【Upanisad】『優婆尼沙土』 リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダのサンヒター(=本集)に付随する重要文献の一つ。祭儀書ブラーフマナ、森林書アーラニヤカ、奥義書ウパニシャッド。梵我の結合や一体化ではなくて、元々同じものなのだとする、汎神論的哲学であり、宗教から哲学への過渡期に生まれた思想。かのJ・D・サリンジャーも耽溺した思想である。
今日は語れるものと語り得ないものについて思うことを書いてみます。語り得ないものというと、有名なのはヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」という言葉です。これは彼の『論理哲学論考』の最後の言葉のようです。この言葉の言わんとすることは私なりの受け取りですが何となくわかります。言葉をはねつける領域があるのを私は感じているからです。先週、それはリアルなものだと呼びました。言葉は表象されたもの、表象する道具であって、表象される以前のものには届かないように思います。 さて、基本的にヴィトゲンシュタインの主張には賛成します。しかしながら私はサイババの話されたり書かれたものを長…
先週の記事の中で、「親=神はえこひいきをするのかといわれそうですが、あくまでも私の数十年間にわたる実感ですが、神には自分が神が求める通りに振る舞ってくださる傾向があるのではないかとそう思うわけです。当然それに応じたある種の振る舞いが普段から求められているのですが。」と書きました。このことに関して今日は少し補足をしたいと思います。 「神は私たちが求める通りに振る舞う」。いつもとは限らないでしょうが、こういうこともあるということです。たとえばタイティリヤウパニシャッドのブルグヴァリの中に次のような詩節があります。「タットプレティシテーテュパーシーター プラティシターヴァーン バヴァティタンマハイテ…
こんにちは!ヨーガ講師のたかです。いま世の中は混乱しています。その原因は、物質主義。便利なもの、おいしいものをいっぱい欲しい、他の人よりも欲しい!というような思いが、私たちの感情や精神によくない影響を及ぼしています。いまこの世の中で大切なこと、必要なことは「精神に目覚めること」。ヨーガの聖者といわれる人たちは、普段はたった一人で瞑想修行を続けています。ただ世の中が混乱しているときは、ヨーガの行者たちが集まって、精神文明を復活させようとするそうです。5000年以上も前にインドで誕生したヨーガという、世界的に見ても非常に奇妙で不可思議な実践方法が、なぜか21世紀にはいって急速に広まりました。そして…
今朝の体重65.7kg、体脂肪率14.1%であった。筋量は53.1kg。これは近来ワーストかもしれない。筋量UPできない場合は減量が必要だ。幸い暑くなってきたので、「真夏にスーツダイエット」(真夏なのにスーツ上下着続けること)の季節ももうすぐだ。 さて、前の日記に、自然と心に沸き起こる感情を改めて「これはなんだ」「これはいいのか」といった第3者の視点を持ち込んでみる試みのことを書いた。 すこし気にしてみると、こういう自然感情はどちらかというと自分勝手でネガティブであることが多い。 ・周りのしゃべり声がうるさい ・仕事中に電話の声が気になる ・声質が通り過ぎる声がうるさく感じる 会社で仕事をして…
また少しご無沙汰してしまいました。 NYは氷点下を下回る日が続き、とっても寒いです。 みなさんいかがお過ごしでしょうか? 前回、苦しみからの自由でズバリ苦しみから開放されるには、自分の本質を知ることだとインドの経典は説いているとお話ししました。 そこで、自分の本質って?本来の自分って何? という疑問が沸いた方もいらっしゃったかもしれません。 今日はその点について書いていこうと思います。 インドの経典ウパニシャッドは、ずばり私たちの本質はアートマンであると言っています。 日本語では我と訳されたりしているようです。 アートマンは消えることもなければ生まれることもない、永遠にひろがる変わることのない…
