POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

「ビデオスターの悲劇?」ニュー・ウェーヴonレーザーディスク

 先日、高橋幸宏アポロン時代のビデオのDVD復刻のお手伝いをさせていただいたことは別エントリーで書かせてもらったが、こうした復刻は実は幸せなパターンである。あの2タイトルはオリジナルの発売元であったアポロンの解散の前に、幸宏氏の事務所に権利委譲がなされたことで、よくあるマスター紛失などの難を逃れた。普通、ビデオソフトメーカーが倒産する際に、問題のある債権者の手に渡ると、それをDVD復刻したいメーカーがマスターの存在を突き止めることはできても、権利保有者がやたら法外な値段を請求するなど条件を汲んでくれないなどが理由で、復刻を断念せざるを得ないものが実に多いのだ。また、闇に葬りさられなくても、一時、経営不振で国際放映が手放した時期があったと思われる『小さなスーパーマンガンバロン』のように、写真もないぞんざいなパッケージ(写真を使うと肖像権侵害になるため。ビデオ化権は別扱い)でノイズだらけのフィルムのまま、駅のワゴンセールでVHS1本1000円とかの廉価シリーズで出されてしまうなど、酷い復刻で終わってしまうことも多かったりする。
 ニュー・ウェーヴもののCD復刻はすでに一通り終えた印象で、現在リイシューのニュースを聞くものは、たいていボーナストラック追加盤やニュー・リマスターといった二巡目にかかったものが中心である。それに比べると、これだけDVDが盛んにリリースされているご時世なのに、映像ソフトのDVD化はそれほど進んでいる印象はない。先日も書いたが、当時はビデオ・クルーを手配してプロショットで映像を残すには、ソフト発売を前提にして制作費を捻出するしかなく、ハードウエア機材のレンタル料も高く映像にはレコード制作の数倍も予算がかかってしまうため、よほどヴィジュアルイメージを重視するグループでもなければ、単独作品が作られることはなかったのだ。70年代末期にあれだけライヴ素材が残っているYMOなど、例外中の例外と言える。無論、ビデオクリップ(PV)はたくさん作られたものの、1曲数分という尺のために商品化されることは少なかった。そのままグループ解散や事務所倒産などの際に、マザーテープ(オープンリールや1インチのカセットなど)が紛失してしまったケースも多いらしい。いや、当時VHSやレーザーディスク化されているタイトルであっても、レコード会社内の映像事業部が流浪の民的な運命を辿っている会社が多かった。某T社の初期の音楽DVDなど、実はマザーテープが紛失していたために、レーザーディスクをマスターに商品化されたものが多く、「映像が酷すぎる」とたくさんのクレームが寄せられたのを覚えている人も多いだろう。
 もうひとつ、当時らしいややこしい商慣習として知られているのは、VHSとレーザーディスクが別々のメーカーから出ていたこと。これは、VHSを含む“テープ”とレーザーディスクを含む“記録ディスク”とが税率上、異なるメディアとして分類されており、ビデオメーカーが映像権利保有者とビデオ化契約を結んだ場合も、たいてい「テープメディアのみ」という条件が付いていたためである。レーザーディスクの開発元であったパイオニアの小会社「レーザーディスク社(現・ジェネオン・エンタテインメント)」は、スタート当初は潤沢な予算を持っており、一社でハリウッドの4大メジャー会社と契約して、鳴り物入りで登場した。大半のメジャーな映画は、他社はVHSで出している作品も、すべてパイオニアが自社で商品化していたのだ。しかも、VHSソフトが1本が2万円近くした時代に、レーザーディスクはその半額でソフトをリリース。ピックアップがビデオと違い非接触式だったために、半永久的に劣化がないというふれこみもユーザーの心をくすぐった。レーザーディスクが安く出せたのは、CDみたいにプレス式で量産ができるためだ。VHSソフトは標準速でプリントされるために、たいてい2時間の映画をプリント(ダビング)するのに2時間かかる。レーザーはマザーディスクを一回プレスするのに数秒かかるだけなので、時間あたりのコストがVHSより数倍安くあがったのである。
