『中村天風と「六然訓」』

一条真也です。

中村天風と「六然訓」』合田周平著(PHP新書)を読みました。
ソーシャルの達人」こと合田周平先生の新しいご著書です。
電気通信大学名誉教授の合田先生は、日本におけるシステム工学の第一人者です。拙著の一節が引用されているとのことで、本書が版元から送られてきました。


変革を実現する哲学



本書は、異色の哲学者として知られた中村天風についての本です。
ブログ『西郷の貌』西郷隆盛にまつわる小説を紹介しましたが、維新の英傑であった西郷を最も尊敬していた人物に頭山満がいます。
玄洋社の代表として日本の近代史に深く関わった国士です。
本書に登場する中村天風はその頭山満の弟子であり、彼を深く尊敬していました。
西郷隆盛 → 頭山満 → 中村天風・・・・・このような「こころ」のDNAの流れがあるのです。そして、合田周平先生は中村天風の愛弟子でした。
本書の帯には「愛弟子が説く王道の哲学」と書かれています。



本書の表紙カバーの折り返しには、次のように内容が紹介されています。
中村天風(一八七六〜一九六八)にかつて師事したシステム工学の専門家による天風哲学解読の試み。『六然訓』は天風哲学を創建する転機になったといわれる中国の古典。その言葉をもとに、中村天風の人物像と思考と行動を考察していく。心の潜在意識にまで伝達され、意識内容をも書き換えることのできる持続可能な意志の力としてのヴィジョンを、国家や個人はいかにして持つことができるのか? 生活や国のかたちを改革する未来へのシナリオとは? 天風思想を日常生活の心身の調和に活かす心構えも説く」



本書の「目次」は、以下のように「六然訓」がそのまま活かされています。
序章:ヴィジョン――持続的「心の活性化」
第一章:超然任天――天空からのシナリオを読み解く
第二章:悠然楽道――「自己の哲学」を探究すれば「王道」が彷彿と現れる
第三章:厳然自粛――自己の「潜勢力」を認識する
第四章:藹然接人――他人や事物に寄り添う心の想い
第五章:毅然持節――心に「信念の領土」を築く
第六章:泰然處難――「国家のヴィジョン」の基本
「あとがき」



序章「ヴィジョン」では、著者と中村天風との出会いが語られます。
戦後間もない頃、中村天風の講演を聞く会が毎月、東京は音羽護国寺「月光殿」で開催されていました。この会は「天風会」と名づけられ、参加者は中村天風から「心身統一法」という熱のこもった実践哲学の話を聞いたそうです。
著者は、その当時の自身の状況について次のように述べています。
「わたし自身は、昭和27(1952)年の『血のメーデー事件』の日に、学生運動に関わる覚悟を決めて友人数人と出かけた皇居前広場で、燃え盛るクルマや群衆の投石を見て、恐ろしくなって逃げ帰ったという後ろめたさを感じていた。
この感覚が、わたしの心に重くのしかかり、得体の知れない不安感から劣等感に苛まれ、何となく元気のない生活となっていた」



そして、著者は中村天風と出会い、次のような言葉をかけられます。
「元気かい! 若者は常に元気という『気』を心に燃やし続けることだ。電気を勉強とは、これからが楽しみだねぇ。大いに学問を究め、新しい日本をいかに復興させるべきかを考えなさい。人生もまた、電気のような見えざる『気』に支えられているのだ。そこの扇風機でも、機械だけでは動かない。電気の力で回っているのだ」
この言葉を聞いた著者は、衝撃波のようなものに襲われ、その残響が心に「アイコン」を留めたそうです。それをクリックすると「遭遇の場面」が鮮やかに甦るという著者は台北に生まれ育ち、敗戦で引き揚げを経験し、幼少時代を過ごした故郷を失っていました。そのため、「心のふるさと」に迷い込んだ心地よさに興奮したそうです。このときに味わった漠とした「気」の雰囲気が、著者を「中村天風」という人物に惹きつけたのでした。



その後、天風会に身を寄せた著者は、「東京青年会」の組織拡大に努めました。
そこで青年会誌の編集を任せられた著者は、次のように書いています。
「毎月の講習会に合わせて発行していた会誌を、中村天風がよく読んでいたこともあり、事務局長の計らいなどが功を奏して、しばしば面談の機会に恵まれた。政財官界のお歴々が、中村天風のお宅に面会に来られる機会にお伺いすることで、相撲の双葉山、政界の堤康次郎や園田直、官界の佐々木義武、財界の倉田主税ならびに作家の宇野千代などの著名人にもお目にかかる光栄にも浴した」



