きどたかよし。こういんとも読む場合もある。
1833年6月26日生まれ。 幕末に活躍した長州藩の志士、桂小五郎の明治維新以後の名。 薩摩藩の大久保利通、西郷隆盛と並ぶ「維新の三傑」のひとり。
桂小五郎時代、長州藩での討幕派の中心的人物として活躍し、薩長同盟の密約を結んだ。 維新新政府樹立後は参議、内閣顧問などを歴任。
岩倉使節団にも参加し、のちの立憲体制移行の基礎をつくった。
明治10年(1877年)病没。享年45歳。
コミック版 日本の歴史65 幕末・維新人物伝 木戸孝允水谷俊樹 原作中島健志 作画ポプラ社2018年8月 第一刷 小学館の『学習まんが人物館 木戸孝允』に続いて、ポプラ社のこちらも。同じ人物を描いていても、微妙にニュアンスの違いがあったりするのが面白い。本書も、一時間もかからずにあっという間に読める。これは、楽しい。 megureca.hatenablog.com 本書での木戸孝允(桂小五郎)の説明は、”長州藩士。 吉田松陰と交流し、その思想に影響を受け日本を一つにしようと考える。藩の中心人物となり、やがて坂本龍馬の仲介で西郷隆盛率いる薩摩藩と薩長同盟を結び、協力して倒幕を成し遂げる。明治新政…
学習まんが人物館 木戸孝允(桂小五郎)落合弘樹 明治大学文学部教授 監修坂倉彩子 まんが小学館2018年4月16日 初版第一刷発行 日本史の勉強をしていても、どうにもスッキリしないのが幕末から明治維新にかけての動き。現在、日経新聞朝刊で連載中の『陥穽(かんせい) 陸奥宗光(むつむねみつ)の青春』で、このところ桂小五郎がよくでてくるのだが、で、桂小五郎って?なんで重要人物何だっけ??っていうのが、私の日本史の理解度・・・。桂小五郎は、後の木戸孝允のことなんだけど、幕末の三傑のひとりというけど、、、西郷どんや大久保ほどなんかメジャーじゃないし・・・。 これは、もう、全国通訳案内士の日本史試験対策と…
5/26(金)桂小五郎(木戸孝允)の命日 京都霊山護国神社で、松菊祭が行われ、参加させていただきました。 祝詞奏上の後、桂さんの人生を語る神主さん。 ココで涙を堪えるの必死 参列者全員が、桂さんのお墓へ玉串拝礼をし お隣の、奥様・松子さんのお墓へは、代表者の方が玉串拝礼。 まさか人生初の玉串拝礼ができるとは・・・!光栄の極み 例祭はこれにて終了。 その後は、神社の方が用意してくださったお水を 桂さんと同郷である、長州藩士の皆さんのお墓へ。 皆さん、好きな藩士のお墓へお水をかけ、偲びます。 次はどなたにお水を・・・と考えていたら 京都新聞の方に声をかけられ、すこしインタビューを受けました。 僭越…
こんにちは。2023年4月のおついたちです。 説明の前にーー 先月のおついたちで、 この短冊を発行している神社庁のことを書きました。 超保守で差別意識があると思われる団体(日本会議が中核)なので、 私は賛同していないんだけれど、 毎月の短冊はよいから、 これからも紹介していこうかどうしようか? で、現在の落としどころとしては、当面は言葉だけ「部分受容」して紹介していこうと思います。先月と今月で自分の考えが伝えられましたし、私のYouTubeで部分受容の大切さを語っています。 こちら それにやっぱり私は言葉の力を信じているし、続けてほしいというリクエストもいただきました。 だけどたまには、妄信し…
【きょうの人】 0526 木戸 孝允 没 鞍馬天狗のお話にも登場する 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。 ■ 木戸 孝允 没 きど たかよし/きどこういん 天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日) 長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。 長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しまし…
起きてはならないことが起きてしまった。 死者の安息が破られたのだ。 墓荒らし――真っ当な神経の持ち主ならば誰もが顔をしかめるだろう、嫌悪すべきその所業。 それが明治十二年、京洛の地で起きてしまった。 場所も場所だが、「被害者」はもっと問題である。 ――よりにもよって。 としか言いようがない。荒らされたのは、木戸孝允の墓だったのだ。 (高瀬川の流れ) 木戸孝允、かつての名乗りは桂小五郎。 言わずと知れた長州の巨魁、西郷・大久保と相並び、維新三傑と呼ばれた男。 華やかな呼び名と裏腹に、その晩年は極めて憂愁の色が濃い。べつに誰かが彼を迫害したのでもなく、彼の内部にいつからか巣食った気鬱の病がいよいよ…
