平安時代前期〜中期の歌人・『土佐日記(土左日記)』作者。古今和歌集の代表的撰者にして歌の名人。三十六歌仙の一人。
生年不詳、天慶九(945)年没。
紀望行の子、紀時文の父。紀友則は従兄。
官途はそれほど進まず、天慶八(944)年に従四位下木工権頭となったのが極官。土佐守の任期を終えて帰京するまでのことを、女性に仮託して書いたのが、かな日記の始まりとされる『土佐日記』。
宮廷文芸として和歌が復興する中で、歌壇に登場した有力歌人でもあり、歌合・屏風歌など公的な詠歌を多くしていたが、延喜五(905)年に紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒とともに『古今和歌集』を撰進し、また優れた歌論でもある『古今集仮名序』を著した。
家集は『貫之集』、また『新撰和歌』を撰定。『古今和歌集』では最多の百二首をのせるほか、勅撰集への入集は四百五十首以上。
人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香ににほひける
(百人一首 35/古今和歌集 巻一 春歌上 42)