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漂流する身体。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-03-02

[][]D7200の延長線では日本のカメラメーカーはダメになるだろう。

D7200デビュー

噂通りニコンD7200が今日発表になった。デジタル一眼レフというジャンルは、大きなイノベーションが産まれない分野になって数年が経ち、前のモデルからの漸進的な進化に止まるスペックだ。ニコンで言えば、2007年のD3/D300発表、並びに2008年の世界初の動画機であるD90発表以来、大きな機能進化はしていない。レンズ資産というネットワーク外部性を覆す様な大きなイノベーションが起きないからこそ、携帯端末やテレビと違って、昔ながらに日本メーカーが力を持っているのだが、残念ながらユーザーにとってのワクワク感はもう余りない。

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スマホのイノベーション

さて、このデジタルスチル撮影の分野で、既存メーカーが持つネットワーク外部性を覆すかどうかは分からないが、それなりに大きなイノベーションと言えば、LYTRO ILLUMが実現したボケ表現の撮影後コントロールであろう。iPhoneも、iPhone6sかiPhone7辺りで同じような機能を積んできそうだ。ただ、LYTRO ILLUMは面白い商品だが、並みのデジタル一眼レフより重くてデカいのと、スマホやPCとの統合度において既存メーカーと変わらない為、メインストリームにはなりそうにない。例えて言えば、ニコキャノのデジタル一眼レフを、解像度で圧倒していたシグマSD1的なユニークなポジションは得るだろうが、メインストリームにはDP1/2の様な小さく安価にリパッケージした商品でも今一歩な為、LYTRO ILLUMもそこに至るとは思えない。一方でiPhone等のスマホは軽くて小さく、一般種のホモ・サピエンスであれば、一眼レフより遥かに持ち歩きやすい。そして撮影から共有までの統合度が高くて便利である。そのスマホの攻勢の前に、画質面で差が小さくなった普及価格帯のコンパクトデジカメは死に絶えつつある。そして、スマホの速い機能進化によって、今は何とか命脈を保つデジタル一眼レフやミラーレス一眼が、コンパクト機と同じように餌食になるのか考えるために、まずはスマホに対しての優位性を整理してみよう。それはこんな感じだろうか。

  1. 絞りによるボケ表現
  2. 撮影機会を逃さないオートフォーカスの速さ、正確性
  3. スピードライトによるポートレート撮影の自由度
  4. レンズによる表現の多様性、特にズーム
  5. 常用高感度の高さによる暗い環境への対応度
  6. 所有による自己満足

将来のiPhoneは、上の1.についてはLYTRO ILLUMとは別の、デュアルレンズ方式によってキャッチアップすると予想されている。そして2.のオートフォーカスについても、原理的にスマホと同じNIKON1 V3のオートフォーカスが、デジタル一眼レフと遜色なく動くのを見ると、実用範囲でのオートフォーカスの速さや正確性については、像面位相差AF技術の発達によって、スマホレベルでも3〜5年のスパンでは今のデジタル一眼レフのレベルにキャッチアップしてくるだろう。3.のスピードライトについてもスマホ用でBluetooth連動の商品が出つつあり、これも時間の問題だ。一方で、スマホはそのサイズの小ささゆえに、大きいセンサーを積めないから、センサーサイズが物理的限界となる4.や5.については、キャッチアップしにくだろう。幾らデジタルズームを積んでると言っても、10倍にズームすると100万画素を切るようでは、フル画面で200万画素以上の超高解像度なディスプレイを持つ現代のスマホ画面では粗が目立つ。イメージセンサーは物理的な特性上、画素と高感度がトレードオフにならざるを得ず、液晶画面の高精細化の方がセンサーの高画素化よりスピードが速いのが現状だし、この状況は将来も変わらないだろう。

近未来のデジタル一眼レフの在り方

こう整理すると、近未来のデジタル一眼レフやミラーレス一眼のスマホに対する優位性は、常用高感度の高さを保ちつつ多画素であるという、要は大きなイメージセンサーを積んでいることと、レンズによる表現の多様性の2つだけということになる。上記の様なIT技術の発展に伴うスマホの進化が、デジタル一眼レフ/ミラーレス一眼に将来どう影響するかを良く考えて、差別性の大きな要素として最後まで残るであろうセンサーサイズに拘って設計されたのが、ソニーのフルサイズのミラーレス一眼だと思われる。そして、余りその将来的な変化を良く考えておらず、現在あるデジタル一眼レフに対して、軽くて手軽で持ち歩ける商品という安直な考えで設計されたのが、NIKON1シリーズだと思えてならない。