本書を読んで、わたしは「視覚」を意味する「ヴィジョン(Vishion)」という言葉が「言霊」の継続でもあるというくだりに興味を抱きました。著者は次のように述べています。
「『ヴィジョン』は、未来志向の指針であるが、現在のより良き延長を目論むのではなく、とことん変革を追求し継続する心意気がなければ意味がない。
人間味豊かな自己表現は、外界から嵐のように襲いかかる刺激(情報)の全体像を心やさしいイメージに転化し集積させることに始まる。
そのイメージが、心理的には『潜在意識』を構成する基盤となる。『ヴィジョン』は、日本語の『言霊』ともいえる。言葉が活力を伴い、正しい精神のもと人生を思い通りに生きることを実現させる。『言霊』には、潜在意識の『潜勢力』への扉を開くシグナル(暗示力)が秘められている。現状を超え、変革をとことん実現する『意志の力』が継続する」



本書は、異色の哲学者である中村天風が築いた「天風哲学」の本です。
では、「天風哲学」とは何か。著者は、次のように述べます。
「『天風哲学』とは、中村天風『心身統一法』をベースとした実践哲学である。創始者中村天風(1876〜1968年)の人物像とその人生における思考と行動を考察する」
中村天風は、師である頭山満から多くを学びました。
中でも、「敬天愛人」という西郷隆盛の遺訓をもとに、「自然界の森羅万象を感じ取る心」を持つことを教えられたそうです。
この教えは、終生忘れ得ぬことで、「天風哲学」の思想的な根底となりました。



わたしが特に強く興味を引かれたのは、以下のくだりでした。
中村天風が日本に帰国し、天風哲学を創建する転機となったのは、中国の古典『六然訓』を学んだことに始まったと聞いた。これを哲学的な土台(受け皿)として、欧米やインドでの学識や『ヨガの行』をもとに、孔子論語』や武蔵『五輪書』など多様な知識をブレンドして、見事に経験を思想とし天風哲学(中村天風『心身統一法』)を創建した。残されている、多くの『天風箴言』もその成果なのである」



ここで『論語』も登場していますが、本書のタイトルにも入っている「六然訓」も紹介されています。「六然訓」とは、次の6つの教えです。
超然任天(超然として天に任す)
悠然楽道(悠然として道に楽す)
厳然自粛(厳然として自を粛す)
藹然接人(藹然として人に接す)
毅然持節(毅然として節を持す)
泰然處難(泰然として難を處す)



「六然訓」は、もともと『聴松堂語鏡』(明の崔銑著)の教えの言葉で、中村天風のオリジナルではありません。しかし基本的な意味合いに大きな相違はなく、時代とともに、天風「六然訓」として生まれています。
著者は、「真理に則した哲学的な言葉とは、時代や社会背景に関係なく感動を呼び起こし、実践の原動力を生む」と述べています。



第一章「超然任天」では、元気という「気」について、次のように述べています。
「元気という『気』が出ると、人間と宇宙の『見えざる意思』とが完全に一体となる。元気が出たときには爽快たる気分で『進化と向上』を正しく調整し、社会の多様な成り行きをユーモアとともに論じることができる。
人生を余裕を持って元気潑剌とした状態で生きることこそ、社会に役立つ最も必要かつ大事な心得なのである」
また、人生とは、日々に「生命」を活かす現場です。新しい元気とともに生きるには、心の感覚を鋭くし、精神を正して「心と身体」の調整に努めることが大切です。
現代の文明社会にも大切な心得を、1960年代に中村天風は「心というものは、世間一般の人々が考えるより、はるかに偉大な存在である。心の働きは大きく、『身体と精神』のあり方にも大きく影響し、われわれの社会活動のすべてを司る。心を正しく積極化することで、文明社会の『進化と向上』を正しく調整することができる」と述べています。




第二章「悠然楽道」では、人生は一筋の「川の流れ」であるとされます。
そして、著者は次のように述べています。
「日本人特有の人生に対する考え方に、『生きている生命の有り様は一筋の川の流れ』とたとえることができる。ここでの川とは、生命力という活力の流れであり、その川上には必ず水源がある。命が生まれる水源は、『気』に相当する。この脈絡は、あらゆる人間活動における基本的な思考であり、『悠然楽道』の解説に通じる」



