(紀元前202年〜西暦8年)
中国の王朝。漢帝国の前半。 秦帝国の滅亡後、漢楚の戦いに勝利した漢王劉邦を高祖とする。 建国直後にうっかり匈奴に大敗を喫したりしたが、その後は民力を養いつつ中央集権の強化にも成功して国力を増大させる。 7世の武帝の時代にはその基盤の上に盛んに外征を実施し、匈奴を大いに破った。 その後は次第に衰え、最終的に外戚の王莽による簒奪によって滅んだ。 のち、劉秀が漢を再興した(→後漢)。
秦帝国→前漢→新
皆さんこんにちは。 今回はずっと前から気になっていた漢代のある地域のことについて話していこうと思います。その地域は中国西方のタリム盆地に存在し、古代から「西域」と呼ばれた場所になります。 前漢 領土 漢帝国の地図を見てみると、西方に伸びるようにして領土が広がっていることが分かります。なぜこのような形なのか、どういった経緯でこの場所を支配したのか、調べてみましたので、どうぞお楽しみください。 西域の地理 前漢が西域に進出した背景 まとめ 西域の地理 西域に存在する国々の情報が初めて記録に現れるのは、『史記』大宛伝になりますが、中国の歴史書における西域という語は『漢書』西域伝にて初めて登場しました…
皆さんこんにちは。 今回は昔偶然知った遺跡のことについてお話していきたいと思います。 その遺跡の名は、「馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)」です。 名前からして、日本の遺跡ではないことがすぐに分かった方もいるかもしれません。馬王堆漢墓は中国にある漢の時代の遺跡です。 ミイラの画像が出てくるので、苦手な方はすみません。 どうぞ、お楽しみください。 墳墓の場所と被葬者 辛追の遺体 遺体を解剖して判明したこと 辛追の遺体はなぜ腐敗しなかったのか まとめ 墳墓の場所と被葬者 馬王堆漢墓は、中国の湖南省 長沙市 にあり紀元前2世紀の頃に造られました。 東西に並んだ二つの墳丘で構成されており、初めに発掘された…
57年に後漢の光武帝が倭の奴国王に授けたとされる金印。金印に刻まれた名前の国はいったい何を意味するのだろうか。■金印には何が刻まれているのか教科書などでは中国の皇帝から倭の奴国王に金印が授けられたと紹介される。まず金印には何と書いてあるだろうか。「漢」と「委奴國王」と記されている。倭とは書いていない。ただし、倭を省略して委とすることはありえるとされる。↓下記で金印を画像で確認できる www3.nhk.or.jp ■金印はどこで発見されたのか志賀島(福岡県福岡市東区)、江戸時代に、農民が地面を掘っていたら金印が出てきたとされる。■金印への疑惑がある発見の経緯が疑問とされる。疑惑の論証がなされない…
目次 1.秦の時代 2.前漢の時代 3.南北朝時代 4.明の時代 1.秦の時代 今日は2013年1月25日放送の地球絶景紀行で紹介された中国の万里の長城について調べてみた。 秦の始皇帝の時代、北方の異民族である匈奴の進撃を防ぐ為に築かれたとされる。 実際には秦の統一前、各国が防壁として築いた長城がすでにあった。 中でも北方の騎馬民族に備えるために北の国境に築いていたのが秦、趙、燕の3か国であった。 こうした長城を繋げ、一体化させたのが始皇帝であった。 東部では現在知られているものよりかなり北に、逆に西部ではかなり南に築かれた。 高さは約2mほどであったようだ。 2.前漢の時代 始皇帝の死後、長…
前漢墓 陝西省考古研究院が19日に明らかにしたところによると、考古学従事者は大堡子墓地で保存状態が良好な前漢早期の墓を発見し、現在まで百点近くの貴重な文化財が出土している。うち非常に珍しいのは大型の陶房倉で、中には粟がぎっしり詰まっていた。中国新聞網が伝えた。 粟 陶房倉の高さは約80センチメートル、長さは約1メートル。前漢の房倉のうちこれほど大きな物はめったに見つかっていない。その中で見つかった食糧は、専門家の鑑定により、粟であることが分かった。これは当時の前漢の人々の飲食構造を判断するのに非常に重要な材料を提供した。(編集YF) 「人民網日本語版」2021年4月20日
【4月18日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)西咸新区の大堡子墓地でこのほど、前漢時代の銅鏡80枚余りが出土した。2千年以上前の遺物だが、幾つかは人の顔を映すことができたという。 同遺跡は秦漢新城高荘鎮大堡子(だいほうし)村の西にある。陝西省考古研究院が昨年5月から実施した発掘調査では、400基余りの墓が見つかり、前漢初期の土器や青銅器など各種遺物2千点(組)余りが出土した。 同研究院で大堡子発掘チームのリーダーを務める朱瑛培(Zhu Yingpei)氏によると、銅鏡の年代は戦国時代末期から前漢時代末期に集中しており、蟠螭(ばんち)文や星雲文、草葉文など典型的な文様が含まれ…
