声楽の専門家。
→声楽
それまで、プロとか大御所、ベテランのレッスンは、作曲家やプロデューサーが主でした。 本当の意味で、ポップスでの歌や声の指導をできる人がいませんでした。 当時は、発声には、声楽家しかいませんでしたが、しっかりと対応していたとはいえませんでした。 私は、そのあいだに位置していたといえます。
声楽家では、もっと声量も大きく、声域も広いですが、それと歌唱力は、直接は関係ありません。身体ということでの声の能力をみます。 そこでいうなら、なんでもできないよりはできた方がよいのです。 ヴォーカルでいうなら音域も音量も絶対の必要ではありません。 きちんと声を組み合わせて使えるかどうか、つまり、展開と構成です。
日本の声楽家などは、シャウトしたり、ロックを歌うとすぐ声に異常をきたす人が多いです。間違った練習をしていないからともいえましょう。意外と間違えるのは、よい勉強にもなるのです。間違えて、喉を壊す、そこで鍛えられる、強くなる、いろんなことを覚えます。 ただ、人によるので、トレーナーとしては、勧められません。
今の研究所のトレーナーは、ほぼ声楽家です。同じところにいると、あるトレーナーで伸びたが、あるトレーナーでは伸びなかったとかわかります。すると共通の理解が生まれます。
声の出し方については、ちょっと器用な人は、まねてできてしまうのです。ですから一流のアーティストを複数、聞かせて、その共通のところをとる教え方が、ポピュラーにはよいと思います。声楽家にその声をダメ出しされても、そこに大きな可能性があることに気づかせていけます。私が伝えたかったことの一つです。
A. 私も相手によっては、自信を持たせるために、言葉では、いろいろと確信的にいうことがあります。しかし、必ず、自分のやり方に疑問を持ち続け、新しいやり方や他の人のやり方を学び続けています。今もキャリアある声楽家や邦楽家と共に行い、自分だけがみるレッスンはありません。 レッスンをいつも反省し、フィードバックをして、さらによい方法を取り入れようとしてきました。そのために早くから、1人でやらずに、優秀な人たちとタッグを組んで、多くの専門家と進めてきました。
この辺は、声楽家や邦楽家には、とても理解しにくいところなのかもしれません。 彼らの場合は、習う人より上手なのが当たり前であって、目指す方向、目的が同じです。先生も一から学んだので、共通のプロセスとして取りやすいので、先生を見本という上下関係が成立するからです。 自分が習ったトレーニングやそれによって得たものを伝えていくわけですから、初心者と上級者の区別もはっきりしています。
私が見たところ、ヴォイストレーニングといいつつ、声そのものの鍛錬や熟練をトレーニングとしているところはほとんどありません。 日本では声楽科の一部くらいかもしれません。 国際的には、日常生活の中で相当のことが行われていて、特別な必要性を感じないために、やはり、そういうプログラムはあまりないものです。
私は、パワーのない日本の声楽家よりは、パワフルな日本の役者のせりふから、歌唱につなげるアプローチを優先してきました。 ただし、音楽に大切なリズム、グルーヴを重視する場合には、原語の読みのなかで、声とフレーズをつくっていくのが自然です。 外国語で歌ってから日本語に置き換えるというのは、二重に難しいわけです。が、その点でどうしても、外国人の一流歌手並みのレベルに達するのが、至難といえます。
Lohengrin 1( extraits), Vienne 4-7 janvier 1985 - YouTube カタリーナ・リゲンツァのエルザ映像見つけた☆彡 アタシの掴んでいた未確認情報はミュンヘンでの『ローエングリン』、でもま、この際何処でもエエわとヽ(^。^)ノしといて オペラ歌手シリーズ第三弾をば 「あまり早いうち、30代から、トリスタン、ジークフリート、タンホイザーといった最重量級役柄は歌うべきじゃないのは事実よ」 そこで、オペラ歌手の年齢とキャリアについてイロイロ考えてミタ