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。 みなさん2021年はどこでどんなスタートをきったのでしょうか? 私はQuarantine中ということもあり、NYで静かに新たな年を迎えました。 昨今修行と勉学に夢中になっており、更新が少しとまってしまいました。 YOGAを勉強するにあたって、切り離せないインド哲学。 私たちは一体何者で、どこからきて、どこへいくのか?何のために生きて、何のために苦しみ葛藤をするのか?どうしたら苦しみを乗り越えることができるのか、幸せになれるのか? インド哲学は、そんな人間の根源的な問いに答え、私たちが暗い夜道も迷わず目的地へ辿り着けるように光を照らしてくれていま…
紀元前6世紀に入るとインド各地で都市国家が次々に誕生していった。また、都市国家の中で力をつけた武器武士階層や商人らの支持を得て仏教やジャイナ教といった新しい宗教も誕生した。また、これらの宗教に並行してバラモン教でも改革運動が起こり、ウパニシャッド哲学が誕生したことに加え、後にヒンドゥー教が誕生した。(↓まとめ) →コーサラ国やマガダ国が台頭してきた。マガダ国は当時強大な軍事力を有していると噂されており、アレクサンドロス大王がインダス川までで東方遠征を辞めて引き返したのにもマガダ国の噂が影響していた。 マガダ国の支配領域 →この頃マガダ国ではナンダ朝が成立していたが、アレクサンドロス大王死後に西…
(ヴィシュヌ派の総本山のシュリランガナータスワミテンプルの ヴァイクンタエーカーダシーのお祭りの写真) ムクンダ・マラ・ストットラム(mukundamala stotram)の話 『オーム ナモー ナーラーヤナーヤ』(Om Namo Narayanaya)という ナーラーヤナ神のマントラがあります。意味は、 『ナーラーヤナ神に礼を捧げます。』 これは、ヴィシュヌ派の主要なマントラです。 宇宙の水の上の蛇のベットに横たわった永遠の安息のお姿の ヴィシュヌ神をナーラーヤナ神と言います。 ナーラーヤナ神に宛てた輪廻からの解放を祈るマントラです。 ナーラーヤナマントラは、ヴィシュヌ派の伝統の秘密のマン…
キャンバスの 上にえがいた 自画像を 見て悦に入る 天の境涯 浄土とは如来の成所作智(じょうしょさち)の現象であるという。ウパニシャッドやシャンカラの注釈によると神は自己のキャンバスの上に自己自身の多様な絵を描き、己自身がそれを見ておおいに喜びに興じるという。成所作智はこの眺め楽しむ僭像の働きをいう。弁栄上人によると浄土がいまここを離れて物理的にあると考えるのは間違いで、法眼が開けばこの現実がそのまま浄土であると説く。 http://iihatobu.com/work/yamazaki.html 自分というものを定義しようとする時、神さまが白いキャンバスに描く無数の自画像のうちの一つという解釈…
世界史 今日は古代インドの続き。 当時のインドではやっていたのが、バラモン教である。 バラモン教と言う名の通り、バラモンが執行する祭式を中心とした宗教であった。 バラモン教の聖典『リグ=ヴェーダ』 しかし、バラモン教に対する批判はだんだんと大きくなっていた。 というのも、当時のインドでは、16か国が抗争をしていたが、 その際、戦っていたのは、バラモンより下の身分のクシャトリヤやヴァイシャ。 戦いの最中、バラモンたちはただお祈りをしていただけだった。 そんなバラモンへの批判から生まれたのが、「ウパニシャッド(奥義書)」である。 まずはバラモンファーストの価値観から脱却しようとして生まれた。 以下…
