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2013-05-13

属性の告白ということ

 

山本周五郎の「内蔵允留守」は、山本周五郎らしさが詰まった、実に小気味の良い作品だ。

 

故郷・近江での剣の修業を終えた岡田虎之助は師匠からの推薦状を携え、東海道を下り、江戸の剣豪・別所内蔵允を目黒道場に尋ねる。

しかし、生憎、内蔵允は諸国漫遊の旅に出た後のことで留守。しかたなく虎之助青年は、まだ見ぬ師匠が旅を終え戻るまでの間、閑右衛門と名乗る近隣に住む老百姓の家に逗留することとなる。

無為徒食を恥じる虎之助は、老人の百姓仕事を手伝いだす。竹刀をとっては負けなしの虎之助も、鋤鍬をもてば老人に負けてしまう。いつしか彼は、まだ見ぬ師匠・内蔵允ではなく、この老百姓を敬慕していくようになる・・・

 

というストーリだ。

 

中学の頃に初めて読み、その後、時に触れ読み続けてきたこの作品(この作品が収録されている新潮文庫の「深川安楽亭」はとてもよい)が、なぜかここ数ヶ月のあいだ、気になり続けていた。

 

なぜこの作品がこんなに気になるのか不思議で仕方なかったが、昨日、在特会が主催する川崎の街宣/デモへのカウンター行動に参加して、その謎が氷解した。

 

彼らの街宣やデモでの発言に目新しいものはなく、いつものように、目に付く人々のことを、朝鮮人だの左翼だのとレッテルを貼り、ひとりよがりな言辞を弄しているだけだった。 曰く、「有田芳生朝鮮人」「鈴木寛中国のスパイ」 (そういえば、さすがにレイシズムに関する質問に「極めて残念」と答弁した安倍首相を「朝鮮人」とは呼んでいなかったようではあるw)

 

思えば、彼ら在特会に限らず、あらゆる差別は、相手に属性に関する告白を強要することから始まる。そしてその告白が得れぬ場合、差別する側は、勝手なラベリングを行い相手の属性を元に抑圧を開始する。明々白々なレイシズムのみならず、セクシャルマイノリティへの差別も、門地に基づく差別も、ビジネスの現場における正規雇用非正規雇用差別にしても、「まず告白を強要する」ということから始まる。

 

そう思い至った時、「内蔵允留守」で虎之助が老百姓の魅力をあらてめて思い知るシーンを思い出した。

 

虎之助はこう考える

 

虎之助はふと、もう二十日余日も一つ家に暮していて、まだ故郷の話もしていないことに気づいて驚いた。何処へいってもまず訊かれ、また語るべきことを、閑右衛門の家ではまるでその折がなかった。老人の人柄だ。虎之助はそうおもった。老人は気づかぬところに、そうしたふところの広さを持っているのだ。彼はまた一つ、閑右衛門の心を覗き見たように思った。

 

閑右衛門老人は、どこの馬の骨ともわからない青年を長々と投宿させて、その青年の来歴など一向に気にしない。気にしないどころか、侍と百姓という身分を超えて、教えるでもなく諭すでもなく、虎之助青年を惹きつけ百姓仕事の指導をしていく。

 

これだ。と、思った。

 

人間関係を結ぶのに、本来、相手の属性など全く必要ないのである。来歴さえ必要ないかもしれない。ただ、相手との適度な距離をもち、淡々と接すればいいのである。冷たくする必要もなければ、仲良くする必要もない。

 

 

要は、相手のことを構わなければいいのである。

 

相手の事を知らなくてもいい、友達になる必要もない、敵になる必要もない。 他人は他人。自分は自分だ。

 

 

そんなことを川崎からの帰りの東海道線に乗りながら考え、家について貪るように山本周五郎を読んだ。そして、レイシズムとは真逆の、さらに慈愛とも別の、「ドライで距離感のある淡い人間関係」を目の当たりにし、川崎でみた醜悪な光景との落差に、思わず、泣いた。

2011-07-02 とこしへに民やすかれと祈るなる わがよを守れ伊勢の大神

保守主義者が反原発で何が悪い!

