* 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー②
 番組に出てくるプロが判断する値段、果たして本当だろうか?  
当然、プロも見ているので、いい加減な値もつけられないが・・ 500万、800万を何の基準で
判断するのだろう? 一般の買値と売値には大きな開きがある。 出演している鑑定士?の立場上、実売価格
より高めに言っておけば、無難。逆に骨董店主からすれば、高値で売ったものを、安く根付け去れれば、
詐欺呼ばわりされてしまう。贋物と知らないまま、死んでしまえば、それこそ「知らぬが仏」である。
 武士の家系から出てくる刀や槍・茶道具に、けっこう贋物が多い。金が無い殿様が、時には贋物専門の
刀鍛冶や陶芸工場を持っていて、名刀とか名品として勿体をつけて家臣に与えていたケースが見られる。
拝領する家来にとって、半ば勲章。 真偽は二の次だから、問題はない。地域内では地域貨幣のようなもの。
 鑑定士も、その辺はわきまえて、「たいへん素晴らしい品です。値段は、そこそこですが、良いものです。
大事なお宝として保存して置いて下さい。」と言葉を濁すのが常のようだ。絶対に、本当のことは言っては
ならないのが、骨董の世界の掟。 子供の頃、何度か骨董仲間のセリの現場に父に連れられいかれたことがある。
 大きな座敷で20人位が円座を組んで。その中央にセリの骨董品が出される。仕切人が、提出された骨董の
提出者の提示の最低値をいう。そこから、今でいうオークションが始まり、最高値で次々と競り落されていく。
 これを仲間取引といい、それだけを商って全国を渡り歩く人がいる。 これも、目利でないと、即座の
判断を要するので、深く広い経験と知識が必要になる。「なんでも鑑定団」は、あくまでバラエティショー。
しかし、これを真剣に見続ければ、かなりの知識を得ることが出来る。しかし、素人は、他山の石として、
ゆめゆめ手を出すべきでない世界である。 それにしても、一流の茶器は、見ているだけで癒される!
・・・・・・
4579, 2050年の世界 ー9
2013年09月29日(日)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 情報機器とインターネットの進歩が、情報公開を促し、科学を飛躍的に発展させることになる。
そのキーワードは、生物学とナノ科学、情報科学天文学。それらが互いに結びついていき、
水平思考的な科学が出てくることになる。
   ー第十六章 次なる科学ー のまとめ
・次なる科学のフロンティアは、化学でも物理学でもなく生物学にある。
・生物学とナノ科学、情報科学天文学などが結びつき、さまざまな発見と人類にとっての進歩をもたらす。
・2030年ごろまでには、わたしたちの知る生物のほとんどが遺伝子のサンプル化を終え、またサンプリング
 過程そのものが、多くの未知の生物の存在を明らかにする。その過程で、最近、生物の原初形態として、
 古細菌真正細菌、真核生物以外に四つめのドメインがあるらしいことがわかったように、生命の 
 歴史の未知の部分が解明されていく。
・宇宙も、制覇の対象というよりも探索の対象、特に生命の起源を知る意味でさまざまな研究や発見が
 なされるだろう。太陽系以外の恒星の惑星の研究などが進み、生命が地球に特異の現象なのか否か
 ということも解明されていくだろう。
・生命誕生の仕組みの解明は、われわれの細胞を研究していくことで開けていく道もある。
・物理学は、未知の物質の探索の時代に終わりを告げ、現在あるものへの分析に向かうだろう。
 なかでもその最大のターゲットは宇宙を覆う暗黒物質の正体だ。
・経済成長により東アジアの国々は、科学分野でもさまざまに進出しているが、真に独創的な研究は
 権威を根こそぎひっくり返す革新性を必要とする。その意味で、東アジアの儒教的な上下関係、
 あるいは中国の専制的な政治体制はマイナスに働く。
・非西洋では随一の技術大国である日本でさえ、本格的な基礎科学の研究は立ち後れている。
 日本人研究者で科学部門のノーベル賞を受賞したのはわずか十五人。それは例えばオーストリア
 受賞者数よりひとり多いだけーオーストリアの人口は日本の人口の七パーセント以下で、その理由の
 一つとして、日本の若手科学者が先達の理論に迎合しがちなことが挙げられる。これに対して
 欧米では、旧来の理論を否定することでキャリアが築かれる。
・その意味で、政治体制が専制的な中国よりも、民主的なインドにおいて科学は発展するだろう
▼ 情報の共有化が進み、それが想像を絶するほどの科学は進化するはず。その一つが暗黒物質の研究。
 そして生物学。一年一年単位で静かに科学の進化は進むので、その先の予測は不可能に近い。
 また、それがもたらす社会的変化も大きくなる。そうこう考えると、やはり少しでも長生きをして
 時代の先を見ていたい欲が出てくる。いや、未来でなくても、現在の世界で知らないことだらけ!
 それを自覚するだけで、見えてない世界が見えるはず。全く、この厚いバイアスには!
・・・・・・
4204, 閑話小題 ー阿部が次期首相というが
2012年09月29日(土)
   * 阿部が次期首相とは驚き!
 自民党の総裁選挙、リアルタイムのTV放送だったため、ドラマ的で非常に面白い内容。
選挙の数日前から、安倍有利の予測があったようだが、安倍自身も周囲も勝てるとは思ってなかっただろう。
中国との尖閣列島紛争が追い風になったことになる。維新の会の橋下に党首を依頼され断った際に、
衆院選挙後の自民との連合の可能性を話をしていたようだ。 政権をとった際には、維新の会のメンバーを
行革と自治大臣に置けば、この時期に丁度良い超強権内閣になる。 石破が勝利し党首になっても、安倍が
副総理になっただろうから似たような。これで次の体制が見えてきた。とはいえ5年前に病気としても、
総理大臣を投げ出した人。一部の疑念が残るが、この緊急事態の中、もう一度、やらせのも良いかも。
対中国政策は強行姿勢になる可能性が高く、厳しい局面が出てくるが、この位の人が丁度良いとみるべき。
基本的に私の考えも安倍に近いが、国家の均衡縮小の方針は無いのが気がかり。(有っても言えないか?) 
前の谷垣と石原幹事長は野党の立場もあり「座りの悪いコンビ」だった。それに比べて数段良くなった。 
これで復古でなく新しい日本をつくり変えて欲しいが、これで年内解散の可能性が高まった。 
   * つれづれに ーリタイア生活について
 リタイアの生活に入って一年半になる。単調な平々凡々とした日々だが、これがこれで私に合っている。
事業生活を40年近く続けてきて、それまでと違った隠遁生活の平坦さに飽き飽きすると思いきや、それは
全くない。何だろう、これは?と、自身で驚いている。時代が激動になってしまった実感があるからだ。 
この随想日記を一日一文書き上げ、毎日三時間の早朝のサイクリング、午後のスポーツジム通いが、一日の
リズムになるからである。それと、40年近くの事業生活は両肩に大きく覆いかぶさっていた。それからの
解放感が、気持ちを自由にしてくれる。前倒しの思い切った決断が、銀行担当者も慌てるほど事業物件の
売却を早くしたこともある。何か、何時も同じことを繰り返しているが、実際に、そうだからである。
主婦も亭主さえ、コントロールが出来ていれば、これほど楽で面白いものはない。
ヒモに徹すればよいだけ。男も仕事が順調なら、それで良いが。
 ・・・・・・・
3839, iPadと、アプリ、あれこれ ー1
2011年09月29日(木)
 iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、驚きの毎日を過ごしている。
* その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色の
 チョークと、黒板消しが、下の溝に置いてあり、それを取り出しメモを書きこめる。凄いのは、それから。
 上段にあるカメラのアイコンを押すと撮影され、iPadの写真ロールに自動的に記憶される。 
 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出してくれる 機能の応用である。
 これは非常に便利。 黒板はチョークで書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。
