彩の国シェイクスピア・シリーズ2ndスタート!
さい芸が1年半の大規模改修工事を経て、今年3月にリニューアルオープン。
それに伴い、蜷川さんとともに歩んできたシェイクスピアシリーズが、吉田鋼太郎さんの新たなシリーズとして始まりました。
5月、バラの季節。ちょうど「ばら祭り」開催中で、駅前もバラが満開。新しい門出を祝福しているかのよう。
新しいさい芸はぱっと見は変わってないようにも見えましたが、古いところも生かしつつ、張り替えたところもあったり。何よりトイレが新しく使いやすくなってたのはうれしい。
まずはガレリアの蜷川さんコーナーにご挨拶。後で気づきましたが、命日前日。
レストランがなくなってしまったのは残念でしたが、中のカフェが広く使いやすくなり、メニューも豊富。新しくできた「シェイクスピアの庭」という、作品に出てくる花やハーブを植えた庭を眺めながら、開演前にランチ。ちょうど今回の公演の音楽担当の井上正弘さんによるミニコンサートがあり、短いながらも充実した空間でくつろげました。
クリアな音を生かした演出
大劇場はかなりしっかり改装したよう。椅子が柔らかすぎず、反発もほどよくあり、座りやすい!今回R列中心寄り、1階席後方のブロックで区切られてるところ。多少離れてはいるので細かい表情はオペラグラスがいるかなというくらいで、目線も他に邪魔されず、舞台全体が見られる良席。美術、音響、照明を堪能できますし、ちょうど通路前なので、俳優が客席に降りる演出の時に通るので、近くで見られる楽しみも。今回劇中劇の時に、クローディアスらが通路で見る演出があり、背中の演技が見られて面白かった。
とにかく音響がよくて。台詞が多く、吉田演出は絶叫芝居になる箇所も多いのですが、抑えた声の時もはっきり聞こえてきました。
一番それを感じたのは、ハムレット(柿澤勇人)の第一独白。少し震えるような、決して張ってない、つぶやきに近い極力おさえた独白。ハムレットの苦悩、悲しみ、憤り、品格、すべてを込めた台詞。それは大きくはっきりした主張の強い声よりも、よりスッと水のようにこちらに流れて入ってきました。ゾクゾクと鳥肌が。
もちろん柿澤さんの立ち姿の美しさや、シンプルに極力絞ったけれんみの少ない照明などの効果もありますが、舞台の音響構造がいいのがよく分かる。
その後の独白もですし、他のキャストの絶叫芝居の時も耳にきつく感じない。台詞劇を強調したいという演出に、リニューアルされた大ホールがばっちり合いました。
抑えた声の発声は、前回のジョン王の時に吉川光男さんの発声で、吉田さんが大きな声にはない効果について気づきがあったと言っていたので、何か変化があったのでしょうか。
生き生きとした言葉と肉体
王宮のシーンの時に太い柱が数本出てくるくらいで、大きなセットはほぼなし。目立つセットはミモザの花束が入った大きな花瓶、劇中劇のセット、先王とクローディアスの肖像画、墓堀りシーンの墓など。
俳優は歩き、走り、つかみ合い、抱き合い、言葉を迸らせる。生命の強さ、肉体の存在の強さを感じる。
最初にそれを認識したのは、亡霊(吉田鋼太郎、クローディアスと二役)の存在。最初は霧とともに幻のように出てくる。甲冑のマスクをつけたままで話すので声もこもっている。しかしすぐ外し、中から生きているような先王が現れる。その後のハムレットとのやり取りは、抱き合い、激しく言葉を交わす。ハムレットは父王の激しい思いに肉体と共に触れ、過呼吸のようにその腕の中でもだえる。
この演出で、なぜハムレットが復讐へ向かうのか、悲劇がなぜ起こったのかの説得力が増す。父王への愛、母への嫌悪。そして自国に迫る危機への不安も呼び起こすベースとなる。
それにしても、初っ端からノリノリ吉田鋼太郎節炸裂だったので、亡霊のくせに元気すぎ!と思いましたが、今回の作品がどういう方向に行こうとしてるのか、はっきり分かる箇所でもありました。
七つの独白
