第11代の天皇。 活目入彦五十狹茅天皇、伊久米伊理毘古伊佐知命とも。
御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)の第三子。母皇后は御間城姫、大彦命(孝元天皇第一皇子)の女子なり。
子女には、誉津別命、五十瓊敷入彦命、景行天皇(大足彦忍代別尊)、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命、鐸石別命、膽香足姫命、磐撞別命、祖別命、池速別命、五十速日別命、五十日足彦命がある。
俳振歴歩のひろです。 古代ヤマト発祥の地を訪ねた後、ゆるやかな坂道を少し登っていくと相撲神社があります。そう言えば、巻向駅を出てすぐに「相撲神社」の看板がありました。この道は真っ直ぐ穴師山に繋がっていて、その途中に相撲神社があります。行ってみましょう。 見えてきました相撲神社の鳥居です。隣には「祭神野見宿禰公」と書かれた石碑もあります。ここは野見宿禰と当麻蹶速が垂仁天皇の勅命で日本最初の天覧相撲が催された場所と言われています。『日本書紀』にも纏向珠城宮近くで二人が相撲を取ったことが記されています。 相撲神社の鳥居をくぐったすぐ右手には力士像が建っていて、その先にブルーシートのかかった土俵があり…
今日の天気予報では夏日最高気温27℃予想。 雨上がりではありますけど、いきなりの暑さでは身体の準備も出来ませんわね。 【早く目覚めた朝は】 最近、カブ君にも乗れてないし、折角の良い天気ですから山方面へと思いつきで、三河の国の神社に行こうと朝駆け出発です♪ 目的地は三河三之宮 猿投神社です。 先般、笠寺七所神社のところで日本武尊に触れたので、双子の兄、大碓命の古伝の残る猿投に行かねばね。 古史古伝の調査ですよ♪ 【猿投神社に到着】 【古史古伝調査開始】 【いざ参らん】 【良質な祈りの場と歴史の手掛かり】 【境内の様子は?】 【アクシデント発生!】 猿投神社 総門 【猿投神社に到着】 名古屋から約…
奈良県桜井市芝の田園地帯に、纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)跡を示す石碑が立っている。周囲はのどかな水田と小さな池に囲まれ、空が広く開けた静かな場所である。纒向珠城宮は第11代・垂仁(すいにん)天皇が都を営んだと伝わる地で、『日本書紀』には「纒向珠城宮に坐(ま)す」と記されている。 纒向珠城宮は、第10代・崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)に続く都であり、ヤマト王権の第2代の宮にあたる。纒向の地は三輪山の南麓に広がり、古墳時代初期の政治と祭祀の中心であった。北には行燈山古墳(崇神陵)や渋谷向山古墳(景行陵)が並び、初期ヤマト王権の威勢と信仰の深さを物語っている。 垂仁天皇は、崇神…
彦道之宇斯大王(丹波道主王)と娘達 『日本書紀』では崇神天皇の時に四道将軍として丹波に派遣されたとされる、彦道之宇斯大王(ひこみちのうしだいおう)ですが、出雲口伝では11代垂仁天皇の時におこなわれた第二次モノノベ東征により和邇地方から丹波へ追いやられた人物とされており、その後さらに追いやられて稲葉(因幡)の国造となったと伝承されています。 彦道之宇斯大王とは誰なのでしょうか。『日本書紀』の丹波道主王は『古事記』では「丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばひこたたすみちのうしのみこ)と記されていますので、名前からみて開化天皇の子の彦坐王(ひこいますのみこ)の子とされる人物と同一と考えられます。以降、…
豊玉姫の東征 出雲口伝では九州で没した都万国(つまこく)のイニエ王(崇神天皇)の遺志を継いで、女王となった豊王国の豊玉姫(とよたまひめ)がヤマトへの東征を行ったとことになっています。 そこまでの流れとしては、九州で没した物部イニエ王はヤマト(奈良地方)にいたことにされ、崇神天皇となり、後の垂仁天皇を産んだ妃の阿多津姫(あたつひめ)は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)として神話化されたということです。 垂仁天皇は宮崎市生目で生まれたので、イキメ(イクメ)王と呼ばれ、阿多津姫(木花開耶姫)は都万の都で亡くなったので、都万神社(都萬神社 つまじんじゃ)に祀られているとのことです。(「阿多」は鹿児島県…