 要は手書きのメモを、写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 
* メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、そこに添付することも出来る。 
 またマイクのアイコンを押すと、録音も添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だが・・ 
 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。カラーペンが豊富に用意されていてスケッチ用になっている。 
 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。
* 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くのコンビニや、
 飲食店を表示してくれるものがある。
* Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、
 この上なく便利である。
*「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つかを現在、毎日のように立ち読み
 をしている。前書きとか、目次、そして、冒頭の内容を載せていて「興味ある人は購入してください」
 と、誘うもの。 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が見ることができる。
  初めてiPadからネットで買ったのが、「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たな
 アプリ探しをしている。この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすいことが確信できた。 
 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。
 アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが店頭書店の売り上げをこえた。
 これは、あくまで販売経路の売り上げだが。 本といえば・・・・ それは次回。書店まで行って買う
手間や、本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で省ける便利さは何よりである。 
・・・・・・・
3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1
2010年09月29日(水)
 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、
  ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・
 * 日本とギリシャは、どっちが健全か?
債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国が
保有している。したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債
95パーセントを保有するのは日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と
認識しておかなければ。」
△ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、
 日本の資産を確保するはず。
 * 日本の財政再建は時すでに遅し
「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、
毎年10兆円ずつ返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円に
しても捻出は難しい状況です」
  △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! 
 * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。
「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。
 (字数制限のためカット2012年9月29日)
 ・・・・・・・
3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2
2009年09月29日(火)
  =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から
・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。
 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。
 しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。
・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。
 この結果、この家族は純資産が243兆円もあり、世界最大の金持ちである。
・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので
法人税が減少)仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。
 旦那から貰った金を預金をしたり、国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。
 要は家の中でキャッチボールをしているだけ。
・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か?「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」
 というが、家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。
  〜以上だが、
「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった
 時に破綻する」 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、
 現金化可能な資産を全て売り払い、金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、
 ついに、債務不履行、破綻する。 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。
 しかし、国家の場合は、世界の国が財政が破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、
 財務キャッシュフローで補充しているからである。日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。
 その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。世界は、大不況のため、日本の金融機関が
 溢れかえっている。その国債中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、痛くもかゆくも無い。
 増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、すなわち
 継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるから。その点、自国政府の国債残高を
 槍玉に上げる日本のマスコミは本当に稀有な存在である。なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは?
 オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられ
 なくなったため。
  *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない
  *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
  *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
  * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち
  *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。
  *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない
  *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が
   債務不履行になることなど、ありえない。
 何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。
 しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」 ーつづく
 ・・・・・・・・・
2734, 米国金融恐慌の深層 −2
2008年09月29日(月)
前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。
  ー まずは、続き の部分から ー
【 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと
 喝破したのは吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破した
 というわけだ。円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、
 どう理解すべきか。それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。
 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。またサププライム
 ローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。
 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する
 信認の低下に及んだのが、今回の危機である。問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの
 確固とした根拠にもとづくものではない点だ。バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、
 不況は不安に起因する。どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
  * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の
 必要を挙げている。金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討を提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。
 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。
 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」
 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。】
 ▼ 評)以上だが、ドルの国際通貨は流動性に対する信頼の上に成り立っているシステムを
 米国自らが壊してしまった。    (字数制限のためカット2010年9月29日)
 ・・・・・・・・
2007年09月29日(土)
2370, 喫茶店の話
先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では
茶店という業種そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。
   (字数制限のためカット2010年9月29日)
・・・・・・・・
2006年09月29日(金)
2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i
筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」。
 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイ差別用語なら「既知外」といえばよい。
 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。
 一番さわりの部分を抜粋してみるー
(字数の関係でカット09年09月29日)
・・・・・・・  
2005年09月29日(木)
1640, 個性について
 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?
ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、
 あるいはそれと通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで
 意識化して、現実化しているかによって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。
 より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深いところから汲み上げている個性は強い個性、
 豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。
ー今西 個性が浅いということですね。
ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の
 「自己」をより広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、
 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、
 そういう意味だと思います。   (字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・
2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー
ハワイが意外とよい。何が今さらという感があるが。
あまりにもハワイ・ハワイというので、その良さをあまり誰も言わない。
・・・・・・・
2003年09月29日(月)
908, 医師?それとも技師?
 お医者様の話をしてみよう。
そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態
そのものとして捉えてもよい。  (字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・・・
534,「少し早めな遺言」
2002年09月29日(日)
50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。
(字数の関係でカット011年09月29日)
・・・・・・・・・・・
[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29
 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、
現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。  ( 字数の関係でカット011年09月29日)

