群発地震とは

地震活動の一種。ある一定の震源域において、断続的に地震が多発するものである。
主に火山活動・プレートの移動(マグマの移動)が発生の要因である。噴火の直前はかなりの数の地震が起きる。群発地震に関しては、とくに「本震」・「余震」といった区別はされない。
記録に残る代表的な群発地震としては、長野県の松代群発地震静岡県伊豆半島で度々発生する伊豆半島東方沖群発地震(最近では2009年末に発生)、また2000年に発生した伊豆諸島北部群発地震が有名である。
無感地震が多発するのみの場合もあれば、震度5や6クラスが立て続けに発生する場合もある。また、短期間で断続的に地震が発生し続けるため、船酔いのような感覚や寝不足などになる人もおり、さらに強い揺れによる被害の増加などによって日常生活に多大な影響を及ぼす時もある。ノイローゼにかかる人もいる。一方で、震源地周辺住民にとっては地震が日常茶飯事となり、地震の少ない地域の住民に比べ、発生時の行動は落ち着いているとも言える。
大きな規模の地震が発生した際に断続的に発生する余震は群発地震とは呼ばない。ただし、群発地震が大きな規模の地震の予兆現象になることはある。

1960年チリ地震
1960年チリ地震とは1960年にチリを震源として発生した地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害をもたらした。
地震は5月22日15時11分14秒(現地時間)に中部の都市バルディビア近海で発生、表面波Ms8.5、Mw9.5と有史以来観測された中で最大規模の巨大地震である。最大震度は気象庁震度階級では震度6相当とされている。
まず前震がM7.5で始まりM7クラスの地震が5〜6回続いた後、本震がMs8クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために首都のサンティアゴ始め、全土が壊滅状態になった。地震による直接的な犠牲者は1743名。負傷者は667名。
この地震によりアタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2.7m沈み込むという大規模な地殻変動も確認された。また有感地震が半径約1,000kmという広範囲にわたって観測された。史上初の地球自由振動の観測に成功し、発生した地震波は地球を3周した事がアメリカでの観測で確認された。
本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約15時間後にはハワイ諸島を襲った。ハワイ島のヒロ湾では10.5mの津波を観測し、61名が死亡した。
日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6mの津波三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。
津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布では11名が死亡。浜中町では1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度にわたって市街地は壊滅的な被害を受けた。街の中心でもある霧多布村はこの津波により土砂が流出し、北海道本島より切り離され島と化した。現在は陸続きだった所に2つ橋が架けられており、本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するためである。
また、同じく度重なる津波被害を受けた田老町(現宮古市)では高さ10mの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震でも津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。
地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かった事が指摘され、以後気象庁は日本国外で発生した海洋型巨大地震に対してもハワイの太平洋津波警報センターなどと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。

関東地震とは

相模トラフを震源とするプレート境界型地震である。200年以上の周期で繰り返し発生していると考えられている。明確に記録に残っているのは1703年の元禄関東地震と1923年の大正関東地震の2例のみである。関東では相模湾(相模トラフ)プレート境界を震源とする巨大地震が繰り返し生じていると考えられており、1703年にマグニチュード8.1の元禄関東地震(元禄大地震)が、220年後の1923年に大正関東地震が記録されている。1923年の地震を単に関東地震と呼ぶ場合があり、その被害を関東大震災と呼ぶ。その間に発生した1855年安政の大地震震源断層が特定されておらず、通常安政江戸地震と呼び関東地震には含めない(詳細は後述)『類聚国史』に記された818年(弘仁9年)7月の地震を含める場合もあるが、相模・武蔵・下総・常陸・上野・下野等国とされ上総と安房が記されていないこと、津波の被害の記述がないことなどの理由で萩原尊禮などはこの地震を内陸地震としている。関東地震の発生間隔は200年〜400年以上で、1703年と1923年の関東地震はほぼ最短の間隔で発生したと考えられている。大正型関東地震震源域の南端は神奈川県西部から野島崎付近までである。一方、元禄型関東地震震源域には房総半島南方沖も含まれ、このような地震は約2000年周期で発生すると推定されている。なお、1855年安政の大地震震源域が関東地震より北側で、1894年の明治東京地震と同様のタイプと考えられている(南関東直下地震)。