また、将来のデジタル一眼レフやミラーレス一眼は、大きなセンサーサイズによる高画素・高感度と、多様なレンズを持つシステムを引き続き保つだけではなく、可能な限りスマホの利便性に近付いたり、取り込んだりしないと競争力は保てないだろう。後者についてはフルサイズのイメージセンサーを持つカメラをなるべく軽く、小さくするというソニーのミラーレス一眼のアプローチもあるし、スマホやSNSとの統合度を上げる方向もあるだろう。マッキンゼーの東京支社長から東大の特任教授をやられている横山さんの社会システム論の受け売りではあるが、カメラメーカーがカメラという既存の縦割り産業分野に属する会社であるという事業定義から、イメージの撮影・表現による欲求充足システムを提供する会社という事業定義に転化すれば、横断的に取り込むサービスがより増えてくる筈である。

たとえば、2012年にInstagramをFacebookが買収したが、あれをニコンが買収して商品との統合度を上げていたら、全く違う地平が見えなかっただろうか。スマホの最大の武器は、前述の通り、軽く小さいことと、撮影してから表現、共有するまでの統合度が高いことである。そのスマホの統合度と同じくらいの出来栄えを、買収によってカメラとスマホを連動させて実現し、そのイメージの質がスマホのそれより遥かに高ければ、Instagramを使うような、人とは一味違った写真を共有したいユーザー層には支持されたのではないだろうか。今のカメラのスマホ連携は殆どカメラ目線で出来ている。一旦撮影はカメラとして行い、そこから転送、共有という分業化されたプロセスである。一方の各社SNSは、スマホアプリの中から撮影も加工も可能であり、何かを共有したい時の利便性は圧倒的に高く、敢えてカメラで一旦撮ってというプロセスをしなくなりがちだ。そこが改善されて、スマホのSNSアプリでカメラボタンを押したら、連動してデジタル一眼レフの撮影機能もオンになり、リアルタイムにスマホから操作できる位の操作性を実現できれば、重いデジタル一眼レフを持ち歩いてでも、一味違う写真を撮りたいと思う人が増えるだろう。カメラは日本メーカーの製品が全世界で使われている分野だから、取り込むwebサービスもグローバルベースのもので無ければ意味がないが、それだけカメラメーカーにとっての機会も大きい筈だ。卑近な収益機会を挙げるなら、youtubeが動画に流れてる曲を自動判別してその曲を売る様に、おっと思った写真の機材をEXIFから判定して表示して売ることも出来るだろう。そして、自社製のSNSを成功させるより、この手のwebサービスはマネタイズが難しいから、ユーザーベースは広がりつつあるが収益は出ていないSNSを買収する方が遥かに簡単だ。

ここまで読んで、そんな風に進化しても自分は使わないと思った既存のデジタル一眼レフユーザーの人も多いだろう。一方、巨大な時価総額を誇るグローバルベースのSNSのサービス開発者の視点から考えたら、注目される写真や動画の量が競争力の大きな源泉になっている以上、自社に共有されるイメージの質によって差別性を得るべく、日本のカメラメーカーを買収して自社サービスとの統合度を上げ、例えば"Facebook一眼"を作っていく、という発想は自然なものに思えないだろうか。その近未来は、日本のカメラメーカーが今のままD7200の延長線の様なモノづくりをし、徐々に進化するスマホに食われて収益をすり減らしていたら、間違いなく到来するだろう。