(はじめに: 本稿は、2011/5/27にTwitterに投稿しtogetterにまとめた、「保守主義者が反原発で何が悪い!」をほぼそのまま転載するものです)

どうも、世上、「反原発サヨク  原発推進ウヨク」という抜き難い思い込みがあるようで、最近、「noiehoieは日頃、保守主義者だの右翼だのを自称しておきながら、なぜ反原発なの?」という質問をうけるようになりました。ネット上だけじゃなく、リアルで私を知ってる友人知人からも、「マンション住まいのくせして、祝祭日に玄関に日章旗を飾るようなキチガイウヨクのお前がなんで反原発なの?」と半ば呆れ顔で聞かれる始末です。

正直、私が反原発な理由は、「反原発反革命の一環だから」って一言に尽きるのですが、これでは回答になっていないですし、第一、よけい、「あ、やっぱこいつキチガイだ」と思われて終わりです。 そこで今日は、「保守主義者である私が反原発である理由」について簡単に書き出し、私が反原発である理由を整理しておこうとおもいます。

保守主義者は、「理性の盲信」を忌み嫌う

そもそも、原子力技術は、「理性による自然現象のコントロール」というところにその本質があります。先の震災で、防潮堤を嘲笑うがごとく乗り越えていったあの津波を思い出すまでもなく、人間は現状、「自然現象をコントロールする」術をもっていませんし、今後も持つ事はないでしょう。にもかかわらず、「理性と計画によって、自然現象を完全にコントロールしてやろう」と思うのは、理性への盲信でしかありません。この盲信を盲信と気づかず、人智の及ばざる分野に敢えて踏み込み、それを理性でコントロールしようとする様は、一種、カルトににた異様な様としか言いようがないとおもいます。私の目には、原子力技術とそれへの盲信が、フランス革命後、ロベスピエールによって行われた「最高存在の祭典」にしか見えません。そしていうまでもなく、保守主義者はこの「理性への盲信」を最も忌み嫌います。 これが私が反原発である最初の理由です。

保守主義者は、諦観とともに生きる

保守主義者は常に、「諦め」と共に生きています。何事かを成す為に準備する際には、人知の及ばざる部分があることを謙虚に認めようとします。しかし、原子力技術には、この「人知の及ばざる部分」への謙虚さを許容する余地がありません。今我々が直面しているように、原子力技術で一度事故が起これば、いままで人類が経験したことのない取り返しの付かない災禍が巻き起こります。原子力技術はこれらのリスクを謙虚に認めず、まるで、「こまけーこたぁいいんだよ!」と言わんばかりに、理性を盲信し、効率と効用を追い求めようとします。 そこに諦観や謙虚さというものがありません。保守主義者としては、このような傲慢で強欲な態度は許容できません。これが二つ目の理由。

保守主義者は、郷土を愛する

保守主義者はあらゆる「理性の産物」に対して懐疑的です。ですから「国民国家」というフィクションにさえ懐疑的な態度で接しています。ただし、アクチュアルな存在である「郷土」は、こよなく愛します。故に、いま福島で「故郷を追われる人々」が存在していることは、保守主義者として、許容できません。これが理由の三つ目。

保守主義者は、尊皇家である

四つめの理由は、 天皇陛下です。

 陛下のお気持ちを忖度するなどという不忠な事はいたしませんが、現実問題として、避難勧告が解除された後もしばらくの間、避難区域内へ 陛下の御幸を仰ぐことは不可能でしょう。本朝において、 聖上の御幸を仰げない土地が、寸土であろうと存在していいはずがありません。これが四つ目の理由です。 

保守主義者は、現実主義者である

五つ目の理由は少々俗っぽいです。

日本における原子力発電にもしメリットがあるとすると、「過疎対策」と「利益配分」です。原子力発電を使った過疎対策と利益配分が上手く機能した時代というのは、確かにかつて存在しました。しかしこの、原発を使った過疎対策と利益配分を上手く運営できた政治家は、熊谷組の事例を挙げるまでもなく、木曜クラブの連中だけでした。

しかし、残念ながら、木曜クラブ的な利害調整の方法を身につけた政治家は、もはや自民党にも民主党にも存在しません。日本の中央政界からは絶滅してしまったのです。事実、かつて木曜クラブ政治家たちが行っていた利害調整機能を、いまや、METIの役人が代行しています。利害調整の当事者たりえない役人が利害調整を担当して、いい結果がでるはずがありません。これが、五つ目の理由です。

おわりに

これら五つの理由により、私は、原子力発電およびあらゆる原子力技術に反対の立場を取ります。党派性に凝り固まったはてサのような態度からは、非難をもって迎えられそうですが、私はこれからも、 「天皇陛下万歳」を叫びつつ、あらゆる党派の人々と連帯して、反原発のうねりに参加し続けたいと考えています。


願わくば、みなが党派の垣根を超え、「いま、そこで、泣いている人」の為に連帯できる日が来ることを!