1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒、神奈川県西部を震源として発生した(古い文献では、北緯35.1度、東経139.5度の海上震源としているものもある)。M7.9。
前震
8年前
1915年(大正4年)11月、東京で有感地震が過去最多の18回
その後地震は沈静化。
大森房吉・今村明恒両博士の関東大地震論争。
2-3ヶ月前
1923年(大正12年)5月-6月、茨城県東方で200-300回の群発地震(有感地震は水戸73回、銚子64回、東京17回)。
本震
大正の関東地震(とそれに連続して発生した余震)は、5分間に起きた3つの地震(本震と余震2回)で構成され、計5分以上の揺れを引き起こした。

1)1923年(大正12年)9月1日11:58、M7.9、関東大震災・本震(関東地震)。
震源の小田原直下から岩盤の破壊が始まり、北米プレートとフィリピン海プレートがずれ始めた。破壊は40〜50秒かけて放射状に広がり、北は現在の川崎市の地下35km、南は現在の館山市の地下5km、東は房総半島端にまで広がり、全体で長さ130km、幅70kmの岩盤(断層)が、平均で2.1mずれた。特に強い揺れを生んだのは、最初に始まった小田原−秦野の直下での岩盤破壊(第1イベント)と、その約10-15秒後に始まった三浦半島の直下の破壊(第2イベント)である[8]。この2つの領域はアスペリティと呼ばれる部分で、プレート同士が特に大きくずれ、ずれ幅は5mを超えた。
この地震は2つのイベントが組み合わさっていることから、「双子の地震」や「2つの地震の組み合わせ」などと呼ばれることもある。
この地震の原因は、フィリピン海プレートの沈み込みによって生じた、プレート境界での北米プレートの跳ね返りとされる。フィリピン海プレートと北米プレートが、主に2つのアスペリティで強く引っかかっていたが、まず震源となった小田原直下のアスペリティで岩盤が沈み込みで加わる力(応力)に耐えられず破壊され始め、ずれが三浦半島直下に達すると2つ目のアスペリティも連鎖的に破壊されたと考えられる。
東京など離れた地域ではこの2つのイベントの違いを区別できず、連続した強い揺れとして捉えられた。震源に近い地域でははっきりした揺れの変化が捉えられている。
2)同日12:01、M7.3の余震。
3)同日12:03、M7.2の余震。
津波
関東地震の原因とされるフィリピン海プレートの沈み込みによって生じたプレート境界の跳ね返りによって、津波が発生した。

地震の数分後、太平洋沿岸地域-伊豆諸島にかけて津波が襲った。
熱海で高さ12mの津波を記録。
房総半島で高さ9mの津波を記録。
土石流
地盤の沈降が発生、これらにより土石流が起きた。

丹沢山地を中心に地盤の沈降と土石流。地盤の隆起・沈降 [編集]地盤の隆起が確認された地域。

房総半島のうち震源に近い南部地域。九重村 1.81m、北条町 1.57mなど。
相模湾に接する三浦半島全域
相模湾北岸(現在の江ノ島がその例である)。大磯 1.81m、茅ヶ崎 1.4mなど。
地盤の沈降が確認された地域。

東京府南葛飾郡地域。旧平井村 0.38m、砂町 0.27m、亀戸 0.24mなど。
余震
9月1日
12:17 M6.4/相模湾付近
12:23 M6.6/神奈川県中部
12:39 M6.6/三浦半島沿岸
12:48 M7.0/東京湾
13:30 M6.3/神奈川県西部
14:23 M6.7/神奈川県西部
15:19 M6.5/千葉県東岸
16:38 M6.8/山梨県東部
9月2日
11:46 M7.3/千葉県勝浦沖
18:27 M7.1/房総半島沖
22:09 M6.5/神奈川県西部
1924年1月15日05:50 M7.3/神奈川県西部(丹沢地震) - 死者19名、負傷者638名