蛇足として

ここからは完全に蛇足だが、論旨とは別に手持ちのD7000が古くなってきたので、D7200は買う。DXについては、D50→D80→D90→D7000→D7200だから5代目だ。FXはF100→D700→D800と3代目。あとはニコンさん、どこぞのSNSの買収を検討する前に、取り敢えずDXのプライムズームをリニューアルしてくれませんかね。DXのフラッグシップレンズであろう17-55mm f/2.8Gは、今の高解像度センサーに全く対応できず、画像がゆるゆるな上に、さすがにVR無しは時代遅れだ。今のDXの純正標準ズームで一番解像度が出るのが、高倍率の18-140mm f/3.5-5.6Gというのは、レンズシステムとして終わってると思われる。おそらくは、今年後半との噂のD300S後継機と一緒にリニューアルされるんだろうが、それまではニコンDXフォーマットでプライムズームと呼べるのはシグマの18-35mm f/1.8位である。ついでにシグマも、このレンズの続きで35-150mm f/2.8-4なんていう他に全く競合のいない焦点域の、ポートレートに最適な中望遠ズームを出して頂きたい。そしたら、18-35mm、35-150mm、150mm-600mmでシグマの大三元完成ということで、セットで役満320,000円で売るのはどうだろうか。なお、この前35mm F1.4 DG HSMをシグマレンズとして久しぶりに購入したが、写りには感心したし、オートフォーカスも全く問題なかったので、純正がもう決まった焦点域しか出してこない膠着状態を是非打破して貰いたいと思っている次第である。こちらからはこれ以上特にコメントありません。

2015-01-06

[]育成より選抜で箱根を勝った青山学院

特定人種しか勝てないマラソン

 今年の年末年始はずっと日本におりまして、年が明けて初詣も終わると、やはり見るものは箱根駅伝になるわけです。そして生暖かく見守るには、駅伝そのものというより、若者の美しい和と、その裏腹にあるチームスポーツの連帯責任の辛さに耐えられなくなったおじさま達からSNSに出てくる、「マラソン金メダルに駅伝は有害」「もはや箱根駅伝はスポーツではない」などの妄言の方が楽しめます。駅伝を廃して、賞金マラソンでも増やしたらマラソンで金メダル取れるんですかね。マラソンでなく100m競争だったら、誰も日本人が金メダル取れるとは思っていないのに、世界記録の10傑殆どをケニア人が占め、100m競争より遥かにトッププレイヤーの国籍多様性に乏しいマラソンでなぜ日本人が勝てると思うのか、真剣に問い正したい所です。マラソンはもはや、特定の人種しか勝てないスポーツ。なのにマラソンを包含する長距離競走が日本でそれなりに盛んで、それで食える人がそこそこ存在できるのは、駅伝人気あってのことでしょう。考えるならば、この駅伝ビジネスモデルを輸出し、EKIDENをもっとメジャーにして五輪種目にするにはどうしたら良いか、ということの方が遥かに有益かつ戦略的でしょう。ケニア人以外がマラソンに勝てる可能性より、日本人以外がEKIDENに盛り上がる可能性の方がずっと高いと思うわたし、会社員で不惑手前になりました。

そして箱根駅伝がスポーツでないと言ってる人は、一人で箱根駅伝以上の運動強度の「スポーツ」やってなさい。

育成より選抜で勝った駅伝

さて、その箱根駅伝、1区で華々しく出遅れ、2区の出岐くんのごぼう抜きを演出するのが楽しみだった青山学院が、彼が抜けたのに初勝利を挙げまして、その理由を解説する記事にこんなのがありました。

ここ数年、選手層の厚さには定評があった。しかし、優勝を狙った前回は5位。そこで、選手たちが目覚めた。敗因を「勝負へのこだわりが足りない」と分析し、今季のテーマを「最強へ向けての徹底」に据えた。やったことは単純だ。テレビを見ていた時間をストレッチに割き、好きなお菓子を食べることを我慢した。継続的な体幹トレーニングを取り入れ、選手の希望で疲労回復のための水風呂を新たに寮の風呂場に設置して、故障も減った。どれも他大学では当たり前でも、個々の能力に頼り、ある程度の結果が出ていたため軽視していた。「ささいなことだけど、陸上のためにこれだけやったという自負が生まれた」と、9区を走った藤川主将(4年)。

