私の中にP・A・Cがある。それに儒神仏を対応させる。例えば、一日を振り返る。Pが規範的なものであり、孔孟の教えを思い出し、当てはめる、振り返る。Aで因果を考えて賢く行動できたか、振り返る。Cも、しかり。 そうは言っても、PACというのは、1つの考え方である。その枠組みに拘泥していないか。あるいは、上手く説明が付いたとしても、そのことに長々と引っ張られていないか。時には、そのような引きずられている自分の軌道を切り替える、違う方向に顔を向けることも必要となる。老子は「無為自然」と言った。「人為」に対して「天道」と言った。これは、偉大な「東洋の知恵」である。日本のような説明のつく世界にいると、ある日…