第11代の天皇。 活目入彦五十狹茅天皇、伊久米伊理毘古伊佐知命とも。
御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)の第三子。母皇后は御間城姫、大彦命(孝元天皇第一皇子)の女子なり。
子女には、誉津別命、五十瓊敷入彦命、景行天皇(大足彦忍代別尊)、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命、鐸石別命、膽香足姫命、磐撞別命、祖別命、池速別命、五十速日別命、五十日足彦命がある。
第11代・垂仁天皇を紹介し、日本書紀に秘められた謎を明らかにしていく。次の流れで紹介していく。 ・垂仁元年・山辺道上陵・垂仁二年十月・纏向の都・垂仁二年是歳・任那の国名の由来と新羅の争いの始まり・垂仁二年是歳・都怒我阿羅斯等・垂仁二年是歳・任那の国名の由来・垂仁二年是歳・阿羅斯等と比売語曽社 ■垂仁元年・山辺道上陵 日本書紀では元年・十月、御間城天皇(みまきのすめらみこと)が山辺道上陵(やまのへのみちのへのみささぎ)に葬られたとする。 宮内庁では渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)を山辺道上陵であるとし、その被葬者は「景行天皇」と治定している。 山辺道上陵は4世紀中頃~4世紀後半の築造と推…
邪馬台国の謎の女王「卑弥呼」 日本史の教科書に出てきますが、謎に包まれており、邪馬台国の場所さえも九州なのか、奈良なのか未だに論争が繰り広げられています。 そんな謎に包まれた人であるにも関わらず、日本人なら誰でも知っていると言っても過言ではない知名度を誇っているお方です。 今回はそんな卑弥呼の正体について考察していきます。
はじめに 学術論文のようなテーマになってしまいましたね😀日本書紀 #垂仁天皇 #野見宿禰 のよく知られた話から、#宝来山古墳 が垂仁天皇陵ならば、太陽方位を共有する#富雄丸山古墳 の被葬者は!? 目次 奈良盆地北西の「トミ」伝承地エリア 「トミ」に関連する史跡 野見宿禰と垂仁天皇 富雄丸山古墳と宝来山古墳(垂仁天皇陵)の太陽方位の共有(同伴性) 2月16日追記 本文 奈良盆地北西の「トミ」伝承地エリア 富雄丸山古墳(古墳時代前期末、西暦紀元四百年前後)から、大陸も含めて他に類例がなく銅鏡としては世界最大の盾形銅鏡と、同じく世界最大2.37㍍の蛇行剣が出土したニュースに触れて、 ヤマトの古代豪族…
マロ様🐱のお姿は、何をしていても可愛い٩(๑❛ᴗ❛๑)۶💖 少納言👩は、隙を見て強制スキンシップを仕掛けては、するりと逃げられます💦 ああ、「古事記」垂仁天皇の后サホビメのよう‥ 上リンクより引用🌸 第11代・垂仁すいにん天皇にはサホビメという后がいました。 ある日、兄のサホビコに「夫と兄とどちらが愛しいか」と尋ねられ、サホビメは「兄」と答えました。 すると、サホビコは小刀を渡し、天皇が寝入った隙に刺し殺すよう告げました。 サホビメは、自分の膝枕で昼寝をしている天皇を刺し殺そうとしましたが、どうしてもできませんでした。 3度目に小刀をかざしたとき、溢れ出る涙が天皇の顔に落ちました。驚いて起きた…
殉死の廃止と埴輪の起源 垂仁紀略年表 殉死の廃止と埴輪の起源 垂仁帝の有名な治績の一つに、殉死の廃止と埴輪の起源に関する話がある。『日本書紀』に伝えるところでは、天皇の同母帝倭彦命が亡くなった時、その近習者を集めて、尽く生きたまま陵域に埋め立てた。日を経ても死なずに昼夜泣き呻き、遂に死んで腐ると犬鳥が集まってこれを食った。天皇はこれに心を痛めて、群卿に詔して言うには、「主人が亡くなった時に、生前愛しんだ人々を殉じさせるのは、甚だ傷ましいことである。古よりの風であるといっても、良くないのであれば従うことはあるまい。今より以後は、議って殉死を止めるように」と。 その数年後、後皇后の日葉酢媛が天皇よ…
日本書紀に見る狭穂彦の変 古事記に見る沙本毘売の変 物言わぬ皇子 丹波の姉妹 日本書紀に見る狭穂彦の変 続いて『日本書紀』本文では、皇后の兄の狭穂彦王が謀反を企てた話を伝える。皇后が休息して家にいるときを伺い、狭穂彦は妹に語って「汝は兄と夫と孰れか愛しき」と問うた。皇后がその意趣を知らずに、「兄ぞ愛しき」と答えると、狭穂彦が誂えて言うには、「色を以て人に仕えるは、色衰えて寵緩む。今天下に佳人は多し。各々進んで寵を求む。豈永に色を恃むことを得ん。これを以て冀わくは、吾皇祚に登れば、必ず汝と天下に臨まん。則ち枕を高くして百年を終えんこと、また快からずや。願わくは我が為に天皇を殺しまつれ」と。そして…