そして、著者は「事業」についても次のように述べます。
「人間の事業欲についても同じことがいえる。社会的な意義と欲求を感じ、天からこれをしろと指示される。背中を押されないのに、自分の私的な欲望と利益を重視して事業を興すとき、滅多に成功するものではない。
事業に成功するのは、自分の私欲から離れ、『この仕事で、世の中の人のために本当に役立つものを提供する』という『経営者のヴィジョン』で、一筋の川の流れづくりを実行するときに成功する」
わたしは、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)で、「理」と「志」に沿うことこそが事業成功の秘訣に他ならないと述べました。
ですので、この著者の発言には「その通り!」と膝を叩きました。



孔子とドラッカー 新装版』には中村天風も登場します。
孔子といえば、著者は次のように書いています。
「東洋の『仁』を説いた孔子は、社会活動においても、人間にとって根本的な『命』と『仁』を踏まえ、初めて『利』を語るべきだと説いている。現代社会では、生態系『エコロジー』を無視して経済や産業による利益や便益を考慮すべきではない」
「企業を興すとき、その基本となる想いと行動にエコロジーとしての『命と仁』の哲学を考慮することが重要である。明治時代に資本主義を導入した、渋沢栄一の言葉として残る『道徳経済合一説』や『片手に論語、片手に算盤』なども、この思想を基盤としている」
これを読んだわたしは、「わが意を得たり!」という思いでした。
中村天風も、次のような言葉を残しています。
「事業家は、この仕事が『世のため、人のために役立つのだ』という確固たる信念を心に強く宿すことが肝要なのだ。文明社会のなかで、『進化と向上』を実現する努力こそ、自己の『潜勢力』の煥発に通じる」



また、天風はエジプトを訪れたとき、砂漠の荒野に悠然と聳え立つピラミッドを目の前にして感動のあまり呆然と眺めていたそうです。
ピラミッドとは、言うまでもなく王墓であり、偉大なる「死」のシンボルです。自身もエジプト滞在中に幾度となくピラミッドを訪問したという著者は、次のように述べています。
「死を、否定し得ないものとして生を考える。人間がこの世に生を受けたのは、人々と歓びを共にするために生まれてきたのだ。生とは、愛の気持ちの表現に通じる。死生観を単刀直入にいえば、死を恐れる気持ちを、生を喜ぶ気持ちに振り向ければ、死は賛美し得るものではなく大自然の営みに委ねるべきことである」



「死」があれば、「生」があります。人が生まれた日を「誕生日」と呼びます。
第四章「藹然接人」で、著者は次のように述べています。
「老若男女を問わず、誕生日は芽出度いものである。己はもちろんのこと、他人の誕生日を祝うことは、『あなたが生まれてきたことは正しい』、『今こうして生きていることは喜ばしい』という存在意義を全面的に肯定することである。この日常性にこそ、『藹然接人』という思考の基本がある」
著者は、このくだりを拙著『隣人の時代』(三五館)を読んで書かれたそうです。
続いて、以下のようにも引用して下さっています。
「『東日本大震災』を契機に、日本社会は『絆』を大切にする社会を模索している。この文化意識が、集落の人たちの生命を守り育んできた。復興の基盤として、『私権制限』という言葉を前面に振りかざすことなく、日本人の素朴なる自己表現である『ふるさと』という絆をイメージする『思考導入』に力点を置くことである。
一条真也隣人の時代――有縁社会のつくり方』三五館、2011年)



そして、「天風哲学」を追求する著者は、次のように続けます。
「『卓越した人物は、悲哀のなかにさえ歓喜を見出す』(ベートーヴェン)、という名言が思われる。こうした言葉が積み重なると、心を癒す社会が構築されるのである。そのため、われわれが潜在意識に宿す『6つの力』を上手にブレンドし、『生活のヴィジョン』として心に宿すことである。中村天風が、提唱する『6つの力』である」
それは、第1が「体力」であり、第2が「胆力」、第3が「判断力」、第4が「断行力」、第5が「精力」、第6が「能力」と考えられるそうです。



「自然体を体得する」ことの重要性を唱える著者は、次のように述べます。
「優れた宗教家や武芸者が、修行として『型』を極めるとは、自己を何かの『型』にはめたり規制したりすることではなく、それらを撤廃することなのだ。その型の『アイコン』をクリックすることで、煩雑なこだわりの心から解放され、新たなる『思考導入』を可能とすることである。己を解き放つというか、自然界の流れに同調するように心身を調整することだ。『自然体』とは、こうしたプロセスを経て身につく人間本来の状態なのである」



