合同慰霊祭in沖縄 

一条真也です。沖縄に来ています。
26日の12時から沖縄県浦添市サンレーグランドホール中央紫雲閣で「合同慰霊祭」が行われました。ここは沖縄県最大級のセレモニーホールですが、わたしは沖縄の海をイメージしたオーシャンブルーのネクタイ、ポケットチーフのコーディネートで参列しました。

中央紫雲閣」の前で


新庄部長(左)、島袋支配人(右)と

合同慰霊祭の祭壇

「祈」の文字が浮かび上がる


合同慰霊祭のようす

わたしも参加しました

新城部長の「追悼の言葉」を聴く

まず、わたしが献灯しました

心をこめて祈りました

 

合同慰霊祭は「開会の辞」に続いて、黙祷、「禮鐘の儀」、サンレー沖縄の新城部長による「追悼の言葉」、カップローソクによる献灯がありました。ご遺族の方々に続いて、わたしも献灯させていただきました。心を込めてお祈りさせていただきました。

主催者挨拶をさせていただきました

 

その後、わたしが主催者挨拶をさせていただきました。
マイクを持ったわたしは、以下のように述べました。
本日は慰霊祭にご参加いただきまして、ありがとうございました。沖縄での合同慰霊祭・海洋散骨は平成26年より数えまして今回で11回目となります。皆様に意義を感じていただき、本年度に実施させていただく故人様を含め、310柱の方の海洋散骨を行うことが出来ました。この10年間には親御さんを亡くされた方、ご兄弟を亡くされた方、配偶者を亡くされた方、そして子どもさんを亡くされた方・・・・・さまざまな方にご参加いただき、海洋散骨を行ってきました。その際、ご遺族の皆様に、わたしが必ずお話しすることがあります。それは「世界中の海はつながっているということ。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです」ということです。

沖縄の海は世界中の海とつながっています!

 

今朝のテレビに加山雄三さんが出ておられましたが、加山さんも「世界中の海はつながっている。そして、海は人の心につながっている」と言われていました。その想いを歌にしたのが名曲「海 その愛」だそうです。わたしは、「沖縄の海も世界中の海とつながっています。海を見れば故人様の顔が浮び、そしてさまざまな思い出を思い出すことでしょう。これは世界中のどの海を見ても共通のことなのです。そして故人様との思い出を大切にし、そして海をみると思い出してあげるということは故人様にとって最高のご供養です」と述べました。

故人の魂はニライカナイへ!

 

そして、わたしは「沖縄では魂はニライカナイという理想郷に還り、その魂は皆様を見守り続けるということだそうです。これは時代が変わっても永遠普遍なものです。皆様と故人様がいつかまた会う日まで、皆様が故人様のご冥福を心安らかにお祈りいただけますよう、そして本日故人様を母なる海へ送られるご家族様のこれからのご健勝を祈念いたしましてご挨拶に代えさせて頂きます」と述べて、挨拶を終えました。

合同慰霊祭が無事に終了しました

最後に一礼しました

 

合同慰霊祭の終了後、それぞれのご遺族ごとに集合写真を撮影されました。それから、わたしたちは三重城港に向かいました。ここで、例年通りに海洋散骨に立ち合わせていただきます。

 

2024年4月26日 一条真也

名護宮里紫雲閣竣工式 

一条真也です。沖縄に来ています。
25日の朝、那覇のホテルで目を覚ましました。あいにくの雨です。負傷している右手中指をかばいながらモーニング・ルーティーンである腹筋&腕立て伏せをやった後、朝食を取りました。その後、迎えに来た車に乗って完成したばかりの名護宮里紫雲閣へ。今日は、竣工式なのです。

名護宮里紫雲閣の外観

名護宮里紫雲閣の前で


サンレー沖縄の佐久間康弘社長と


サンレー沖縄の黒木昭一取締役と


写真家の安田淳夫さんと


久々にオープンする新施設です

 

この日、11時から竣工清祓神事が行われました。名護宮里紫雲閣の場所は、 沖縄県名護市宮里4丁目14番56号です。 サンレーグループとしては、沖縄県内で10番目、全国で92番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。

ロビーには多くの胡蝶蘭が・・・


入口横の待合室

ブックレット・コーナー


本日の式次第


本日の神饌


まずは身を清めました


さあ、儀式の場へ!


