言わねばならないこと(98)権力の「イズム」克服を 琉球大教授 阿部小涼さん - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2017090302000122.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1016-28/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2017090302000122.html

長期化した安倍政権の下で、安全保障関連法に続き「共謀罪」法が強行成立、施行された。軍事主義を下支えする法律です。今後、政権交代があったとして、これら悪法の廃棄に取り組むならば、今まで以上に「草の根」の力が強くなければならない。その力をどう養っていくのか。
軍事主義は男性以外の主体性を認めないパターナリズム(家父長主義)やセクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)を内包する。戦争を拒否するとは、権力を欲望するこれら「イズム」が私たち自らの内にあると自覚して、乗り越えていくことです。例えば、私が参加し、研究の対象にしている反基地運動の現場でも家父長主義はみられますが、運動の担い手は性や人種を超えて多様で、弱い者たちこそが運動を生き生きと創造しています。
草の根の命が大切だと言う沖縄の反軍事主義の視点からみれば、軍隊を認めないのは当然。専門家が陥りやすいのは、日米軍事主義のプレゼンスに誇大な期待を寄せる「抑止論」、米軍の視点に立って分析し対等な外交交渉ができる、交渉したいと欲望する「代替案」「削減論」などです。「敵から守ってやるから軍隊を認めろ」というのでは、結局、家父長主義の域を出ていません。
沖縄では今夏、グアムや韓国、ハワイなど米軍が駐留する地域の女性が集い、軍事主義がもたらす問題を話し合った。女たちは沖縄の海兵隊がグアムに移転すれば、問題は解決するとは考えない。グアムにも朝鮮半島にも草の根の命がある。空爆の恫喝(どうかつ)の向こうで息を潜める人びととの連帯こそが根の力です。勢いづく軍事主義に抗(あらが)うには、私たちの内に潜む権力の「イズム」を克服すること。それがないなら抵抗も非力だと思うのです。
<あべ・こすず> 1967年生まれ。琉球大法文学部教授。専門はカリブ海地域研究。著書・訳書に「追跡・沖縄の枯れ葉剤」「攪乱(かくらん)する島」など。軍事基地問題について発信する「合意してないプロジェクト」の設立メンバー。

子ども食堂「だんだん」 5年で延べ3000人 大田区から共感全国へ - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000123.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1015-44/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000123.html

全国各地に広がる「子ども食堂」の名付け親とされる東京都大田区の近藤博子さん(58)が「気まぐれ八百屋だんだん こども食堂」を開いてから八月末で丸五年を迎えた。店を訪れた子どもたちは延べ三千人以上。なかなか子どもが集まらない悩みを抱える店もある中、だんだんは子どもだけでなく、大人も含めて誰でも集える地域の居場所になっている。 (片山夏子)
無農薬野菜や自然食を売る店の奥で毎週木曜夜、子ども食堂が開かれる。「お帰り」。誰かが来るたびに近藤さんが明るい声で迎える。小学生や中高生だけでなく、子連れのお母さん、一人暮らしのお年寄りも。自由に食事をしたり、しゃべったりしている。
七年前、近藤さんは近くの小学校の副校長から「母親の具合が悪く、給食以外はバナナ一本で過ごしている子がいる」と聞いた。その後ろ姿を想像し、胸が締め付けられた。他にもそんな子がいるのではないか。みんなで食事ができる場を作ろうと二〇一二年八月に始めた。「子ども一人で来ていいんだよ」と呼び掛ける気持ちを込め、「こども食堂」と名前をつけた。
料金は、大人五百円、大学生までは子どもとして「ワンコイン」。子どもは百円だったが、払わずに帰る子の顔が暗いのが気になった。それで「一円でもゲームのコインでも一枚払ったことが大事。次も堂々と来て」と今春変えた。一枚払った後、表情が明るくなった。
もともと百円で塾講師らに勉強を見てもらう「ワンコイン寺子屋」などを開いており、子ども食堂以外の日に中高生が涼みに来ることも。育児に悩む母親も相談に訪れる。「家以外の居場所が毎日そばにあるのが大事」と近藤さん。小学生の時から弟と通う都立大田桜台高校二年の真鍋太隆(たいりゅう)さん(17)が言う。「ここは誰でも受け入れてくれる。小さい子から高齢者までたくさんの人がいて話が聞ける。こんな場所ない」
貧困対策を考えたわけではないが、ハッとすることがある。「ここでしかお肉を食べられない」と言う子やお代わりを何度もする子。後から「家にお金が無くて大変だった」と明かされたこともある。
近藤さんは言う。「貧困対策とみられると、誰でも来づらくなる。子どもも大人も皆が来られる場所になった時、自然と支援が必要な子も来てくれる。いろいろな子どもがいて、いろいろな大人がいる。それぞれの存在が受け入れられる居場所になれば」

