🌕【源氏物語207 第十帖 賢木19】右大臣家の六の君は後宮に入る。いまだに源氏を想い、源氏は、忍んで手紙を送ってくることも絶えなかった。 〜右大臣家の六の君は 二月に尚侍《ないしのかみ》になった。 院の崩御によって 前《さきの》尚侍が尼になったからである。 大臣家が全力をあげて後援していることであったし、 自身に備わった美貌《びぼう》も美質もあって、 後宮の中に抜け出た存在を示していた。 皇太后は実家においでになることが多くて、 稀《まれ》に参内になる時は 梅壺《うめつぼ》の御殿を宿所に決めておいでになった。 それで弘徽殿《こきでん》が 尚侍の曹司《ぞうし》になっていた。 隣の登花殿などは長…