震源は、地震(岩石の破壊)の発生した

地下の場所を意味する。震央(後述)とは異なる。岩石の破壊は震源となる場所一か所で起こるものではないので、岩石の破壊が最初に発生した場所を震源と言い、岩石が破壊した領域を震源域(しんげんいき、hypocentral region、focal region)と呼ぶ。震源域はその規模によって大きく異なり、場合によっては数百kmにおよぶこともある。地震学においては、震源域と断層面はほぼ同義である。
小規模な地震では震源域が極めて小さく、岩石破壊が震源に集中している場合も多い(ポイントソース)。逆に大規模な地震では震源域が広い。よくある誤解として、例えば兵庫県南部地震震源が淡路島であったことから、“淡路島で発生した地震で、やや離れた神戸に被害が大きかった”と考えてしまうことがあるが、この場合も“岩石の破壊が最初に発生した場所”である震源が淡路島であるにすぎない。実際に岩石の破壊した領域、すなわち震源域は神戸市の直下まで伸びていることが、余震分布などから明らかになっている。

このように岩石が場合によっては数百kmにわたり破壊される地震という現象の中で、単に岩石の破壊が始まった点にすぎない震源が重視されるのは、震源のみが後述のように地震波の到達時刻をもとに、地震発生直後に判定できるからである。地震の規模と断層の長さの関係の目安を示す。岩石の破壊の始まった震源の位置は、地上の複数(3または4点以上)の観測点で得られた地震波形から、P波とS波の初動到達時刻を読み取り、決定する(グリッドサーチ法)。平面座標(緯度・経度)及び深さによって示される。気象庁では緊急地震速報を発表するために、1つの観測点で得られた波形だけから震源を一時的に推定することもある(BΔ法、テリトリー法)。当然、多くの波形が得られていたほうが震源の決定精度は高い。しかしグリッドサーチ法でも震源の深さを求めることは難しい場合があり、余震活動や、震源から数千km離れた観測点の波形を用いることで決定される。
実際には、岩石の破壊は震源にとどまらず、大地震の場合は数十km以上にわたって破壊が広がるわけであるが、その様子については地震波形からは明らかにすることはできない。それは真っ暗なトンネルの中でたくさんの鐘を鳴らすようなものである。この場合、最初に鳴りはじめた鐘がどの方向にあるかは辛うじて分かるものの、一斉に鳴り、さらに壁の音の反響もあると、もはやそれぞれの鐘の配置など分からない。地震波もそれと同様で、最初の1点については判定できるものの、その後どうなっているかは直接は分からない。故に地震のその他のパラメーターと震源域は、以下のように様々な分析と、震源域でその後に発生する余震の分布をもとに判定される。

地震は地下の断層運動と考えられるから、地震を起こすことによってどれだけ断層が動いたかを示せば、地震の発生メカニズムを示すことになる。これを震源パラメータと呼ぶ。震源パラメータも観測される地震波形から求められる。まず地震波の初動が「押し」であるか「引き」であるかを識別してこれを図に描き、震源球を作る。これは整理されてメカニズム解として表される。すなわち、断層の走向(strike)、傾斜(dip)、すべり方向(slip vector)である。このメカニズム解と、観測された地震波形の振幅から、断層がどれだけ動いたか(すべり量)を決定する。このほか、震源パラメータとして重要な断層面の面積は、余震分布、地震後の地殻変動である余効変動、地震波の周波数の解析、津波などから求められる。震源直上の地表部分を震央(epicenter)と呼び、これには深さのパラメータはない。マスコミなどで俗に震源地と言われているものである。震源の深さの決定は難しいが、震央は比較的簡単に求められる。震央が海上にあった場合、津波の危険があるため津波警報発令等の対策を取るなど、まず震央を求めることが重要になる場合もある。震源という言葉は、ものごと(とくに事件や騒動)の原因や渦中という意味で使われることがある。震央という言葉をなにかのたとえに使うことはほとんどない。