◆ネーミング分かりやすく
子ども食堂の取り組みはここ数年で全国に広がった。約二百五十店が参加する「こども食堂ネットワーク」事務局の釜池雄高(ゆたか)さん(40)は「分かりやすく心をとらえる名前の力は大きい。私も何かできるかもと思わせ、多くの共感を生んだ。これまで子どもが一人で行ける場所もあまりなかった」と説明する。
ネットワークが昨冬実施した参加団体へのアンケートで課題も浮かんだ。主に「食材や資金、場所、ボランティアなど人の継続的な確保」「支援が必要な子を含め子どもたちにどうつながるか」の二点。釜池さんは「子どもがあまり来ないと悩む店もあるが、学校関係者など地域とつながって信頼を得て、協力してもらうことが大事だ」と語る。

高校中退者にも学習支援を拡大 18年度から - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000117.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1015-00/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000106.html

厚生労働省は、生活保護受給世帯など経済的に困窮している家庭の子どもを対象に自治体が実施している学習支援事業について、主な対象としている小中学生に加え、二〇一八年度から高校中退や中卒の子どもにも対象を広げる方針を決めた。教育機会の格差が子どもの将来の選択肢を狭めないように支援する狙い。一七年度に比べ自治体への補助などに十二億円を上積みし、一八年度予算で四十七億円を要求した。
学習支援事業は、一五年に施行された生活困窮者自立支援法に基づく制度で、現在約二万人の子どもが利用。ボランティアや元教員らが公共施設や家庭訪問で勉強を無料で教えたり、家庭や学校に居場所がない子どもの相談に乗ったりする。
現在の枠組みでは高校進学を後押しするのが主な目的のため、利用者の六割超は中学生で、小学生も約三割を占める。
ただ、高校の授業に付いていけずに中退したり、中学を卒業しても家庭の事情で進学できなかったりする生徒もいることから、支援の対象に加えるべきだと判断した。
一七年度は約五百自治体が学習支援に取り組んでおり、厚労省はこのうち六〜七割程度が新たな対象者への支援を実施すると想定している。文部科学省の統計では、高校中退者は近年減少傾向だが、一五年は約四万九千人だった。中卒後、進学しない子どもは就職を含め約一万三千人。

土山秀夫さん死去 長崎で被爆 核廃絶運動の理論的支柱 92歳 - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000106.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1015-00/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000106.html

長崎の反核平和運動で中心的な存在だった、被爆者で元長崎大学長の土山秀夫(つちやまひでお)氏が二日、多臓器不全のため死去した。九十二歳。長崎市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
一九四五年八月九日に原爆が落とされた長崎へ翌日に入り、残留放射線を浴びて被爆。当時は旧長崎医科大付属医学専門部(現長崎大医学部)の学生で、負傷者の救護に奔走した。
国内外の非政府組織(NGO)による国際会議「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」を、実行委員長として四度開催。長崎の核廃絶平和運動において、理論的支柱の役割を果たした。
専攻は病理学。長崎大の医学部長などを経て、八八年から九二年まで長崎大学長。長崎市の平和祈念式典で市長が読み上げる平和宣言文の起草委員会委員を二十年以上務めた。
長崎原爆をテーマにした山田洋次監督の映画「母と暮(くら)せば」(二〇一五年公開)では、主人公のモデルとなった。

反核の柱、相次ぎ失う 盟友・谷口さん死去から3日 - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000105.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1014-16/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000105.html

