ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

敗戦国民として

最近の朝日新聞を斜めから読むと、実におもしろく、家庭内で論評しながら楽しんでいる。
例えば「いつか来た道」などと紋切り型で繰り返している。特定秘密保護法案だって、「国民の知る権利」「権力の監視」「自由な言論」という立派なお題目にずらして批判しているが、何のことはない、若槻礼次郎の時代にも、「私有財産の所有禁止」を唱道する「共産主義」を取り締まるのが大目的だったのだ。だから、もし現在のテロ取り締まり上の機密情報に関する「秘密保護法案」に「出席して反対」「棄権して反対」するというのならば、自分自身が全体主義体制の共産主義路線にあることをみすみす表明しているということだ。
「民意に反する」などとも大風呂敷を広げているが、「民意」にも多様性があるのに、なぜ勝手に「国民は怒っている」「民意が反映されていない」として、民とは常に政権に反対派であるかのように一絡げにするのだろうか。よく考えた上で賛意を有する民は「民意」に属さないのだろうか。怒っていない国民は非国民なのか。そこが全体主義志向だと言いたい。
「丁寧な論議を」とまで書いてあるのにはぐったり。そんなことをしていたら、キリがない。民主主義とは、少数派の意見の中に真実が含まれているかもしれないという余地を謙虚に認める制度だと昔習ったが、それに従うならば、本筋から離れた意見を出し続けて他人の、いや、国の時間やエネルギーを浪費する態度こそが、まずは謙虚さから外れていると認めるべきだ。
私の父方母方の家系は何とか無事くぐり抜けたようだが、第一、主人の母方の家系など、土地所有者で戦前の学校長だったので共産主義なんてまるで割に合わない。戦後の農地改革では一文無しにされて、非常に迷惑したのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070816)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120408)。
そして出ました!「造反」なる語の複数登場。『毛沢東語録』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130319)の「造反有理」を思い出す。
もう一つ気に入らないのが、例えば「英語ってなんて難しい外国語なんだろう」などという最近の夕刊コラムに、いつの間にか購読者の私まで「我々」と仲間扱いされていたこと。ツィッター転載を繰り返しているように、いわゆる「原書」は辞書なしでも次々と読破している。内容にさえ興味があれば、何ら問題はない。学部が国文卒であっても、地方大学の出身者であっても、しがない主婦であったとしても、それぐらいはできる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131126)。英語で論文を書き、海外の英語新聞に何度か投稿して掲載された。毎日のように英語は使わざるを得ない生活。できるからではなく、仕方がないからなのだ。難しいのは、何も英語ばかりとは限らず、自言語も、本当に極めようと思えば難しいはずだ。漢字だって全部が読み書きできるわけでもないが、普段は気づかずに何となく暮らしに困らない、という程度なのだ。だから、英語を筆頭に、どの外国語だって相応に難しいのは当たり前。しかし、コミュニケーションに必要とあれば、一生懸命に学んで何とか操って仕事をしたり人間関係を築いたりしている。何を今更「我々」扱いされる必要があろうか。
しかも、そのコラムのレベルたるや、それこそ私が子どもの頃に購読していた小学生新聞程度だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)。寿命が長くなっても無駄な人生を強いられているのではないだろうか?