開化天皇は存在したのか 出雲口伝では第8代孝元天皇までの言及はありますが、第9代開化天皇については全く述べられず、次の第10代崇神天皇(すじんてんのう)からまた伝承が始まります。 しかも第10代崇神天皇はヤマトの磯城家の流れを継がない、九州モノノベ勢力の王であったとしています。 実際、開化天皇と崇神天皇の系図を見ますと、崇神天皇で王朝が変わり、8代孝元天皇から崇神天皇につなげるために、開化天皇という架空の天皇を設定したのではないか?とすら思えるのです。 物部系の欝色謎命(うつしこめのみこと)を母とする、9代開化天皇の宮殿はそれまでの天皇の宮殿と離れた春日山付近とされており、先代天皇の宮殿があっ…
遥か古代、白鳥を追う者たちがいた!この記事では、「鳥取部」に焦点を当てます。彼らの仕事は単なる鳥捕りだったのか?それとも、日本の文明を築く上で欠かせない製鉄という重要な役割を担っていたのか?その誕生の謎と、製鉄との知られざる関係を深掘りしていきます。 古代から神聖視されていた鳥クグイとは? 「鉄あるところに白鳥あり」?鳥取部と製鉄を結ぶ点と線 神話が語る「天湯河板挙」と製鉄の匂い 誉津別命と白鳥、そして鳥取部の誕生 『古事記』に見る鳥取部の広がりと製鉄の神々 まとめ:鳥取部は単なる鳥捕り集団ではなかった? 古代から神聖視されていた鳥クグイとは? みなさんは「クグイ」という鳥をご存知でしょうか?…
御伽話のかぐや姫は実は日本最古の歴史書とも言われる『古事記』で描かれる人物でもあります。それは垂仁天皇の妃に迦具夜比売命として記される人物です。物語、「竹取物語」の主人公のかぐやひめは「竹」から生まれます。『古事記』描くかぐや姫の父の、大箇木垂根王(おおつつきたりねのみこ)もまた、その名前に竹が含まれます。その名前の箇木とは、筒の木ですから竹だと想像出来ますので、香久夜姫は、まさに竹から生まれた子になります。 大箇木垂根王―迦具夜比売命(かぐや姫、垂仁天皇の妃) kodaishikoushou.com 山代之大筒木真若王はその名の通り山城国の筒城に由来を持つと想像されます。ここは現在の京田辺市…
俳振歴歩のひろです。 今日は「俳振歴歩」の中の「歴史」の話です。 8月22日に奈良県葛城市にある「けはや相撲館」を訪れました。名前の通り、相撲に関する資料館です。 相撲の歴史をたどっていくと出てくるのが、當麻蹶速と野見宿祢の二人の名前です。『日本書紀』垂仁七年条に関係する記述があります。垂仁天皇の七年七月七日に、当時無双を誇った當麻蹶速と相撲をとるために、出雲国から野見宿祢を召し、當麻蹶速と天覧試合を行った。互いに蹴り合った結果、野見宿祢が當麻蹶速の腰を踏み折って勝ち、その領地を賜わった。それ以降、野見宿祢は大和にとどまって垂仁天皇に仕えたとされています。この當麻蹶速と野見宿祢の力比べが日本最…
奈良の平城京の北の果てをてくてく🐾🐾 すまりんたちは 古墳を巡りながら歴史散策をしています 本日 「後編」です(^_-)-☆ 平城宮跡歴史公園の北辺を西へ歩いていくと 見えてきたのは復原された大極殿 他の建物の復原事業も行われているようです 平城宮跡の航空写真(photo byすまき) 佐紀神社を過ぎて… 池のほとりをめぐり… 旧い街並みを抜けて行くと… 再び古墳が現れました! ここから 佐紀盾列古墳群の西側部分のかたまりに入ります 佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)は 宮内庁により 第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の「狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)」に治定さ…