1847〜1901 思想家、ジャーナリスト、政治家。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、「東洋のルソー」と評される。土佐藩出身。また、奇矯な言動も多く、奇人としても知られた。 岩倉使節団と共にフランスに留学。帰国後ルソー『民約論』を翻訳・紹介、自由民権運動に絶大な影響を与える。 民権派の新聞に健筆を揮い、終生野に在って藩閥政治を厳しく糾弾。 独自の唯物史観に貫かれた波瀾の生涯を送った。
中江兆民と言えば「東洋のルソー」と呼ばれ、社会契約論を漢文に翻訳したことで日本人だけでなく、中国人、朝鮮人、ベトナム人などにも新しい思想を紹介したことで知られます。また、自由民権運動の中心人物の一人でもあります。その兆民の研究をフランスで行っている研究者が、3部作をフランスで出版中で、すでに2冊までフランス語で刊行されています。ルソーを紹介した日本人がなにゆえにフランスで研究されているのかと私は当初、謎だったんですが、今回、話をお聞きして次第にかつてもっていた兆民像が大きく変わりつつあります。ぜひご覧ください。 www.youtube.com
YouTubeチャンネルで、中江兆民の研究をしているボルドー=モンテーニュ大学のエディ・デュフルモン教授の話を収録して編集していますが、その過程で鮎川俊介著「波濤の果て 中江兆民のフランス」(郁朋社)を読みました。私は中江兆民については、ルソーの紹介者とか、自由民権運動というキーワードこそ、なんとはなしに知っていながら、細かいことになると皆目無知でした。そういうわけで、今回、番組作りをきっかけに、兆民について少し勉強してみようと思ったのです。兆民についてはいろいろな伝記が日本で書かれていますが、本書もその1冊。兆民のフランス留学のデテールが本書では書かれており、非常に役に立ちます。 とくに、番…
前回から干支をひとまわりして再読。 odd-hatch.hatenablog.jp 150年前の小説なので、ある程度詳しくストーリーを紹介することにしよう。 パリのうらぶれた居酒屋で深夜、銃声が聞こえる。駆けつけた警察官のみたものは、3人の男の死体と銃を持った一人の男。容疑者は自分が行ったことだと説明した。誰もがありふれた強盗殺人事件と考えた。しかし、野心に燃える若い警官はその事件の背後に隠されたことがあるのではないかと考える。足を折って警視総監は療養中になったので、代わりを務める代理総監といっしょに捜査を始めたが、容疑者に裏をかかれてばかり。はたして若い警官ルコック氏は犯人を突き止められるか…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 天皇と皇族の、命を守る大逆罪、名誉を守る不敬罪。 天皇と皇族、皇室と天皇制度を内外の敵から命を捨てても守ってきたのは、日本民族と帰化人だけであった。 ・ ・ ・ 明治日本は日露戦争でロシアに辛勝したと言っても、江戸時代後期から続いていたロシアの軍事侵略を撃破して日本に平和をもたらしたわけではなかった。 日本にはまだ、キリスト教の宗教侵略とアメリカの軍事侵略という二つの脅威が存在していた。 そして、日本に、最も恐ろしい共産主義によるイデオロギー侵略が迫っていた。 ・ ・ ・ 日本にと…
こんにちは クローバーです^^ 今回は新保祐司氏・若林克彦氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^ 【目次】 新保祐司氏名言・格言集 若林克彦氏の名言・格言集 // 新保祐司氏名言・格言集 ・(明治時代の)大工職人は腕を磨く努力を怠ることなく、誰の命令も受けずとも与えられた仕事は最後までやり遂げ、仕事が終われば最後まできちんと後片づけをして帰宅しました。 当時の日本人は指導者層から庶民に至るまで等しく仕事に対する誠実さ、道徳観、倫理観を身に付けていたわけです。新保 ・新渡戸稲造の「武士道」を紐解くと、江戸の庶民たちは「花は桜木、人は武士」という言葉を残…
暗殺者たち 作者:黒川 創 新潮社 Amazon 安重根が拠点としたのはノヴォキエフスク。 後藤新平の仲立ちで、伊藤博文とココフツォフとの会談が実現した。 18世紀初頭、ピョートル1世が日本語学校を作った。 ネフスキー大通りにあるエリセーエフ商会の次男セルゲイは夏目漱石の弟子になる。 漱石の描くファッションと鉱山。 堺利彦の文が口語的散文なのに対し、幸徳の文は漢文調のロマンティシズム。 大石誠之助はドストエフスキーならぬエマゴールドマンの僧侶と悪魔を翻訳した! ニコライ堂建設の資金集めの際、ニコライはドストエフスキーに会っている。 二葉亭四迷はペテルブルクで肺炎にかかり、帰国途上で死んだ。 伊…
01 明治憲法は伊藤博文らによって作成されたが、天皇が国民に授ける欽定憲法という形で発布された。 〇 君主権の強いプロイセンの憲法を模範として作成されたことは承知の通り。明治初期の「自由民権運動」の中で人民主権などを盛り込んだ私擬憲法が出されたが、明治政府はあくまで君主主権による国家統治へと舵を切った。なお、私擬憲法の代表的なものが「植木枝盛」によるもので、抵抗権も盛り込んでいた。倫政組は、できるだけ早い段階で明治時代の思想家、植木枝盛だけでなく中江兆民あたりも含めて自学自習しておくことを勧める。 02 明治憲法下、天皇が統治権、つまり立法・行政・司法権を全て掌握していた。 ○ 「総覧」してい…
『好きな幕末の志士』で必ずTOP3に入る坂本龍馬。みなさんが思い浮かべる坂本龍馬像は、さわやかで人懐っこく人間味があり、かつ頭もキレて『薩長同盟』や『船中八策』といった歴史的偉業を成し遂げ、『海援隊』をつくるなど先見性があった人物、といったところでしょうか?
