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apoが妄想を深めながら、ため息(exhale)をつく場ございます。何かお探しでしたら、上の検索窓の「日記」ボタンで全文検索できます。落胆なさるかもしれませんけど。基本的にネタバレ全開ですのでご注意ください。

0828Wed.13

父は「ちぃ〜っとな」と返事をした

今年、夫の初盆を迎える彼女を、法要への参加が難しい父を連れて、訪ねたのは数日前だった。すでに盆棚の用意は済んでおり、仏壇には、お線香とともに誰かが吸い付けた煙草が灰皿で紫煙を薫らせている。遺影でない、生前の故人の顔が蘇る。父と同じ病に倒れた故人の葬儀の日、杖で歩く父に寄り添ってくれながら「こんなふうになっても、生きていて欲しかった」とつぶやいた。本音だったと思う。故人は、父よりも15も若い。

 

彼女は自宅でとれた南瓜の煮付けや茄子の油炒め、大角豆の卵とじに、それにお刺身でもてなし、父にお酒を振る舞ってくれる。「昨日、買って待ってたのよ、よく来てくれたわね」と。

最近のことは「孫が慰めてくれるの」「やさしい孫でね、『いつまでも泣いてちゃだめだよ』って」「今、吞んでる。体重が増えていくのがわかるくらい」と落ち着きを取り戻した日常をぽつぽつ話し、それから故人の思い出話になった。

40代半ばに脳出血で、医師から「社会復帰は諦めてください」と告げられたこと。

しかし、リハビリの末、日常生活はほぼ問題なくこなせるまでに回復し、車の運転も医師の太鼓判を得て、再就職まで果たしたこと。

2年前に、再び倒れ、退院後は再びリハビリに励んでいたこと。ただ、前回よりも、それは過酷だったこと。「とても見ていられなかった」

好きな珈琲を飲みに、週に何度かファミレスを訪ねたこと。そこで、とても親切にしてもらったこと。

今回は顔の半分の筋肉にも麻痺が残ったから、飲食の介助はたいへんだったこと。「あの写真の首にかけたタオルは、よだれ拭き。自分で食べたがったけど、食べこぼしでたいへんなことになる。とても見ていられなかった」

退院後も、お酒も煙草も止めようとはしなかったこと。故人は、お酒も煙草も嗜んだ。生前、うちの父も健在の当時は、盆暮れに合えば、言葉は少ない同士だが、二人で並んで、お酒を酌み交わしていた姿をわたしも覚えている。

「お酒もね、こぼして、だらだらになるでしょ。『そうまでして吞みたいの?』って……」それで諦めたこと。うまく煙草を吸い付けられず、テーブルの縁に煙草を置いてライターで火をつける姿が危なっかしくて「とても見てられなかった。『そうまでして吸いたいの?』って……」それで諦めたこと。

2時間ほど、そんな思い出を話し、聞いているうち、家人や法要の打ち合わせで人の出入りも出てきたところで、父は「帰る」と意思表示しはじめた。

「まだ、だめ。まだ、いいでしょ! お酒まだあるじゃない。全然吞んでないじゃない!」

父を、彼女は強く引き留めた。けど、一旦「行く」と言い始めたら聞かない、せっかちな父であるから、そうはいかない。来るときも自分でいそいそと準備したけど、帰るときも自分ですたすたといざりながら玄関へ。

翻意できないと知った彼女は、仕方なく靴を履かせたり、立ち上がるのを支えたりしてくれた。

「こうなっても、生きていてほしかった」とつぶやきながら。

帰る車で、わたしたちはしばらく無言だったり、クレージーケンバンドの歌をいっしょに歌ったり、それか、まったく無関係なことを「そうそう、そういえばさ!」と大声で話したりした。

道すがら、福島空港のそばを通る。この辺りはすごく山だ。空港造成の影響で、タヌキ、ハクビシンが増えて、「何つくってもいちばんおいしいところで食べられちゃう。この間なんか、道を歩いてるの、イヌかな、でも最近はここらでも、どこの家でもつないでいるでしょう。あら、ヘンだなあって見たらキツネ。今のキツネはアスファルトの上も歩くのね」

彼女が言ってた、そんな話が話題になった。

空港ができるにあたり立ち退きで、街場の分譲住宅地に移り住んだご主人が「こんなところでは生きている気がしない」とくり返し、そして、数年後にその言葉どおり亡くなってしまったと話していたことも、その流れで思い出す。自然に囲まれて、自然を毎日見て暮らしていた人が、それを失ったことを少し考える。その喪失感が鮮明に伝わってくる。

空港からずっと離れてから、やっと二人で今日のことを振り返る。「正直、わたしはちょっと悲しくなった」と、今の気持ちを父に伝えた。

父はう〜んと何が少し考え込んでから、「ちぃ〜っとな」と返事をくれた。何かを伝えたそうではあったけど、失われた語彙や新造語では伝えられないと思って諦めたようだった。

「(言いたいのは)こういうこと、それともこういうこと?」といつものように確認するのは、やめにする。わたしたち二人の、ちぃ〜っと悲しく切ない思いに追い打ちをかけてしまうだけの気がしたから。今、そんな痛みを反芻しても、つらいだけで、意味はない。そのかわり、また、涼しくなったら顔を見せに行こうと言ってこの話は〆にする。うちに着いて、ビールを開けて、運転をがんばったわたしを父に慰労してもらい、その日は普段、日本酒の父にも少しビールを手伝ってもらった。

お盆は終わった。彼岸が過ぎれば、ちぃ〜っと身体に染みこんだ悲しみも、ちい〜っと薄まるだろうと思う。