第一独白でゾクゾクし、その後の独白もハムレットをより身近に理解できる。柿澤さんの舞台を見るのは初めてでしたが、その堅実さにすぐ信頼と安心を感じました。こんなにハムレットを優しい気持ちで見れたことあったろうか、というくらい。もちろん歴代のハムレットは魅力的で、素晴らしい役者さんばかり。20歳の藤原竜也の妖艶さ、内野聖陽さんの力強さ、 野村裕基さんの和的な独特のリズムで語る新しい表現、カンバーバッチの知性溢れる様、アンドリュー・スコットのかわいらしさ。どれも心に残っています。
柿澤さんのハムレットは、すべての要素をバランスよく持ち、孤独で愛を求め、賢く、国を憂い彷徨いながらも、王子としての品格を保つ。なにより、言葉にあふれるキャラのその暴れるような台詞をうまくコントロールしているのが素晴らしい。
お友達とも話してたのですが、フォーティンブラスを見かけた時の会話。小さな領土を争うことのむなしさを憂う台詞の重み。現在の世界情勢もありますが、染み入る演出で、その後の独白もより深みを増しました。
ハムレットは家庭内悲劇ですが、それは個人の問題がやがてマスへ広がることを示唆しており、独白はそれを網羅していることが今回よく分かりました。ハムレットがどれだけ国を憂いていたか。
余談ですが、Netflixのドラマシリーズ『リプリー』に主演してるアンドリュー・スコットが、ハムレットの言葉を引用してました。(突然のアンスコ推し!)
『コミュニティにおける特定の要因を排除したら、デンマークに何かよくないことが起こるのだ(腐敗が起こる)*1』
これは『リプリー』についてのメッセージとしての引用なのだけれど、アンスコのハムレットへの愛と理解が感じられる。ハムレットがただの若い青年ではなく、一国の王子としての気概があったという事。柿澤さんにも同じような理解の深さを感じました。
アンドリュー・スコット、Netflixドラマ「リプリー」の主人公は「モリアーティとは違う」 | Vogue Japan
咲きほこる花のようなキャスト
柿澤さんと吉田さんを軸に、他のキャストも生き生き、のびのび。
オフィーリアの北香那さんはメリハリのある演技が印象的。最初に兄レアティーズ(渡部郷太)とキャッキャウフフするシーンは二人とも朗らかで、仲睦まじい輝きが眩しい!その後オフィーリアの悲劇、レアティーズの怒りと悲しみを強調する。
オフィーリアの狂気のシーンは、かつてないほどその過激な狂いっぷり。叫び声の悲惨さ、ハムレットからもらった黄色いドレスを身にまとい、ミモザの花にうもれ、歌い踊る。悲しみと弱さだけでなく、王と王妃に怒りと共に投げつける爆発力のある演技。妹を「五月の薔薇」に喩えるレアティーズの台詞もさらに悲しみを誘う。
その後、いわゆる「ナレ死」のように台詞だけで語られるオフィーリアの死が、目に見えていくような演出。北さんは「たそがれ優作」で大酒のみの役を演じた時のぶっ飛びぶりが記憶に残ってて、可愛らしいけど近寄りたくないこわさがある。笑いながら怒る竹中直人みたいだな、と。
ポローニアスの正名僕蔵さんの陰のあるコミカルさは、他とのリズムを引き締める。父としての威厳や愛情の演出は少な目で、どちらかというと王への忠誠が悲劇を引き起こす演出は、国の腐敗が内側から始まるという印象を強くする。墓堀りの演技もぴったり。ポローニアスと墓堀り二役は見た事あるとは思うのだが、かなり印象的。
高橋ひとみさんのガートルードは可愛らしく、少女的な無邪気さもあり。クローディアスが兄を殺すほどほれ込み、息子にその色香を責められる存在感。彼女がすぐ再婚するのは、跡を継ぐには若い息子の立場を守るため、ひいては国のためもあるだろうが、そこははっきり語れらていない。しかしそれがあったとしても、生まれながらの傾城の魅力を感じる。吉田さんのクローディアスが常に王妃を愛おしむ演技もよい。
ガートルードといえば、ハムレットとの近親相関的演出もよくあるが、どちらかというと今回は「父を裏切ってその弟と再婚したビッチ母」への女性嫌悪が強く出る。ハムレットは母に覆いかぶさり、その股を無理やり開き、まるでレイプするかのような演出が露骨だ。ここは〝honeying and making love Over the nasty sty!” の台詞をまま表現しているのでおかしくはないのだが、ちょっとガートルードに同情しました。息子にあんなことされて、そら絶叫しますわ...。私の席からは見えなかったが、バックハグではがいじめにした時に、胸を掴んでたそう。高橋さん柿澤さん、熱演すぎる。