その意味では、昨年春からの突然の「マーク」氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131126)との出会いは、従来からの無意識的な感覚を英文という外国語によって意識化し客観視したのみならず、それを自言語に訳す作業によって、問題意識の明確化にも貢献したという意味で、非常に意義深かったと思う。「マーク」氏も「私の人生に入ってきてくれて素晴らしかった」と述べている。
唯一の問題点は、歴史家を名乗る「マーク」氏の日本史認識に混乱と矛盾があること。まるで相手を知らない片思い、というよりも、ご都合主義的な一方的な思い込みだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120401)。
明治期の近代化成功と戦後のめざましい経済復興には素直に感心して興味を持ち、肯定的に評価している。特に父祖の出身地である東欧でも移住先の米国でも少数派のユダヤ系だから、なおさら非西洋世界で小さな国なのに頑張っている日本に目が留まるのかもしれない。ところが、「第二次世界大戦前には日本に民主主義がなかったが、ファシスト軍国主義によって真珠湾攻撃した報復として原爆を落とされたために、(ムスリム中東人とは異なり)悔い改めて米国が教えた民主主義を受容して、(ドイツと並び)成功した。だからアメリカは間違っていない。中東にも同じ方針でいくのだ」などと公に強気で繰り返すものだから、米国内部でも、最初はともかくとしても、現状の混沌とした不具合から徐々に当惑が広がる。
(1)「第二次世界大戦前には日本に民主主義がなかった」と考えるならば、「明治維新」の内実が全く理解できていないということだ。それにも関わらず、「日本文化を称賛している」と繰り返せば繰り返すほど、日本側からは(一体本意はどこに?)と不審がられるのももっともだ。
(2)明治期の近代化に際して、あるいは敗戦後の復興に関して、日本人の変容ぶりが見事に早いように外部からは見えるかもしれないが、その割には日本列島が古代から独自の文明を保っていたことの説明がつかない。ころころ変わり身の早い民族に、安定した文化も社会も築けるはずがないのだ。
(3)「米国が教えた民主主義」そのものが、いわゆる「マッカーサー憲法」と呼ばれる強制された米国製現行憲法だというのが、現在の第二次安倍内閣および日本の保守本流の考え方だ。ルーズベルト大統領も左派思想に影響を受けた民主党だったという。
(4)日本人が黙って敗戦を受容し、本来のエネルギーを経済活動に注いだために戦後は相当に繁栄したのだが、旧ソ連や中国や米国左派による左翼思想の長年の緩慢な注入により、社会が疲弊し、相当に国の根幹が崩れつつある。それを元に戻して誇りを持ち、元気を出そうとする動きが、今の日本の保守派の流れなのだ。
(5)同じ「保守思想」でも、日本の拠って立つ内実の認識に関して、かなりの誤解あるいは混乱がある。
(6)従って、日本側の問題というよりも、日本認識に相当の捻れがあるということだが、ご本人は気づいていないか、認めたがらない。ということは、第一次資料と実地調査に基づいて史実を検証し、分析して考察するというプロセスをまるで欠いたまま、「歴史家」を自称していることになる。しかも、戦略家として外交政策提言まで行っている。ここには相当のギャップと飛躍がないだろうか。

アメリカ内部には、当然のことながら共和党民主党およびインデペンデントという大まかに三つの政治的な流れがある。
① 共和党は戦前も戦後も一貫して、「アジアでは日本」を好意的に理解し、戦略的にも重要なパートナーとみなして、「強い日本」を応援する立場だという。何年間か「マーク」氏が所属していたフーバー研究所(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121101)の名を冠したフーバー大統領も、日米開戦反対論者だったと聞く。そして、お父様が冷戦期の対共産主義アドバイザーとして奉職した共和党レーガン大統領と自民党保守派の中曽根康弘首相の時代に来日して「リサーチ」をしたという。それならば、全くタイミング良く、非常に幸運な日本経験の経路を辿っているはずなのだが、どういうわけだか日本人から多くの「敵意」を感じたという。不可思議で理解しがたい。
② 民主党は、中国寄りで親ソ容共の立場だという。左派リベラルだ。従って、資本主義で自由社会の繁栄した日本の弱体化を狙う傾向にあるらしい。日本占領期のGHQには、マルクス主義に共鳴したスタッフがかなり紛れ込んでいたとも聞く。だからこそ、財閥解体、農地解放、共産党の容認へと向かったのだ。