竣工神事のようす


お祓いを受けました


低頭しました


身が引き締まる思いです

 

竣工神事の進行は、サンレー沖縄管理部の横木部長が担当。竣工神事は、地元を代表する神社である普天間宮の榊原雅樹権禰宜にお願いいたしました。開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

玉串奉奠で柏手を打ちました


玉串奉奠で拝礼しました


柏手を打つサンレー沖縄メンバー

久々の竣工式です

榊原権禰宜の祝辞を拝聴

神酒をいただきました

 

それから、玉串奉奠です。最初にわたしが玉串を奉奠。サンレー沖縄の佐久間康弘社長、ちねん設計の知念代表、(株)沖縄工設の大嶺社長、サンレー沖縄の高橋相談役、黒木取締役が玉串奉奠し、社員が従いました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。その後、榊原権禰宜の発声で神酒を拝戴。


施主挨拶をしました

感謝状贈呈の後、施主挨拶として、わたしが挨拶しました。わたしは「無事に神事を終えることができて安心しております。この名護宮里紫雲閣は、サンレーグループとしては、沖縄県内で10番目、全国で92番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。長く続いたコロナ禍で施設の展開が滞っていましたが、ようやくこの地で新しい施設が生まれたことを嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のケアを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいです」と述べました。

宮里について話しました

 

続けて、わたしは「宮里は方言でナーザトゥ、あるいはミャーザトゥと呼ばれ、ナーザトゥはナトゥ(湊)が転訛したと解されています。名護市は、昭和45年8月に名護・屋部・羽地・屋我地・久志5村が合併し誕生しました。本土復帰直後の1970年代前半までは本部半島方面の通過地で名護湾に面した集落(西側は畑のみ)にすぎませんでしたが、1975年の沖縄国際海洋博覧会を機にアクセス道路として本部循環線のバイパスが建設され、現在の2丁目が埋め立てられ、町が変わり始めました。埋立地には野球場をはじめとする屋外のスポーツ施設や野外ステージなど大規模な公園が建設され『21世紀の森』と名づけられました」と述べました。


最後に道歌を披露しました

 

宮里といえば、宮里前の御嶽(みやざとめーぬうたき)が有名です。近世の御嶽として、『琉球国由来記』(1713年、王府編纂の地誌)にマキヨガマノ嶽(神名ススカミイベナヌシ)が記され、名護ノロの崇べ所となっています。また、神アシアケもあり、そこの祭祀も名護ノロが司りました。宮里前の御嶽は地元では、メーウガミ(前拝み)、またはメーヌタキ(前の御嶽)と呼ぶそうです。現在の御嶽は、ハスノハギリ林の中にメーヌウタキ(前の御嶽)、集落の北の丘陵地にクシヌウタキ(後の御獄)があります。このような自然に恵まれ、信仰心を強い素晴らしい土地に新しい紫雲閣が完成したことはまことに喜ばしいことであるとして、最後に以下の道歌を披露しました。

 

名護の海 森もうつくしナーザトゥ
    青き空には紫の雲  庸軒

 


決意表明のようす


決意表明のようす


普天間宮の榊原権禰宜と歓談


記念の集合写真を撮影しました

その後、名護宮里紫雲閣の新里総支配人から決意表明が佐久間康弘社長に手渡され、閉式となりました。その後は集合写真を撮影しました。フォート・プラザの安田淳夫社長が撮影して下さいました。

ホテルゆがふいんの前で


直会会場から海が見えました


久々に兄弟で語り合いました


直会の挨拶をする佐久間康弘社長


いただきます!


直会のようす


最後は「末広がりの五本締め」で

 

それから、「ホテルゆがふいん」へ移動して、直来が開かれました。最初にサンレー沖縄の佐久間康弘社長の挨拶があり、続いて乾杯が行われました。祝宴の最後は黒木取締役による「末広がりの五本締め」で直会は閉会となりました。名護宮里紫雲閣が多くの方々から愛される施設となりますように!