 レーザーディスクとVHSが別々の権利で扱われていたために、たいてい発売日も同じではなかったし、レーザーディスクでしか発売されなかったタイトルというのもある(マルコム・マクラレン『俺がマルコムだ』や、ZTTのコンピレーションなど)。特にレーザーディスク・ソフトに力を入れていたのがCBSソニーである。ここはパゾリーニやアントニオーニの復刻や坂本龍一のオリジナル・ソフトなど、およそ商業的ではないアート志向のカタログで異彩を放っていた。VHS対ベータ対決でベータが敗北してからは、レーザーディスク主体(VHSも出してはいた)でリリースしていたが、CBSソニーといってもレコード会社の社内映像事業部というよりは、ハードメーカーのソニーの社長室管轄のセクションだったようである。現在の伊藤八十八氏率いるスーパーオーディオCDSACD)事業部のように「採算度外視」で運営されており、権利処理も独自で、当時の制作部門が解散になった現在はその原盤権がさまざまに分散している。坂本龍一『メディアバーン・ライヴ』『TV WAR』『アデリック・ペンギン』などのように、DVD時代になってソニーで調査してみたものの、自社で復刻できないようなものがたくさんあった。
 ともあれ、ここにきてピンク・フロイドパルス』や、ジャパンのPV集のような、メジャーな名作タイトルがやっとDVD化されて、音楽ソフトも賑やかになってきた。だいたい、私らが青春期に夢中になったニュー・ウェーヴという音楽は、音楽と映像が拮抗していると言われたほど、映像ソフトが潤沢なジャンルだったのだ(『電子音楽 in the (lost)world』でも、アート・オブ・ノイズのライヴ、マルコム・マクラレン、ゴドレイ&クレームのLD作品『モンド・ヴィデオ』などの重要な映像作品も紹介しているので、ぜひご覧あれ)。
 米国のMTVが82年に開局して、その記念すべき1曲目に選ばれたのがザ・バグルズ「ラジオスターの悲劇」であった、というトリビアはよく知られているだろう。「ビデオがラジオスターを殺す」という歌詞のリフレインは、数百局もローカル局が存在し、それらがヒットチャートの鍵を握っているアメリカのラジオ社会に対するMTVの挑戦であった。当初は、PV主体の放送局など小さな流れに過ぎなかったのだ。しかも、MTVは運営者の意向で、スタート時には黒人グループのビデオを流さなかった。初めて流された黒人のPVは、マイケル・ジャクソン「今夜はビート・イット」だったと言われている。そんな白人主義だったMTVを一躍メジャーにしたのが、実はブリティッシュ・インベンションIIと呼ばれるイギリスのグループ勢だった。デュラン・デュラン、ABC、ネイキッド・アイズ、トーマス・ドルビーといったアーティストが次々PVで紹介され、82年ごろにはアメリカのチャートの半分がイギリス勢で占められるという現象が起こった。これを、ビートルズゾンビーズらが上陸して、60年代中期のアメリカのヒットチャートが英国勢によって占領されたブリティッシュ・インベンションになぞられて、メディアはその復活劇として彼らを紹介したのだ。これには複合的な理由がある。イギリスの国内マーケットはもともと日本よりも小さいほどで、ビートルズを始め大半が輸出産業として収益を得ており、ヨーロッパならドイツ、アメリカなどの商圏にいち早くリーチをかける慣例があった。前者については、ビートルズデヴィッド・ボウイピーター・ガブリエルらがドイツ語ヴァージョンを吹き込んでいることでも、その力の入れ方がわかるだろう。また、イギリスの音楽ビジネス自体が保守的で事業規模が小さいために、イギリス在住でありながら他国のレコード会社と契約するケースも多かった(ジャパンならドイツのアリオラハンザ、GIオレンジなら日本のCBSソニーなど)。この時期には、ネイキッド・アイズ、トーマス・ドルビー、XTCらのように、アメリカのエージェンシーと直接契約しているアーティストも多く、活動拠点をアメリカに置いているアーティストも普通にいたのだ。しかし住んでいるのは自国なわけで、渡航の問題があるために、ライヴなどが頻繁に行えないぶん、イギリス勢はPV制作に力を入れたわけである。収益の主体がライヴ・サーキットによって営まれていた、アメリカのアーティストとの最大の違いがそれ。MTVでアメリカとイギリスのアーティストのPVが並べて放送されたときに、イギリスのアーティストのPVのほうが面白いのは当然である。ハービー・ハンコックの「ロック・イット」のように、アメリカのアーティストのPVでも、面白い作品はたいていイギリスのPV監督(ゴドレイ&クレーム)が撮ったものだった、なんていうケースもざらだった。80年代中期にほぼ同時に生まれたチャリティ・ユニット、イギリスのバンド・エイドと、アメリカのUSA・フォー・アフリカのビジュアル映えの違いは、当時歴然として見えたものだ。