第五章「毅然持節」では、話題が「哲学」に移ります。
著者は、哲学について次のように述べています。
「哲学の大テーマに、人間はどこから来てどこへ行くかというのがある。創造主としての宇宙的スピリットの存在を考えると、古典仏教などの経典のなかに、みんな書いてあるようだ。人間がどうなるとか、宇宙はどうなるかとか、具体的にどうなる、ああなるというのではなく、こう発想すればよいのだ、という考え方の筋書きが書いてある。すべては、『先天の一気』に辿り着く」
また、著者は「哲学というと、カントがどうの、ヘーゲルがどうの、そういうことが連想されるが、それは哲学についての知識であり、自己の哲学そのものではない。学者には、そういう知識が必要だが、一般的に哲学とは、日々の実践的な行為を説明する、心の内容『暗黙智』を示す言葉である。現代の『哲学者』とは、哲学についての学問を研究している人物を指すことが多い」とも述べています。
まさに、中村天風こそは真の哲学でありました。



ここで、著者は「還暦の哲学」というものを提唱し、「老後とは人生の終着駅に近いことを考えると、高齢化時代の今日、『毅然持節』という言葉にも悲壮感が漂う。幸福な老後などという言葉は、矛盾した表現であり言葉の暗示で誤魔化そうとしているように感じてならない。ならば、還暦を迎えるときに自らの『還暦の哲学』を披瀝して、老後のひと時でもいいから『本当の幸福感』を味わう自分を演出することを提案する」と述べます。
じつは、著者とわたしは『還暦の哲学』という共著を刊行する計画がありました。
もう3年前のことで、ちょうど著者が75歳、わたしが45歳のときでした。
60歳の還暦から15年を経過した者と、15年後に還暦を迎える者が、それぞれの立場で「還暦」を考えるという趣向の本で、版元は文春新書を予定していました。
残念ながら諸般の事情でこの企画は実現しませんでしたが、今でもアイデアそのものは面白かったと思います。



その「還暦の哲学」について、著者は「『還暦の哲学』の基本は、従来の内面的生活をすべて清算する意味で、蓄積された陰気なエネルギーを外部に向かって一気にビッグバンすることだ。日常的に強いられてきた型にはまった『職業意識』を脱して、広大で自由な外部環境に接することができ、新たなる発想で『自分の生活』を模索することができるのだ。従来の職業的なシガラミや、マンネリ化した生活のパターンなどを冷静に見つめることで、『還暦の哲学』の基本が見えてくる」と述べます。



第六章「泰然處難」では、江戸時代の日本についての記述が興味深かったです。
著者は、次のように述べています。
「江戸時代に、精巧な『からくり人形』を誕生させた技術や、鯉や金魚の品種改良などのバイオ技術を展開した先進性にもかかわらず、わが国には近代産業が生まれなかった理由は、徳川幕府鎖国政策にあったといわれている。そのため、江戸の庶民文化の振興による優れた技術が、軍事産業や海外進出に費やされることなく、江戸市民の豊かな社会づくりと文化振興につながり、わが国の優れた文化的土壌となった。
社会のなかで、われわれが私欲に駆られ自分自身の利益を追求したとしても、そのことで社会の仕組みと関わり、ときには社会と対峙することで、それぞれが独自に個と集団を相手とした『交渉と対話』の術を学び取ったのだ。アダム・スミスの説く『見えざる手』が、江戸の社会に働いたのであろう」


著者の合田周平先生と



最後に、著者は次のように述べます。
「『天風哲学』は、中村天風が艱難辛苦の末に獲得した経験をもとに、誰もがどこでも実践可能な手法として『心身統一法』を具現化したのである。わが国の伝統的な精神文化をベースに、日本に伝来した仏教や儒教などの哲学を中村天風の経験をもとにブレンドした思想的な産物なのである」
日本に伝来した仏教や儒教などの哲学を「ブレンドした思想的な産物」といえば、わたしには石田梅岩の「心学」が思い浮かびます。
そう、「天風哲学」とは「心学」の別名なのかもしれません。そして、わたしは日本人の総合幸福学としての「平成心学」を追求しています。本書を読んで、わたしは中村天風というスケールの大きな思想家の醍醐味を知りました。
わたしは、スケールの大きな思想家の愛弟子である著者にお会いしたくなりました。
著者の愛弟子を自認しているわたしは、中村天風の孫弟子と言えるかもしれません。