面白いのはその母子の激情の後に、突然亡霊が出てくる。「おいおいお母さん悪くないんだよ~優しくしな~。お前がやらなきゃいけないのは復讐だよ~」ってな具合に。今まであまりこのシーンちゃんと意味を考えた事なかったんだけど、やりすぎてる息子をクールダウンするためだけに父ちゃん幽霊出てきたんだ!と腑に落ちました。また、親子三人のシーンはここだけで、『異人たちとの夏』『異人たち』を想起させました。あと、先王は妻を愛してたんだなというのも分かる。先王と弟王を同じ俳優が演じるのはよくありますが、兄弟だから似てるからという理由だけでなく、ガートルードへの愛という共通点も今回の演出は強く打ち出してる。
他のみなさんも楽しく演じてて、劇中劇の役者、ローゼンクランツとギルデンスターン、おなじみの役も印象的。ハムレットはタイトルロールがとにかく目立つので、他がハムレットにかき回されてるだけの印象にもなるのですが、周りとのバランスも良い。ここは柿澤さんの演技のバランスの良さも良いことの現れ。
その分、ホレーシオとフォーティンブラスの印象があっさりめ。ホレーシオはラストの「おやすみなさい、優しい王子様」のとこが至高でしたが、そこに至るまでの演出があっさり。フォーティンブラスも衣装メイクは印象的だったのだけど、そっちに目がいきすぎた。ここは鋼太郎さんの若手俳優への演出の仕方の好みなのかも。他が背油ましまし二郎ラーメンなら、更科蕎麦なさわやかさなんですよね。
背油といえば、吉田さんはノリノリ台詞まわしで「~だったのくああああああ!」とか「~だああああああ!」とかセルフエコーかよという水戸納豆ばりの引っ張り具合。途中笑いそうになりました。藤原竜也がいると二人で演技合戦になるんだが。大好きなので、そのままでいてほしいですが。
あとバックハグ演出がたくさんあって、吉田さんバックハグ好きなんだねと思いました。
季節に合わせたのか、春の花のようにこぼれんばかりにバンバンと咲きほこり、満開になるキャストが楽しかった。
ラストは一人静かに横たわるハムレットがひたすら悲しく、染み入る演出なのですが、ここで天井からミモザの花が無造作に落ちてきます。そうオフィーリアの持っていた花。まるで天からオフィーリアや、先に逝った人々、もしくは神からの悼みのように。祝福なのか、葬送なのか。
天からものを無造作に落とす演出は前回の『ジョン王』で印象的な演出で、吉田演出としての特徴として続いていくのか。
今回なぜミモザなのかはちょっと分かりませんでした。ミモザの花言葉は「愛情、友情、安全」など。あとフランスでは「私がどれほどあなたを愛しているか、誰にも分かりはしない」なんだそう。またヨーロッパでは黄色い花は太陽や黄金のイメージ。国際女性デーのシンボルでもあります。とにかく明るいイメージ。
花言葉はオフィーリアの台詞に出てくるし、シェイクスピアの作品で花や植物は大事なモチーフ。吉田さんがどのようなイメージでこの花を持ってきたのか、これは気になる。
言葉!言葉!言葉!
とにかく今回は台詞に重きをおいた演出ががつんとはまりました。蜷川シェイクスピアで馴染んだ松岡訳から、今回は小田島訳。どちらも素晴らしく。松岡先生がかつてTo be or not to be の訳について、小田島訳を称賛されており、たくさんの翻訳でシェイクスピアを見られる僥倖をしみじみ感じました。
この後も続くシリーズ、果たして吉田鋼太郎さんはどのように展開していくのか。楽しみでなりません。
他にも書きたいことあるけど、また思いついたら別記しようかなー。そのくらいいろいろなものを受け取り、自分の中から花が咲くような感覚を感じたプロダクションでした。
*1:原文は"If you dismiss certain factors of the community, something becomes rotten in state of Denmark." ここは、第一幕第四場のマーセラスの台詞"Something Is Rotten in the State of Denmark"からの引用か。