 

2024年4月25日 一条真也

那覇の熱い夜

一条真也です。
沖縄に来ています。24日の夜、那覇国際通りにある居酒屋で「フォトグラファー」こと沖縄在住の写真家・安田淳夫さんと会食しました。サンレー沖縄の黒木取締役、サンレー九州のグリーフケア推進部の市原部長も一緒です。

安田淳夫さんと再会しました!

オールフリーとオリオン生で乾杯!

 

翌25日が名護宮里紫雲閣の竣工式ということで、その前夜祭を開きました。もっとも、ブログ「沖縄へ」に書いたように、わたしは指が炎症を起こして抗生物質を飲んでいる身なので、アルコールは控えなければなりません。ノンアルコールビールの「オールフリー」とウーロン茶を飲みました。安田さんにお会いするのは、ブログ「長女の結婚披露宴」で紹介した結婚式以来で、2022年6月5日以来です。わたしたちは久々の再会を喜び合いました。


沖縄の伝統料理の数々・・・

美味しかったです!


現代風の創作料理の数々・・・

こちらも美味しかったです!

 

お店は安田さんの行きつけの若者向けのモダンな居酒屋で、伝統的な沖縄料理と今風の創作料理の両方を提供する店でした。島ラッキョウ海ぶどう、もずくの天ぷら、ゴーヤチャンプルなどの沖縄料理も、豚足のフライ、スパムのチーズ揚げ、イカスミそばなどの創作料理・・・・・・いずれも大変美味しかったです。本当は抗生物質さえ飲んでいなければ、泡盛をロックでガンガン飲みながら味わいたい品々でした。残念であります!


二次会のカラオケ・ラウンジで乾杯!


芸術論を語る安田さん


議論は大いに白熱しました

慈経 自由訳』(現代書林)

 

食後は、安田さんに誘われて、近くのカラオケ・ラウンジに歩いて行きました。コロナ前には沖縄に来るたびに寄っていた店ですが、まだ営業していたのに感激しました。ママさんが相変わらず綺麗なままなのも嬉しかったです。わたしはウーロン茶、みんなは泡盛で乾杯した後は、安田さんとしばらく芸術談義をしました。安田さんは写真家でありながら、絵画や陶器も製作するマルチ・アーティストです。拙著慈経 自由訳(現代書林)では安田さんが太陽や月を撮影した素晴らしい写真を使っています。


カラオケを熱唱する安田さん


わたしも歌うことになりました

 

その後は、カラオケタイムとなりました。カラオケ好きの安田さんが、千昌夫北国の春や平尾昌晃の「ミヨちゃん」「星はなんでも知っている」などを熱唱しました。わたしもマイクを渡されて「ぜひ、歌って下さい!」と言われましたが、もともとカラオケがあまり好きではないのと、この日は抗生物質を飲んでいたため固辞しましたが、みんなから押し切られました。


矢沢永吉「時間よ止まれ」を歌う♪


本当に久しぶりに歌いました♪


永ちゃんと一緒に歌っている気になりました

 

最初は、ママさんからのリクエストで矢沢永吉の名バラード「時間よ止まれ」を選曲しました。いつも歌っている通常バージョンではなくLIVEバージョンで、永ちゃん本人が出演していました。わたしは情感たっぷりに、久々にこの名曲を歌い上げました。よく歌詞を間違える「西風が笑うけれど♪」のところも間違わずに歌えました。


大好きな沖縄ソングです♪


大切なメッセージが込められた歌です♪

リメンバー・フェス』(オリーブの木

 

次に、黒木取締役が三線のナンバーを歌ったのに触発されて、BEGINの三線の花」を歌いました。この歌には、先祖から自分、そして子孫と受け継がれる大切なものが歌われています。それは、まさに前日の4月23日に発売されたばかりの最新刊リメンバー・フェスオリーブの木)のメッセージと同じです。


北島三郎「まつり」を歌う♪


男は~祭り~を~♪


祭りだ、祭りだ、祭りだ♪

 

さらに、安田さんのリクエストで北島三郎先生の国民的名曲「まつり」を歌いました。日本人なら誰でも大好きな「こころの歌」です。イントロが流れ出してくると、わたしは「初宮祝いに七五三、成人式に結婚式、長寿祝いに葬儀、そして法事・法要・・・・・・人生は祭りの連続でございます。明日は、冠婚葬祭のサンレー沖縄が名護宮里紫雲閣の竣工式を開くということで、めでてえなあ。祭りだ、祭だ!」と前口上を述べてから、「男は~♪」と歌い出しました。店内はもう興奮のルツボです!