出典:「いい意味でチャラい」青学大、復路も圧倒/読売新聞

 多少は、チャラい青学生が努力見せるのかっこ悪い的に盛った話だと思います。でも、これにある程度真実があるとすれば、「テレビを見ていた時間をストレッチに」「菓子を食べることを我慢」「継続的な体幹トレーニング」「疲労回復のための水風呂」で箱根に勝てる。青山学院の遥か後ろで怒鳴りまくっていた駒澤大学と東洋大学の監督の鬼指導は一体なんだったのでしょう。何というか、ものすごく単純化すると、有能な選手集めれば、後はやる気出させて故障減らせば勝てるという事なんでしょうか。いわば選手の育成より選抜が重要。プロ野球ならファームよりスカウトが重要。トップレベルのスポーツってそういうものなのかもしれませんね。そして、自分が受けた学校教育について、選抜機能と教育機能、どちらが大きかったのか、そう考えると微妙な気がしてくる今日この頃です。一方、選手をスカウトする上で青学よりもブランド力が強いであろう早稲田大学は、ここんとこぴりっとせずに監督が交代というコントラスト。早稲田は、どちら方向を向いて再建するんでしょうね。青学に倣って形振り構わずスカウトに走るのか、そこは自然体で育成を根幹に据えるのか。スカウトに監督自身が乗り出すのであれば、その分育成の時間は減ることになります。監督がやりたい事は普通は育成でしょうから、スカウトに本腰を入れるってのは言うほど簡単な決断ではございません。勝利至上主義で無ければ、その決断は出来ないのかもしれません。

 そして、4年生の選手が少ない青学は、来年の大学駅伝三冠は結構堅そうな所ですが、ここから数年の黄金期を抜けた後どれ位強くいられるか、特にレギュラーになりにくくなった強豪校にのし上がっても、監督のスカウト能力はずっと発揮されるのか、そこも別のチャレンジとして注目して参りたいと思います。

2015-01-05

[]ボケキャラも楽じゃないよ。

たまたま、人気ブロガーのちきりんさんが、Twitterでブロックを多用していてすごい、という話が盛り上がっているのを見た。どうやら、ブロックされるのが一つの青春の勲章化している様だ。ほんまかいなと早速検索してみると・・・。

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「ちきり」まで打って、「ちきりん ブロック」が表示されてびっくりした。確かに盛り上がって結構な人が確認した模様だ。「ちきりん」という固有名詞に対して、いま一番適合しているのが「ブロック」。山と言えば川。リーチと言えば裏ドラ。そしてちきりんと言えば、今やブロックなのである。その検索ワードで表示されるのはこんな結果だ。

一日に何十というツイートがヒットし、実際一日何アカウントをブロックしているのか、その手間に脱帽である。そして直接メンションされていない人までブロックされている様子が伺え、このアウトプット品質のあくなき追究こそが、マッキンゼー式仕事術かと感心した次第である。

さて、「あけましておめでとうございます」と言えば「元旦も休めないブラック企業で働く人たちの気持ちを思いやってください!」などと狂犬に噛み付かれる楽しいツイッターランドであるが、ここまでやれば、ちきりんさんのメンション欄は清らかなツイートに満ちるのかもしれない。とはいえ、SNSの使い方は全くもって個人の自由ではあるが、一日あたり何アカウントもブロックせざるを得ない状況はきっと余り楽しくない様に想像する。少しでも楽しくする様にブロックを多用してるんだろうからね。こうなっている一つの理由は、ちきりんさん(とそのビジネスモデル)が、ツッコミキャラが飽和するネット界隈において、希少なボケキャラであるからだろう。正確に言えば「つっこみボケ」。世の中につっこんでいる様に見えて、実際は結構ボケになってて、ツイッターランドやブログ界に溢れるツッコミ役がつい刺激されてツッコんでブロックされるという構図。完璧に頭のいい人が、完璧に頭のいいツッコミをネットでしてもウケないのが世の中。ウケるにはどこかつっこみボケの要素が無いとダメ。それを人はコンテンツ力と呼ぶ。そういえば、芸人の世界で女性の「つっこみボケ」の名手と言えば心を壊したオセロ中島ですね。