2010-01-05 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな

就活くたばれデモ@TOKYO

新年早々から告知です。

若い人から頼まれたんでね。

 

2009/11/29のエントリーで触れた、「就活くたばれデモ」が東京でも開催されるそうです。

就活くたばれデモ@TOKYO開催要項ページ

デモの概要(正式決定)

■日時:2010年1月23日

■当日の解散・集合場所等

 14時:水谷橋公園に集結

 14時半:簡単な事前説明等を行います

 15時:デモ出発(この時間は厳守でお願いします)

 リクルートHRマーケティング文部科学省経済産業省厚生労働省

 終了次第:日比谷公園にて解散


「なんで土曜日開催なのなの?」とか「なんで一回限りとか言っちゃうの?」「なんで『ストレス発散』とか言っちゃうわけ?」「なんで既存団体との接触をいやがるの?」「目的はなんなの?」とか、いろいろ突っ込みどころ満載ですが、ここは「大人のスルー力」が試されてると思って、ぐっと我慢です。


とういうことで、札幌で火がついた動きが、ぼつぼつとではありますが、いろんな地域に飛び火していっているようですな。


第二子の出産予定日が1/20なので、なんとかぎりぎり私も参加なり見学なり出来そうな日程です。

常日頃、「シュウショクカツドーなんて、キモいから、この世の中から消えてなくなってしまえばいいのに」と思ってるんで、なんとか参加なり見学なりしたいもんだと思ってます。

(かえすがえす申し上げますが、「なんで土曜日なの?」とかいう質問はこういう時はしちゃいけないんですw)

みなさんも、ご都合があえば、参加/見学/カンパなど、よろしくお願いします。



ところで・・・

 



就活ってやっぱキモいよね。


いや、まじで。

キモくね?


「自己分析」とか「会社研究」とかいっちゃってるけどさ、自己なんて自己で分析できないって。

会社研究とか業界研究とか言い出すけど、そんなの研究できるはずがない。財務三表でもならべて二十歳やそこらの若い人が「うーん」って唸ってみせたって、なんのご利益もない。

で、内定取れなかったら、杉村太郎とかの胡散臭い連中が「自己分析が足りない」「会社を知らなさすぎる」とかぬかすわけでしょ。


水伝以上に、イカガワしい。


それになんですか、あの、「リクルートスーツ」とかいう格好は。あんなのなんで着ちゃうわけ? あんなの着せる方も着せる方なら、着る方も着る方です。みんな同じ格好して/させて、恥ずかしくも何ともないんですかね?

でまた、あのリクルートスーツなんて、着回しできるのなんて、よくて半年です。社会人になって会社で仕事しだしたら、あんな格好、恥ずかしくてすぐにできなくなります。なんでちゃんとしたスーツを買おうという気にならないのかね。

断言してもいいですが、「リクルートスーツ」なんて言葉、1990年代にはいるまで、存在すらしなかった。

その証拠に、吉岡秀隆演じる寅さんの甥っ子が就職活動の行き詰まりに悩む、「男はつらいよ」の第四十六作「寅次郎の縁談」を一辺でもみてみてください。純くん・・・もとい、吉岡秀隆は、面接いくとき、薄茶のスーツを着てセカンドバック(!!)をもって出かけてますからね。事実、私の子供の頃の記憶でも、就職活動してる大学生のおにーちゃんおねーちゃんって、いまよりもっと多種多様な服装をしてました。

まあ、きっと、どこぞの広告代理店なりカモメ印の雑誌屋さんなりが、お得意の『秘技・横文字並べ」でも繰り出して、「セグメンテーション」とかいいながら、ムリクリ市場と需要を作り出して、人の足元をみて金を巻き上げてるからこそ、こういう奇習がひろがるんでしょうな。


ホメオパシーより、胡散臭い。



そんなこんなで、私は「就職活動」なるものが、大嫌いです。

大人の都合で採用枠を広めたり狭めたりしときながら、「自己分析が足りない」「業界研究が浅い」などとの言い掛かりをつけて、「自己責任」の美名のもと、責任を若い人に押し付ける。