男は~祭りで~♪


ああ、なんて素晴らしい歌なんだ😢


パフォーマンスが冴えわたる!


最後は、もちろん「イエ~イ!」

 

「まつり」という名曲の魅力に取りつかれたわたしは、業界団体の懇親会で、会社の宴会で、それから私的な飲み会で、何度も「まつり」を歌いました♪ 東京のカラオケスナックで歌ったときには全国3136人中で1位になったこともあります。そう、「まつり」はわたしの十八番なのです。この日は、抗生物質も飲んで体調が最悪で、しかも酒なしのシラフのままでしたが、なんとか自分を鼓舞して歌い切りました。というか、歌っているうちに体内にエネルギーが充満してきて、どんどん元気になったから不思議です。ちなみに、合いの手に入る「わっしょい」の掛け声は「和を背負う」の意味です。


1番は安田さんが歌いました♪


2番はわたしが歌いました♪


3番は二人で歌い上げました♪

 

その後も、安田さんとの再会を期して尾崎紀世彦また逢う日までを歌ったりしましたが、翌朝は早いし、キリがないので、最後は安田さんと美空ひばり「愛燦燦」を一緒に歌いました。最初に1番を安田さんが立って歌い、2番をわたしが歌い、3番を二人で歌いました。途中、「人は可愛い、可愛いものですね♪」の歌詞のところをママを指さしながら歌ったら、照れていました。(笑)こうして、わたしたちは「愛燦燦」を堂々と歌い上げ、タクシーに乗って帰りました。ただし、安田さんだけは店に残り、まだ飲んで歌うようです。今夜は久々に「天下布礼」を目指す同志たちと楽しい時間を過ごせて、楽しかったです。なお、カラオケに対するわたしの考え方については、ブログ「楽」をお読み下さい。

 

2024年4月25日  一条真也

沖縄へ 

一条真也です。
静岡から小倉に戻った翌日となる24日の早朝、右手の中指の激痛で目が覚めました。見ると、深爪した部分からばい菌でも入ったのか、真っ赤に腫れあがっています。朝一番で主治医のいる合馬医院を訪れ、抗生物質と痛み止めのロキソニンを処方してもらいました。飲むと、痛みは治まりました。その後、会社に寄ってから福岡空港へ。

福岡空港の前で

福岡空港にて

 

今日は福岡空港からANA機に登場して、沖縄の那覇空港に飛ぶのです。元旦の能登半島地震の発生によって新年に行けなかったので、じつに久々の沖縄出張となります。25日に名護宮里紫雲閣の竣工式、26日に合同慰霊祭および海洋散骨に立ち会う予定です。

ANAラウンジにて


青空と青汁

 

福岡空港は、思っていたほど人は多くなかったです。いま日本中どこに行っても白人観光客ばかりで「欧米か!」と叫びたくなりますが、この日の福岡空港ではその姿は見ませんでした。わたしは、まず、ANAラウンジに入って、いつもの青汁を飲みました。その後、14時00分発のANA1209便に搭乗しました。飛行機も空いていました。プレミアム・クラスはガラガラだったので、いつもは通路側の席にしか座らないのですが、窓側に座ってみました。それにしても、那覇空港に向かう人たちはみんなアロハ、かりゆし、Tシャツみたいな軽装の人ばかりです。わたしは、ブルー・ストライプのジャケットにマリンブルーのシャツ、黒のパンツといった装いでした。

今日は空いていたので窓際に・・・

やっぱり、マスクを着けました

 

ブログ「マスクを楽しむ!」で紹介したように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。現在、コロナも多くなっている上にインフルエンザも流行していますしね。コロナが5類に移行した後も、わたしはしばらく着用するつもりです。第一、大量のカラフル・マスクのストックがありますから、使わないともったいない!(笑)

ANA1209便、飛び立つ!