垂仁紀と垂仁記 垂仁紀に見る朝鮮外交 天之日矛の帰化 新羅王室と天之日矛 但馬氏の祖としての天之日矛 新羅の王子としての天之日矛 垂仁紀と垂仁記 崇神天皇が崩ずると太子の活目尊が即位した。垂仁天皇である。初めに記紀両書に録された主な治績を挙げておくと、『日本書紀』の垂仁紀は、任那・新羅両国との関係に始まり、次いで皇后の兄狭穂彦王の謀反、野見宿祢と角力、丹波の姉妹、皇子誉津別命、伊勢の祭祀、殉死の禁止と埴輪、石上神宮と神宝、新羅の王子天日槍の神宝と続き、田道間守を常世の国へ遣わした話を記して終る。一方『古事記』の方は、まず王宮の場所と后妃皇子女を詳細に書き連ねた後、皇后の兄沙本毘古王の謀反、皇子…
年末からダラダラ過ごして若干体重が危険な数値になっております。という事で、久々に一人で散歩に行って来ました。散歩のお供はPodcastの『シノブとナルミの毒舌American Life』です。結構笑えます!興味のある方は一度聞いてみてください🤗 では散歩の方に移ります!今日はこちらのコースを選択しました。 世界遺産の唐招提寺です。自宅から徒歩で約20分です。駐車場にはいつもより車が止まっていましたが、満車にはなっていませんでした。(時間は15時でした) それほど人は多くなさそうです。拝観料は大人1,000円です。今日は外から写真だけです。 東大寺や春日大社からは少し離れていますが、近鉄西ノ京駅…
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。 今回も、三種の神器の一つ「八咫鏡」(やたのかがみ)の3回目です。 八咫鏡は、皇位の印である三種の神器のひとつです。 さて、崇神天皇の次の第11代垂仁(すいにん)天皇のとき、笠縫村に 祀られていた八咫鏡は、今度は皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に 託され、伊勢国(いせのくに)の五十鈴川(いすずがわ)のほとりに 祠(やしろ・斎宮)を 建てて、そこに八咫鏡が奉安されることになり ました。 それが現在の「伊勢の神宮」です。 倭姫命は、現在の伊勢に辿り着くまでに、伊賀・滋賀や美濃・尾張などを歩いてその 八咫鏡を奉斎する場所を探していました(これを元伊勢といって、その…
「江戸文化を楽しむ会」というのがあったので参加した。 とは言え、いつもの「歩く会」の連中がごっそり参加しているので気楽。 今回は両国駅を中心にして、このあたりをちょろちょろ歩き、それで江戸文化の間尺に合わせをするつもりらしい。それだけで間尺に合うのか、という気もするが、どうも合うらしい。休日だから街中はがらんどうの人影まばら、のんびりゆるゆる這うように歩く。 まずは回向院へ。江戸相撲発祥の地だという。説明によれば、すもうの原型は神代の昔からあり、しかし神様のすもうではなく、人間のそれは垂仁天皇の御代、野見宿祢と当麻蹴速の勝負だったとの伝説。後、武家相撲として鎌倉時代、頼朝が大いに奨励し、江戸期…
こんばんは! 都内在住アラフィフ主婦のnicoです。 ひとり時間を楽しんでいます。 今回は夫と一緒に犬連れで 『深大寺』周辺をお散歩したので、 ご紹介します。 『深大寺』は新宿から 京王線特急で約15分の調布駅から 徒歩約30分の所にあります。 調布駅から小田急/京王バスも出ていて、 約15分で着きます。 犬のお散歩も兼ねているので、 私たちは徒歩で向かいました。 調布駅北口から電通大通りを北に進み、 調布駅北口交差点を右折し、 せっかくなので「天神通り商店街」に入って 北進していきました。 調布は水木しげるさんが 40年以上過ごされた場所らしく、 商店街にも至る所に ゲゲゲの鬼太郎に登場する…
出雲大社の御朱印は拝殿と神楽殿の2種類で直書きが復活しました。アクセスはサンライズ出雲と一畑電車を利用するのがお勧めで、稲佐の浜の砂はお参りに必携です。 ※2021年6月18日作成、2024年5月2日改定 御朱印は2種類でシンプル 御朱印所 御朱印 過去に頂いた御朱印 平成28年6月23日付 令和3年6月10日付 令和4年5月6日付 オリジナル御朱印帳 出雲大社の由緒とご利益 サンライズ出雲と一畑電車の利用がお勧め 交通 サンライズ出雲から一畑電車がお勧め 地図 お参りの際に稲佐の浜の砂は必携 出雲大社の境内 宇迦橋の大鳥居(一之鳥居) 勢溜の大鳥居(二之鳥居) 境内案内図 参道 祓橋 中の鳥…
