後藤嘉一『やまがた史上の人物』(郁文堂書店1965)に以下のような記述がある。知る人ぞ知る逸話である。 終戦後、帝国陸軍参謀だった石原莞爾は膀胱癌のため飯田橋の逓信病院に入院中だった。彼はA級戦犯板垣征四郎と橋本欣五郎に関する証人として臨床尋問を受けた。 以下引用 そして石原は逆に検事に対して、 「東京裁判は明治維新まで遡って極東の侵略者を戦犯として処罰する方針だというがそれは事実か」とたずねた。検事は、 「イエス!日清日露戦争、朝鮮併合等による侵略者に対して厳重に審判する」と答えた。石原は、 「それは大いに結構だ。その方針なら先ず第一にペリーを極東侵略犯罪人として審判すべきだ!」と云った。 …