機内から見た福岡の街


福岡ドームも見えました
まずはランチをいただきました

飛行機に乗り込むと、まずはスーパーシート用のランチをいただきました。14時をかなり過ぎての提供だったので、お腹がペコペコでした。ちらし寿司を中心とした軽食といった感じでしたが、とにかく空腹だったので美味しかったです。食後はブラックコーヒーを注文。熱いコーヒーを啜りながら、いつものように読書をしました。

機内では、読書しました

 

恒例の機内読書ですが、この日は『60歳からの「般若心経」』公方俊良著(三笠書房)を読みました。著者は、1941年、京都生まれ。天台宗門跡寺院で得度。敦實親王菩提寺蒼竜寺住職。宗派へのとらわれを廃し、檀家を持たず、終始野にあって、仏教を根底にした教化活動に努めているそうです。本書には、悩みの正体、身近にある幸福、世の中の仕組み、力強い自己実現・・・・・・般若心経が教えてくれる「人生後半」を賢く、豊かに生きるヒントが書かれています。具体的には、◎60歳から、あるがままに、自在に生きる知恵◎対立した見方が迷いのもとになる◎人間関係を仕切り直す3つのポイント◎身も心もみな「空」◎自分の「捨て方」を知っておこう◎「まだ働ける」――こんなに有り難いことはない◎災厄が訪れる人、訪れない人の差◎友情は「淡の交わり」まで深めてこそ・・・・・・などです。今こそよくわかる、心に響く――たった276文字に凝縮された「仏教の真髄」。わたしも、来月10日には61歳になるので、60歳のうちに読んでおきたいと思いました。


窓の外は地球のイメージ


窓の外は地球のイメージ


青と白のツートンカラー


青と白と青のスリートンカラー

 

わたしは『般若心経』のことを考えると、いつも宇宙を連想します。ふと飛行機の窓の外を見ると、宇宙空間に浮かび地球そのもののような絶景が拡がっていました。空の青と雲の白のツートンカラー、それに海の青が加わったスリートンカラーも幻想的で、素晴らしい色彩でした。わたしはiPhone最新機種(iPhone 15 Pro Max)の高性能望遠レンズを駆使して、写真を撮りまくりました。そういえば、一昨日に、カメラ通である117の山下社長から「いつもブログの写真を拝見していますが、あまり望遠レンズは使われませんね」と言われたことを思い出しました。よし、今日は使ってやろうじゃないか!


雲はまるで生き物のようだ


雲は天才である!


まるで天国のような光景が・・・


機内から見た那覇の海

 

そういえば、新型iPhoneになってから、飛行機の窓際に座るのは初めてかもしれません。やはり、たまには空の景色を眺めるのは良いですね。心がリセットされて、悩みや不安も吹き飛ぶ感じです。それから、雲海をしばらく眺めていました。わたしは「霊界」をイメージできるので「雲海」が大好きなのです。それにしても、雲が動くと生きているようですね。雲はいくら見続けても飽きません。石川啄木のように、「雲は天才である」と言いたい!


那覇空港に到着しました


那覇は曇りで、気温22度でした

那覇空港にて

那覇空港の出口で

 

那覇空港には15時50分に到着。気温は22度でした。小倉とあまり変わりませんが、昨日までの那覇は28度ぐらいあったそうです。サンレー沖縄の黒木取締役と横木部長が迎えに来てくれました。まずは、定宿のホテルに向かってチェックイン。それから少し打ち合わせてから、夕方から那覇在住の写真家である安田淳夫さんとお会いして、会食します。安田さんは拙著慈経 自由訳』『般若心経 自由訳(ともに現代書林)に素晴らしい写真を提供して下さった「天下布礼」の同志です。安田さんに会うのもずいぶん久しぶりなので、本当に楽しみです!