文字霊日記・3392日目 「葛飾 北斎」の画才の源泉・・・ 古代中国にもいた「葛飾北斎」・・・ ナゼ、『冨嶽三十六景 凱風快晴』なのか? 楯型「銅鏡」 と 最長「蛇行剣」の発掘 ↓↑ ↓↑ 「北斎」だから「斎王国」がご先祖の故地だったかも・・・ 前漢時代の社会や生活を映し出す彩絵銅鏡 中国陝西省西安市 c 新華社 前漢時代の彩絵人物車馬鏡。 (8月25日撮影、北京=新華社記者/李賀) 前漢時代の彩絵人物車馬鏡。 (8月25日撮影、北京=新華社記者/王毓国) 【新華社西安11月23日】 中国古代の化粧道具、銅鏡は重要な芸術的・科学的価値を持ち、中でも彩絵銅鏡は貴重とされる。1963年に陝西省西安…
さて、今回は劉靖の紹介じゃな。おや、匈奴の紹介では?と思った方もいるかもしれんのう。ある程度事情を知っている人になると、ある人物との関係を気にする人もいるのではなかろうか。
中国史を学んでいるよ 僕は中国史がさっぱり分からない。理由ははっきりしている。歴史は分厚く、漢字は難しい、これはもう健康に悪いのである。「ジャンクフードは控えよう」「スマホは見過ぎないようにしよう」というのと同じで、健康のために中国史を学ばないでいた。自分のような漢検マイナス12級の人間が中国史に触れるというのは、まさに子ナメクジが粗塩帝国に単騎突入するようなもので、健康を損なうどころか、もはや無事ではいられない事態なのである。どうかわかってほしい。そういう健康志向の結果として、定期的に蒙昧を晒していた。 劉邦……?三国志の強キャラだろう……?(前漢時代の皇帝)始皇帝……?紀元前に秦を作って1…
タイトル、内容、著者、表紙デザイン、ジャンル、書き出し数ページ、ペラペラ捲った文字の並び、あとがき解説の文章、書評、知人の紹介等々、本を手に取る要因は人によってさまざまだ。おれは「財布が許してくれる範囲では」という但し書きがつくけど興味がわいた本は新刊古本を問わず可能な限り買うようにしていた。だって本は腐らないから。とりあえず手元に置いておけば、この世知辛い世の中で頻発する「いつか買おうと思っているうちに入手困難になる」という悲劇を回避することができる。そういうわけで積読本は増え続けていた。 お察しの通り、過去形です。 おれは読書が好きだけど語頭や語尾に狂の字がつくレベルではないから「積読本が…
新王朝を前漢の子孫である劉秀が滅ぼし、後漢王朝が誕生しました。光武帝の方針で政を重視し、初期は安定した統治が出来ていたようです。しかし3代目以降の皇帝は幼年皇帝だったため臣下が好き勝手操っていたそうで、晩年は衰退の一途をたどりました。
文字霊日記・3388日目 李時珍(1518~1593年)の 「本草綱目(ほんぞうこうもく)」 ナゼ、「うず=珍」なのか? うず=うづ=珍 珍しいこと・尊いこと 「吾(あれ)、御㝢(あめのしたをしら)すべき 珍(うづ)の子を生まむ」〈神代紀・上〉 ↓↑ 爲 美斗能麻具波比 此七字以音 みと のまぐ わい 水戸 卷具(そなえる)倭意・話意・濊(ワイ・和意)? 水戸藩 徳川光圀=水戸黄門=梅里=大日本史 ↓↑ 寛永五年六月十日 1628年7月11日 ~ 元禄十三年十二月六日 1701年1月14日 大運1697年7月(69歳)丙寅・偏官 戊辰(乙癸戊)偏印・正財 養⇔庚辰・比肩 己未(丁乙己)印綬・正…
前漢後漢の間には、新という王朝がありました。名前の通り新しい事をすることは無く、過去の周王朝の政治スタイルをモデルにしようとしたそうです。当然ながら成功せず、そして反発も起きたそうで短命に終わったそうです。
今回は相関図ではなく、中国王朝と有名人の図を作成しました。 参考資料は華流ドラマです。 ■目次 ■<王朝>と有名人物紹介<殷>・妲己<周><春秋戦国>・孔子<秦>・始皇帝<漢> ・劉邦 ・呂雉 ・武帝<三国時代> 《魏》 ・曹操《呉》・孫権《蜀》 ・劉備 ・諸葛孔明 <晋> <南北朝> <隋> ・煬帝 <唐> ・武則天・楊貴妃<五代十国><宋><元>・チンギス・ハン <明>・朱元璋(洪武帝) <清> ・ヌルハチ ・西太后 ・溥儀 <中華民国> <中華人民共和国> ■年表■参考資料(華流ドラマ) ■使用素材について ■人物紹介 <殷> 紀元前17世紀頃〜紀元前1050年頃まで存在した中国最古の王…
前王朝のの秦が中央集権体制ですぐに滅びたのを教訓に、前漢は郡国制をとりいれます。郡国制とは、優秀な重臣に地方の統治を任せる事です。しかし高祖の死後、その重臣たちが自分たちのトップを決めるべく内乱を起こします。やがて実質的には中央集権に戻ってしまったのです。
