまりは強力な「武器」をもっているということだから、誘惑も多いし、自分で気をつけないと無自覚で社会を不幸にするが。ま、どーでもいーですね、ほんと。
 
『日々は過ぎれど飯うまし』第3話を観る。いやー、これいいな。高尾山への登山と食事の回か。きれいな作画で描かれる、平凡さがいい。さて、もうひとりメンバーが加わる筈だが、いつになるんでしょう。

ウストヴォーリスカヤとヴァインベルクを聴く / 西野嘉章『チェコ・アヴァンギャルド』

祝日(昭和の日)。晴。
 
NML で音楽を聴く。■クリスティアン・ヴォルフの「スノードロップ」で、ピアノはザビーネ・リープナー(NMLCD)。これでアルバム一枚すべて聴き終えた。■ガリーナ・イワーノヴナ・ウストヴォーリスカヤの 十二の前奏曲で、ピアノはザビーネ・リープナー(NML)。
 ガリーナ・ウストヴォーリスカヤ(1919-2006)はソ連、ロシアの(女性)現代音楽作曲家。ショスタコーヴィチの弟子で、Wikipedia によると「この恩師と恋愛関係にあったといわれるほど濃密な関係を結んだ」そうだが、これも Wikipedia にあるように、確かに(この曲を聴くに)、ショスタコーヴィチからの影響はあまりないようである。が、「影響がまったくない」とは、(また少なくともこの曲を聴く限り)いえないとも思う。
 ザビーネ・リープナーの演奏がよいせいもあるかも知れないが、この曲には確かに魅力がある。21分。
 リープナーのアルバムで NML にあるものは、すべて聴くプロジェクト、進行中。どれくらいかかるか、何年も必要かも知れないな。
ベスト・オブ・コンテンポラリー002「ウストヴォーリスカヤ - その音楽に潜むもの」 - 名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)
わたしのような音楽理論の素人にも、参考になる解説。わたしごときに読み取れる限り、すぐれた論考であると思える。
 検索してみるとウストヴォーリスカヤを扱ったブログ記事などはかなりたくさんあるが、その大部分は音楽に言葉、概念を「聴いている」もので、音楽そのものが聴けていない。いつものことだが。

■ミェチスワフ・ヴァインベルクの弦楽四重奏曲第三番 op.14、第十四番 op.122 で、演奏はアルカディア四重奏団(NML)。2024年の録音。ヴァインベルク(1919-1996)もショスタコーヴィチの近くにいた作曲家か。ブログ検索するとわたしはこれまでそこそこ聴いているようだが、曲はまったく覚えていない。いかにわたしがいいかげんに音楽を聴いているか。
 このアルバムを聴く限り、ヴァインベルクは(わたしには)聴くに値する作曲家のように思える。少なくとも、NML にあるアルカディア四重奏団(まったく知らない)のヴァインベルクは、すべて聴かないと。

 

スイートピーふたたび。この花、なんでカラフルなんだろうな、いろんな色。
 
昼。
映画『どうすればよかったか?』はどうすればよかったか? | 勝山実@鳴かず飛ばず働かず
僕はこの映画、観ていませんが。弱いメンタルが堪えられそうになく、観なかった。
 
田舎道をてくてく歩いて、散歩ついでにきたや珈琲店長森店へ寄る。3.10 に見つけていたところで、家から歩いて片道15分程度、適当な距離だと思っていた。

前回はきたやブレンドというコーヒーを頼んでみたのだが、わたしにはいまひとつだったので今回はストロングブレンド(500円)、これはなかなかよかった。これならまた(歩いて)来てもいい、また、客も多すぎず少なすぎず、落ち着いて本が読めそうなのもいい。暑いときなら、アイスコーヒーでもいいしな。
 西野嘉章チェコアヴァンギャルド』(2024)を読了。20世紀初頭の東欧チェコを中心に「前衛」活動を研究したもので、正直わたしのレヴェルを超えているが、ひさしぶりに正統人文書、ってのを読んだ気分。
 話としてはさすがにマイナーで、日本でよく知られている「登場人物」は、チャペック兄弟くらいか。弟のカレルの本は、『山椒魚戦争』(開高健が絶賛、年に一度は読み返すと書いていたのをいまだに覚えている)や『R.U.R.』くらいはわたしでも読んでいる。兄弟合作の『園芸家12カ月』は、中公文庫の版でよく知られているだろう。本書は主に兄のヨゼフに詳しい。
 ま、そんなところ。積ん読解消プロジェクトの一環としても読みました笑。

川の上をツバメたちがギュンギュン飛び回っている。水の上を青の弾丸(カワセミ)が突進していったが、カワセミって鳴くのな。初めて聴いた。
 

 
速水健朗『1973年に生まれて ――団塊ジュニア世代の半世紀』(2023)を読み始める。
 
夜、早寝。