●歌は、「池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を扱入れな」である。 大阪府柏原市高井田 高井田横穴公園万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20240307撮影 ●歌碑(プレート)は、大阪府柏原市高井田 高井田横穴公園にある。 ●歌をみていこう。 ◆伊氣美豆尓 可氣佐倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈 (大伴家持 巻二十 四五一二) ≪書き下し≫池水(いけみづ)に影さえ見えて咲きにほふ馬酔木(あしび)の花を袖(そで)に扱入(こき)れな (訳)お池の水の面に影までくっきり映しながら咲きほこっている馬酔木の花、ああ、このかわいい花をしごいて、袖の中にとりこもうではないか。(伊藤 博…
今回は静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ)について。 富士山本宮浅間大社は市の中心部に鎮座する駿河国一宮です。 創建は不明。社伝『富士本宮浅間社記』*1によると第11代・垂仁天皇の時代の創建で、坂上田村麻呂によって現在地に社殿が造営されたらしいです。 平安時代には朝廷の崇敬を受け、『延喜式』には「浅間神社」として名神大社に列しています。鎌倉以降は武家の崇敬を受け、源頼朝が富士の巻狩の折に流鏑馬を奉納したほか、北条義時によって社殿が造営されています。室町以降は、足利氏、今川氏、武田氏、豊臣氏などの寄進を受けました。江戸時代は徳川家康によって現在の主要な社殿が再…
もじたま日記・3466日目 「SUNO AI」さんに 「コジキの文字」で 歌詞・作曲」してもらおうと 「辞典」を調べていたら 相も変わらずの 既に何度も調べて貼り付けたモノと 同じことを繰り返している・・・ ↓↑ 「古事記」の「今字記」の解釈? ↓↑ 「雅治(こんじ)記」 「恨事(こんじ)記」 「紺地(こんじ)着」 jeans=👖 =ジーンズ =字意務叢 =字音 図(事・厨・頭) 「金色(こんじき)」+夜叉? ー↓↑ーー by『ウィキペディア(Wikipedia)』+αー↓↑ーー 則天皇后=武曌 王朝 武周 在位 天授元年九月九日~神龍元年一月二十四日 (690年10月16日~705年2月22…
(2024/4/24) 『日本怪異妖怪事典 中部』 高橋郁丸、毛利恵太、怪作戦テラ、朝里樹 笠間書院 2022/8/26 <井戸菊の谷の狒々> ・筆者命名。富山県中新川郡上市町伊折の話。 『三州奇談』巻之五に「異獣似鬼」として記されている。 この猅々は風雲を起こして風の中を飛行する。よく人を引き裂いて、投げ散らかして捨てるのだという。 昔、伊折村に源助という樵がいた。彼は大力で足も速く、二、三人の友と山で猟をして獣の肉を食おうと山に入ったところ、一日のうちに猿や狸などを70匹余り、刀を使わず拳で打ち殺してきたというほどの覇気の者であった。ある時、井戸菊の谷という所に樵たちが初めて入ろうとしたら…
文字霊日記・3464日目 辰がナラブ日・・・2024年4月22日1時月曜日 2024 年 干支41 甲辰(乙・癸・戊)年 04 月 干支05 戊辰(乙・癸・戊)月 22 日 干支53 丙辰(乙・癸・戊)日 08 時 干支29 壬辰(乙・癸・戊)時 ↓↑ ↓↑ 辰=波?・・・辰星=木星の波 ゼウス・ユピテル・ジュピター (JOVE・Δίας・Zeūs) 武器=雷電・アダマスの鎌 雷霆(ケラウノス) 竜(龍・辰)巻・渦巻 tornado=大竜巻・旋風 トルネード 譯留音得度 ドレ視符蛙空視度 ・・・地+震(雨+辰) 雷電・雷光・雷鳴 地鳴り・地走り・津波 振動=音波・轟音・音響 反響・木霊 波動・…
今は1人の天皇に1つの年号と決まっていますが、昔はもっと頻繁に変えられていました。 今まで天皇は126人おられます(1人で2回やった方もおられますが)。 で、年号はというと、なんと248もあるのです。 最初から年号があったわけではなく、日本での一番初めの年号は「大化の改新」の「大化」です。 それまでは「〇〇天皇〇年」といった言い方で、例えば伊勢神宮の内宮は約2千年前の「垂仁天皇26年」に造られています。 かつては中国でも年号がありましたが、今はもうなく、年号は日本だけが持つ独特なものとなっています。 昔の朝鮮半島やベトナムは中国の強い影響を受け、中国と同じ年号を使っていました。 「大化」という…