余り楽しくなくても、ボケキャラがネタになることで認知が拡大して食えてる部分があるから続けざるを得ない。面倒を恐れて万人受けを考えだしたら元も子もない。そして、コンサルティングファームみたいなB to Bの商売と違って、B to Cの商売って大体において客を選べないネイチャーがあるので、別種のメンタルが必要。そして、別種のメンタルを装備する為に深山に籠って修行する手間はかけられないので、とりあえずブロック、という事なんだろうか。お面被り続けてるのも同じ理由かもね。嫌ならば見なきゃいい、あなたはあなたの人生をまず見て幸せになってと言い切ってすがすがしかった元フィギュアスケーターより、少しだけビジネスモデルが絡むので自由度は低そう。

そんな訳であけましておめでとうございます。今年こそ自分の人生を生きて、幸せになる所存です。

2014-11-20

[]内定取り消しを取り消したら勝利なのか。

たぶんNTVは訴訟に負ける

内定者ってのは法的には結構守られた存在である。内定の法的効力は、一般的には将来の採用予定日を勤務の開始日として、一定の事由による解約権を留保した労働契約の成立とされている。つまり正社員に内定することは、「一定の事由」さえ無ければ、ほぼ正社員と同等に守られているのである。そして、その「一定の事由」とは、採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実であって、これを理由として採用内定を取り消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られる。これじゃ曖昧な表現でさっぱり分からないが、この基準を具体的にどう適用するかを積み上げてくのが判例であって、例えば、外国籍であることを言わずに内定した人が、その隠匿を理由に取り消されたことを、裁判所が不当であると否認した判例があり、これから類推するに、銀座のホステスであることを隠して内定したとしても、それを理由に取り消すことは法的には厳しそうである。なぜなら、国籍を理由に差別することが社会通念上相当でない以上、職業を理由に差別することも社会通念上相当で無さそうで、かつ虚偽の申告をしていた訳でも無いからである。

中の人常識

この辺りのこと、大企業の人事部だったら百も承知な筈で、それであっても取り消し強行して採用しない方がマシと判断したか、あるいはまさか訴えてはこないとタカをくくっていたか、どちらかだったのだろう。前者については、NTVは過去に所属の夏目三久アナのスキャンダル写真が流出して、ネットとリアルを問わずメディア上でおもちゃになった挙句に、その後辞職した事案があった為、これに相当懲りて、女子アナにスキャンダルが発生した場合の採用責任は問われたくないという考えが働いたのかもしれない。夏目三久アナの一件で、NTVの業績に具体的ダメージがあったとは思えないのだが、中の人的には騒ぎで疲れ果てて、あれはもう嫌だと思っていることは想像に難くない。だが、そんな「中の人常識」は、「法的判断」とは異なっているということだ。ただ、法的には内定取り消しを貫くのは難しいにせよ、そんな中の人常識を持つ至る過程については同情すべき所もある。逆に、本件について、

  • キー局のおっさんは、銀座のお店に行かないのか。ダブルスタンダードだ。
  • キー局のおっさんは、銀座のお店に行ってそこで働く女性を清廉性が低いと見下しながら飲んでたのか。

みたいな批判が主に別のおっさん層から出ていたが、これには共感できない。そういうおっさんも、自分の結婚相手として銀座のホステスを一般人と同等に許容できるかと問われれば、ぐぬぬとなる人も多いと思われるし、だからこそ成り手が限られて、夜の商売は高給になっている要素がある。対象によってスタンダードが異なるのは当然のことだ。

ターニングポイント

また、後者のまさか訴えてこないとタカをくくっていた可能性が正しければ、その前提は今後の働き口を狭めるようなことはしまい、という事だろう。確かに、ここまで揉め事で有名になると、もう採用するという会社はテレビ局であるかを問わずごく少数であろうし、訴えて勝って入社したとしても、扱いにくく、まともに仕事を与えず飼い殺し、ということも十分考えられる。「中の人常識」と「法的判断」が異なることは多々あるが、法的判断に沿った実際の運用は「中の人常識」に委ねられるのだ。ここで考えるべきは、内定取り消し訴訟に法的に勝つことが本当の勝利かという事である。勝って入社しても女子アナという職種での活躍は出来ず、転職もままならない、という状況が発生する可能性は結構ある。そういった状況下で法的に勝てるから訴訟するというのは、果たして総合的に考えて合理的だったのだろうか。そこは弁護士の法的アドバイスの範疇を超えた、自分で得失を判断すべき世界だが、銀座のクラブに二度だけ連れてかれた事のあるオッサンから見ると、そちら当座の精神的納得感はあるけど、何らか和解金貰ったとしてもトータルの実利では茨の道やでと思う次第である。

