駅前のちいさな居酒屋は、 決まって金曜日がにぎやかになる。 けれど今夜は静かで、ちょっとだけ、寂しそうだった。 わたしがその店の裏手にいるのは、 甘い匂いに惹かれるから。 人間の作る卵焼きは、 なぜあんなにやさしい匂いがするのかしら。 裏口が少しだけ開いていて、 そこからあの女主人の声が漏れてきた。 「せっかく一人できたんだから、ゆっくりしていきな。」 ガラス越しに奥の席。 髪をひとつにまとめた女がグラスを持ち上げる。 指先がちょっとだけ震えてるように見えたのは、 夜風のせいじゃない。 「辞表の文面は書いたんだけど……まだ誰にも見せてなくて」 ぽつりと呟いたその声は、 さっきまで笑っていた口か…