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ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2012-02-04

対象に肉薄したい


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GXR, 35mm Nokton Classic F1.4, 気仙沼


行動を伴わないと何事もただしく理解できない。アタマはあくまで身体に付き添うもの、ということを最近しみじみ実感する。


脳と神経の側から見ると当たり前のことなんだけれど、身体と脳は全く切り離せない。このように世界を感じる自分の身体があって、このように考える自分の脳がいる。身体と脳は1セットだ。


例えば、色の三原色という言葉があるが、これは人間の色覚にとって三原色なんであって、鳥にとっては違う。あまり聞いたことがないかもしれないけれど、鳥には4つの異なる色覚があり(これをテトラクロマティックという)、ハトは恐らく五色、つまりペンタクロマティックだと推測されている。


彼らの感じる世界なんて僕らには理解できない。彼らの目を僕らの脳に直接つなげば何か分かるのかもしれないけれど、この実験をしようと思えば、脳の構造に影響を与える必要があるので(つまり四色なり五色を理解できる脳の側の構造にする必要がある)Critical periodとよばれる脳の対応力(可塑性という)が非常に高い時期*1につなぎ直してそのままにしておかないといけない。


けれど、色覚というのは、物理現象ではなくて、あくまで脳の中での合成物だから*2そのような異様な手術を受けた個体があったとして(別にヒトである必要はないです。笑)、その個体がどう感じるかなんて、理解はやっぱり全く出来ないということになる。


かなり極端に思われるかもしれないけれど、結局僕らはヒトに限らず、感じる内容から自分のやっていることを理解するということを繰り返しているので、直接的に感じることがないと、なにもちゃんと理解した気がしない。夢の中では脳が外からの刺激をほとんど遮断しているので、何かほんとにしているように感じるけれど、起きていて、歩くことを想像する、というのと、実際に歩いている、ということの違いは明確で、これは足や身体が受ける振動から感じることが僕らの実感そのものを作っていることを示している。


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これは毎日の日常で、同じような苦痛を感じたことがない人の話は理解できないとか、その仕事をしていない人にはその仕事をしている人の話はやっぱりいくら聞いても理解できない、というのと同じだ。失恋した人が、同じような大変な目にあった人によく相談する、というのがドラマでよく出てくるけれど、あれも同じだ。年末伺った気仙沼、陸前高田も全くその通りだった。


この意味において、「書を捨てよ、町へ出よう」と言った寺山修司に僕は心から賛同する。


また、これは、僕みたいな人間がしているような知的生産的な仕事においても全く同じで、実際に身体を動かして、その場の人と直接向かい合い、あるいは課題に向かい合い、直接イシューを拾い出し、直接、手を動かして、分析的なアプローチを設計する。それを更に直接、実行して、意味合いをひろい、それをベースに直接、自分でイシューにそった表現をする。そのようなことを実際に繰り返して体験しないと、何も理解なんて出来ない。*3


この間も、僕の近くで働く人たちを集めて、ちょっと分析だとか、イシュー出しをやってみる、あるいはチャートを書き直す、というセッションをやった。これまでさんざんレクチャーを色んなところでやって、座学がほとんど何も産み出さないことを実感しているので*4、実践を繰り返して、その場でぼこぼこにフィードバックするブートキャンプ方式(笑)でやってみた。


すると、みんな自分が驚くほどなにもできないこと、そして僕が話していることの殆どを理解できていなかったことを痛感し、なのに喜んで帰っていった。(人間って結局、マゾなのかも。笑)


僕が今やっている仕事もそうだ。仕事なんて毎回新しい問題に立ち向かうものなのだから、毎回フレッシュな自分がいる。そして、自分が何も分かっていなかったことを実感する。アタマって、何かを理解するにはあまり向いていない。ただ、理解した体験を積み重ねて、保存する、それが僕らのアタマとカラダなんだと思う。


なんてことを、土曜の朝の寝起きのアタマでふと思う。


よし、ということで、今日も対象に肉薄だ!