被爆地・長崎が、核兵器廃絶運動をけん引してきた被爆者の「象徴」を立て続けに亡くした。八月三十日亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の谷口稜曄(すみてる)さん=享年(88)=に続き、二日朝亡くなった土山秀夫さんは九十二歳。「理論の土山、感性の谷口」と称される二人は、核廃絶運動のまさに両輪だった。原爆投下から七十二年。精神的な柱を次々に失う現実に、関係者はショックを隠せない。
谷口さんが亡くなった八月三十日、土山さんは入院先で取材に応じた。入退院を繰り返して足腰が弱り、リハビリ入院していた。ラジオで知った盟友の死を「片腕をもがれたような失望感」と強い言葉で表し「私と立ち位置や表現は違うが、互いに頑張りましょうといつも言い合っていた」と話した。ただ、自らについては「復帰して、早く読み、書く作業をしたい」と情熱をみせていた。
原爆で赤く焼かれた背中をさらし、核廃絶の必要性を理屈抜きに訴えた谷口さん。一方の土山さんは原爆で身内を失い、自身も入市被爆後、医学者として、また被爆地を代表する学問の府・長崎大の顔として核廃絶の議論を国内外に起こした。核兵器禁止条約の採択は、「理論と感性」で訴えてきた二人の運動の成果ともいえる。土山さんが開設にかかわった長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の鈴木達治郎センター長(66)は「実体験に裏打ちされた二人には説得力があった。(土山さんには)条約の実効性を高めるための助言をいただいたばかりで残念でならない」と声を落とす。日赤長崎原爆病院の朝長万左男名誉院長(74)も「これまでの運動は二人三脚。被爆者がいつかいなくなる現実が迫っていることに、改めて恐ろしさを感じる」と漏らした。
長崎市の田上富久市長は記者団に「大きな二つの柱を失った。生きている間に核兵器禁止条約を形にできたのは、せめてもの慰めだ」と述べた。
 (西日本新聞・重川英介、沼口祐季)

「保守色強い教科書を」採択目指し政策協定 林・横浜市長と自民党市連:神奈川 - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201709/CK2017090302000128.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1013-35/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201709/CK2017090302000128.html

七月の横浜市長選で三選を果たした林文子市長(71)が、推薦を受けた自民党横浜市連と「保守色の強い教科書が採択されるよう取り組む」という趣旨を含む政策協定を結んでいたことが分かった。市立中学校で使われる社会科教科書の採択に政治が介入する懸念があり、市民団体や専門家から批判の声が上がっている。 (志村彰太)
政策協定は林市長が立候補を表明した六月六日に結ばれた。七分野二十七項目ある合意事項の一項目に教科書採択があり、「子どもたちの郷土愛や豊かな心、道徳心の育成に努め」「あらゆる教科において、新しい教育基本法の精神に基づいた教科書が採択されるよう、引き続き取り組む」などと記されている。市連幹事長の横山正人市議によると、「新しい教育基本法の精神」とは郷土愛や愛国心を指す。
どの教科書を採択するかは各自治体の教育委員会の専権事項で、四年に一回、教育委員が話し合いで決める。首長や地方議員が関与できるのは関連予算や教育委員の人事にとどまり、採択に直接関わることはできない。
にもかかわらず、両者は二〇一三年の前回市長選でも、同じ文言の政策協定を結んでいる。市連政務調査会長の鈴木太郎市議は「市長の政治姿勢を確認するための文言で、形式的なもの」と話す。林市長は八月三日の記者会見で、本紙が「教科書採択に介入するのか」と質問したのに対し、「政策協定は非公開。大事なことは公約に盛り込んでおり、答えることはない」として説明を拒んだ。
市教委は、前回の政策協定が結ばれた二年後の一五年、歴史と公民で、保守的過ぎると一部で指摘されている育鵬社の教科書を採択した。市民団体「横浜教科書採択連絡会」の佐藤満喜子さんは「実際に市長の働き掛けがなくても、政策協定があれば教育委員が意向を忖度(そんたく)する」と指摘している。

◆政治介入 専門家ら懸念
<東京大大学院の村上祐介准教授(教育学)の話> 教育委員会は、政治家など一個人の価値判断による決定を避けるため、合議制になっている。教科書採択も政治的中立性を確保し、不当な支配から離れた環境で進める必要がある。こうした政策協定を結ぶことは、首長の教育への関わり方として望ましくない。

(書評)日本の長い戦後 橋本明子 著 - 東京新聞(2017年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2017090302000177.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1012-55/www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2017090302000177.html