 

 

2023年5月29日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「楽」です。
ここでの「楽」とは、「音楽」の楽のことです。


ウクレレを弾きながら歌う♪

 

わたしの趣味の1つは、ウクレレを弾きながら歌うことです。プライベートではもちろん、結婚式に呼ばれたときも、加山雄三の名曲やサザンオールスターズのナンバーをウクレレとともに歌ってきました。社員の送別会では尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を、社員旅行ではボンボン・ブランコの「手の平に太陽を」を。大規模な会社の懇親会で錦野旦の「空に太陽がある限り」をウクレレ付きで熱唱し、最後に「空に太陽、地上にサンレー。陽はまた昇る!」と絶叫するのがお決まりのパターンでした。


新年祝賀式典でウクレレを弾く♪

 

特に新年祝賀式典とか創立記念式典とかで硬めの社長訓示をした後、懇親会でウクレレを演奏すると効果大で、社員はとても喜んでくれます。コロナ前はよくやっていました。わたしは別に目立ちたがり屋ではないし、受けを狙ってやっているのでもありません。ずばり、「礼楽」ということを意識してやっているのです。

 

 

「礼」を唱えた孔子はまた、度はずれた音楽好きでもありました。論語には、「子、斉に在りて韶(しょう)を聞く。三月、肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽をなすことのここに至らんとは」とあります。孔子は斉国にいるとき、聖天子とされた舜の音楽を聞ききました。感動のあまり長い間、孔子は大好きな肉の味がわからなかったといいます。そして、孔子は「思いもよらなかった。音楽にここまで熱中してしまうとは」と言ったのでした。


社員旅行の懇親会でウクレレを背面弾き♪

 

その「楽」を、孔子は「礼」と組み合わせました。
論語』には「楽は内に動くものなり、礼は外に動くものなり」という言葉があります。音楽は、人の心に作用するものだから内に動きます。礼は、人の行動に節度を与えるものだから外に動きます。


沖縄で三線を弾く♪

 

また、「礼は民心を節し、楽は民生を和す」という言葉もあります。礼は、人民の心に節度を与えて区切りをつけるものであり、音楽は、喜怒哀楽の情をやわらげて人民の声を調和していくものだというのです。


カラオケを歌って盛り上げる♪

 

さらに、「仁は楽に近く、義は礼に近し」。仁の性格は音楽に近く、義の性格は礼に近い。つまり、仁は情を主とし、音楽は、和を主とするからである。また、義は裁判を主とし、礼は節度を主とするからである。それゆえ、礼楽は教育のもとであると同時に、仁義に通じる人の道の根本であるというのです。


「まつり」を歌うと♪こころが1つになる!

 

そして「楽は同を統べ、礼は異を弁(わか)つ」。音楽は、人々を和同させ統一させる性質を持ち、礼は、人々の間のけじめと区別を明らかにする。つまり、師弟の別、親子の別というように礼がいたるところで区別をつけるのに対して、音楽には身分、年齢、時空を超えて人をひとつにする力があるのです。ウクレレの調べが、社長である自分と社員の心をひとつに結びつけてくれるのです。なお、「楽」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2024年4月24日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「道」です。


礼道の「かたち」』(PHP研究所)

 

日本人は「道」が好きです。
茶道に華道、書道に歌道、剣道や柔道といった武道はもちろん、双葉山は相撲道を、松下幸之助は経営道を提唱しました。父である当社の名誉会長は、礼法を礼道に高めたいという志を持っています。「道」の反対語を『反対語辞典』でひくと「路地」とあります。路地とは行き止まるものであり、道は終わりなきものなのです。



「道」はもともと道路の意味です。そこから道理・方法などの意味が生まれ、孔子を祖とする儒教では、仁義などの徳目が人のよるべき道として掲げられました。すなわち道とは、これによらなければ、人間が存在することができないもの、生活して行動してゆくことができないものなのです。したがって人間が生活するに当たって一番大事なことは何かというと、まず道をつけることです。