地震学とは

地震の発生機構、およびそれに伴う諸事象を解明する学問である。広義では地震計に記録される波形を扱う様々な研究を含む。地震の発生は、日本・アメリカ合衆国西海岸・南米・インドネシアなどの環太平洋地域と地中海沿岸などに集中しており、他の地域ではほとんど起こらない。従って、地震に関する研究もこれらの地域で進んでおり、日本はアメリカ合衆国と並んで先進的な位置にある。地震学の研究は大学や政府機関が主導する場合が多い。たとえばアメリカ合衆国アメリカ地質調査所、日本の東京大学地震研究所などが挙げられる。中華人民共和国ルーマニア・チリなどの準先進国発展途上国でも政府機関主導の研究がさかんである。また、こうした国では地震による人的被害が大きくなる傾向にあるため、地震の研究は国家的課題である場合も少なくない。古典的な地震学は、震源を点と見なし、地震計で観測された波を弾性波理論により説明することから始まった。1950年代には、震源がシングル・カップルかダブル・カップルかという論争があり、ダブル・カップルであるという考えが認められ、1960年代のプレートテクトニクス理論を通じて、震源を断層とする考えが受け入れられていった。

地震学は地震波形を解明することが重要となる。そのため地震学の進展は、地震計の性能や設置状況に大きく依存していた。たとえば第二次世界大戦以後、アメリカ合衆国では核実験探知を目的として西側諸国を中心に世界中に地震計を設置した。これらの地震計が今日の地震学の発展に大きく寄与している。また、1970年代頃まで、地震波記録は地震計が設置された場所で紙に記録されていたため、記録の回収と解析に多大な苦労を要した。しかし1970年代後半から、アメリカ合衆国や日本では電磁的に記録して一元管理する体制(テレメーター)が整備され、それに伴い地震学が大きく進展している。さらに1990年代以降はGPSの利用が進み、地殻変動が広範かつ高精度で捉えられるようになると、測地学の分野から地震の様子を明らかにする動きが進んだ。

地震学の研究の多くは、地震予知を目標として行われてきたが、近年、国の政策は地震予知から、地震が起きた際の被害予測・防災対策へと重点が動きつつある。
1970年代まで、地震学について詳述した書籍は非常に少なかった。1980年に安芸敬一とPaul G. Richardによって「QUANTITATIVE SEISMOLOGY」(邦題「地震学-定量的アプローチ」)が書かれ、地震学者や研究者を志す学生に愛読された。その後はアメリカを中心に地震について網羅的に扱った書籍が次々と出版されている。日本では宇津徳治の「地震学」が初学者に広く読まれているほか、同じく宇津の「地震活動総説」や宇佐美竜夫の「日本被害地震総覧」などが専門家の間でも普及している。

先進国では大学において地震学教育を実施している。たとえば日本では東京大学地震研究所や京都大学防災研究所などがその例である。一方で発展途上国においては21世紀初頭の今日においても地震学の専門家の育成が急務となっており、アメリカや日本などに留学する者も多い。反対にアメリカや日本の専門家が途上国で教育を行う場合もあり、人材交流に際して日本では国際協力機構が重要な役割を担っている。
また学問の性質上、一般市民への啓発が課題となっている。兵庫県南部地震の際には、近畿地方活断層が多いと専門家らが認識していたにもかかわらず、市民の間には「京阪神周辺は地震が少ない」という地震安全神話があり防災意識が低かったという反省から、専門家はあらゆる情報を分かりやすく伝えるという責任が再認識された。その後、一般市民を対象とした書籍が数多く出版され、講演なども活発に行われるようになっている。

地震動とは

地震によって発生する揺れのこと。地震の揺れを振動として捉えた、あるいは工学的に見た概念であり、波動として捉えたり、物理学的に見た場合は地震波と呼ぶ。一般的には地震動自体も「地震」と呼ぶことが多い。地震動は連続的な動きではなく、短い周期で動きを多数繰り返す振動である。繰り返しの振動の主要な部分は、地震を発生させている断層で加圧(固定)→開放(ずれ)→加圧(固定)→開放(ずれ)…の過程が非常に短い周期で繰り返されることによって生まれる。地震を発生させる断層では、地震を起こす際に面同士が強い力によってずれるが、ずれる面は岩盤や固い土砂であるため滑らかではなく、ずれる面は極微小地震マグニチュード1未満の地震)でも数m²、M9以上の地震でおよそ1万km²と非常に広いため、ずれる速さは一定にはならず、場所によってずれる速さやずれやすさにばらつきが出るなどして、不均一な振動となる。
発生した地震動は、およそ3〜7km/sで周囲に伝わっていく。伝わる速さや伝わりやすさは振動の性質によって異なる。