ならば、個人レベルでは主人も私も、各自の所属する国内の位置づけとしては、社会階層的にも思想的にも「マーク」氏と大きくかけ離れているわけでもないのだ。しかも、主人は「マーク」氏の故郷であるボストンに留学し、母校で英語まで学んだ。私は「マーク」氏の専門とするイスラームに関して、主人と同時期にマレーシアでイスラーム文化に浸って政府系の仕事をしてきた。付帯する条件としては、相互に見事に合致する。しかも、主人も私もそれぞれの外地で「敵意」など感じることもなく、業務としては問題なくスムーズに行ってきた。恨み辛みもない。そこが「マーク」氏と根本的に異なる点ではある。

結局のところ、イスラエル擁護のために民主党から共和党に鞍替えしたことによって、日本認識にも捻れが生じているということなのだ。そこが、発言に矛盾を感じさせるところであり、本意がどこにあるか戸惑わされる点でもある。

「失礼ですが、ハーヴァードのご出身ですよね?歴史学で博士号とのことですが、日本史は学ばれたのですか?」という視聴者からの電話も9.11直後には確かにあった。問いの意図としては、(視聴者がムスリムであったとしても)恐らく「あなたの日本史観は間違っていますよ。それを中東と比較しないでください」という議論に持って行きたかったのだろうが、そこでディべートのテクニックを援用してしまい、「私はイスラーム史でハーヴァード大学から博士号を得ました。日本史は学んでいません」と切り返して終わっている。
普通ならば、(私ならば)そのように答えたとしても、日本史を知らない以上は日本について言及せずに済ませるだろう。ところが、なぜか愛国的アメリカ人二世を強調するためなのか、9.11同時多発テロを「第二のパール・ハーバー」だとするアメリカの公式(通俗的)見解に沿い、内部の研究進展を確認せずに外部のみ踏襲している。共和党ならば、真珠湾攻撃を回避できた可能性を踏まえた発言をすべきだったのだ。しかしながら、もし新たな資料発掘により、新たな日本現代史解釈が出てきたとすれば、「それはアメリカの大学が過激な左派思想に毒されているからだ」となってしまう。あたかも、若い頃に学んだ歴史が固定化して唯一の正しいものだと言わんばかりだ。それならば、過激なのはどちらか、ということにもなる。なぜ、生き続けて調査を繰り返して考察を新たに検証し続ける必要があるのか。
しかも、「近代化」について比較するために、ムスリム多数派国のトルコと、非イスラーム圏の日本で調査もしたと主張するならば、当然のことながら、日本の本流の物の考え方や思想を把握し、友人知人がいてリサーチを手伝ってくれなければおかしいではないか。だが、アシスタントどころか、民族ルーツや出身国を事由とする「敵意」を感じたという。奇妙なことに日本では、論説文は別として、著書に関して翻訳が出ていない。トルコ語訳ではイスラームについての著作が一冊あるが、テレビなどで揶揄はあれど、一体何をしていたのか、ということになる。さらに困ったことには、トルコは伝統的に親日国であるという。
仮に当時の切羽詰まった情勢からして、踏襲はやむを得ないとしても、それを中東に当てはめたのがそもそもの誤りだ。普通なら、ちょっと考えればわかるはず。ドイツも日本も、戦前に一定水準の文明や工業化や民主主義を達成していたのだ。ヒトラーを生み出したナチ・ドイツと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)、軍部の暴走(?)を止められなかったとされる日本の軍国主義とは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120416)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130703)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130907)、左派であれ右派であれ、リベラル派であれ保守派であれ、ユダヤ系から見れば違いは明らかではないのか?中東アラブに対するナチ・ドイツの働きかけや日露戦争を思えば、簡単なことである。
しかもやっかいなことに、この元枢軸国同士は、文化がかなり異なるにも関わらず、各々米国と友好関係を結んでいる上、戦略的にも双方をかけがえのないパートナーだと見なしている。つまり、昔から知り合いだけれども、何かの間違いで大喧嘩して瀕死状態にまでなったところを助けてもらった機縁で仲が深まった、幼なじみ同士のお見合い結婚みたいな奇妙な組み合わせなのだ。