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 今日のYoutube

 昨夜のNHKスペシャルの『老後破綻』の録画を今朝、見た。
以前も似たような番組をみたが、この問題も、老後の「生老病死」の問題である。
核家族化が進んできた中、その対策に政治がついていけない問題である。
 まだ日本は、これでも良いのだろう。後進国の貧困問題、老人問題は
目も当てられないのだろう。 
   http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0928/
 ところで、刑務所が、犯罪者の行き場のない老人のセキュリティ・ネットになっているという。
住居と、三食と、規律正しい生活と、面白い仲間がいるから、娑婆の独居老人より、
遥かに待遇が良いとか。 このドキュメントを見ていると、笑い話ではない。



・・・・・・
2370, 喫茶店の話
2007年09月29日(土)

先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。
もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種そのものが
成りゆかなくなってきているとも書いた。
あったとしても、実体は定食屋だったり、年中休みなしで働くか、趣味として
採算度外視と割り切ったものだったりするのが実情である。
チェーン店のそれは、中食ージャンクション食として、コーヒーにスナックを軽く
食べるのを目的としたものである。
値段の高い、家では飲むことの出来ないコーヒーを飲ませる外資系のチェーン店もある。
ただし、個人店としては成り立ちにくく、年々店は減っている状態である。

古町のスナックのチー・ママを長年した後に、喫茶店をしていると聞き、
今は東京に帰った友人が新潟に来たおりに一緒に店に行ったことがある。
しかし、その苛酷さに全エネルギーをとられ、ダウン寸前であった。
とにかく運営していく難しさは思いの他だという。(その後は、どうなったかは不明だが)

また、二十年来の取引先の営業の担当が55歳を機にコーヒー専門店を開いたと聞いて、
新潟市の郊外の店に何度か訪ねて行ったが、やはり苦戦をしていた。
副支配人が飲食業の出身で、カフェレストランに何年か務めていたこともあり、
コーヒーには厳しい目を持っているが、
「所詮は素人の域からは出てない!」との厳しい評価。
(当社もホテルの開業から十数年間、喫茶・レストラン店を開いていたが、
もちろん赤字であり、体裁で開いていたのが実情である)

「素人が表面的に喫茶店でもと開店して、順調にいくのは奇跡に近い」というのが、
商売の未経験者には理解できないのである。
事業の立ち上げと、その軌道に乗せるのに大小は関係ない。
「血の小便」とは良くいったもので、そのプロセスで死ぬ思いをする。
その経験をしたところで、上手くいくのは奇跡に近いのが実情である。

新潟駅前で何店か気に入った店を通ったが、何年か上手くいくと舞い上がり、
阿波踊りを始めるか、天狗になって手がつけられない状態になり、
お客にソッポを向かれてしまうのが殆どの結末。至近の店などで、
そういう多くの事例を見てきた。 喫茶店は、水商売の原型である。

・・・・・・・・
2006年09月29日(金)
2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
            おはよ~!(*^ワ^*)i

    「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが
    「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。
     考えてみれば、人間みなキチガイである。
     キチガイ差別用語なら「既知外」といえばよい。
     既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。

 一番さわりの部分を抜粋してみるー
・・ただ僕の場合、すべての人がちょっとおかしい、そしておかしいところが
その人の個性と見ていますから。どんな人だって、たとえば、いい仕事をしているが、
夜になると酒を飲んで暴れる。アル中になって、だけど昼は良い仕事をしている。
これ、アル中であることが、その人の個性になっている。
その人のちょっと変わったところを見ていると、その人がどういう人かわかるし、
それを含めてその人の個性ということになる。人間は、みな「病気」なんですから、
文明だって、これすべて異常心理の産物。面白い既知外に出会おうとしたら、
誰でもいいから人をつかまえて、そいつを追い込めばよいだけ。

    ・・『乱調人間大研究』(筒井康尚)にも書きましたが、
    既知外の行為で回転している電気ノコギリに身を投げる奴。
    真っ赤に焼けた鉄棒を喉に差し込む奴。
    燃えているストーブに抱きつく奴。
    これはエロテックなんだけど、自分の髪の毛で首をつる奴。
    自分の両手両足を数等の馬に結びつけて引きさこうとする奴。
    自分を磔にするもの。苦労してギロチンをつくって、自分の首をはねる者。
    など色いろな奴がいる。
    ーーー

まあ、この節はいやに同調する。
人間みな既知外と思って見れば、これほど世の中を理解しやすいものはない。
「世の中みな素晴らしい人ばかりで、それに比べ自分は!」
というのは躁鬱の欝の最たる状態で、一種の既知外一歩手前。
私など飲み屋を2~3軒飲んで回れば立派な既知外である。
一番性質の悪い奴は、自分が一番まともな人間と信じている人。
そう信じているから、既知外の異常性が見えるのだろう。
それでいて、それがゆえに一番の既知外になり下がっている奴。
  地方名士と議員先生に多いときているから始末が悪い・・・・

 皆が 基地(機知・既知 吉)外と視点でみると、これほど面白い人間研究はない!
特に多いのが、色キチガイ! それと酒乱か・・・
                          (*^▽^)/ ホンジャ!
                           
