山本 一人(鶴岡 一人) 親分 .314 4本 95打点 1939年プロ入り 南海・グレートリング(39,46〜52) 監督として南海ホークスの黄金期を作り今でも歴代1位となる通算1773勝を挙げた名将。選手時代も六大学最高の選手として有名であった。当時はバカにされるような仕事であったプロ野球に入団が決まった時は、周囲から母校の恥とも呼ばれてしまった。しかし、鶴岡本人は「徴兵されて死ぬかもわからんので最後まで好きな野球をやりたい」とプロ野球への道へと歩んだ。プロ1年目から本塁打王に輝いたが、早々に召集令状が届き戦地へと向かった。復帰後は46年シーズンから29歳ながら選手兼任監督として活躍して打…