そして、現在の中東は混沌としたままだ。翻って、ドイツは頭を低くしたまま、様々な分野で非常に世界に貢献している。イデオロギー冷戦を経て、東西統一も達成した。朝鮮半島がまだ未達成である現状を思えば、素晴らしいことだ。ここに民族の活力がうかがえる。そして日本。戦後は数十年も平和を保ち、ドイツとは異なったやり方で、それなりに世界にも貢献してきた。経済復興によって、自国のみならず他の国々の人々の生活を楽にしたり潤したりもした面がある。文化貢献も少なくはない。しかし、そのルーツを辿れば、既に江戸文化のジャポニズムからも源流がうかがえるのだ。
このように、確かに相手(日本)に昔から興味があって自分なりの好意を示し、専門分野で相手の役に立ちたいとまで申し出ているのだが、その理解に齟齬や摩擦が読み取れるので相手(日本)は戸惑っている。誤解があるまま役に立ちたいという以上に、「敵意」を感じたはずの不愉快な相手(日本)の中に自分が存在し、関与したことを刻印したくて、その印としての言語形跡を残したいとまで望む。それを真っ直ぐに伝えられると、当然のことながら、相手(日本)側には「申し訳ないけれども需要がない」「こちらは何とか間に合っています」となる。すると、「こんなに好意を持っているのに、どうしてわからないのか」と、従来からの憤懣やるかたなさに憤激が加わり、自分でも気持ちを持て余しているようなのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)。だから、真のリベラリズムが失われた契機となったケネディ暗殺命日が巡って来ると、公共問題に献身するよう導かれた少年時代を思い、毎年、年甲斐もなく涙ぐんでしまい、それをわざわざ文章で公表している。
自分が属する(と自己認識している)西洋文化の優越性を唱道する反面、その西洋では反セム主義が宗教的にも民族的にも広まっていたこと、そのピーク時に欧州を逃れて米国に移住したという事実をどう捉えるか?自己由来の反セム主義がなかったとされる日本に好意的であるとしながらも、実際に短期間暮らしてみると己に対する「敵意」を感じたという実体験をどう解するか?ムスリム世界を長年の自分の専門としてきたのだが、西洋世界とは対立するものと見なして自己防衛を主張する路線で論戦し、西洋世界にムスリム要因が紛れ込むことを嫌悪する。しかし、逆に言えばそれは、西洋の伝統的な反セム主義の一部反映ないしは裏返しではないのか?父祖の土地に建国されたイスラエルを熱烈に支援し、強烈に働きかけてきたものの、当初予想したようには自他共に動いていないことを、どう考えるか?
所属はアメリカだ。しかし、その世界最強でトップに君臨しているはずのアメリカに、やや陰りが見えるとするならば、それを叩きのめして強さを取り戻したい。一方で、ドイツも日本も、かつての排斥者で敵だった現在の同盟国は、それ相応にアメリカ以上にうまく世界で受け入れられている節もある。「準西洋」扱いしたい日本も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130310)、アジア地域の一国なのか、アジアの盟主なのか、それともアジアとは別枠なのか、把握しがたい点が多々ある。
いずれにせよ、幾つかの帽子を文脈によって被り分け、それぞれにアピールするように演出しているというわけだ。しかし、文脈と文脈が交差し、時空によって対立したり両立したりすれば、自己アイデンティティがどこに存するのか、演じ手にもわからなくなってくるという状態だろう。それは陰謀論ではない。単純に、器用に動いているようで、実は綻びて糸が何本かほつれかけているのが他人によく見えるというだけだ。
ま、かいつまんで解説すればこういうこと。根は悪い人じゃないのだが、ちょっと頑固過ぎるというのか、視野の狭い自信過剰というのか、も少し周囲の意見を素直に柔軟に聞いたらどうですか、と思う。また、預言者ではないのだから、予測の当たり外れを自分で示すのではなく、オリジナルな原典資料を掘り起こすなり探し当てるなりして、歴史構築に貢献されては?一方的に敵討ちとして大学批判をするのではなく、大学でコツコツと学的努力を続けている良心的な学者を前面に紹介してみては?少なくとも我々日本側は、加害者であり被害者でもある敗戦国民なんです、お忘れなく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130820)。