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*1:生まれてすぐから人間だったら5−6歳まで

*2:かなり納得感ないですが、受け入れるしかないかなと

*3:だから、本筋ではないですが、こういうテクニック本なんて一冊だけいいものを読めば十分なので、本当に理解し身につけたかったら、スポーツと同じように、あとは少しでも多く、実践し考えた方がいいです。

*4:どんなにそのトレーニングの評価が高くても、その人たちが僕のチームに来ると何も出来ないことが普通。苦笑

2012-01-05

ファイト新聞と箱根の記録

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GXR, 35/1.4 Nokton Classic, 気仙沼避難所生活を送る子供達の有志が自発的に作り、多くの人を励まし支えた、ファイト新聞編集部の看板 (歴史的遺産として保存が決定)


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昨日、一昨日と、箱根駅伝があった。ご覧になった方も多いのではないかと思う。


去年の柏原の走りがあまりにも鮮烈だったため、駅伝そのものにはさして造詣のない僕もご多分に漏れず見た。すると、最初の最初から東洋大が強い。あまりにも強い姿に圧倒されたまま、ゲームセット


東洋大の圧勝、見事というほかはない。データ放送のおかげで、過去と比べてもどれだけ異様なスピードで走っているかはリアルタイムでよく分かった。


今振り返って、記録を丁寧に見てみると、第一回の大正9年は15時間という悠長な時代。何しろ優勝校が東京高等師範学校(東京高師)だ。


8回目(昭和2年)までは14時間台の戦いが続き、それ以降は13時間台の競争。で、徐々に早くなるものの、私が生まれるまだ前の昭和35年(第36回)にようやく11時間台の戦いに突入。そこから40年以上に渡り、駅伝は11時間台、という時代が続く。


この11時間の壁をこれまで打ち破ったのは、わずかに二回。平成六年(70回)の山梨学院大10時間59分13秒と、昨年(87回)の早稲田10時間59分51秒だけだ。*1


それを大幅に上回った、今回の記録、目で見て実感してみようと思い、上のリンクのサイトからデータを頂き、プロットしてみた。


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(クリックすると拡大します)


これがなかなか面白い。


圧倒的な改善があったのは、昭和の初め。2時間近く詰まっている。ここで何があったのだろうか、と考えるのはなかなか面白い。モボ、モガの直後の時代、支那事変が昭和12年なので、この段階では日本はまだいい時代だったのだろう。そういえば、今の朝の連続テレビ小説カーネーションの舞台が平和だった初めの時代がこの頃だ。


明らかに悪化するのが、昭和18年から24年までの開催が何度も取りやめられている戦争末期*2、そして終戦直後の時代。どれだけ栄養状態が悪かったのかよく分かる。当時幼少期だった、自分の親の世代が、我々の世代より明らかに背が低いことからもわかっていたことだが、この数字を見てもしみじみと実感する。


戦前並みの12時間半に戻るのが、朝鮮戦争勃発の昭和25年(1950年、26回)。我が国の復興が、隣国の災難のタイミングでシンクロしていることが、こんな数字からも分かる。


その後、経済の発展、高度成長、結果としての栄養状態の改善を反映するかのごとく、継続的にタイムは改善。中でも二度の大きなタイムのレベルが変わったタイミングがあることに気付く。


昭和39-41年(40-42回)と、昭和58-59年(59-60回)だ。


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昭和39年と言っても多くの方は、ピンとこないかもしれない。これは1964年、東京オリンピックの年だ。先進国の仲間入りを果たすこの平和の式典に向け、数年前から、激しくスポーツの発揚、国内でのシューズやウェアなどの改善が大きく行われていたことは容易に想像がつく。年始に行われるこの駅伝がおそらくオリンピックの長距離やマラソンの選考会もかねていたのではないかと推測する。


