戦国時代に信濃国北部の川中島を巡る甲斐国の武田信玄と越後国の長尾景虎(上杉謙信)とその付近で行われた戦い。川中島とは千曲川と犀川の合流点付近に広がる、文字通りの「川中の島」である。
武田信玄は天文11年に家督を継ぐと信濃への侵攻を開始し、駿河国の今川義元や相模国の北条氏康と同盟を結び、信濃国人の村上義清らを駆逐し領国化を進める。信玄は関東において北条氏康と戦う関東管領の上杉憲政とも敵対し、憲政は越後守護代の長尾景虎のもとへ亡命し、景虎は憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を継ぎ、村上義清ら信濃国人を迎合して信玄と戦い。
川中島において甲越両軍が激突したのは数次にわたり、天文22年(1553年)の第1次合戦から永禄7年(1564年)の第5次までが著名で、特に永禄4年の(1561年)第4次合戦は最大の激戦であったと言われ、『甲陽軍鑑』では信玄・謙信による一騎打ちが行われたなどの具体的様相を記している。
戦史ドキュメント 川中島の戦い〈上〉関東擾乱―戦雲の予兆 (学研M文庫)
戦史ドキュメント 川中島の戦い〈下〉龍虎激突―死闘の果て (学研M文庫)