2012年3月31日 一条真也


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司法修習生講演

一条真也です。

今日は、17時から松柏園ホテルで講演を行いました。
マイ・ローヤー」こと辰巳先生が、慶應義塾大学ロースクール出身の司法修習生を対象に開かれているプライベートな勉強会である「辰巳塾」での講演です。


辰巳塾で開講挨拶をされる辰巳先生

「ハートフル・マネジメント」について語りました



わたしは、ここ数年、この辰巳塾で、「礼と法について」という講演を行っています。
講演の最後で、わたしは司法修習生の方々に向けて、「法律的には許されても、人間として許されないことがある」と述べます。これは、辰巳先生の信条でもあります。
酒気帯び検査を切り抜けたからといって、飲酒運転は絶対に許されません。
相手が泣き寝入りしようが、セクハラを許してはなりません。
いくら証拠がなくても、ウソを言って人を騙してはなりません。
結局は、法律とは別に「人の道」としての倫理があり、それこそが「礼」なのです。
現実世界における法律の影響力は絶大です。
しかし、大切なのは「礼」と「法」のバランス感覚なのです。
最後は、次の短歌を詠んで若き法曹の徒に贈ります。
「よく学び法を修めし人なれば 礼も修めて鬼に金棒」
しかし、今日は「礼と法について」の話はしませんでした。
その内容を記したブログ「司法修習生への講演」を修習生のみなさんがすでに読んでいるので、他の内容の話をしてほしいとのリクエストがあったのです。
それで、今日は「ハートフル・マネジメント〜孔子ドラッカー」の話をしました。



このたびの孔子文化賞受賞を辰巳先生は大変喜んで下さいました。
5月18日(金)に松柏園ホテルで祝賀会を開いていただく運びになったのですが、その発起人にもなって下さいました。
さらには、辰巳塾の塾生のみなさん用に『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)を大量購入して下さったのです。高校の先輩にしてわが社の顧問弁護士である辰巳先生のお心遣いに、ひたすら感謝するばかりです。


孔子ドラッカー」について話しました

みなさん、真剣に聴いて下さいました



講演のテーマは「ハートフル・マネジメント」でしたので、『孔子とドラッカー』(三五館)の内容をベースに、以下のような話をしました。
「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされている。
ドラッカーの大著『マネジメント』(ダイヤモンド社)によれば、まず、マネジメントとは、人に関わるものである。その機能は、人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。これが組織の目的だ。
また、マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である。あらゆる階層において、自己啓発と訓練と啓発の仕組みを確立しなければならない。
このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのである。



2001年10月に冠婚葬祭会社の社長に就任して以来、経営学ピーター・ドラッカーの全著作を精読し、ドラッカー理論のもとに会社を経営していると自負しています。
彼の遺作にして最高傑作『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)に感動し、同書の内容をわたし個人に対するドラッカーからの問題提起ととらえ、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)というアンサーブックを上梓したくらい彼をリスペクトしています。
また、40歳を直前にして「不惑」たらんとし、その出典の『論語』を40回読みました。
古今東西の人物のなかでもっとも尊敬する孔子が開いた儒教の「礼」の精神を重んじ、「礼経一致」をもって会社経営にあたっています。


真剣に聴講する司法修習生のみなさん



今から約2500年前、中国に人類史上最大の人間通が生まれました。
言わずと知れた孔子である。孔子は、「人の道」としての儒教を開きました。
ドラッカーが数多くの経営コンセプトを生んだように、孔子は「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」といった人間の心にまつわるコンセプト群の偉大な編集者でした。
孔子の言行録である『論語』は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読されました。特に西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしてきたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきたのです。
そして、孔子ドラッカーの両者の思想における共通点を説明しながら、「会社は社会のもの」「人が主役」「人はかならず心で動く」ことを訴えました。


「事業の定義」について話しました


事前に辰巳先生から「今日は、ぜひドラッカー思考のエッセンスを話してほしい」と言われていました。そこで、ドラッカーにおける「マーケティング」思考について触れたところ、みなさん非常に関心を持たれたようでした。
ドラッカーいわく、マーケティングは顧客からスタートします。
すなわち顧客の現実、欲求、価値からスタートするのです。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」と問うことが重要なのです。
顧客を満足させることこそ、会社の使命であり、目的です。そして、自社が何の会社であるかを明らかにできるのは顧客のみです。自社がどのような顧客の欲求に対応し、どのような顧客満足に貢献しようとしているのかによって定められるのです。
たとえば、化粧品について考えてみますと、かのレブロンを名だたる巨大企業に育てあげた天才的経営者チャールズ・レブソンは、「工場では化粧品を作る。店舗では希望を売る」との名言を残しました。なるほど、女性が化粧品を買うとき、じつは希望を買っているわけです。非常に納得できる考え方ですね。


全員に「弁護士は顧客に何を提供しているか」を聞きました

辰巳先生、弁護士さんは何を提供してくれるのですか?!