大分県のダンワラ古墳を取り上げる。そしてその古墳から出土したとされる金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡など紹介する。次の流れで紹介していく。 ・ダンワラ古墳・金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)・曹操集訳注における金錯鉄鏡の記述・魏の曹操の陵墓から出土した鉄鏡と金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡との接点・西高穴2号墓(せいこうけつ2ごうぼ) ■ダンワラ古墳かつて大分県日田市日高町にあった古墳。金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)が出土したとされる古墳。この鉄鏡は国の重要文化財に指定されている。 鉄鏡の発見から古墳の調査までに30年が経過した。またその後古墳が線路工事によって…
前回のおさらい 前回、『太平御覧』に引用された『礼記・月令』の異本を取り上げました。この異本には、含まれている天文記事が通用している版(『礼記正義』に含まれるテキストがベース)と大きく異なるのです。取り上げる項目は両者はほぼ同じで、季節ごとの太陽の位置と、日暮れ及び暁に南中する二十八宿が記されています。ただし、通用版では一年を十二分割しているところを、異本では二十四分割です。それよりも本質的な違いは、具体的なデータです。最初は、異本のデータは通用版のものを適当に水増し又はシフトしてでっちあげたのかと思いました。しかし、両者のデータの間には殆ど何の関係もありませんでした。さらに詳しく見ると、どう…
徳島県の宮谷古墳を紹介する。古墳時代の始まり前後の歴史の謎を解くうえで重要な古墳と考えられる。次の流れで紹介していく。 ・宮谷古墳(みやだにこふん)・宮谷古墳の埋葬施設や出土品・重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)・三角縁神獣鏡 ■宮谷古墳(みやだにこふん)所在は徳島県徳島市国府町西矢野。形式は前方後円墳。大きさは全長37.5m、前方部が12.5m、後円部が25m。前方部は1段。後円部の高さは3m、盛り土と葺石による2段築成。築造年代は3世紀末~4世紀初頭。↓はgooglemap、宮谷古墳 maps.app.goo.gl ↓は徳島市考古資料館、令和元年度特別企画展「宮谷古墳の時代」のページ www…
<天正戦国小姓の令和見聞録0141> ○___________________○ 春日山城、鳴海幕府 お屋形様:上杉道満丸景虎 見聞録検め:小姓 ○___________________○ ◆天正四百五十一年 十一月十三日 「中国4000年王朝物語の歴史的教訓」 共和国制になった現代の中国は毛沢東殿の文化破壊大革命で中国4000年の王朝物語に終止符を打つ事になった。それまで中国大陸は世界各国からは畏敬の念を抱かれておったが、独裁共和国制の人民解放軍は未だに人民を解放してくれてはおらぬ故、民主国家としての地位を築くため第二の孫文革命・辛亥革命が熱望されておる。中国の歴史ドラマには多くの教訓が含ま…
ティアムーン#6 剣術大会が始まって、決勝が雨で中止になる話。関係性メインの話。主人公はギロチン回避が優先事項で恋愛要素に一顧だにしてないのは期せずして中世西欧の貴族社会に酷似してて不思議な感じ。話自体はちょっと退屈したかな…。 帰還者#6 本戦始まる。ゲート描写に気合が入ってて正直無駄な感じはした。製作が気合れたんだなーとは思うけど、あれが実在するならともかくファンタジーなので意味ないかなー。シナリオ自体は可もなく不可もなく。本戦も要所だけ描いて次を急ぐのかと思ってたけど、転移先で問題解決ってのもあるようだししばらく腰を落ち着けて描写する模様。 この作品のメッセージ性が今まで分かりづらかった…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ イギリス王家など西洋の王家における王位継承権は、自国民だけではなく他国の王侯貴族や資産家市民にも潜在的に存在し、歴史的事実として他国の征服者・侵略者が国王として統治していた。 フランスの庶民出身将軍が、他国の王女と結婚し他国の国王に即位していた。それが他国人を民族差別しない女系王家の真の姿である。 日本の皇室のみが、日本民族日本人の皇族にしか皇位継承権を認めていない。 ・ ・ ・ 継承権の正統性は、皇室は神話であり、西洋の王家は法律であった。 ・ ・ ・ 即位の正当生は、西洋の王家…