道を学ぶ人間の中には、とかく観念的・抽象的になって、実際の生活から離れがちの人がいます。そこでその弊害を戒めて、昔から禅僧などがよく手厳しい警告を行ってきました。例えば、趙州(じょうしゅう)和尚に雲水が「道とは何ですか」と言って尋ねました。和尚答えて言うには「道ならそこの垣根の外にあるではないか」「私の尋ねておるのはそんな道ではありません。大道です」「大道、長安に通る。大道か、それならあの道だ。長安の都に通じておる」と。今なら国道一号線というところですが、観念の世界や論理の遊戯に堕することを戒めたものでしょう。

 

 

孟子』には、「道は爾(ちか)きに在り、而るにこれを遠きに求む」とあります。生きていくうえでの原理・原則というものは、案外に平凡で常識的であることが多いです。孟子が言うように、人間の踏むべき道は、どこか高遠なところにあるように見えて、実は日常の身近なところにあるのです。たとえば、職場の人間関係がこじれて暗い雰囲気が漂っていた会社が、あるとき、些細なことから明るくなりました。そのきっかけは、社員の一人がはじめた大きな声の「おはよう」という挨拶でした。誰にでも実行できてしかも大事なことというのは、このようなごく平凡で些細なことなのです。



宋代には「道・器の論」が盛んに論じられました。「器」というものは用途によって限定されています。茶碗がどんなに立派だろうが、また便利だろうが、器はどこまでも器であって、無限ではなく、自由ではありません。これに対して「道」というものは、無限で自由なものです。したがって「道」に達した人は、何に使うという限定がなく、まことに自由自在で、何でもできます。こういう人を「道人」というのです。



企業においても経営道、営業道、企画道、経理道、総務道、人事道、秘書道と、さまざまな道がありますが、すべてのプロフェッショナルは自由自在な道人をめざしたいものですね。なお、「道」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2024年4月24日 一条真也

『論語と冠婚葬祭』 

一条真也です。
108冊目の「一条真也による一条本解説」は、『論語と冠婚葬祭』(現代書林)です。本書は、わが国における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生との対談本です。「天下布礼」の書であります。

論語と冠婚葬祭』(現代書林)

 

わたしは長い間、「礼とは何か?」「なぜ、冠婚葬祭は必要か?」について考え続けてきましたが、加地先生との対談でついにその答えを得ることができました。本書は、冠婚葬祭互助会業界の同志たちをはじめ、冠婚葬祭に関わるすべての人々にとっての理論武装の書となるように思います。また、渋沢栄一の『論語と算盤』の副読本として読んでいただくのも良いかもしれません。『論語と冠婚葬祭』というタイトルはわたしが考えたのですが、加地先生から「素晴らしい!」と褒めていただきました。


本書の帯

 

本書のカバーには加地先生が前、わたしは後に立った写真(三歩下がって師の影を踏まず!)が使われ、「葬儀も結婚式も・・・・・・冠婚葬祭の儀式の本質はすべて儒教である。」「儒教研究の第一人者と、礼の求道者による画期的な対談!」と書かれています。


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」一条真也  
第1章  儒教と冠婚葬祭と
古い礼儀作法の教え?
無縁社会」とは何なのか
儒教は宗教ではない!?
現代日本の葬儀を考える
終末から修末へ
お墓と仏壇とをどうする?
「礼」を示すのが、お辞儀
歩き方も重要
仏式葬儀の作法
否定された祖先祭祀
出生、そして結婚
冠婚葬祭と年中行事と
第2章 儒教と死生観と
儒教生命科学
「魂の救済」と「死の説明」と
儒教の死生観
宗教に弱い日本人
唯心論と唯物論と唯葬論と
子どもがいないと子孫がいない?
儒教は死の恐怖を解放する
東日本大震災と土葬と
「喪(葬)祭」となぜ書くのか
志は「死の不安」を超える
儒教における家族
第3章 『論語』を語る
誤解されている『論語』?
論語』とドラッカー
聖徳太子徳川家康渋沢栄一
DNAリーディングとは
令和の命名の問題
自分の幸せだけでいいのか
「礼」とは何か
「志」とは何か
為政者の条件
教育によって教養人をつくる
「徳」とは何か
「礼楽」とは何か
古典で己を磨く
孔子」の人物像
君子と小人と
「仁」とは何か
第4章 儒教と他の宗教と
儒教は最も宗教らしい宗教
「家族主義」を見直す
仏教の死生観
生と死とを繋ぐ儀式
魂魄が帰ってくる場所
孔子による儒思想の創造
第5章 儒教現代社会と
東日本大震災で見えたこと
「いじめ」をめぐって
児童虐待個人主義
現代日本個人主義
知識ならコンピューターで十分
グリーフケアの時代
鬼滅か、鬼誅か
「あとがき」加地伸行