1971年(明治4年)12月に日本を出発した岩倉使節団。代表的な5人のメンバーは誰だったか、どういったルートだったのかを中心に学んでいきます。 1.きっかけ・情報源 今日の写真と地図 2.学んだこと ①岩倉使節団とは?英語で何と? ②メンバーは?-岩倉具視・木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳 ③訪問国とそのルートは? 1.米国 2.アイルランド 3.英国 4.フランス 5.ベルギー 6.オランダ 7.ドイツ 8.ロシア 9.デンマーク 10.スウェーデン 11.イタリア 12.オーストリア 13.スイス 3.コメントと参考英語動画 4.全国通訳案内士試験問題:岩倉使節団関連 5.ブログ内…
明治時代、勝は新政府の要職につきながらたびたび政府批判をしています。勝と政府の重役の年齢を比べてみると
幕末の長州藩で多くの人材を育てた吉田松陰。松陰が「松陰先生」と呼ばれるまでの半生は、自身の「学び」を積み重ね、深めていった時期でもありました。松陰の「学び」や「教え」とは、どんなものだったのでしょうか? note版「思い入れ歴史・人物伝」~松陰先生編の⑧~⑫を一括掲載しました。 逸材が学び、育った松下村塾 防長第一の人物と評された久坂玄瑞 奇兵隊を作り上げた男・高杉晋作 池田屋事件に巻き込まれた吉田稔麿 松陰を支えた小田村伊之助と桂小五郎 義弟として支えた小田村伊之助 明倫館時代の弟子・桂小五郎 逸材が学び、育った松下村塾 野山獄の収監から自宅幽閉となった吉田松陰は、獄中での講義経験を生かして…
数秘術で偉人をリサーチ Research the great with numerology 木戸孝允(前列中央)と伊藤博文(後列右端)ら。明治3年(1870年)撮影。 木戸 孝允(きどたかよし) 【誕生数⑦ 日本】 数秘術で偉人を分析シリーズ、7人目は維新三傑のひとり、木戸孝允。 山口県萩市に藩医 和田昌景の長男として生まれました。 和田家は毛利元就の七男・天野元政の血を引くという。 そしてその毛利家は、源頼朝の鎌倉幕府創建に大きく貢献した大江広元を祖とするという。 木戸孝允公もまた、明治新政府において、西南戦争勃発までの間、中心的役割を務めたが、大江氏の血脈は国家の非常事態時に目覚めるよう…
後姿探検隊。 ーーーー 「名言との対話」のトップで取り上げた言葉以外にも、胸を打つ言葉がある。それを「B面」と呼んで、時折記していこうか。次点である。まずは、『命日』編の1月分から。 コンラッド・ヒルトン「ベルボーイが成功してホテル王になったんじゃない。ホテル王がベルボーイから始めたんだ」 安藤百福「社長とは権力ではない。責任の所在を示している」 岡本太郎「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ」「やろうとしないかたやれないんだ。それだけのことだ」「ぼくはこうしなさいとか、こうすべきだなんていうつもりはない。ぼくだったらこうする、というだけだ。それに共感する人、反発する人、それは…
2016年9月20日初版発行 帯封「盟友・龍馬の死と不遇の青年時代・・・。『近代日本を創った男』の怒濤の前半生を描く! 歴史小説の巨匠が挑む渾身の長編最新作!」「『攻めるべき敵は攻め、助けるべき者は助け、わが身の忠勇と志をつらぬけ 明治維新は全国日本人のためにおこなわれた革命で、藩閥がそれによってもたらされた権利義務の成果を独占すべきものではないという宗光の意見は、蛇蝎のような薩長勢力に正面から一撃を加えたものであった─。(文中より)』 ・伊予国大州藩船160トンのいろは丸で大儲けするつもりの龍馬は1867年4月19日長崎を出港し5日目の23日深夜、備中国の沖合で紀州藩軍艦明光丸887トンと衝…
大会を終えて、同級生に山口市にある「菜香亭(さいこうてい)」に連れて行って貰った。明治時代に山口の迎賓館と呼ばれた料亭で元々別の場所にあったが、廃業を惜しんだ市民の請願で、現在地に観光や市民交流の場として移築公開されたものであるらしい。 広間より庭をみる 私が書に多少の興味を持っていることから連れ出して貰ったもので、歴代総理大臣などの要人の書の扁額多数が百畳の大広間に掲げられれいる様はまさに圧巻である。 ちなみに由来を読むと「菜香亭」と命名したのは長州出身の明治の元勲・井上馨で、当時の料亭主人の名・斉藤幸兵衛の斉と幸の音を使って名付けたそうである。 扁額は30余り有り全ては載せきれないので、こ…