 しかし、私のようなビンボー人が、当時から映像ソフトの収集に力を入れられるわけはなかった。だが、それでもムーンライダーズ『ドリーム・マテリアライザー』、マルコム・マクラレン『俺がマルコムだ』など、将来LDプレイヤーを買った時に観ると決めて、レーザーディスクの盤だけ買ったりしていた(笑)。プレイヤーを持っている友達にVHSにダビングしてもらって、ちょびちょび観て楽しんでいたのだ。そのうち、ディスクばかりが10枚ぐらい溜まったころ、初めて中古の安売りでLDプレイヤーを買った。その後、DVDソフトがたくさん出始めるようになった5〜6年ぐらい前だろうか、ディスクユニオンやフジヤエービック、ブックオフなどに、それまでレアとされてきたレーザーディスクが二束三文で箱売りされる現象があり、私はその時期にたくさんのレーザーディスク盤を購入することとなった。ほんと、それまで1万円近くしたソフトが3枚1000円とかで売られていたのだ。おそらく、DVD化されるだろうから、その告知前に売っちゃえば高く売れるという魂胆で手放されたものだろう。ところが音楽DVDは、思ったほど復刻されなかったのだ。なにしろ、レーザーディスクの歴史は、製造中止まで20年に及ぶわけで、膨大なタイトルがリリースされている。特にニュー・ウェーヴなど、現在から観るとアイドル系やコマーシャルなグループと軽んじられる傾向があり、殿堂入りしているグループ以外の復刻は望めないものが多いだろう。そこで今回、まだ地方には残っていると思われる、ブックオフなどのLDコーナーで燻っているようなニュー・ウェーヴ系のレーザーディスクタイトルの中から、まだDVD化されていないものをまとめて紹介してみることにした。「レーザーディスクの再生機持ってないし……」という方も多いと思うが、ご安心を。ヤフーオークションなどを観てみれば、ソフトが1枚1000円とか並んでいるその横で、たいてのプレーヤーも3000円程度で出品されている。LDソフトなど10枚買っても金額はDVD1枚相当だし、プレイヤーと併せても十分元が取れるだろう。
 ただしレーザーディスクは、現在のDVDと少々扱いが異なる映像メディアである。今でも「レーザーディスクは手放せない」というオーディオ・ファンも多いと思うが、実際、DVDに比べて映像が綺麗なものが多いのは、スペックの違いによる。LDはあのLPサイズの30cmの盤面に、映像を無圧縮で収録しているのだ。だから、最短で30分、最長で60分しか記録できない。mpeg2の圧縮データで収録しているDVDなどと比較すると、特にアンダーな色の再現力の違いは歴然としており、『ブレード・ランナー』などの映画は、DVDだと夜が絵の具を塗ったような色になりとても観てられない。しかし、無圧縮のために、傷が入った箇所はその箇所にノイズが出る。しかも、プレス面のコーティングの僅かな隙間に空気が入ることで、記録面のアルミが酸化してしまうために、10年以上経つとメダカノイズというチリチリとした白色ノイズが発生してくる。DVDだと、ハードで解凍して再生する圧縮データ記録なので、傷や酸化が起こると、まるまるデータが読み込み不可になる。だから、どっちがよいという話ではないのだが、レーザーディスクだとなまじ再生だけはできてしまうために、僅かなノイズが載ってしまうことも気になってしまうのだ。
 この4月からはHD DVD、ブルーレイといった、DVDに変わる次世代ディスクへの本格切り替えがスタートする。このへん、デジタル地上波スタートと同じ、切り替え需要を目したメーカーの思惑だけで動いている世界だけに、消費者にとって必然性があるわけではない。まだ、映画も音楽もDVD復刻が完全に一巡したわけでもないのに、いずれメーカーも次世代ディスクに注力してかざる得なくなるだろう。おそらく、すでにDVDで手に入るようなメジャータイトルのHD DVD、ブルーレイ化が優先されることは必至。DVD化される機会を奪われたマイナータイトルなど、いよいよ復刻の可能性が閉ざされてしまうはずだ。10年後にやっとソフト化なんてことはあったとしても、私などすっかりジジイである。だから、当分観る機会が奪われてしまうレーザーディスク・ソフトを、今のうちにサルベージしておくのはいかがだろう。 