◆加害と被害 絡み合う記憶
[評者]福間良明立命館大教授
明治維新から七十二年後と言えば、一九四〇年。太平洋戦争開戦が間近に迫った時期である。現在、それと同じだけの歳月が、先の戦争の敗戦から経過した。しかし「敗戦のトラウマ」はいまなお、日本人に共有されている。
その「敗戦のトラウマ」は決して単純なものでも一枚岩のものでもない。先の戦争にヒロイックな「英雄」を見出そうとする「美しい国の記憶」。戦争被害者としての思いを強く抱く「悲劇の国の記憶」。そして、東アジア諸国に対する「加害者」の側面に着目する「やましい国の記憶」。これらがいかに絡み合いながら、今日の戦争の記憶が形作られているのか。本書は、この点について精緻に考察している。
ことに本書が意義深いのは、国際比較の視点である。フランスでは、「レジスタンスの勇士」「ナチ占領下の民間人」「ヴィシー政権下の協力者」の語りが混在している。ドイツの場合、政府の公式政策では「謝罪」「悔恨」が前面に出されている。だが、一般の人々の間では、加害者、被害者、傍観者など、様々な物語が存在しているという。多様で複雑な戦争体験や戦後体験を考えれば、それも当然だろう。
それにしても、ドイツ政府の公式見解と日本政府のそれは、なぜ、かくも大きく異なっているのか。著者は、地政学的な要因を指摘する。冷戦構造下の西ドイツが経済的・政治的に生き残るためには、NATOへの参加や欧州統合への協力が不可欠であり、必然的に欧州諸国との和解は最重要課題であった。それに対し、日本の隣国の中国、北朝鮮ソ連共産主義体制下にあった。親米資本主義を選び取った日本にとって、それらの国々は「和解してはならない相手」であった。
幾重にも捻(ねじ)れた現代日本の「戦争の語り」は、その延長上にある。「敗戦のトラウマ」の起点は何なのか。それはいかにして現在に至ったのか。本書は七十余年にわたる「長い戦後」について冷静な思考に誘う良書である。
 (山岡由美訳、みすず書房・3888円)

<はしもと・あきこ> 1952年生まれ。米国ポートランド州立大客員教授

◆もう1冊 
成田龍一著『戦後史入門』(河出文庫)。占領、55年体制、高度経済成長から戦後70年までを、沖縄の視点も含めて解説した入門書。

(書評)「天皇機関説」事件 山崎雅弘 著 - 東京新聞(2017年9月3日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2017090302000176.html
https://megalodon.jp/2017-0903-1012-08/www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2017090302000176.html

◆国家意識の明確化を狙う
[評者]三上治=評論家
一九三五年(昭和十年)に起きたのが天皇機関説事件である。この事件は国体明徴運動とともに、日本が戦争に突き進む大きな契機をなした事件として人々に記憶されている。本書は事件の発端と展開、そしてその後の影響にいたる全体をよく描きだしている。事件の背景、例えば統帥権の干犯をめぐる軍部と政府の対立、政府を擁護した憲法学者美濃部達吉の言動も取り出されているし、事件の結果として、この国から失われたもの(立憲主義的なもののさらなる制限、政府や軍の方針を批判する言論の自由報道の自由の抑圧)にも及んでいる。
天皇機関説事件は大日本帝国憲法についての美濃部の学説「天皇機関説」を排撃した事件である。軍人出身の貴族院議員・菊池武夫男爵が貴族院でこの学説を批判したことから始まり、美濃部の「一身上の弁明」などを経て、最後は学説の禁止処分で終わった。
美濃部の学説は、大日本帝国憲法が定める天皇統治権天皇(家)の個人的な統治ではないとした。それは国家機関の代表として天皇が統治するというものであり、天皇の統治を法的に位置づけ、合理的に解釈したものだった。当事者の昭和天皇もこれをおおむね妥当な解釈と認めていた。
これに対する批判は天皇の至上権、絶対性をより強調するものだった。天皇親政論と同じで、その理念が何を意味するかが明瞭ではなく、その点が事件を分かりにくいものにしてきた。
天皇機関説は当時の議会主義の理念的根拠であった。そして議会や政府を批判し「軍部」の権限行使の拡大と結びついたこの事件は、国家意識が不明瞭で曖昧であることに不安を感じた軍部やそれに同調する政治家、知識人らが国家意識の明確化を促そうとしたものだった。それは精神的な国家動員の運動であり、条件次第では時代の状況が似てきた現在でも現出する可能性がある。天皇機関説事件の意味を認識するうえで、本書は格好の一冊である。
 (集英社新書・821円)

<やまざき・まさひろ> 戦史研究家。著書『日本会議−戦前回帰への情念』など。

「天皇機関説」事件 (集英社新書)

「天皇機関説」事件 (集英社新書)

◆もう1冊 
佐々木惣一著『立憲非立憲』(講談社学術文庫)。東の美濃部、西の佐々木と併称された憲法学者立憲主義の重要性を説いた著作。