文字霊日記・3393日目 乾(板垣)退助」とは「ダレ」か・・・ ・・・イタガキ死んでも自由は死なぬ・・・? 「乾(板垣)退助」とは「ダレ」か・・・ 「戌亥=戍亥=乾=いぬい=北西」 「伊吹山の神=伊吹おろしの神=白猪の神」に 「ヤマトタケル=日本 武=倭 建=倭男具名」は敗北し 「足萎えて當藝(たぎ)當藝(たぎ)しく三重になった・・・?」 多義 他義 纂廿(拾・十・足・✖) 「ムムムムッ???」・・・「あぁ、アァ、アぁッ!」 ↓↑ 「彦=ひこ・びこ・ひご?=肥後・卑語・比護・庇護・飛語・比語」 比古・毘古・比後 彦=产+彡 立+ノ+彡 亠+丷+厂+彡 山彦=やまびこ=反響音・・・纂経(教・今日…
記念大会聴講の前日、中学同級生の案内で長州藩の明治維新立役者のひとり大村益次郎の生地に、本人を祀って建つ大村神社に連れて行って貰った。 少しおさらいをすると大村益次郎は周防国(すおうのくに)鋳銭司(すぜんじ)村(現山口市)の村医者の子として生まれ、家業の為弘化3年(1846)大阪の緒方洪庵の適塾に入門、塾頭まで務める。その他漢学等と併せ後に宣教師ヘボンのもとで英語数学なども習得した。 (余談ながら鋳銭司とは古代の銭貨(和同開珎など)を鋳造する役所があった場所を指す) 嘉永6年幕末四賢侯のひとり伊達宗城の宇和島藩に出仕、兵制改革、砲台築造、蒸気船建造などに従事、またその縁で幕府講武所教授にも就い…
山口県防府市の暁天楼(ぎょうてんろう)を紹介します。 暁天楼とは 暁天楼の風景 暁天楼の正面 暁天楼の上 暁天楼の中 防府天満宮のご神木 別の出口 2階の隠れ座敷につながる階段 アクセス 暁天楼とは 暁天楼とは高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋(山縣の回顧録「懐旧記事」中に記述あり)、品川弥二郎、坂本龍馬等の志士達が幕末に度々、密議を計った建物の一つです。 建物の構造としては1階が漬物置き場、2階が隠れ座敷となっており、表向きは物置小屋です。 もともとは九代当主、藤村孫七の大旅籠(「おおはたご」と読み、昔の食事付の旅館のこと)の物置小屋であり、志士たちのために利用させていました。 当時は「…
新装版 翔ぶが如く (3) (文春文庫) 作者:遼太郎, 司馬 文藝春秋 Amazon これは政府ではない。 三条実美37歳、岩倉具視49歳、西郷隆盛47歳、副島種臣46歳、大久保利通44歳、大木喬任42歳、江藤新平40歳、あとは30代の板垣退助、大隈重信、後藤象二郎。会議のメンバー。 チャリ、薩摩弁で冗談の意。へー。 多数決が存在しない時代。 岩倉具視は美食に興味がない。 幕末の志士はナポレオンとワシントンがお好き。 次の間に控えている桐野利秋。怖い怖い。 東京から出ていきます、の西郷。いつも後始末をするのは俺、の大久保。はらはらする伊藤博文。結局、これが最後の別れに。 薩摩人、黒田清隆。勝…
「図解塾」は、『梅棹忠夫著作集』第7巻「日本研究」。 「教育による革命」「情報網の建設者」「化政150年」「日本文明論ノート」の図解の発表と講義。 本題に入る前の近況報告を全員にやってもらった後、私も報告している。「美術館」「川柳講座」「外部研修会」「学会」「三越(三井越後屋)」などの活動を聞く。毎回楽しみにしている。 私の近況:ジェネレーターの知図展。漱石は手紙魔『書簡集』。『イコール』のクラファン。二宮尊徳:「キュウリ」。坂本龍馬:既成概念を破る。Jパウル:一冊の書物。漱石の金蘭の友:菅虎雄。シューベルト「次」31歳「歌曲の王」。トルストイ:「幸福」。吉田松陰:「読書の要約」 以下、塾生の…
皆さんは山口県の萩市に行かれたことありますか? 歴史ある街並みと当時の雰囲気を味わうことができる歴史ゆかりの地として有名なんですよ。 今回は【情緒あふれる歴史的景観を見に行こう!萩市でおすすめのスポット】をご紹介していきます。 歴史好きの方はもちろんのこと、萩市に行かれたことがない方はぜひこの機会に一度観光に訪れてみてはいかがでしょうか。 萩市の魅力について! 明治維新がお好きな方はぜひ!【松下村塾】 アクセス方法 当時の街並みが広がるスポット!【萩城城下町】 アクセス方法 萩市を代表する偉人が祀られている神社!【松陰神社】 アクセス方法 桂小五郎とも呼ばれた偉人が住んでいた屋敷!【木戸孝允旧…