また、地盤の性質(地質)によっても地震動の伝わる速さや伝わりやすさは変わる。地震動が伝わる過程で、弱まることを減衰、強まることを増幅ということが多い。地盤の性質や振動の性質によって、地震動が干渉・合成され、地震動の周期が変化したりすることがある。これら振動としての性質は波動として考えることが多く、詳細は地震波を参照のこと。また、ベクトルである地震動を方向別にスカラーとして捉えた場合、上下動成分、南北動成分、東西動成分の3つに大分されることが多い。縦揺れ、横揺れといった特徴は、地震波の差ではなく、上下や東西南北といった地震動の方向の差によって生まれる。振動(地震波)の性質によって、地上の揺れのパターンには一定の法則が生まれる。震源で発生した地震動(地震波)は、有限の速度をもって周囲に伝わる。その速さはおよそ3〜7km/sで、音波の10〜20倍も速いが、光速度と比べれば5万〜10万分の1にとどまるため、地震が発生してから周囲の地表が揺れるまでには時間がかかり、その時間は震源から遠くなるほど長くなる。この時間差を利用したシステムが地震警報システムである。

地震動のうち、周期が短く伝播速度が7km/s前後と早いP波は、最初に到達してカタカタという小さな揺れをもたらし、初期微動と呼ばれている。揺れが小さいのは周期が非常に短く減衰が大きいためであり、震源に近いところではあまり減衰していないP波によって地鳴りのような音が発生する。周期が比較的長くP波の半分ほどの速度で伝播するS波は、初期微動の後に到達してガタガタという激しい揺れをもたらし、主要動と呼ばれている。地震によってS波の周期は異なり、卓越する地震動の周期(最も振幅が大きい地震動の周期)も変わるため、被害の様子も変わってくる。また、さまざまな周期を持ち周期によって速度が異なる表面波は、被害を起こすような周期の振動がS波よりもやや遅れて到達する。表面波は減衰が少ないので遠くまで到達し、ユラユラという揺れを、震源から数千km離れた地点でも発生させる(特に高層建築物内で揺れやすい)。表面波と、S波到達後に続くP波も主要動に含まれる。P波とS波の最初の到達時間の差を初期微動継続時間といい、複数の離れた地点の地震計で得られた初期微動継続時間から、震源の位置を推定する。地震動(地震波)の伝播速度は地盤によって変わるため、実用的には、地質調査によりあらかじめまとめておいた地震波の伝播速度のデータを、観測データと比較しながら計算を繰り返し、詳細な震源の位置を決定する。

周期で見た地震
周期別に、地震動は6つに分けられる。
周期が長いほど減衰しにくく、長距離を長時間伝わる。また、地震動を伝える地盤が固いほど、周期が短い地震動を伝えやすい。
周期と被害の関係については、1980年代ごろから地震計の精度が向上したことを受けて、解明が進んだ。現在も研究が進み、防災の面から新たな発見も期待されている分野である。
周期0.5秒以下の地震動。屋内の家具や物などが最も揺れやすい周期。計測震度計の感度が最も強いのがこの地震動であるため、震度と被害や体感震度との間のずれを生む原因とされている。
周期0.5秒〜1秒の地震動。やや短周期地震動も含めることがある。人間が最も揺れを感じやすい地震動。
稍短周期地震動(やや短周期地震動) [編集]周期1秒〜2秒の地震動。木造家屋、非木造の中低層建築物が最も揺れやすい地震動。
人間が住む建造物の多くはこの周期の揺れで最も被害を受けやすいため、この周期の地震動が長く観測される(卓越する)と人的被害が大きくなる傾向にある。このことから、俗にキラーパルス(killer pulse)と呼ばれる。キラーパルスに関しては、はじめの揺れの振幅や振幅の継続時間、あるいは初動の揺れの方向によって、建物の壊れやすさが異なるという研究結果もある。
周期2秒〜5秒の地震動。巨大なタンクや鉄塔など、中規模建築物が最も揺れやすい地震動。
周期5秒以上の地震動。やや長周期地震動も含めることがある。高層建築物や超高層建築物が最も揺れやすい地震動。周期が短いものに比べて、建物などが揺れる幅が大きく、重いものが建物の揺れにあわせて高速で移動し人や物を傷つけるといったことが起きる。
周期数百秒以上の地震動。地球全体が最も揺れやすい地震動。
地震動を振幅の大きさや傾きで見た場合は、変位、震度、速度、加速度などを用いる。
変位は地震波の波形などから見ることができる振幅の大きさである。震度は地上における地震動の大きさを被害の程度を考慮して算出されるもの。速度は単純に地震動の速さを表す。加速度は地震動の変化を表すもので、加速度が大きいほど激しい揺れとなる。