ネイキッド・アイズ『僕はこんなに』

当時、EMIグループが力を入れていたビデオ・シングル(3〜4曲入り)の一枚として、ミニLDで出たもの。トニー・マンスフィールドがプロデュースしていた男2人のデュオで、「プロミセス・プロミセス」が米国でチャートインを記録した。ヴォーカルが高岡健二似の二枚目で、ビジュアル映えもした。「灯りが消えるころ」は、小人が登場してくるテリー・ギリアム監督『バンデットQ』的世界に(ヒロインの女の子が可愛い)。バンド出演場面もあるが、USツアーをまわったトニマンの姿がないのが残念。「ヴォイス・イン・マイ・ヘッド」のジャポネスクな映像処理など、シュールな作品も多く、ニコラス・ローグ風という感じ。

チャイナ・クライシス『Show Biz Absurd』

当時はエレ・ポップ的に扱われていたが、楽曲がしょぼいエレ・ポップ勢に比べ、コード進行はAORやジャズ風でシックなイメージ。後にスティーリー・ダンウォルター・ベッカーにプロデュースを依頼した『未完成』で、英国流AOR路線が完成。そういえば『未完成』リリース時に、なんでドナルド・フェイゲンじゃなくてウォルター・ベッカーに頼んだんだろうと思ったのだが、ベッカーの初のソロが出た時にわかったが、パブリックなスティーリー・ダンの音って、フェイゲンじゃなくてベッカーの持ち味のよう。チャイナ・クライシスはエレ・ポップ好きに独占させとくのはもったいない、プリファブ・スプラウト、ディーコン・ブルー、マイクロ・ディズニーなどと並ぶ、スティーリー・ダン・フォローアーとして今でも愛着のあるバンドである。産業革命の記録フィルムを使った初期のヒット曲「ファイヤー&スティール」は、ジュリアン・テンプル的な正調イギリス風のPVに。

ヘヴン17『インダストリアル・レヴォリューション』

ヒューマン・リーグの分家組。ヴォーカルの長身のマーティン・ウエアは当然として、グレイグ・マーシュ、マーティン・ウエアの2人がまた生真面目なIBMの社員みたいなルックスなので、トレンチコートなどを着せると皆がジョセフ・コットンみたいで、PVもかなり映画っぽい。「テンプテーション」なんてドイツの表現主義風。監督は大半が名匠スティーヴ・バロン。彼が監督した処女映画『エレクトリック・ドリーム』(傑作!)にもヘヴン17は楽曲提供している。