6時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。 ベランダでの水遣りを済ませたら、昨日頂いた大量の野菜の整理。 何せ45リットルのごみ袋2つ分と小さいカゴ2つ分。 到底冷蔵庫には入り切らない。 根菜は紙袋3つに分けて冷暗所へ。 大根とカブ、ビーツの葉は切って冷蔵庫へ。 10時まで掛かった。 そして、苗も少し頂いたので畑へ。 予想以上に寒かったので苗を植えたらすぐ帰路に。 帰宅後、出麹。 よく見ると左側の麹蓋ほ方がより白い。 右側もきちんと麹菌が繁殖しているので問題無い。 菊の花は昨日頂いた。 そして、夫が生けた(笑) なかなかの力作や。 最新情報をチェック。 リン・ウッドさんが裁判に勝利していた。 そして、…
6時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。 ベランダでの水遣りを済ませたら、昨日頂いた大量の野菜の整理。 何せ45リットルのごみ袋2つ分と小さいカゴ2つ分。 到底冷蔵庫には入り切らない。 根菜は紙袋3つに分けて冷暗所へ。 大根とカブ、ビーツの葉は切って冷蔵庫へ。 10時まで掛かった。 そして、苗も少し頂いたので畑へ。 予想以上に寒かったので苗を植えたらすぐ帰路に。 帰宅後、最新情報をチェック。 リン・ウッドさんが裁判に勝利していた。 そして、日本国内では自治体の首長選や市議会選等の地方選で自民党議員が多く落選、との記事を見かけるようになった。 人々が投票所に足を運ぶようになったのか、それとも不正選挙が…
一気に萩から山口まで歩くつもりだったのですが、家族に止められまして。じゃあ、一泊二日で歩こうとなり、いろいろ方法は考えました。最終的に、真ん中近くにある佐々並の宿に空きがあったら行ってこようとなったわけですよ。 「御茶屋」は、藩主の休憩宿泊、大事な御客様を迎える格式の高い藩の施設です。 萩往還の「御茶屋」は佐々並、山口、防府の3ヶ所だったようです。現在残っているのは防府だけです。 usayusadosa.hatenablog.com その「御茶屋」があった佐々並は歴史在る建物が、逸話とともに「重要伝統的建造物保存地区」として残っています。 武士だったご先祖様が、毛利の殿様に「旅籠をやるように」…
麹町から赤坂見附へ向かう途中、 忽然と鬱蒼とした森が現れる。 清水谷公園である。 公園に面した通りは紀尾井坂。 明治10年5月26日木戸孝允が死去、 同年9月24日西郷隆盛が切腹。 そして明治11年5月14日に最後の維新三傑大久保利通がここで斬られる。 世にいう紀尾井坂の変である。 もともと紀伊徳川、尾張徳川、彦根井伊の江戸屋敷があったので 紀尾井坂と通称され、 園内には大久保卿遭難の碑が残る。 この公園の横には参議院議員宿舎が建っており、 手前の庭園が見事に色づいていたので1枚。 OLYMPUS OM-D E-M5 MarkII + LUMIX G 20/F1.7 II SS1/100 F5…
谷口正和回顧展「Consept & Creation」で故人を偲んできました。目黒区青葉台。 「知研」でのセミナーで知り合い、ビジネスマン時代に会社の危機に当たり創設された社長直轄のプロジェクトチームで仕事をしたときに、助力いただいた方でした。1992年から1996年あたりだから、もう30年近く前です。 現在のCEOの千葉光範さんに挨拶した時に、「魔力」という言葉がでたが、谷口さんの言葉には確かに人を誘う、しびれる魔力があった。この回顧展は、残念ながら会えなかったが、当時一緒に仕事をした石原さんのプロデュースだそうで、内容に納得した。 谷口さんは多くの著作を矢継ぎ早に出して、その都度贈ってもら…
(2023/11/10) 『イルミナティ最高機密文書』 闇の権力者たちがひた隠しにした門外不出のバイブル ベンジャミン・フルフォード 青志社 2010/9/18 <イルミナティ現役幹部ザガミが手渡した「最高機密文書」> ・闇の権力が最後の悪あがきで世界滅亡を果たすために起こすであろう2012年の大変動を食い止めるために、闇の権力の策謀を暴露して、世の中に真実を広めたいというザガミと私の目的が合致して実現した対談である。 ・イルミナティは、悪魔教の信者たちが戦争、飢餓、大災害を意図的に巻き起こし、世の中を撹乱して、彼らの絶大な権力を保持すると同時に巨額の富を独占しようという強欲な秘密結社というパ…