・・・・・・・  
2005年09月29日(木)
1640, 個性について

 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
 ---
ー今西
個性というのはどこにあります?
「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?

ー日野
「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、
それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと通じないようにしている。
一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、
現実化しているかによって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。
より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深いところから
汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。
貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。

ー今西
個性が浅いということですね。

ー日野
そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。
「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」をより広く深く生かしている個性と、
浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで
達するかというとことで、先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが
私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
別社会が何も外にある別社会だけじゃないですね。
自分の中にある別社会でもある。それは山に行くことで、日常から離れられて、
非日常の次元で直感がさえる、はたらくということでしょう。

ーーー
20年前に、中曽根内閣が臨時教育審議会で、従来の「自由化」に代わり、「個性化」
を打ち出した。それまでの画一的な詰め込み教育・偏差教育からのゆり戻しであった。
個性を育てれば、受験勉強一辺倒の価値観が変わり、登校拒否や校内暴力がなくなり、
国際的にみても変形の日本人的な歪みがなくなるはずだった。
個性個性と言っているうちに、この教育により基本的な秩序さえも無くしてしまった。
中高生の援助交際を初めとして、フリーターの蔓延など程度の劣化が表面してきた。

「自己」の中の潜在している能力の、ある部分を、意識化し、現実化することによって、
それぞれの個性が出てくるもの。
より深く「自己」を生かして、自分の井戸の深いところから汲み上げたのが個性である。
個性とは、まず教養や常識を備えるプロセスで、自分の中の特性を見出すものであり、
それ以前の子供から個性を出せるようにというのは本末転倒である。
没個性の中の少し変わった違いを「個性」と思い込んでいる駅などの屯している
芋姉ちゃんのレベルのことでしかない。

昨夜、TVで教育現場の興廃の実態を先生の立場でレポートしていた。
あの現場の惨状は、ゆとり教育ー個性化教育の失敗の現象でしかない。
数年前から、あの失敗例としての年代が社会に出はじめているが、一部を除けば酷い。

これから20年近くにわたって、その教育の結果育った若者達が社会に出てくる。
日本の将来は、やはり悲観的に見るしかない。
家庭も、学校も基礎知識を教えられないのだから。
性教育が、肥大化した自我育成になり、自分の中の可能性に対して
全く知らないで青春期を通り過ごしてしまう。個性など、そう簡単につくれるものではない。
一生かけて、数代かけた血筋から生まれてくるものだ。

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2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー

ハワイが意外とよいのだ。何が今さらという感があるが。
あまりにもハワイ・ハワイといっているので、そこの良さをあまり誰も言わない。
オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。
観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。
行くまでは、私もそう思っていた。

しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけでも
思わない自然の宝庫が多くある。ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。
火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。
波が荒く、サーファーが波乗りをしているのがロケーションにピッタシなのだ。
ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。
高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が安いのは皮肉といえば皮肉である。
日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。

今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。
実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、
社員の半分近くの総員27名で行くことになった。

これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。
どこに行ってもバス一台貸切である。その時の添乗員が、後の三条、
燕の両方の支店長になった轡田さんであった。彼とは今でも付き合いがある。
これで面白くないわけが無い、6日間の祭り騒ぎの旅行になった。
これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。

私も若かったし(当時32歳)、若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気が
また良かった。ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。
そこにいるだけで癒された。何処にいっても、お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。
今のラスベガスがそうだというが、全てがショーアップされていた。
世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。

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2003年09月29日(月)
908, 医師?それとも技師?

 お医者様の話をしてみよう。
そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、
今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。
少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のように
モルモットにされて殺されてしまう。
こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解
できない。あのエイズ血友病の放置と根は同じだ。
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・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。
これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。
一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、
過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。
こういうのが医師としてまかり通っている。

・倫理のレール上で患者をみるのが医師だろうが。
考えてみれば解ることだが、そんな倫理を学ぶ前に技師としてのノウハウ
が求められるのだ。
従って本来の医者ではなく、未熟な技術者が宗教の教祖顔をして悪行をする
のも納得がいく。
こんなのが医師という名で、「また殺したの?」と仲間同士の会話をして、
日常手術をおこなっているということは知っていた。
 
 ほんの数年前まで2時間以上待たして、数分の治療をして数千・数万の
治療費を国家と患者に請求していた世界だ。ーいや今も大都会では変わってない。
その一端が今回表面化しただけだ。

 その呆れた現象を何回見たことか!国が滅ぶ時はこんなものだ。
あの慈恵医大のようなケースは誰も知っていて、今まで見てみなかったふりを
していただけだ。
決してオバーな表現でない事は、医者が一番よく知っている!
良心的医師こそ、その事実をよく知っているのだ。
良心的倫理観のない医師は、本人自身その異常性に気がつかない。
まだ一部の医者の真っ当なのがいるだけ、批判を書いているのだ!!
 