三歩下がって師の影を踏まず!

 

ブログ「加地伸行先生と対談しました」に書いたように、わたしたちは、2021年7月7日に大阪で対談しました。加地先生に初めてお会いしたのは、2012年の7月13日に東京で開催された講演会の場でした。それ以前にもお手紙のやり取りや電話でお話させていただいたことはありましたが、直接お会いすることは初めてでした。それから10年近くが経過したわけですが、初対面以来、定期的にお電話で長時間お話しさせていただいていました。儒教研究の権威ということから、正直言って加地先生には厳格で近寄りがたいイメージがったのですが、先生は非常に優しく、ユーモアに満ち、人間的魅力に溢れておられました。そのイメージギャップは、そのまま儒教孔子のそれと重なるように思えたのです。


儒教について語られる加地伸行先生


心して拝聴しました

 

加地先生は『論語』とともに儒教の重要教典である『孝経』を訳されたことで有名です。日本人の葬儀には儒教の影響が大きいことは明らかですが、その根底には「孝」の思想があります。あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。その過去と未来をつなぐ中間に現在があり、現在は現実の親子によって表わされます。すなわち、親は将来の祖先であり、子は将来の子孫の出発点です。だから子の親に対する関係は、子孫の祖先に対する関係でもあります。


拱手の指導を受ける(本書より)

 

死の観念と結びついた「孝」は、死を逆転して「生命の連続」という観念を生み出しました。亡くなった先祖の供養をすること、つまり祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することです。また、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。さらには、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになります。だとすると、現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、皆と一緒に共に生きていることになります。


コロナ禍中の七夕に大阪で対談しました

 

わたしたちは個体としての生物ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。これが儒教のいう「孝」であり、それは「生命の連続」を自覚するということ。ここにおいて、「死」へのまなざしは「生」へのまなざしへと一気に逆転します。儒教では、死から殯(もがり)の儀式を経て、遺体を地中に葬り、さらにその後の儀式が続きますが、そういう一連の儀式全体を「喪」といいます。遺体を埋める「葬」は「喪礼」の一段階にすぎません。


多くの学びを得ました

 

ですから儒教的に言えば、「葬式」ではなくて「喪式」です。また、婚礼は昏(くら)い間に行われたことから、日本語の「冠婚葬祭」は儒教では「冠昏喪祭」が正しい。仏式葬儀の中には、儒式葬儀の儀礼が取り込まれています。加地先生は、「日本仏教はもちろんすぐれた宗教として存在する。私は仏教信者でありつつ、儒教的感覚の中で生きている」と述べられました。これは、すべての日本人に知ってほしいことです。日本人の冠婚葬祭の本質は、儒教という光線を当てることによって浮かび上がってきます。


画期的な一冊が誕生しました!

 

「あとがき」で、加地先生は、「死は、人間各自にとって一回きりであるが、医療関係者は絶えず直面している。そして死者を送り出す。その死者を弔い、安置するのは家族であるが、実質的には葬儀関係者である。その厳粛にして心のこもった別れの儀式を行なうのが、人間である、まともな人間である。その粛然とした葬儀を指揮している一条真也氏は、誠実な人物であり、勉強家である。今回、始めて同氏と対談することとなったが、驚いた。その博識と見識とには、輝くものがあり、楽しく対談を終えた。その記録の本書は、必ず読者に死への覚悟の基盤を作ることになるであろう」と書いて下さいました。過分なお言葉に恐縮するばかりです。

 

 

2024年4月23日 一条真也