俳優・歌舞伎役者
[代数]九代目
[屋号]高麗屋
昭和17年8月19日生まれ。八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の長男。21年5月東京劇場『助六』の外郎売(ういろううり)の伜(せがれ)で松本金太郎を名のり初舞台。24年9月歌舞伎座『逆櫓』の遠見の樋口で六代目市川染五郎を襲名。56年10・11月歌舞伎座『勧進帳』の弁慶ほかで九代目松本幸四郎を襲名。
歌舞伎では父・白鸚(はくおう)と祖父・初代吉右衛門の役々を継承し、当代独自の芸風を確立。その一方、ブロードウェイで『ラ・マンチャの男』を、ロンドン・ウエストエンドで『王様と私』を主演。近年ますます風格がでてきた。演劇企画集団シアター・ナインス、歌舞伎企画集団梨苑座を発足させるなど、新たな挑戦にも意欲満々。
父・初代 松本白鸚(八世幸四郎)
弟・二世 中村吉右衛門
妻・藤間紀子
長男・市川染五郎
長女・松本紀保
次女・松たか子
犬・ムッシュ、トト、禄郎、ボン
九代目・團十郎の門弟。三重県生まれ。
松本金太郎、市川染五郎、市川高麗蔵を経て、7代目襲名。
息子に11代目團十郎、8代目幸四郎(白鸚)、2代目松緑がいる。
堂々たる風貌と重厚な台詞回しで人気を得、また舞踊も養父・藤間勘右衛門から藤間流を受け継ぎ、特に「勧進帳」は生涯1600回も演じた。
ひところは十代目團十郎候補にもなったが、芝居に癖がありすぎたので、却下されたそうな。
「あたしが初めて女を知ったのですか? いや、かなり遅くて、7歳で…」というエピソードがけっこう有名。息子・二代目松緑の話では、兄弟は全部で10人くらいいたらしい(「実子」は5人)。
→「松本白鸚」