 彼等にとって、患者はモルモット以下の存在だ。
「それが何だ?!」という声が聞こえてくる。医師は本来、人間の命を救う職業だろうが。
技師以下の連中に占められているお医者様業界の実態を、今回の事件が暴露した。
医師も普通の人間だということを逆に、理解してやらないと駄目か?
自分の身は自分で守らなくてはならない!本当。

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534,「少し早めな遺言」
2002年09月29日(日)

50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。
数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。
殆んどというと、少しは書いていたのかというと、
会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、
5年前に数行書き始めてそのままのものがある。

照れくさくって書けないのが実情である。
図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。
作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。
実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、
ある程度フザケテしか書けないだろうが。
でも半数はけっこう真剣に書いている。

ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!!
実感で書いてみる。
・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。
 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。
 まあ大した事はないから、その点は気にしないでいてよい。
 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。

・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」
    「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」
  ーこれ今即興で・・・
・今度生まれてきたら、また同じ両親の元に生まれ、同じ家内?と一緒に
 なりたい ー同じ条件で生まれる事はないから大丈夫だが!
 ー参考のために、家内は嫌だと20年前に宣言された!
・子供たちには怖い父親であったが、あなた方も優しい父親でなく
 怖い父親になってください。ただ困っていたら、その時出来る範囲で
 優しく助けてやってください。
・ー子供たちにー父親訓として
 真面目な路線の上を、面白おかしく生きてください。
 性悪説の路線の上を、性善説で生きてください。
 人生二度なし、燃焼した人生を送るように。
 クールヘッド、ウオームハートで。
 人と違う人生をプラスに前向きに生きること。
・ー家内にはー
 死ぬときは必ず傍にいるから安心していてください。
 お蔭様で明るく楽しい人生でした。
 -何事も深刻にならず、鳥の羽毛のように軽く生きる事ができました。
・ー家訓として残しておく言葉はー
 他人との金銭の貸し借りはしない事
 請け判ー特に保証人には絶対にならない事
 小銭を大事にする事ーそうしないと大金が使えない。
 生き金は使え、死に金は使わない
 贅沢は敵、質素に、簡素に生きる
 法事や墓参りは必ずする事ー坊主の布施は最小にーこれは私の意見
 近所の人とは親しくしない事ー但し挨拶だけはしっかりと
 商工会議所や町内会や青年会議所には要注意???!!!
   -業種によるが、同種の情報媒体は避ける事!
 -下記の参加は避ける事ー
 ロータークラブ、ライオンズ、商工会議所ー青年部とかの???
 読書などの教養だけは身につける事

書いていて面白くなってきた。
この随想日記そのものが遺言そのものだ!
更にー
・姉兄には
 お世話になりました。
 皆様の分まで生きたようにも思います。
何か真剣に書いてしまった。

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[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29

 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。
現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、
w・Hの息子だそうだ。ーどうであれ社長は社長だー名前は!-私もか。
あいた口が閉じなかった。何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。
これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。

 曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、
値段を表示するのは可笑しい」
私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを
聞きましょう。その皆さんがこうして団体で来るのはどいう訳ですか」

 自分たちは疾しい事をしている負い目が、彼らにあった。
おどおどしていた。そこだけはしっかり見ていた。
次の日に垂れ幕を下ろした、そんなことどうでもよかった。

 一人の強さとはこういうものか、反面闘いのない世界とはこういうものかと。
こんな程度か!地方は面白い!小手先の世界だと。
馬鹿にされたのも、気きずいて?なかったみたいだ。

この連中のビジネスホテル協会とか。価格協定談合組合ということらしい。
いまでも残骸として残っているという。長野はその5年後実質解散したという。

5歳の頃、両親から全く同じ話を聞いていた。あの連中のあの感覚を!
20年前のその時期に、新?ビル管理?の馬鹿専務が、気の遠くなるような
漫談を言っていた。内容は可哀想で言えない。それぞれの視点がある。
とりあえず楽だった。繊維の世界との差がありすぎた。