免震は

構造設計(とくに建築構造)の概念であり、地震力を抑制することによって構造物の破壊を防止することを意味する。これと比較すべき概念としてまず挙げられるのが耐震である。耐震は、地震力を受けても破壊しないという意味であり、構造的に頑丈であること・偏心が小さいことなどを目指して安全をはかることである。簡単にいえば耐震は地震力を受けても壊れない(耐える)ことを指し、免震は地震力をなるべく受けない(免れる)ことを指すのである。この他にも制震という概念があり、これは構造体内部に震動を吸収する装置を組み込むことで構造物の破壊を防止することをさす。特に近年の大型建築物などでは、免震・制震・耐震すべてを考慮し、技術を組み合わせることで安全性を高めている。

効用
免震技術の最大の目的は、大地震の際の人命や財産の被害を防ぐことである。しかし、建築物の用途によっては、小規模な地震による地盤の震動を防止することも望まれる。工場においては、小規模な地震であっても精密な製品や機械の動作に影響をもたらすことがある。そのため、たとえ大地震の危険の殆どない地域であっても、工場に免震を行うことで、製品の不良率を下げていることがある。建築以外でも、機械や設備に免震性能が要求されることがある。たとえば、データセンターなどではサーバマシンにダンパーやアイソレータで免震措置を施し、衝撃によるデータの損失を防いでいることが多い。近年ではデータセンター等のスペック表示において「免震」が強調されている。また、個人ユーザや小規模サーバ運用者向けにも、特にハードディスクなど衝撃に弱いハードウェアの損傷を防ぐための免震台が製造されている。

既存建築物等の免震化
既存建物を免震化することを免震レトロフィットという。歴史的な価値を認められた建造物の多くは、免震技術などない時代に建てられたものである。それらの保存のために免震レトロフィット工事が行われている。ただし、躯体をジャッキアップしてダンパーやアイソレータを設置し、場合によっては周囲を掘り下げて基礎に手を加えるなど、免震装置の設置には多大なコストがかかる。東京・上野の国立西洋美術館ル・コルビュジエ設計)は、1998年(平成10年)に大規模な免震工事を行った。もともと免震構造をもたない建築物であったが、地下部分を含めた建物全体の下に免震機構を設置し、全体を「浮かせる」ような形へと改修したのである。さらに、芸術品を地震から守る措置の一環として、前庭の「地獄の門」などのオーギュスト・ロダン作の彫刻群に免震台を設置した。住宅の免震化は、工事が難しい・あるいは建物重量が軽いために効果が薄いとされてきたが、近年では住宅メーカーなどの企業、あるいは産学協同プロジェクト等において様々な免震装置や施行技術が開発されている。その方法も、積層ゴムと金属ダンパーの組み合わせや、メカニカルなスライダー方式など多岐にわたっている。既存住宅であっても、上部構造の耐震化に加えて、基礎部分への免震機構の追加という選択肢が登場した。戸建住宅の免震化は、建物重量が軽いために難しいとされている。住宅メーカーで最初に免震住宅に取り組んだのは三井ホーム。しかし、高額なため普及はしなかった。住宅メーカーで、戸建の免震住宅で大きなシェアを占めているのは、一条工務店。積層ゴムとスライダーというシンプルな装置を安価で供給することで、普及促進を実現した。その後に、積水ハウス大和ハウス工業と続いている。戸建免震として建物の床下に鉄骨架台と免震装置(ベアリング支承とオイルダンパー)を設置する「シンドCUT」という製品も出ている。

