総社は惣社とも呼ばれる。
総社は、元来ある地域内の神社の神を集めて祭った神社一般をいうもので、国に限らず寺院や荘園、邸宅内などにも置かれたが、通常、一宮とならび称されるのは国の総社である。
総社の史料上の初見は、『時範記(じはんき)』康和元年(1099)二月十五日条の因幡国総社である。
総社は国司の着任儀式の場とされるなど、国衙(こくが)関係の祭祀執行の場として用いられたことが多い。
國學院大學日本文化研究所編『神道事典』1994年、弘文堂より引用。
「無し」や「不明」表記の国では、平安時代末の国府所在地を括弧内に記した。
*1:『日本史要覧』では国府神社?(高市郡高取町下土佐)
*2:『神道事典』では、志紀県主神社「総社明神」とある。
*3:『神道事典』では、三宅神社「総社大明神」とある。
*4:『神道事典』では、神部浅間神社「総社」とある。『日本史要覧』では「神部神社」
*5:『日本史要覧』では三島神社は一宮。総社は「不明」
*6:『神道事典』では、甲斐奈神社「守ノ宮」とある。
*7:『日本史要覧』では「廃絶」
*8:『日本史要覧』では「総社神社」
*9:『神道事典』では、総社「御旅神社」「南宮神社摂社」とある。『日本史要覧』では「(合祀)」と註記。
*10:『日本史要覧』では「伊和社(松本市惣社)」
*11:『神道事典』では、大神神社「総社六所大明神」とある。『日本史要覧』では「栃木市惣社町」
*12:『日本史要覧』では「陸奥総社宮」
*13:『日本史要覧』では「東田川郡藤島町上藤島」→現・鶴岡市上藤島
*14:『神道事典』では、石部神社「府南社」とある。
*15:『神道事典』では、総社「六所神社」とある。
*16:『神道事典』では、総社「廃絶」「府中八幡宮に合祀」とある。『日本史要覧』では「八幡宮(合祀)(上越市北本町)」
*17:『神道事典』では、気多神社「総社大明神」とある。
*18:『神道事典』では、国庁裏神社「総社大明神」とある。
*19:『神道事典』では、総社「廃絶」「伊甘神社に合祀」とある。『日本史要覧』では「伊甘神社(浜田市下府町)」
*20:『神道事典』では、玉若酢神社「総社大明神」とある。『日本史要覧』では「玉若酢命神社」
*21:『神道事典』では、総社「多気神社に合祀」とある。『日本史要覧』では「多気神社(合祀)(安芸郡府中町宮の町)」
*22:『神道事典』では、金切神社「総社」「佐波神社と称す」とある。『日本史要覧』では「佐波神社(合祀)(防府市惣社町)」
*23:『日本史要覧』では「若宮神社(合祀)(下関市長府宮の町,忌宮神社別宮)」
*24:『神道事典』では、総社「十一明神社」とある。『日本史要覧』では「十一明神神社」
*25:『日本史要覧』では「大明神社・国府八幡大明神宮」
*26:『日本史要覧』では「総社神社(坂出市林田町総社)」
*27:『神道事典』では、「不明、蒼社川あり」とある。『日本史要覧』では「伊加奈志神社?(今治市五十嵐)」
*28:『日本史要覧』では「惣社八幡神宮」
*29:『日本史要覧』では「不明」
*30:『日本史要覧』では「不明」
*31:『神道事典』では、祓戸神社「守公神社」とある。
*32:『日本史要覧』では「不明」