その一方で、「勝つ為なら、これを着ろ」とお仕着せのスーツを押し付けたり、説明会への交通費などで、若い人からなけなしの金を巻き上げる。


きょーびね、田舎のヤクザでももうちょっと小奇麗なシノギするっちゅーの。


こんな、「大人の都合と欲得のオンパレード」で、若い人が翻弄されてていいわけがない。こんな小手先の小金稼ぎで、若い人が人生悲観するなんて、あっていいわけない。

いや、マジで。いっぺん冷静に考えてみ。


「社会人への通過儀礼」とか「自分を見つめ直すいい機会」とか「一生の仕事を見つける為には通らなければ行けない道」とかさ、そういう、戦前の陸軍の「戦陣訓」にも採用されなさそうなあやふやな精神論はさておき、いまの「就職活動」のあり様を考えてみ。

やっぱおかしいでしょ。こんな苦労(それも愚にもつかない苦労)を大学3年生に課しているって、社会として歪でしょ。


で、この「新卒至上主義」ってのは、とどのつまり「プロパー至上主義」と「コミットメント至上主義」という、日本型雇用慣習の悪しき面に一直線でつながっているわけです。

そう考えると、この意味の分からない新卒諸君の就職難というのは、大人にとっても他人事じゃないはず。


若い人だけじゃなく、おっちゃんもおばちゃんも、いっしょに暴れた方がええと思よ。


ということで、今日は、告知と与太話でした。

本年も、よろしく!

2009-12-26 道具が思考を支配する

パワポ不況

 

ブクマにも書いたけど、こっちで補足。

   

ディリーポータルZ:東京の看板が、白かった

  

確かに、景況感が冷え込んでいるために広告業界はどこもかしこも痛い目にあってる。白い看板がふえたのも、単純に考えると、「不況の影響で企業が広告予算を減らしているから」とも言えなくない。

 

でもねぇ。

 

リーマン的な発想からいうと、これ、予算「額」のせいじゃない。

リーマン諸氏には御共感いただけるとおもうが、もし諸氏が、社内の広報部等にいて、新しい広告の企画を社内で通そうとしたとき、いまどき、「屋外看板だしましょう!」的な企画書書く? おそらく、「WEBにバナーだしましょう」「Yahooのトップページの一区画をN万円で買いましょう」とかいう企画書を書くんじゃね?

 

そっちのほうが、通り易いし、だいいち、書き易いでしょ。パワポでどんな絵をかけばいいかもすぐに頭に浮かぶ。

 

以上は、ブクマにも書いた事。以下が補足。

 

直感と肌感覚の話で恐縮だが、この「パワポで書き易い話」ってのが、どーも、「なんか世の中ぱっとしねぇ」の原因の一つなんじゃないかなぁと、思ってたりする。

  

話がえらい矮小化してるのは、自覚してんだよ。

 

でもね、冷静に周りの企画書みてみ。

 

パワポで書き易い/パワポで表現し易い」ラインに企画のレベルが小さく纏まってるような気がしねぇ?

発想の内容が、まるで、「考える最中に、『ああ、あのクリップアート使おう』と思いながら考えてました』ってな思惑が見え隠れするアイデアばっかりだったりしないか?

 

雲のオートシェイプ使って「クラウドがぁ」とか、円柱ならべて、「DBがぁ」とかさ。

 

 

パワポのおかげで、どんな馬鹿でも、手先さえうごかしゃ、いっぱしの事が表現できるようになった。

でも、サブスタンスはお留守になっちゃった。

血反吐はく位考えて、考えた結果を、文字だけで文書化するなんて文化はだんだん薄れてきている。だって、そんな事しなくたって、テンプレとか「nつの方法」とか見ながら、手先をうごかしゃ、なんとか、いっちょまえの紙はできあがるんだもん。

  

で、世の中的にも不況だから、「成功しそうな企画」よりも「失敗しなさそうな企画」の方が通りがよかったりする。

 

「見栄えだけはいっちょまえだけど、失敗するリスクは取りたくない」っていう発想ばっかりが動き回りつづけると、話はどんどん小さく/薄くなって行くばかりだとおもうんだよな。

 

その結果が、いまの「なんかぱっとしねー世の中」なんじゃないかなと思ったりする。

 

なので俺は、この不況を、誠に乱暴ながら、「パワポ不況」と呼んでみることにする。

 

・・・なんかわけわからんけど、まあそういうことだ。




追記

考えてみると、「クラウドコンピューティング」って言葉は、MSOfficeにあの雲のオートシェイプを仕込んでたからこそ生まれた言葉じゃねぇの?

