「関口良雄さんを憶う」を憶う

関口良雄さんを憶う

関口良雄さんを憶う

 14日に東京へ肝炎署名への国会議員要請に行った際、池袋の「ジュンク堂書店」で購入したのが、表記の本であった。いい本を見つけた!
 関口良雄については、自費出版した「孺子の牛」(2008年5月31日発行)のなかで、「3.馬込文士村」(2004年10月15日)で取り上げた。また、このブログでも2012年7月22日に「野呂邦暢と『昔日の客』関口良雄」、2014年11月10日には「B型肝炎訴訟相談会・医療講演会、通学路『臼田坂』」と題して、一文を書いた。
 ジュンク堂の書棚に「昔日の客」が4冊重ねられており、その横に1冊だけ「関口良雄さんを憶う」が立てて置かれていた。A4版71Pのこの本、まことに目立たない。この本は、1978年11月に出版されていて、2011年2月に再刊されていた。とても、私が住んでいる徳島では見つけようがない。
 関口と深い関わりを持った26名と、息子さん奥さんが「憶い出」を書いている。私小説を愛し、人を愛し、酒を愛し、歌を愛し、俳句を愛した関口さんの姿が、書いている人たちの暖かい思い入れによって表現されていると思う。私も、皆さんが書いたような印象を受けていたからである。関口さんを知ったのは、私が東京大田区。馬込に住んでいた高校生の時代だから、もう50数年前になる。
 表紙には関口さんがお寺の前で座っている姿があった。全く、高校生のころに見た関口さんそのものであった。池上本門寺だとは思ったのだが、間違ってはいけないので、出版した夏葉社(「昔日の客」も再刊している)に電話を入れてみた。すると確かにその通りで、撮影は山高登さん(一文を寄せている)であった。聞くと、関口さんの奥さんはご健在であるとのこと。うれしいことである。

 少し長いが、「孺子の牛」に書いた文を紹介する。
 3.馬込文士村 誰でも、学生時代に影響や教えを受けた教師(免許を持っていなくても)はいるものだ。人間、古くなってくると思い出す。
 今でも思いだす一人は、中学時代の井上光雄という国語教師だ。気障で、大嫌いな教師だった。当時は60年安保の時代だったから、教師たちが国会へフランスデモをしたことなどを、熱っぽく授業中に話しだすのだ。井上という教師は安保賛成だったのか、そんなことは一言も話さない。しかし、一つだけ感謝していることがある。
 もう45年も前だから時代物だ。彼が橘曙覧の「独楽吟」を教えてくれたのだ。中学生を短歌に親しませようとしたのだろう。その後、高校か大学のときだったか忘れたが、東京都大田区(私が生まれたのはそこの馬込であった)の古書店で「独楽吟」が載っている「和文名歌集上下」(日本名著全集)を見つけたときはうれしかった。500円ぐらいしただろうか。今でも、私の書庫に大事に置いてある。
 この古書店は、本当にすばらしい本屋で、高校生のような青二才がときたま寄っても大事にしてくれる。いつも店内は水を打ってきれいにしていた。近くにもう一軒あったが、これはどこに何があるか、本の分類も適当だった。あるとき、前田河 廣一郎(まえだこう ひろいちろう)の徳富蘆花の評伝(セロファンできれいに表紙を保護してある)をこれも500円で買った。そしてあらかた読んだので、その本を同じ古書店に持っていったら、500円で買戻してくれたのだ。つまり自分の家まで持って帰ってただ読みさせてくれたことになる。こういう親父がいるから本を好きになれるのだ。
 馬込といえば、大正から昭和にかけて多くの文士が住んでいた。みな貧乏だったから、土地も物価も安く暮らしよい馬込に転居したのだ。「馬込文士村」といわれていた。戦後は、自衛隊の基地内で自決した(自らの首を刎ねさせた美意識過剰のアナクロニスト)三島由紀夫が我が家から5分ほどのところに(白亜の邸宅と近所では言っていた)に住んでいた。そう言えば、一世を風靡した「力道山」も池上本門寺の近くにいて、歩いて15分ばかりのところだった。
 近藤富枝が「文壇資料 馬込文学地図」(講談社)というものを昭和51年に出版している。そのとき買ったがまだ読んではいない。
 調べてみたら、石坂洋次郎稲垣足穂宇野千代尾崎士郎・川端茅舎(俳人)・川端康成川端龍子(画家 今は美術館になっている)・北原白秋倉田百三小島政二郎小林古径(画家)・佐多稲子佐藤惣之助(詩人)・下母澤寛・高見順萩原朔太郎(詩人)・日夏耿之介広津柳浪広津和郎・真船豊・間宮茂輔・三好達治(詩人)・村岡花子室生犀星(詩人 ここに今でも親しくしている中学時代からの友人が住んでいた)・山本周五郎山本有三吉屋信子和辻哲郎(哲学者)などが、前後して住んでいた。
 こんな貧乏人ばかりを相手にしていたから、あの本屋の親父も鷹揚で親切なのだと思う。今でも感謝している。
                           2004/10/15

 タイトルにもこだわったのではないだろうか。「おもう」という字は、当用漢字表常用漢字では「憶う」にはならない。
「憶う」は漢字辞典によれば、「おぼえて心にとどめておくこと」とあった。まさに一文を寄せた人も、私も、「関口良雄さん」という人は、そんな人なのである。

関口良雄:1918年(大正7年)2月11日生〜1978年(昭和52年)8月22日没 59才。

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我家の猫

どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
◯いつしよに見る虹幸せうつす 折りたたんでる傘二つ
◯いびき聞きつつ仕事の虫の 老いを見つめて蚊やり焚く
◯とばすつもりの輪ゴムが痛い だまってさびしさこらえてる