どうも、ひのきですm(*_ _)m さぁ、年末年始巡拝も最後の一社を取りやめたのでこちらが最後になりました 物部神社です 名古屋でのここまでの神社はいつも通り何気なく選んで来ましたがこちらは前夜、つまり元旦の夜、翌日にちょっとだけ出掛けるかという事で適当にマップを開いたら見付けまして、もうその社名だけで即決しました さぁ何かに繋がるでしょうか 大きな由緒板には短めに、式内社であること、垂仁天皇の御代(紀元前25年前後)に初めて社殿が造営されたこと、御祭神が物部氏の祖である宇摩志遅命であることが書かれています いつも通り、それ以外は読みませんでした では参拝 なんとも言えず不思議な感じのする境内…
今回は布施駅を紹介してゆきます。 布施駅は近鉄の主要路線、奈良線と大阪線の分岐駅です。 そのため、布施駅は二重立体構造になってます。 日本各地には二重立体構造の駅がいくつかありますが、布施駅はその中でも2番目に完成した駅です。 最初はJR西の福山駅。 この記事の内容 布施駅の歴史。駅名が2度変わった駅 布施駅の特徴、エスカレーターに気を付けろ 布施の由来。どんな地域で、これからどう発展する? 奈良線 河内永和>> 大阪線 俊徳道>> 布施駅の歴史。駅名の変更や高架化工事で変身しまくった 布施駅が高架化されたのは1977年6月25日でした。 その次にできたのが、京成青砥の1986年。 最初に2重…
口訳古事記町田康(まちだ こう)講談社2023年4月24日 第一刷発行 広告だったか、何だったか忘れてしまったのだけれど、『本居宣長』を読まなきゃ、、、と思っているときに目に入ったので、図書館で予約してみた。結構、順番が回ってくるまでまった。 口訳、町田さんの作品、おもしろくないわけなかろ、、、ってことで、じっとまった。。。『しらふで生きる』の町田さん。 megureca.hatenablog.com 目次神xyの物語スサノコノミコト大国主神天之忍穂耳命と邇邇芸命日本統一垂仁天皇の治世日本武尊応神天皇仁徳天皇 装丁:月岡芳年 感想。面白い。これは、パロディか?!いや、まじめか?! 面白い! け…
文字霊日記・3462日目 「狭穂彦の謀反」と 「狭穂姫=佐波遅比売命=佐本比売命」の カンジから「差和字」と「差翻字」をヨム 「ホン」の「たわけ」の「オウ字」・・・ 「ににぎ」が嘲笑(わらう) 「星の下で1」 suno.com ↓↑ 掰=手+分+手=バイ 両手で割(さ)く、捥(も)ぎ取る 折る、折って二つに分ける 掱=手+手+手=パァ 掱手(パァショウ)=扒手 掏摸(トウバク・すり) 他人の懐(ふところ)から 物を盗(ぬす)み取ること 𢮣=爫+又+手=ラン 𤔔𤔬𤔦𠧏𠧎𤕍𤔭𤔪𠮗𤔒𤔐𠦸𠭟 乱れているものを 秩序ある状態にする 治(おさ)める ごちゃごちゃしているものを すっきりさせる=亂(乱)・・…
先週、宮崎へ旅行に行って来ました。宮崎県は初めてで、九州自体20年ぶりでした。 特に「高千穂」は昔から憧れていたので、やっと念願が叶いました。 宮崎観光の写真でも、高千穂峡「真名井の滝」の写真が有名ですよね。 宮崎県を旅行してみて、高千穂だけではなく、宮崎県全体が、神話と伝説に溢れた場所だということを知りました。神話に詳しかったわけでもないですが。 「高千穂」には、宮崎空港より熊本空港から行く方が近いと、かなり前、九州一人旅をした長男から聞いていたので、先ず、熊本空港からレンタカーで高千穂へ向かいました。 2時間かかると旅行サイトに出ていましたが、1時間半ほどで到着。 初日は雨が降ったり止んだ…
街道旅 令和5年12月9日(日) 4回目の甲州街道旅は下高井戸宿を後にし 次の国領j宿手前で終り、さあ、次は・・・・ 天候不順の令和6年。 遅れた桜もピークを過ぎ、ようやく天気も安定しそう。 令和6年4月11日(木) 昨年12月で途絶えていた甲州街道の旅を再開に。 どんどん足の進みがのろくなり、長く歩くのに不安を覚えるが、 ゆくりでいいんじゃない!とカミさんに押され、よし、やてみるか!と、 電車、バスを乗り継ぎ、前回足止めの京王線柴崎駅へ降り立った。 駅から北へ数分行くと国道20号(現甲州街道)柴崎駅入口交差点。 AM10:30 歩き旅の再開でどこまで歩けるかな? 朝はまだ冷え込みがあったが、…