まだわからないけど、わかった範囲でまとめておこう。 言語ゲーム ウィトゲンシュタインの作った「言語ゲーム」という考え方。 いろいろ解説書を読んで「言語ゲームとはなんぞ?」と考えてきたけど、その考え方じゃあ「言語ゲーム」に行きつけないと思った。 「概念Aの本質とは何か」というタイプの「問いの立て方」が哲学に蔓延していて、それを笑い飛ばすのが「言語ゲーム」。 「〜とはなんぞ」と問うてしまうと落とし穴に落ちる。 それに、もし「言語ゲーム」の勘所がつかめたとして「わかったわかった」なら面白くない。 「わかって終わり」じゃなく、日常生活でも使いこなして、これまでとは違う体験を切り開くのじゃないと時間をか…
○滅諦(滅聖諦) 比丘達よ、これが苦の滅(消滅)という聖なる真実である。即ち、かの渇愛を残り無く離れ、滅し、捨て、棄て、解脱して、執着のないことである。 苦(輪廻転生)の原因は渇愛でした。その渇愛が捨断され滅尽する場所は集諦と時と同じく次の場所となります。 ・六根:{眼・耳・鼻・舌・身・意}・六境:諸々の{色・声・香・味・触・法}・六識:{眼・耳・鼻・舌・身・意}の識・六触:{眼・耳・鼻・舌・身・意}の接触・六受:{眼・耳・鼻・舌・身・意}の接触から生じる感受・六想:{色・声・香・味・触・法}に対する想(表象)・六思:{色・声・香・味・触・法}に対する思(思考)・六欲:{色・声・香・味・触・法…
こんにちは! 当ブログへご訪問いただきましてありがとうございます! きょうは中村元著『インド思想史』講談社学術文庫を読みましたので 簡単に感想を述べていきたいと思います。 インド思想史 posted with ヨメレバ 作者:中村 元 出版社:講談社 発売日: 2024年01月15日頃 楽天ブックスで見る Amazonで見る Kindleで見る まずこの本を読もうと思ったきっかけですが 最近原始仏教について少しはまっています。 その中でどうも自分自身の中で消化しきれないものがあり この本を読んでみようと思ったのです。 消化しきれずにいたものとは 無我説と輪廻転生についての両立です。 仏教では無…
(ブッダの感興のことば29・5中村 元訳)より引用させていただきます。(経験するものを)実質のある物だと思って、走り近づいて行くが、ただそのたびごとに新しい束縛を身に受けるだけである。暗黒のなかから出て来た蛾が(火の中に)落ちるようなものである。かれらは、見たり聞いたりしたことに心が執着しているのである。(引用終) 全ての動物がそうであるように人間の脳にも生まれながらにしてすでに、火の中に落ちる蛾に例えられるプログラムが埋め込まれている。しかし人間はそのプログラムに逆らって自由にふるまう可能性を持っている唯一の存在でもある。ただし、人類の99%は、この人間だけが持っている自由を一度も行使しない…
成道前、二人の瞑想の師のもとを去った釈尊は、我流で苦行難行と瞑想の修行を続けました。ここまでの瞑想や苦行難行は、欲望(惑)を生じさせる原因として問題ではない感情・思考・欲求をも含めて全てを否定するような形で行われています。 しかし、例えば琴が音声快く、妙なる響きを発するためには弦が張り過ぎても、逆に緩やかすぎても駄目であり、平等な正しい度合を保っている必要があります。それと同様に、余りに緊張して努力し過ぎるならば心が昂ぶること(掉拳)になり、また、努力しないで余りにもだらけているならば怠惰(懈怠)となるため、平等な釣り合いのとれた努力が必要ということになります。 通りかかった資産家の娘スジャー…
出家した釈尊の修行の話に入る前に、当時の宗教的な時代背景を見ていきたいと思います。釈尊をはじめ、当時の出家者達が苦行や瞑想の修行をする理由は何なのかが分かりやすくなるかと思います。 ○生天思想、そして天界での再死への恐れ 西洋人と祖先を同じくするアーリア人がコーカサスの地を離れて東方に向かって遊牧の旅を続け、一部はイランに入り、他は西北インドからインダス河の上流五河地方を占拠し、定住しました。アーリア人は紀元前1200年頃までに「リグ・ヴェーダ」の宗教を成立させます。アーリア人が「リグ・ヴェーダ」の中で信じた神々は多神教であり、例えば自然神として、天神ディヤウス、太陽神スーリヤ、暴風神ルドラ、…
