鎮海は日本が統治時代に計画的に建設した都市である。南下政策をとるロシアが朝鮮半島に不凍港をもつこと、朝鮮半島がロシアの影響化に置かれることは明治以降の日本にとり安全保障にかかわる脅威であった。朝鮮半島のロシアの影響力を取り払うために起こったのが日露戦争(1904年2月〜1905年9月)だ。ロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海海戦では、東郷平八郎提督率いる連合艦隊は鎮海湾から出撃した。 日本は1898年(明治31)頃から鎮海湾の戦略的価値に注目し始め、朝鮮を併合した1910年(明治43)から鎮海を軍港と市街地の都市として建設していく。 鎮海大市街建設の現況 旧日本海軍は、日露戦争開戦直前には鎮…