昭和58-59年となると僕の中高時代であるが、ユーミンダンデライオン、達郎が高気圧ガールをうたっていたこの時代、スポーツで記憶にあるのは正直、1984年(昭和59年)のロス五輪ぐらいしかない。確かに楽しい時代の楽しい祭典だったが*3、ここで20分以上タイムが縮まったのはどうしてなのだろう?よく分からない。


このあたり、今回も箱根の解説をしていた瀬古さん*4や宗兄弟がマラソンで大活躍していたと記憶するが、駅伝でこれだけの改善があると言うのはちょっと??だ。だれか陸上に詳しい人、是非教えてほしいなー。と思ってもう一度詳細を見てみると、58年はあの谷口浩美日体大のエースとして出て区間新を出している!


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ただ、上のグラフで明らかな通り、これ以降は、日本人の栄養状態も、体型的にも改善が止まり、記録はほとんど横ばいに入る。そんな中で、たとえ昨年の21秒差の準優勝がどれだけ悔しかったとしても、8分15秒も記録を縮めた今回の東洋大チームは本当に称賛に値する。


中でも福島出身で「僕が苦しいのはたったの一時間ちょっと。福島の皆さんに比べれば、全然きつくはありません」と言い切った柏原竜二の言葉には、思わず涙した。選手達、一人一人におめでとうの言葉とともに、我々に力強い新年をくれてありがとうと、ウェブの隅っこから伝えたい。


なんとも日本的なスポーツであるが故に、大変な注目を集める駅伝。…今回は、リアルタイムで、色々なデータを見ることで、ちょっと新しい気づきを得、テレビもようやくデジタルなんだな、を実感。


冒頭のファイト新聞の子供達が、大きくなり、この駅伝の話を聞く時、何をどう思うだろう?


そんな彼らに少しでも、意味のある未来を残せたらと思う。


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*1:昨日のテレビ解説者によると新コースでは昨年の早稲田だけ

*2:S16,17,19-21は開催されていない

*3:とはいっても冷戦のためソ連や東側諸国がボイコットしたのは今も記憶に鮮やか

*4:「区間新記録間違いないです」などと相当前から発言しておきながら、フタを開けてみると、ギリギリ3秒上回るだけなど、ちょっと踏み込み、いい切りがすごくて面白かった。スターだから許される?笑。

2012-01-04

『立ち上がる』年に

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GXR with 35/1.4 Nokton Classic @気仙沼 (Dec 24, 2011)


みなさん、いかがお過ごしでしょうか?


個人的には、一年前はいきなり誤診のためにインフルエンザをこじらせ、頭痛、咳及び関節痛に苦しみつつ、肺炎の一歩手前まで行くと言う猛烈な年始だったのですが、今年は驚くほど平穏で、田舎で三泊し、昨夜帰ってきました。:)


社会的にも、個人的にも、現実味がないほど激しい2011年は終わったということで、それだけでもうれしい。今年は前向きに色々取り組んで行きたいと思っています。


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年末に、気仙沼と陸前高田の二つの被災地を巡り、完膚無き状態、という言葉が比喩ではない現実を目の当たりにしました。陸前高田は見渡す限り、建物の基礎を残して何もなくなっており、気仙沼も、湾の入り口は同じ感じで広大な土地が「ペロッと」*1はぎ取られたままでした。


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GXR with 35/1.4 Nokton Classic @陸前高田 (Dec 24, 2011)


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@気仙沼 (Dec 24, 2011)


9ヶ月経った今も、電車すらちゃんと通じていない。JR大船渡線は、終点、大船渡(おおふなと)には届かず、気仙沼で停止。日本でも指折りの漁港、気仙沼の漁船の8−9割は失われたまま。波でさらわれた冷蔵庫、加工工場も大半が、再建、回復のめどすら立っていない。多くの土地は、沈降し、潮をかぶったままで、そもそも建築自体に制限がかかっている。


東京にいると、まるでもうとっくに話が落ち着いているかと思っていがちな自分の考えそのものが全く間違っていました。三月に書いた震災課題に関するエントリーでいうと、「止血」にケリがついたかどうかという段階。ようやく仮設住宅に人がおおむね入ったという状況で、生活基盤の作り直し(=「治療」フェーズ)はこれからだったのです。