トーマス・ドルビー『The Golden Age Of Video』

ミニLDやライヴなど、当初から映像ソフトをリリースしてきたドルビーの、EMI時代の集大成的PV集。「哀愁のエウローペ」から「ホット・ソース」までのPVに、坂本龍一とのデュオ「フィールド・ワーク」(これが唯一の商品化)、ジョージ・クリントン、リーナ・ラヴィッチとのユニット“ドルビーズ・キューブ”「キューブは貴方とともに」などのPVを加えて構成。監督は大半がドルビー自身。「ラジオ・サイレンス」には映像にリーナ・ラヴィッチがゲスト出演しているが、音は矢野顕子と共演したヴァージョンのほう。ウディ・アレン『スリーパー』みたいな「彼女はサイエンス」のPVには、実父である考古学者、マグナス・パイク博士が出演している。そういえば「ハイパーアクティヴ」のPVって、所ジョージ「すんごいですね」(PV監督は山本晋也)でパクって驚いたな。

トーマス・ドルビー『ライヴ・ワイアレス』

最初のビデオ作品で、イメージ映像、PVなどをミックスした架空のライヴ・フィルム。ドルビーはアクターと映写技師の二役で登場する。来日公演がなかったドルビーゆえ、これが唯一観れるライヴ映像素材で、メンバーもケヴィン・アームストロング、マシュー・セリグマン、サイモン・ハウスなど『地平球』を録音した同メンバーが脇を固める。『光と物体』リリース後のライヴなので曲数が足りない分、リーナ・ラヴィッチ・バンド時代の「ニュー・トイ」(ラヴィッチ本人が歌唱)や、ロー・ノイズ名義の「ジャングル・ライン」「アーバン・トライバル」(この2曲のヴァージョンはフォノシート化されている)、シングル「私がこわい」のB面「パペット・シアター」(フーディーニ「マジック・ワンズ」のアレンジ曲。ライヴ・ヴァージョンはフーディーニに準拠)など未発表曲でフォロー。ケヴィン・アームストロングのソロで発売されなかった「サムソンとデリア」は名曲なのに、演出用のつなぎでブツ切りになっているのが残念。

XTC『ルック・ルック』

バリー・アンドリュース在籍時の「ディス・イズ・ポップ」から「センシズ・ワーキング・オーバータイム」までの全PV集。クラシックVSパンクというコント仕立ての「リスペクタブル・ストリート」など、アンディの役者ぶりは見事なもの。初期メンバーのバリー・アンドリュースはアンディと互角の人気だったが、ティーティー・オルガンの暴力的なプレイの映像には圧倒される。個人的にはコリンがヴォーカルの「ライフ・ビギン・ザ・ホップ」「がんばれナイジェル」の時のサイド・ギターのアンディの暴れっぷりが好き。シングル曲ではないのにPVが作られた「オール・オブ・ア・サドゥン」は、キュアー「ボーイズ・ドント・クライ」やジョナサン・デミが監督したトーキング・ヘッズストップ・メイキング・センス』風のシルエット・ショーで、『ムーマー』のジャケット風にメンバーは妖精として登場する。海賊版として、デュークスのPVなども含む『ルック・ルック2』もある。