自然災害
自然災害(しぜんさいがい、natural disaster)とは、危機的な自然現象(natural hazard, 例えば気象、火山噴火、地震、地滑り)によって、人命や人間の社会的活動に被害が生じる現象をいう。日本の法令上では「自然災害」は「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震津波、噴火その他の異常な自然現象により生ずる被害」と定義されている(被災者生活再建支援法2条1号)。単なる自然現象が、人的被害を伴う「自然災害」に発展したり、災害が拡大したりするには、現地の社会条件が大きな影響を及ぼす。「ナチュラル・ハザード」(自然現象による危機)は、人間社会や環境に対して否定的な影響をもつ現象が起こる脅威を指す。ナチュラル・ハザードの多くは連続的に起こる。たとえば地震津波を起こし、干ばつは飢餓や疾病を起こす。
1995年1月17日に起こった「兵庫県南部地震」は「ナチュラル・ハザード」(自然現象)であるが、その結果引き起こされ、数年にわたり大規模な人的被害や経済的被害などが続いた「阪神・淡路大震災」は「ナチュラル・ディザスター」(自然災害)である。また「ナチュラル・ハザード」という言葉は将来起きる可能性のある脅威(たとえば発生が予想される地震や、大雨が降った場合の洪水)を指す場合に使われるが、「ナチュラル・ディザスター」(自然災害)は過去に起こった、あるいはいま起こっている社会的出来事に関連付けて使われる。ドイツのミュンヘン再保険社の年次報告によれば、2010年の自然災害による死者は約29万5千人(うちハイチ大地震による死者は22万人)、経済的損失額は1,300億ドルとの推計を行なっている。これは1980年以降5-6番目に悪い数字であるという

日本地震学会
社団法人日本地震学会(にほんじしんがっかい、英文名 The Seismological Society of Japan)は、地震及び地球内部に関連する諸現象の研究・知識の交換、地震学に関する進歩普及を図り地震災害の軽減・防止を目的として創立された団体[1][2]。地震学のほか、固体惑星地球物理学、地震工学その他の周辺分野の研究者・教育者・技術者など約2,300名(2006年9月現在)から成る[2]。会長は平原和朗(京都大学大学院理学研究科教授)。事務局を東京都文京区本郷6-26-12東京RSビル8Fに置いている。
事業
定期大会・シンポジウム・学術講演会等の開催。 和文会誌「地震」(年4回)、情報誌「日本地震学会ニュースレター」(年6回)、広報紙「なゐふる」(年6回)、大会等の講演予稿集の発行(随時)。 地球電磁気・地球惑星圏学会、日本火山学会、日本測地学会、日本惑星科学会と共同で欧文誌「Earth, Planets and Space」を定期的に発行。

「極めて近き時代まで地殻運動を

繰り返した断層であり、今後もなお活動するべき可能性のある断層」を特に活断層(かつだんそう、active fault)という[1]。ここでいう「極めて近き時代」とは新生代第四紀を指す。狭義には、「過去数十万年」を指す場合もあるが、これは多くの場合、活断層の認定が断層の変位基準となる地形の形成年代に深く関わることから設定された便宜的なものであって、その曖昧さが指摘されている[2]。別の定義によれば、「現在の応力場の下で地震を起こし得る断層のうちで、断層面が地表まで達しているもの(地表断層)に限る。ただし、伏在断層であっても断層面の上端が地表近く(およそ1km以下の深度)まで達しているものは、何らかの方法で最近の地質時代における活動を確認することができる。したがって、この種の浅部伏在断層は活断層の範疇に含める。」とされる[3]。活断層では地震が過去に繰り返し発生しており、また今後も地震が発生すると考えられているため、活断層の活動度の評価は、そこを震源として発生する地震の予知に役立つと考えられている。