・紀元前1046年? 甲子の日、周王,発は殷軍と交戦して勝利し、晩には殷の都商を占領した。(利簋銘文) 〔参考〕殷の紂王,受(帝丁)は70万人の軍勢を動員したが戦意がなく受に逆らった。受は財宝を貯めた鹿台に登り、焼身自殺したという。(『史記』周本紀) 〔参考〕『国語』「周語下」には、周が殷を滅ぼしたとき、木星が鶉火の方位にあったとある。 ※利簋の銘文に「歳鼎」とあることと『国語』の記述を関連付けて、殷が滅んだ年を紀元前1064年とする説もあるが、『国語』内の逸話の信憑性に問題があることや、銘文が他の解釈もできることから、疑問も呈されている(佐藤信弥『周』)。 ※「紂」と「受」は音が似ていること…
・紀元前1200年頃 カナーンの都市国家群は、破壊されるなり放棄されるなりして、衰退した。 ※これはエジプト第19王朝が倒れた影響で、カナーンの勢力争いが再び激しくなったとも推測される。また、凶作が続いたことを指摘する見解や、シリア・パレスティナ地方に「海の民」が移動したことが原因と考えられる(山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』)。 紀元前1200年頃 アーリア人は聖典「ヴェーダ」の編纂を開始した。 ※『ヴェーダ』は神祭りに関する聖典であり、祭文を集成した「サンヒター」、祭式を解説する「ブラーフマナ」「アーランニャカ」、哲学的思考を記した「ウパニシャッド」によって構成される。『リグ・ヴェーダ』『サ…
「インド宗教興亡史」保坂俊司 ちくま新書 2022 アーリア人によるヴェーダの宗教以前から存在した土着の宗教 従来の研究では、ダーサなどの土着宗教について明確な言及はされてこなかった。というのも、これらの宗教には、ヴェーダ聖典のようなまとまった文献が存在しないためである。土着宗教は、インダス文明を支え、また独自の呪術的な宗教形態でインド全土に広まっていただろうが、それらの宗教の評価はなされてこなかった。文献などの客観的史料がなく、評価しようがなかったということである。 しかし、バラモン教や仏教やジャイナ教など、インド発祥の宗教に通底する出家と修行という宗教形態の主流は、ヴェーダの宗教ではなく、…
・『セスは語る 魂が永遠であるということ』ジェーン・ロバーツ:ロバート・F・バッツ記録 ・『未来は、えらべる!』バシャール、本田健 ・『ただ一つの真実、ただ一つの法則:私は在る、私は創造する』エリン・ウェアリー ・キリスト教イタコ系・悟りとは 私はそっと優しく、リズミカルに呼吸をし始めた。目は自然に閉じてゆき、無数の思いが私の心の中で渦巻き、旋回、回転していくのをさらに強く感じた。最初は、その思いに圧倒され、次々と瞬時の感情が現れ、そして、それに反応してまた別の思いも生まれていった。ゆっくりとその思いを手放し、雑念の嵐から自らを切り離し、そして少しずつさらに深い意識の中に入っていった。 やがて…
108は何故神聖な数字なのか?108回オームマントラ唱える理由は? 以下引用。 ヒンドゥー教のマラー(花輪)には108個のビーズがあり、さらに108個のビーズが回転する「グルビーズ」がある。 108という数字の意味は、太陽と月の黄道に関する古代の推定から、地球、太陽、月の距離と直径までさまざまだ。 マントラを108回唱えることは、宇宙の波動との調和をもたらすと言われている。https://insighttimer.com/sonolumin/guided-meditations/aum-108-times 以下引用。 108と宇宙 108は宇宙の数学において特に重要な数字である。 例えば、太陽…