ラウンジ・リザーズ『87 TYO』

名作『ビッグ・ハート』が収録された翌年の、同じく日本公演を収録したもの。メンバーはドラムのダギー・ボーンからトニー・モレノに交代した以外は同じ編成で、ミックスも同じく小野誠彦。監督はムーンライダーズのADなども手掛けている時津義郎。ポニー・キャニオン移籍後にスタジオ版が録音された「ノー・ペイン・ノー・ケイクス」なども披露されている。とにかく、この時期はメインのルーリー兄弟よりも、マーク・リボーとエリック・サンコのセッションが手に汗握る。これは余談だが、ルーリー兄弟が抜けるとグループはジャズ・パッセンジャーズという名義になり、クレプスキュールから数々の名作を出している(どれも名盤!)。ラウンジからマーク・リボーが脱退した時、ラウンジのほうは解体したのだが、ジャズ・パッセンジャーズのほうはなんと、チボ・マットの本田ユカがサンプラーで加入して活動していたのだ。他のメンバーがばりばりのビバップを弾いているのに、一人だけアート・オブ・ノイズみたいなクラッシュ・ノイズを出している変な編成に。日本でもライヴ盤も出ているので、変態ジャズ好きには是非お薦め。

デペッシュ・モード『サム・グレート・ビデオ』

ヴィンス・クラーク在籍時の「アイ・キャント・ゲット・イナフ」から、シングル「イッツ・コールド・ア・ハート」までのPV集。デビュー曲「フォトグラフィック」のみ、商品化されたハンブルグでのライヴから収録している。「イッツ・コールド・ア・ハート」は、ニュー・オーダー「シェルショック」と同じく日本ロケ作品で、学生服やセーラー服の日本人が大勢出演。インパクト大なのは「ピープル・アー・ピープル」のロング・ヴァージョン。ハンマービートの曲に、モノクロ映像で工場の映像をサンプリング風に編集したもので、オーケストラ・ヒットの「ジャン!」という音もクラシックの映像を貼り合わせてダダ風に構成。彼らがガレス・ジョーンズにプロデュースを依頼したのは、友人だったブリクサノイバウテン)の紹介だったらしく、この時期は「シェイク・ザ・ディシーズ」などノイバウテン風に渋い映像の名作が多い。

トンプソン・ツインズ『ライヴ・サイド・キックス』

アレックス・サドキンがプロデュースして3人組になった『サイド・キックス』発表時のリヴァプール・ロイヤルコートでのライヴ。私はMTVで放送した分の海賊ビデオで初めて観て、そのショーマンぶりに感動したもの。トム・ベイリーは基本的にキーボード主体で、スタジオでの複雑なアンサンブルを2人のサポートとの組み合わせで見事に再現している。エンディングの「ラヴ・オン・ユア・サイド」の演出に登場してくる、マルチ・ストロボの装置がカッコイイ。トムがベース時に弾くプロフィット・ワンの腰のある音もお気に入り。

OMD『Live At The Theatre Royal Drury Lane』

ジャケットはピーター・サヴィルで『安息の館』直後のライヴ。OMDBBCからライヴ音源集も出ているが、当時のテクノポップ系グループの中でも珍しく、YMOと同じくテープを使っていないので、シークエンサーとのセッションなども緊張感がある。メンバーは2人時代だが、マルコム・ホルムズ、マーティン・クーパーという後の4人組時代のメンバーもサポート参加している。日本では『CNNデイウォッチ』の主題曲でおなじみだった代表曲「エノラゲイの悲劇」収録。ベースを弾きながら歌うポール・ハンフリーズ(声が裏返る方)のクネクネダンスが美味。VHS(PAL)のみだが、OMDはPV集も出ていて、こっちもなかなか面白い映像が多い。

OMD『クラッシュ・ザ・ムービー』

PV集もまともにリリースされていないのに、なぜか日本盤が出ていた『クラッシュ』のドキュメンタリー。イントロダクションとして、10本のPVをまとめた「OMDについて」という紹介フィルムが貴重。リハーサル、録音風景、PVの撮影場面などが素材として登場するが、ニュー・ウェーヴ系グループのレコーディング風景を捉えた映像はかなり珍しいと思う。インタビューでは、KKKをテーマに扱った理由など、意外な硬派ぶりも垣間見せる。あと、「クラッシュ」で使われているサンプル音は、来日時にテープに録音した日本のCMがネタだったのを公表している。詳細には触れてなかったが、たぶん「ヒミツ〜」はハインツ、「ウ〜ル」はベンベルグ、「アルタ〜」は『笑っていいとも』でおなじみアルタのCMからだと思う。まるで映画『ブレード・ランナー』の「わかもと」のCMみたい。