活断層の調査は、空中写真の判読、地形分類図の作成、現地での測量や地形観察、地表踏査、トレンチ調査、弾性波探査、ボーリング調査、広域テフラの同定(鍵層)や放射年代測定(特に放射性炭素年代測定)などの方法によって行われる。調査の結果判明した活動時期及び変位量を基に、平均変位速度、地震の発生間隔、活動度(AA級からC級まで)の評価を行う。活断層は長期間連続的に動き続けるのではない。一部の例外を除いて、ある一定の周期で瞬間的に動き、他の期間はあまり目立った活動をしないものが多い。活動周期と1回に動く大きさは、断層によって異なるが、概して、海洋プレート沈み込み地帯やトランスフォーム断層では100年前後、内陸の断層では数百年〜数十万年程度の活動周期を示す。ただし、ごく稀に、常時ずるずると滑りつづけ(「安定すべり」という)、大きな地震を起こさない活断層もある。これはクリープ断層と呼ばれ、サンアンドレアス断層の一部などがそうである。

日本の活断層
プレートテクトニクスによれば、日本列島は、関東・東北地方の沖の日本海溝で太平洋プレートが北アメリカプレートの下に沈み込む際に東西方向の強い圧縮力を受けている。東北から近畿にかけての断層の多くは、この応力を受けて生成された逆断層や横ずれ断層である。逆断層は南北方向のものが多く、山々を隆起させる。火山以外の山地の多くは逆断層によって形成されたものである。横ずれ断層は東北-西南方向と西北-東南方向の2方向に向くものが多い。ほとんどの断層は横にずれると同時に上下にも動いている(斜めずれ)。また南海トラフではフィリピン海プレートユーラシアプレートの下に沈み込んでいるが、東端の伊豆半島付近を除けば太平洋プレートの沈み込みほどには顕著な断層系を発達させていないと見られている。また日本の中では例外的に、九州中部の別府から島原にかけての地域では南北方向に引っ張られる応力が働いていることが知られており、正断層が多く見られる。これは沖縄トラフの延長とする説もある。

日本においては、1980年に『日本の活断層 - 分布と資料』(活断層研究会編、東京大学出版会)が刊行され、その後、1995年の兵庫県南部地震を契機として、各地で活断層調査が実施された。その結果は、国土地理院による『縮尺2.5万分の1都市圏活断層図』(2007年現在で133面刊行)や、産業技術総合研究所活断層研究センターによる『活断層ストリップマップ』などにまとめられ、近年刊行されている地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)にも反映されている[4]。また、活断層データベースには、日本の主な活断層の平均変位速度などのパラメータや、それらの算出根拠となった調査データがまとめられている。

断層の内部構造
断層は活断層か否かにかかわらず破砕帯(はさいたい)などの内部構造を持つことが多い。
トンネル工事で大量出水事故の原因となる地質構造。断層は岩盤が割れてずれ動くものであるから、断層面周辺の岩盤は大きな力で破砕され、岩石の破片の間に隙間の多い状態となっている。これが断層破砕帯で、砕かれた岩石破片の隙間に大量の水を含み、また地下水の通り道となっている。掘削中のトンネルがこの場所に当たると大量の水が噴出して工事を著しく妨げる。破砕帯の幅は断層によって異なり、数十mに達する場合もある。黒部ダム建設の資材運搬用トンネルである関電トンネル建設工事は、総延長80mにも達する大破砕帯に遭遇した事で困難を極め、一時は工事の中止も検討された。また、破砕帯の存在を広く一般に認知させた。日本では蓬莱峡などで地表に自然露出した断層破砕帯を見る事ができる。断層粘土 [編集]断層破砕帯の破砕が進むと、岩石の破片が粉砕され粘土のような細粒物質で充填された状態となる。こうなると却って水を通しにくくなり、地下水の流れがここでせき止められて地下ダムのような役割を果たすことがある。トンネル工事中にこのような断層粘土帯を掘り抜いた途端に大量の出水に遭遇することがあり、大変危険である(例:丹那トンネル・関電トンネル・六甲トンネル)。マイロナイト [編集]断層の深部では温度が高いため、破砕されずに塑性変形を起こしてマイロナイトと呼ばれる特徴的な変形構造を持つ岩石となる。昔の断層深部にあったマイロナイトが隆起・侵食によって現在では地表で観察できる場所もある。