あのオートシェイプがなかったら、今頃、「サーバーサイドコンピューティング」とか他の言葉で呼んでたんじゃないのかな。

 

という意味では、クラウドの生みの親って、googleでもamazonでもなく、MSなんじゃねw

 

 

追記2

そーいえば、ちょっと前に、id:jkondo がハイクでこんな事を言っていたことを思い出した。

世の中はパワーポイントで動き始め、エクセルで管理されている。

by jkondo 2009-06-03 08:31:08

世の中はパワーポイントで動き始め、エクセルで管理されている - こんどう - こんどう - はてなハイク

とても「はてな」らしい総括というか感想だと思った。

まあ、はてなの場合、業界が業界だし、まだ若い会社だってこともあって、これでもええんだろう。

が、これを、もうちょっと落ち着いてなきゃいけない、製造や小売や金融までも真似しちゃってて、世の中全体で「あちゃー」ってことになっちゃってんじゃないのかね。

2009-11-24 大学は出たけれど

学生よ! もっと暴れろ!! 

就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で−北海道新聞について、ブクマのコメントでは書き足らないので思うところを補足。

  

「大学は出たけれど」と言う言葉が、初めて流行語になったのは、小津による同名の映画が公開された、1929年つまり昭和4年の事。小津の「大学は出たけれど」は、極初期の作品でありながら、すでに「細やかに生活を描く」という後年の作風の片鱗を見せていてとても興味深いものであると同時に、昭和初年の日本が誇る「軽やかなコメディー」を味わえる小気味のいい名画で、学生諸君にもこの映画を一辺見てみて、「邦画ってすげー」っていう実感を味わってもらいたいんだが、そんな話はさておく。

 

で、「大学は出たけれど」って言葉が流行ったのは、昭和4年。

 

昭和4年といえば、片岡蔵相の失言東京渡辺銀行の取付騒動に象徴される昭和金融恐慌が発生してから二年。普通選挙実施の翌年。どうしようもない不況のどん底の中、政府は有効な経済対策を打ち出すことができず、次元の低いポスト争いと普選を意識した国民向けの甘言だらけのパフォーマンスに終始し、ついに「満州某重大事件」の後始末の悪さを天皇に叱責された田中義一内閣総辞職するという前代未聞の政治喜劇が起きた年。

 

そんな年に、「大学は出たけれど」という言葉は流行った。


一説によると昭和4年の大学新卒者の就職率は30%を切ったと言う。氷河期氷河期。もう、超氷河期だったわけだ。大量の就職浪人が街にあふれた。そんな年の秋、無残にも東北北海道は100年に一度と言われたほどの深刻な冷害に襲われる。「昭和饑饉」とまで呼ばれた冷害に小作農民たちは為す術もない。家々に「娘売ります」の張り紙が張り出され、東京からやってくる女衒は賓客の扱いを受けたという。

 

そして昭和4 年の十月。そんな惨状にあえぐ日本を知ってか知らずか、アメリカ株価暴落する。いわゆる「ブラック・サースデー」ってやつだ。当時からアメリカは日本の最大貿易相手。そのアメリカ経済の急激な冷え込みにより日本の経済は致命的な打撃をうけてしまう。


どうしようもない惨状の中、当時の若者も追いつめられていく。


余談ながらここまで書き進んで、山岡荘八の逸話を思い出した。山岡荘八は1907年生まれで当時22歳。後に国民作家と呼ばれた彼も当時は無職で食うや食わずの生活を強いられていた。そんな窮状を知り合いの年長者に相談したところ、「甘えたことを抜かすな。仕事がなくて時間を持て余しているのなら、毎朝、家の前の掃き掃除でもしろ。毎朝続けてりゃ、『あんな真面目な子なら』と、近所の人がどっか見つけてくれらぁ」と説教をされたらしい。まあ、いつの世も無神経な自己責任厨ってのはいるもんだ。

 