アーケイディア『アーケイディア』

デュラン・デュランのうち、パワー・ステーションのアンディとジョンが抜けた残りの3人がアーケイディアになる。パワステは先日リマスターされたDVD付きCDでPV集がオマケで復刻されたので、次はぜひこちらを。テーマをジャン・コクトーから拝借したりと、デュラン・デュランよりもややシックで、監督もラッセル・マルケイがウルトラヴォックス風に神話的に仕上げている。ちなみに、性格の大人しいロジャーは目立つのがいやという理由で、すべてのPVに参加していない。準メンバーでほとんどのギターを弾いている土屋昌巳もPVには出てこない。

プリファブ・スプラウト『ア・ライフ・オブ・サープライズ』

『ラングレー・パークからの挨拶状』から4曲入りのPV集が一度出ていたが、こちらは同名のベスト盤リリースの際に再編集盤として出たソニー時代のPV全集。アルバムとしては『スティーヴ・マックイーン』から『ヨルダン・ザ・カムバック』までと、その後のシングル2曲を収めている。やはりウェンディ在籍時のPVには華があり「アピタイト」「ホエン・ラヴズ・ブレイクス・ダウン」は何度観てもウットリする。ちなみに、「ホエン・ラヴズ」の音はトーマス・ドルビー版ではなく、キュアーのフィル・ソーナリー・ミックスのほう。

ニック・ヘイワード『Nick Heyward Part I』

ヘアカット100〜ソロまでのPVを集めたもので、レーザーディスクのみでリリース。「好き好きシャーツ」「渚のラブ・プラス・ワン」などのファンカ・ラティーナ時代の瑞々しさは観ているこっちが照れるほど、笑顔が決まっている。「夢見るサンディ」など、『風のミラクル』収録曲は何度聞いても素晴らしい。ちなみに『PartII』というのは出ていない。

モノクローム・セット『ディスティニー・コーリング』

ブラウン管から命名したグループであり、初期はトニー・ボッツという映像担当も在籍(ヒューマン・リーグみたい)。映像も潤沢にあったようで、先にリリースされていた『ピローズ&プレイヤーズ・ヴィデオ』との重複もない、当時のメンバー出演のショート・フィルムから構成されている、一応PV集。レスター・スクエア時代の「レスター・リップス・イン」はこれで初めて観た。ビドのソロ・シングルとしてエルから出た「リーチ・フォー・ユア・ガン」も、元々はモノクローム・セットで演奏していたのね。

スクリッティ・ポリッティスクリッティ・ポリッティ

美少年グリーン・ガートサイド率いる、英国ニュー・ウェーヴ最高峰的グループ。NYのパワー・ステーションで録音した「ウッド・ビーズ」から「パーフェクト・ウェイ」までの5曲のシングルと、US版の「ウッド・ビーズ」のPVの計6曲を収めている。ジャケットはヨゼフ・ボイスの引用など、いかにも美術学生風だったが、PVのほうは「ヒプノタイズ」がちょっと実験映画風(ウォーホル風?)なのと「アブソルート」にマーマレードを握りつぶすモロなボイス風映像があるだけで、ほかはいかにもアイドル風。フランスでロケされたらしい「ウッド・ビーズ」US版のモノクロ映像だけはかなりシックで見応えがある。ちなみに、スクポリはこの時期にヴァージンからツアーの要請があってリハーサルをやったのだが、あのサウンドを当時はライヴで再現することが難しく、正式なライヴというのは行われていない。ただ、TV出演はけっこうあって、海賊版のDVD-Rも出ており、フレッド・メイハー加入以前は「ウッド・ビーズ」のPVに出ているあの女性ドラマーなどがプレイしていたようだ。