■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した転送 であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。 ■本誌へのご意見・ご感想・催事情報等は「るな工房・窓月書房房」まで お願いします。 電子メールは、sougetssyobouアットマークmx5.canvas.ne.jp です。 ■メールでの投稿・情報を歓迎します。 <直送版> ●○●----------------------------------------------------------●○● (創刊1998/10/01) 『カルチャー・レヴュー』通巻161号 (2022/04/15) 発行所:るな工房/…
◆Web評論誌『コーラ』46号のご案内(転載歓迎) ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html PDF版『La Vue』No.6(2001/06/01)<ペーパー版からの復刻です> 鳳凰堂のペルシャ美と京都復興──「京都デザインリーグ」の試み 渡辺豊和 わたしは『「懸命に」ゲイに「ならなければならない」』 大北全俊 「態度の変更」として──柄谷行人著『倫理21』を読む 村田 豪 「これが好きだ」ということが大好きだ 小杉なんぎ わたしたちは忘却を達成した──大東亜戦争と許容された戦後…
遅ればせながら、すが秀実「花田清輝の「党」」(「群像」2022年3月)を読んだ。 以前、何度か触れたことだが、花田清輝は、現代史を「〔…〕二つの戦争によってきりとらずに、逆にそれらの二つの戦争に終止符をうった二つの革命によって――つまり、ロシア革命と中国革命とによってきりとっ」た(「現代史の時代区分」一九六〇年)。戦争中心の歴史観から革命中止の歴史観へ。眼前の一九六〇年安保反対闘争が「ほとんどナショナリズムの立場からなされているということ」への批判として提示されたこの革命中心の歴史観を、一九六八年革命へと延長させ史論を書き継いでいったのが、すが秀実であることは論を俟たない。 いまや、ロシアや中…
農暦三月九日。気温摂氏10.1(東京)/ 21.9(高知)。品川から京急電車で羽田空港へ……そのr途中駅の「大鳥居」とか「穴守稲荷」ってのが良い。空港はこれでもフライトも搭乗客もけして多くないのだらう。搭乗手続きは簡素化されてゐるなかCXのマイレーヂでの無料航空券はカウンター扱ひ。さう/\そも/\今回は1月に13萬哩ものポイント失効期限で香港に戻るとか海外に遠出といふわけにもゐかず何うにか消費せねばならず国内でのフライトで北海道でも沖縄でも良かつたのだがいずれも遅かれ早かれ行くことにならうZielなのでナラバなか/\往くことなき土佐は?といふ家人提案で高知に飛ぶことにしだ次第。折からの快晴で見…
申し訳ありません。1④を抜かしてしまいました…。今日は1に戻って、鈴木大拙を指導した二人の禅師にとの出会いについての内容です。幕末から明治の初期は、廃仏毀釈が起こり、仏教にとっては苦難の時代でした。 これは江戸時代、寺が長きにわたって幕府の保護下で民衆の戸籍管理のようなことをしたり、葬送儀礼を行うことで収入を得たり(今で言う葬式仏教は江戸時代に成立?した)、出家僧の堕落などに対する民衆の不満や反発が、討幕と尊王攘夷の中で爆発したことが大本にあります。そうした中、鈴木大拙の最初の師、今北洪川は武家のみに限られていた参禅を広く受け入れ、近代化に適応した新しい禅の道を啓こうとしました。 鈴木大拙が世…
#今日は何の日 3/18 1850アメリカン・エキスプレスが運送業者として創業。1882年に金融業に進出。 1871パリの民衆がティエール臨時政府に対し武器をとり蜂起。28日に革命政府「パリ・コミューン」樹立。 1881西園寺公望が中江兆民を主筆として『東洋自由新聞』を創刊 1921ポーランドとソ連がリガ平和条約に調印。ポーランド・ソビエト戦争が終結。 1926段祺瑞政府打倒を叫ぶ民衆のデモに対し政府軍が発砲。これを機に広州国民政府と中国共産党が段祺瑞政権打倒を呼びかけ7月に北伐を開始。 1938メキシコが国内の油田を国有化。 1945油田を国有化。1945年国民学校初等科以外の全ての授業を4…
中江丑吉(1889-1942)。北京にて、1937年3月、鈴江言一撮影。 ボケ切らぬうちに、聴けることは聴いておけ。お若い友人から、過去の文学についての噺を求められる。望むところだと応えたきところなれど、問題がひとつ。 私ごときにお訊ねあるは、せいぜい過去に書いたか喋ったかしたことの関連事項。もしくはその詳細。ところがどっこい、こちらの記憶はおぼろで大雑把。詳細なんて憶えちゃあいない。読み直さねば思い出せない。 残り時間にコレは読んでおきたい読み直したいと、読み直してでも思い出せとが、おうおうにして一致しない。 中江丑吉の噺なんか、どなたも聴きたいとはおっしゃらない。 「日本の新聞はじつに馬鹿…
徳倉城跡から下山して、JR津山線野々口駅の近くにある角藤定憲(すどうさだのり)の墓に詣でた。 角藤定憲は、日本で初めて壮士芝居を興行した人物で、新派演劇の祖とされている。 角藤家の墓地 壮士芝居や新派と言われても、現代人には何のことだか分からないだろう。私もそうだった。 壮士とは、自由民権運動に身を挺した活動家のことで、多くは明治に入って失職し、世の中に不平を持つに至った士族たちだった。 明治初期には、自由民権運動が盛んになり、その思想を演劇を通して普及させようとする運動が起きた。 角藤定憲が始めた壮士芝居や川上音二郎が始めた書生芝居などがそうである。 これらの劇は、歌舞伎などの旧い芝居と区別…