この「事業の定義」についての考え方は、セオドア・レビットやフィリップ・コトラーといったマーケティング界の巨人たちも共有しています。
化粧品を購入する女性は、本当は「希望」を買っている。この事実は非常に大きな示唆を与えてくれます。同じように考えていけば、消費者が本当に買っているものと、企業が売っていると思いこんでいるものとの間にはズレがあることに気づきます。
歯ブラシを購入する人が本当に欲しいものは「健康な歯」です。洗剤の購入者が本当に欲しいのは「清潔な衣料」です。ドリルを買う人が欲しいのは「穴」です。CDやDVDを買う人は丸い銀板が欲しいわけではなく、音楽や映像、つまりエンターテインメント娯楽を求めているのです。「当たり前のことではないか」と思うかもしれませんが、意外と企業やその経営者が「自分はこれを売っている」と思い込んでいるものと、実際に顧客が求めているものは違っていることが多いのです。
そのために、ろくに穴が開かないのにデザインだけは費用をかけたドリル、洗浄力が弱いくせに色のきれいな洗剤のようなピント外れの製品が市場に出されることになります。



その後、わたしは司法修習生のみなさんに質問しました。
「弁護士がクライアントに提供しているものは何だと思いますか?」と。
その答えは「正義」「安心」「平穏」「日常性の回復」など千差万別でした。将来、みなさんが弁護士や検事になっても、今日の問いと答えを記憶してほしいと思います。
それは、きっとみなさんのプロフェッショナルとしての生き方の基本になると信じます。
最後に、誠に不遜ながら辰巳先生に「弁護士の提供するもの」について意見をお聞きしたところ、先生は「灯りのようなもの」と言われました。うーん、さすがです!


質疑応答もガチンコで受けました

まるで被告人席にいるようでした(ウソ)

記念品のイチゴを贈呈されました



その後、わたしも質疑応答コーナーで「弁護士とは、どのような存在だと思われますか」との質問を受け、「道先案内人のような存在だと思います」とお答えしました。実際、わたしは何度も、顧問弁護士である辰巳先生から正しい道を教えていただきました。
その他にも、質疑応答コーナーでは活発な質問が相次ぎました。
わたしは、これほど質問の波状攻撃に遭った経験はありません。
それも、どれもこれも、わたしの生き方を問うようなガチンコの質問ばかりでした。
もちろん、わたしも正直にガチンコでお答えしました。司法修習生から質問攻めに遭っているさまは、まるで法廷の被告人席にいるようでした。ウソです(笑)。わたしは、こんなに知的好奇心に溢れた方々に囲まれていることに至福に近い喜びを感じました。
また、みなさん全員がハートフル・ブログを愛読されていることを知り、感激しました。
最後に、司法修習生の代表の女性から記念品を贈呈されました。それがイチゴだったので、わたしは思わず「一期(イチゴ)一会ですね」とオヤジギャグをぶちかましましたが、声が小さくて気づかなかったのか誰も反応してくれず、非常にロンリーでした(涙)。


庭園の桜をバックに記念撮影しました

シャンパンで乾杯しました

大いに語り合いました



講演終了後は、みなさんと松柏園の庭で記念撮影しました。
ちょうど桜が咲いていて、きれいでした。
それから、みんなで一緒に会食しました。
辰巳先生の差し入れで美味しいワインを頂きました。
最初に飲んだシャンパンがよく冷えていて、火照った喉に気持ち良かったです。
食事の席でも、議論が盛り上がり、大いに語り合った一夜となりました。


しばし夜桜を眺めました



食事会が終了した後、わたしは酔いを醒ますために庭に出て、ライトアップされた夜桜を見上げました。桜が咲いて、いよいよ春が来ました。
今日で3月も終わりです。そう、明日からは4月です。
わたしは、これまでの慌しい日々を振り返りながら、しばし夜桜を眺めていました。


2012年3月31日 一条真也