京都へ何度も行き、新選組の名を挙げた池田屋の前を何度も通り、屯所だった壬生の地も訪問した(*1)。新選組の後援をして「お預かり」としたのが、京都守護職だった会津公松平容保。会津藩は戊辰戦争で、朝敵となっても徹底抗戦している。 僕は学生時代に会津若松城は訪れたことがあり、親父も企業の研修旅行でかの地を訪れ、 ・会津若松城は立派だった ・白虎隊は可哀そうだった と短くコメントしている(*2)。 そんな会津と縁が出来たのが昨年、会津出身の国際政治の専門家と知り合って現地のお酒を貰ったり、会津でワイン造りをしている昔のお仲間と久しぶりの忘年会(*3)をした。 今回、その皆さんから再び声がかかり、ブドウ…