あと、本件の余波として、今後キー局に限らず有名大企業が、採用の際に必ず「風適法第2条4項による接待飲食等営業(酒類を提供しつつ異性による接客サービスを提供する店)に該当する店で働いたことは一切ありません」みたいな一筆をあらかじめ取る方向に進化するかもしれない。その場合、銀座への美人女子大生の供給は一気に少なくなり、接待飲食等営業への従事者の平均年齢の劇的な上昇が観察されると共に、素人とプロの垣根が再び高くなる時代へのターニングポイントになるだろう。

2014-07-10

[]名将と個人技

サッカーW杯は、日本以外であれば大体オランダとアルゼンチンを応援してきた。前回あれは1998年のフランスだったか、この組み合わせが実現し、荒れた試合でオルテガが退場の挙げ句に、最後ベルカンプの凄い一発が決まってオランダが勝ったのをよく覚えている。

川島→川口

今回準決勝がその組み合わせとなり、過去2エントリで触れてきた、現代屈指の名将であるファン・ハール監督が、強敵アルゼンチン相手にどう戦うのか、ずっとワクワクしていた。この大会でのファン・ハールの采配は冴えている。メキシコ戦での、リードされてからの5-3-2から攻撃的な4-2-4への変化は、変な比喩になるが居飛車穴熊からの右銀急戦への変化の様な、鮮やかさがあった。コスタリカ戦でのキーパー交代には、地力に劣るコスタリカが、PK戦持ち込みを狙って準備してくることの裏を、見事にかいた知性と胆力を感じた。あの時、延長に入ってもオランダが交代枠を残していることについて、解説の岡ちゃんは、いぶかしげに「形を崩したく無いんですかね」と、やや批判的なトーンでコメントしていた。そして、オランダベンチにキーパーを代えそうな動きが出たら、岡ちゃんは息を飲み、その後苦笑いしていた様だった。監督を長く務めた自らの想像を遙かに超えた交代策だったんだと思う。その様子を液晶画面越しに感じながら、僕は、前回W杯の決勝トーナメントのパラグアイ戦を思い出していた。あの時岡ちゃんが、PK戦に入る所で川島から川口なんて交代をしていたら、実際どうなってただろうか。同じくPK戦になったアジア杯のオーストラリア戦で、最初の2本をあっさり止め、有利になったその後の3本はコースさえ当たらなかった、ここぞという所しか働かないベテランキーパーには、そんな想像をかきたてる存在感がある。

始まりはアルゼンチンペース

今回のオランダとアルゼンチンは結構似たチームである。

  • 世界屈指のウィング
  • 世界有数の1トップ
  • いつもの代表と比べると華麗さに欠ける中盤に小粒な最終ライン。それが故のリアクション気味のサッカー
  • 守備はほんとに堅い

違う所は、オランダはいつも通りに死の組に入り、アルゼンチンは珍しく楽な組だったこと位だろうか。

さて、開始からオランダが交代カードを切るまでは全般にアルゼンチンペースだった。アルゼンチンの最終ラインはイタリアの様に深く、ロッベンが最終ラインを抜け出して長い距離を走ることは殆どなかった。オランダは5バックなので、中盤が薄く、かつ華麗なテクニックを持った選手がいない為、アルゼンチンはコレクティブにならなくても、チェックして潰せていた。ファン・ペルシーやロッベンを目がけたパスは、いつもより最終ラインが深いために、いつもより長い距離を蹴ることになり、それは精度を欠いたり、最終ラインの裏の追いつくスペースが無い為にタッチラインを簡単に割ったりして、全般に通じていなかった。この様にアルゼンチンは、オランダのカウンター狙いの5バックに釣られない様に、深いラインでカウンターをまず潰していた。それでも4バックゆえに、FWとMFがオランダよりも1名多く、そしてオランダがいつもよりはコレクティブでなかった為、中盤は五分以上の出来だった。序盤は、こんなアルゼンチンの狙いが的中していた様に思う。