オレンジ・ジュース『DADA with JUICE』

なぜかこっちのほうがヨゼフ・ボイス風ジャケット。ベスト盤リリース後で、エドウィン・コリンズとジェイク・メニーカの2人組のころ。ポール・ハード(ベース)、ジョン・ブリテン(サイド・ギター)がサポートする4人編成だが、演奏は安定していて見応えがある。冒頭曲の「サルモン・フィッシング・イン・ニューヨーク」のギターのカッティングやジェイクのコーラスなど渋くて痺れる。エドウィンは全編、プレスリーに見えるほど、ビデオ向きのフォトジェニックな存在だと思う。

ディーヴォ『The Complete Truth About De-Evolution』

レジデンツのエクスパンド・ブックなどを出していた米ヴォイジャー社から出たレーザーディスクのみのPV集。日本でも2つのヴァージョンのPV集が出ているが、『くいしんぼう万歳』まで収録しているのはこれだけ。ヴォイジャー社のソフトらしく、アナログ・トラックにマークとジェラルドの辛口コメンタリーが入っていたり、B面に当時の資料などを静止画で併録しているなど、レーザーディスク・ソフトの模範ともいえる出来。同タイトルのDVDが出ているのになぜこれを紹介するかというと、『シャウト』に入っていたジミ・ヘンドリックスのカヴァー「アールユー・エクスペリエンス」がジミの遺族の意向でDVD版から割愛されてしまったため。初期のCGで精子がニョロニョロ動く気持ち悪さで群を抜くPVなだけに、お蔵入りは惜しい。

『ZTT The Value Of Entertainment』

同名のイベントから、アート・オブ・ノイズプロパガンダ、アン・ピガール、元ピッグ・バッグ組が結成したインスティンクトのライヴを収めたもので、レーザーディスクのみでリリースされた。と言ってもこれ、ライヴ・オムニバスではなく、ZTTのスポークスマンだったポール・モーリィが進行役で登場してくる一種のドキュメンタリーで、曲はブツ切り。モーリィが構成した傑作ドキュメンタリー『ニュー・オーダー・ストーリー』や、マルコム・マクラレン『ロックン・ロール・スウィンドル』風に、モーリィ自身が観客に「ヴァリュー・エンタテインメントとは何か?」と問いかけるような、トリックスターを演じている。アート・オブ・ノイズだけはメンバーが移籍した後なので、ダンサーを舞台に上げ音だけを使用して、なぜ彼らがレーベルを去ったかについて自問したりする。そういえば、唯一商品化されていない「ビート・ボックス」の最初のPVも、全編、ポール・モーリィが登場しているインタビューものであった。収録素材のうち、ゲストでスティーヴ・ジャンセン(ジャパン)がドラムを叩いているプロパガンダのライヴのみ、彼らのDVD(PV集)に抜粋収録されているが、ブツ切りのままなので元素材は消失してしまったのだろう。

『Don't Watch That Watch This!』

こういう寄せ集めPV集のたぐいは、かなり二束三文で売られているのだが、けっこう侮れない。『ロック年鑑』に収録されているキング・クリムゾン「太陽と戦慄パートII」とか、クラフトワーク「クリング・クラング」とか、やはりDVD化されていないクリムゾン「ハートビート」のPVが入っているというのもあった。で、本作はポリグラム所属アーティストであるティアーズ・フォー・フィアーズ、ビッグ・カントリー、ブロンスキー・ビート、バナナラマスタイル・カウンシルなどの当時のヒット曲を集めたものだのだが、なんとフライング・リザーズのPVが入っているのだ。PVなんて作ってたのか! 曲は『TOP TEN』からの「ディジー・ミス・リジー」で、新任のサリー嬢とデヴィッド・カニンガムが出演。シングルのジャケットと同セットなので、同時収録されたもののよう。ちなみに、フライング・リザーズは「マネー」ヒット当時に英国だけでツアーをやっているのだが、メンバーはマイケル・ナイマン・バンドが兼任していたらしい。