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先日、不思議なご縁があり、対談させて頂いた糸井重里さんからのお話*2で、今月13日に、東北復興緊急ギャザリングというのに出ることになり、その絡みで、一度はこの目でしっかりみて、色んな人と話さないとと思って行ってきたのですが、これが僕の背筋をぐっと伸ばしてくれた気がします。*3


上の写真のような現実を目前にしていると、ただ言葉を失うのですが、行ってみて得たものは全く別でした。そこで出会った方々のパワーと、生きる力に大きく打たれ、何を今まで僕はやってきたんだとガツンと殴られたようなショックを受けたのです。こんな中にあって、僕の直接お話しした20人ほどの人、町の人のどのひとりも打ちひしがれた姿など見せることなく、どのように現実に立て直して行くかに取り組み、それを明るく立ち上げて行こうとしている。


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@気仙沼 アンカーコーヒー本店 開店当日


丘の上にあったために、大量の被災者をうけいれ、陸前高田の復興の中心の一つとして取り組んでこられた高田自動車学校では、まばゆいほどのの未来の絵を地図写真の上に描きながら、ものすごい現状をものともせず、未来に向けた話をユーモアたっぷりに語る、田村社長。


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@高田自動車学校 被災前の陸前高田の航空写真


一瞬にして港に望む本店が波をさらわれた被災の経験にも関わらず、それを「ピンチをチャンスに」と明るく語る、気仙沼の顔の一つと言うべき「アンカーコーヒー」の紀子さん。


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そのアンカーコーヒーはなんと訪問した12月23日に新立地の仮設店舗にて再開店。「何を言ってるんだ、俺たちはここで生きて行くんだ」といいながら、「店を出したついでにスペインにいた頃を思い出し夜はバルまではじめちゃった」と実に楽しそうに、新品のイベリコ豚の生ハムに最初のナイフを入れるアンカーコーヒーの小野寺専務。


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次々と現実的な知恵を出しながら、力強く(陸前)高田、気仙沼の人をつなぎつつ、工場が流された自分の会社では工場を借り、素晴らしい醤油を作り続ける八木澤商店社長の河野さん。この困難の中で、人も切らず、売りを元の六割まで戻されたそうです。ただ感嘆。帰りに送って頂いたクルマの中で聞いた、「人間はしぶといです」という言葉が頭から離れません。


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こんな状態で、これほどの力を自分に出せるのかと自分自身に問いかけるとともに、お会いしたたくさんの方々の輝きがただまぶしい訪問でした。


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帰ってくる前から沸々と一つの言葉が自分にわき上がってきました。『立ち上がる』です。


現実の激しさ、強さに目を背けることなく、目の前のことも含めて、一歩一歩進んで行きたい。雑多な理由で昨年、ほとんど書けなかったブログも、身の回りのことも含めて、出来るだけ書いていけたらと思っています。


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2012年が日本にとって、読者諸兄姉、そして被災した多くの土地の皆様にとって、素晴らしい年となることを願いつつ。







*1:by 「アンカーコーヒー」の紀子さん

*2:12日から、糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞で、対談が載る予定とお聞きしています。よろしければご覧頂ければ幸いです。下が、糸井さんからのそのご案内。…“@itoi_shigesato: つまり、「今、本当に答えを出すべき問題であり、かつ答えを出せる問題=イシュー」は、僕らが問題だと思う対象全体の1%ほどに過ぎない。(抜)ーー『イシューからはじめよ』p73より ⇒「ほぼ日」でそのうちはじまる安宅和人さんとの対談連載より”

*3:恐縮ながら、僕もこの間まで存じ上げなかったのですが、糸井さんは本腰を入れて、被災地復興に取り組まれている数少ない著名人の一人です。まだホヤホヤの気仙沼事務所にもおじゃましました。