閑話休題


追いつめられた若者は、新天地に活路を見いだそうと満州に渡ったり、院外団として政治ゴロとなったりとなんとか糊口をしのごうとする。しかし最も刮目すべきなのは、優秀な学生が、非合法化直後の共産党に身を寄せるか、反対に帝大七生社などを経て血盟団などの右翼結社に吸収されていく傾向が強かったということだろう(ちなみに、田中清玄による武装共産党路線も昭和4年。東大新人会と七生社の抗争がピークに達したのも昭和4年)。優秀な若者たちは糊口をしのぐのではなく、社会変革に賭けたのだ。


しかし、みなさんご承知のように、この若者たちによる社会変革運動は、あるいは内部抗争によって、あるいは官憲の白色テロによって、その芽を摘まれてしまう。昇華できない若者たちの変革の叫びは、陰鬱さを帯びはじめ、昭和五年以降の「テロの時代」に突入し、最終的には「権門上に傲れども国を憂ふる誠なし。財閥富を誇れども社稷を思ふ心なし」と嘯く軍部にその活力を吸収され利用されてしまう・・・


その後の歴史はもう、みなさんご承知の通り。





私はなにも、「昭和四年の状況が今に似ている」などと言うつもりはない。確かに似てはいる。しかし私は馬鹿だが「この道はいつか来た道」と指摘して悦に入るほど短慮ではない。また、昭和五年以降の浜口雄幸襲撃事件や5・15事件などを引き合いにだし、「若者の主張に陰鬱さが増すと、やばいぞ」などというつもりはない。


ただはっきり言えることは、昭和金融恐慌のあおりを受けた昭和四年の大学四年生や既卒者達も、平成不況のあおりを受けている平成二十一年の大学生達も「大人たちの都合の犠牲者」にすぎないということだ。


学生達にはなんの非もない。

今の学生が就職難に対する愚痴をこぼすと、大人たちが訳知り顔で、「ゆとり教育の弊害」とか抜かしやがるが、だったら昭和四年の学生達も、ゲーテドイツ語で諳んじる学生がごろごろいたあの頃の学生も「ゆとり」だったのかと、問い詰めてやりたい。


彼らが苦しみ、もがいているのは、どう考えたって「大人たちの都合の結果」なんだ。

彼らより早く生まれ、彼らが今から参入する「社会」というものの既存構成員たる我々大人がやるべきことは、彼らを訝しんで拒絶することではなく、自分たちが次世代に押し付けようとしている「不都合な結果」をしっかりと受け止めることのはずだ。


大人たちが、若者を拒絶し、「不都合な結果」に向き合うことを拒否し、自分の頭で考えることを拒否したら、世の中がどうなってしまうかは、昭和5年以降の歴史が雄弁に物語っている。


なので、大人たちよ、我々が彼らに押し付けている「不都合な結果」をしっかりと受け止めようじゃないか。




そして学生諸君。

諸君らは若い。若さは諸君らが思っているより強力な武器だ。つらいだろうががんばれ。今の君たちに「がんばれ」という声をかけるのは、大人として無責任な事だということは十分に自覚している。しかし、がんばれ。そして、どうしようもなくなったら、暴れろ。おおいに明るく朗らかに暴れろ。デモもしろ、座り込みもしろ、「なぜ若者に不都合を押し付けるのだ!」と大きな声をあげろ。大きな声を上げるべき時に、大きな声を上げ損ねた「氷河期の先輩」である俺達団塊ジュニアの轍を踏むんじゃない。大いに暴れて暴れまくれ。それが自分のためであり、世の中のためだ。


さっき紹介した「権門上に傲れども国を憂ふる誠なし。財閥富を誇れども社稷を思ふ心なし」というのは、ご承知のように、「昭和維新の歌」の有名な一節。この歌は三上卓によって昭和五年に書かれた(土井晩翠からの盗用が多いんだけどね)。おそらく彼の筆に、昭和四年の受難を押し付けられた日本中の若者の怨嗟の声が乗り移ったんだろう。三上はこの曲を一晩で書き上げたそうだ。

しかし三上は、この曲を書いた2年後、首相官邸に乱入し犬養を暗殺する。

そして、犬養の死は、日本の議会制民主主義の死でもあったのだ。


「我々はいま、『平成の三上卓』を生みかねない状況にいるのだ」という認識のもと、俺は大人の一人として、君たち若い世代にツケを回さないようがんばる。



だから学生諸君よ、君たちもがんばれ、超がんばれ!

そして陰鬱になる前に




もっと暴れろ!