これでオランダの攻撃は殆ど封じ込まれてしまったが、アルゼンチン側もディマリアがいない影響が大きく、メッシがいつものウィングでなく、日本代表で言えば本田の位置でゲームメイクをしていた為、中盤は支配すれど、余り効果的な攻撃は出来ていなかった。アルゼンチンは、オランダの様な縦ポン一発を余り使わない。とりあえず中盤のメッシに預けるか、右サイドを抜けるラベッシに預けるかの二つ覚えである。低い位置でメッシがボールを預かっても、さすがにアルゼンチン人はみな5人抜きのゴールを決めれるという前提は乱暴過ぎた様で、メッシのドリブルは無力だった。もう一つの右サイドに預けた場合についても、この日はボランチの押し上げが殆どなく、これでは脅威には成り得なかった。サイドからのクロスはボールを失う可能性が高く、失ったら速攻を喰らう為に、ボランチは自重していたのだと思う。アルゼンチンは、相手の長所を潰して、守備は固めていたが、攻撃においてはオランダの様な速攻が殆どなく、遅攻で対応した為、人数の足らないポゼッションの様なチグハグな状況になっていた。スペインを粉砕したオランダの速攻を警戒する余り、攻撃は二の次で「戦術メッシ」になっていたたからだと思う。

交代と個人技

この状況を見て、オランダは適切な交代カードを切った。交代と共にフォーメーションを3-4-3に変えて、中盤の圧力を増したのだ。アルゼンチンは上述の通り遅攻なので、5バックは過剰と見たのだろう。カイトが左のウィングハーフに回って、右にマルティンス・インディに代わったヤンマートが入ったが、これであっさりオランダが中盤を支配できる様になった。この時間帯でゴールを奪えなかったのがオランダの敗因と言えるだろう。ゴールを奪えなかったのは運もあるが、最大の要因はアルゼンチンのボランチ、マスチェラーノがとにかく凄いパフォーマンスで、ボールをガツガツ奪いまくったからだ。守備は「戦術マスチェラーノ」である。ぜひ守備の文化が無いとフランス人監督に評された我が軍に欲しいものだ。近いプレイヤーは今なら細貝、昔で言えば戸田ってとこだが、ボランチの位置で攻撃を止められるか否かで、その後の速攻の機会も含めて大きく戦況は変わるのに、今ひとつ我が軍では報われない人種である。

延長に入った後、オランダの最後の交代カードは、またもやPK戦に備えてのキーパー交代かと思いきや、FWファン・ペルシーに変えてのフンテラールだった。背の高いフンテラールゆえに、戦術をパワープレイに変えて、メキシコ戦の2点目の様にフンテラールのポストプレイからの得点を狙うのかと思いきや、そこは変えずに支配する中盤からのパス供給を続けた。戦術を変えない以上、フンテラールの投入は、事後ファン・ハール監督が言っていた通り、疲れた選手の交代という意味合いしかないのだろう。という事は、シレッセンとクルルの差は、それ以下の意味合いしかないと捉えていたか、あるいは意味合いはあるが、再度の交代はシレッセンに屈辱的すぎ、かつ今回は任せることで奮起を促す温情措置だったか、その2つに1つである。だが、そこはいずれにせよ結果として誤りであった。シレッセンはプロになってからPKを止めたことが無いと報道されていて、そんな事あるまいと思っていたのだが、最後まで動かずにコースを読み、そのタイミングでも恵まれたリーチで止められるクルルと違って、シレッセンの動き出しは早すぎて、確かに余り上手く無さそうだった。特に勝負を決めた4本目は、W杯に出るレベルのキーパーなら止めて然るべきだっただろう。シレッセンは、PKじゃなくて、アグエロのチェイスをさらっとかわしたシーンが特長のキーパーなのである。

雑感

コスタリカ戦で敢えて奇策の交代に出た監督だから、今回交代しなかったのは意味合いの低さというより、温情措置だったのだろう。その方が話としても面白い。名将が最後の最後で情に流されたってことだ。競技は違うが、野球で落合が同じ局面に遭遇したら──、例えばまた日本シリーズで山井が完全試合寸前まで行ったら、どうするだろうか。まぁこちらは次もあっさり変える気がするけれど。