本。ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの主著Sein und Zeitの邦題。存在一般の意味を問う。全集版などでは『有と時』と訳される。 形而上学に於ける「存在の問い(Seinsfrage)」の復興や実存哲学の隆盛・発展に多大な影響を与えた。 ISBN:4121600517、ISBN:4121600533、ISBN:412160055X
異気集合論というのは、単に霊魂の成り立ちではなくて、すべての存在にあてはまる理論のように思えてきます。目にすることができる存在物にはすべて霊魂が宿るというのが算命学の考え方ですが、存在の構成元素として霊魂をとらえると、異気集合論はすべての存在に充当できます。 自動車とは何かを語ろうと思うと、いくらでも答えが出て来て、単体としての自動車を語ることはできません。すべての存在とは、そのものの実態を持たない複合的なものと解釈できそうです。 人間を車に喩えると、本能がガソリンというのはわかるような気がします。ボディーが肉体もその通りでしょう。心がエンジン及びアクセルとすると、実際に車を動かしているのは、…
西洋では長い間、過去現在未来という時間の流れがあって、そこに人間は存在していると考えられていました。でも、時間については様々な考え方が生まれて来て、この高村光太郎さんの「僕の前に道はない」という詩の一説は、時間はあらかじめあるものではなく、自分の歩みが生み出していることを語っているように思います。 ハイデッガーは、根源的な時間とはそれ自体で存在するものではなく、現在から過去や未来を開示して時間というものを生み出す(みずからを生起させる)働きのようなものだと主張する。また現在もそれ自体で生起するのではなく、「死へ臨む存在」としてのわれわれが行動する(あるいはしない)ときに立ち現れるものである。し…
混沌とした調和の中にある裏干支の世界。この図(船)が人の数だけあり、歴史の流れを作っていると仮説します。干支論的に解釈すると、人間の世界は、陰陽和合して漂っている裏干支の海(無の世界)が捻じれて、突然浮上した和合性のないプラスエネルギーだけを持った表干支(船)によって成り立っている、となります。 元々の霊魂は陰陽和合した動きのない、または、あまりにもゆったりしていて、動いているようには思えない世界です。霊魂は一つの神(自然の摂理)です。比喩的に想像すれば、それが、なんらかの意図と理由で動いてみたい願望が生じ、そのためには動ける何かが必要となり、霊魂たちの姿に見合った入れ物が用意された、それが人…
時間とは、私たちの生活の中で常に流れているものであり、過去、現在、未来を分かつものとして存在しています。しかし、時間の概念やその捉え方は、人類の歴史を通じて変化し続けてきました。本記事では、時間の概念の進化を辿り、古代から現代に至るまでの時間に関する考え方や技術の発展、そして未来に向けた時間の新たな視点を探っていきます。 1. 古代文明における時間の捉え方 古代文明において、時間は神話的、宗教的な概念と密接に結びついていました。多くの古代文化は、時間を循環的なものと捉えており、生命や季節のサイクルを象徴するものでした。 1.1 エジプト文明と時間 古代エジプトでは、時間は神々の統治の下にあるも…
2018年11月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 記憶の中でも特によく覚えている光景がある。何度も思い出すたびに残像はより強くなり、元の型は多少変わるだろうが、忘れがたい記憶となっていく。 そんな中の一つにこんなものがある。 中米のグアテマラシティーの路上を歩いている自分の後ろ姿だ。幅3mほどの石畳の道の両脇で赤っぽい民族衣装を着た先住民の女性たちが花や陶器、腕輪などの工芸品を売っている。道はひどく混んでいて、その中を、青い薄手のジャンパーを着た自分がやや肩をいからせて歩いている。 ただ、それだけのなんの変哲もない記憶だ。25歳の夏のことで、安宿で寝入り端、その日の自分の…
また、新しいブログを作る。仕事に「存在と時間」の気持ちや哲学を入れて、収益を出したい。お金を払って、ブログをレンタルしないと、広告は出せないのだろうけど、収益を出せる記事が書けたらなあ、と想う。 ピカソの絵とか、Amazonアフェリエイトで、広告を出して、飾ってみましょうよ、と書くとか、そう言うので、儲かった事は無い。なんだか信頼出来る記事を書いて、まあ、色んな広告を出して、なんとなく広告を信じて貰った経験しかない。 アフェリエイトで成功する人は、狙って、色々と広告収入を得るのだろうけど。自分もやって、成功出来たらなあ、と想う。上手い人はでも、コピーライティングの才能がるのだろうね。
ジウォンさん、こんなに近くにいたなんて。 もし見かけたら正気を失うところだったので、この写真を拝ませてもらっただけで十二分に幸せです。 ある存在者が「自己」であると言えるためには、自分自身について物語る能力を持つ存在である必要がある、という考え方を「物語的自己論」といい、ハイデガーは『存在と時間』の中でこの立場を取っていると思われる。 たとえば、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』においては、二人の登場人物「瀧」と「三葉」の「人格の入れ替わり」がストーリーの鍵を担っている。 観客である私たちは、そこで二人が「入れ替わっている」ことを自然に理解できる。通常はそれぞれの固有の身体と結びついているは…
★この記事を読むと、20世紀の哲学者マルティン・ハイデッガーによる主要な著作『存在と時間』を読みたくなります。 ★詳細はこちら→『存在と時間 - Wikipedia』 ★詳細はこちら→『マルティン・ハイデッガー - Wikipedia』 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)}…
そろそろ「聖書協会共同訳」も読んでおかないと、人生において遂に読むことなく終わってしまうかもしれないからなぁ。それが、今週のお題「読みたい本」の一冊だ。 ワガハイが通読したのは日本聖書協会の「新共同訳」だ。日本で一番多くの人が読んでいる聖書だと思う。 そりゃあ、ナニ読んだって内容はそ~ゆ~コトだけど。 案外「文語訳」が面白いんだけどね。コレ、読みたい人はWeb.上で公開されているから読める。もっとも「新共同訳」も「聖書協会共同訳」も、その気になれば日本聖書協会ホームページから、いちいち部分を検索して積み上げれば・・・相当に面倒だが読めるコトは読める。 まあ、サッサと一冊購入してしまった方がイイ…
極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる (講談社選書メチエ) 作者:高井 ゆと里 講談社 Amazon 『ハイデガー-世界内存在を生きる-』高井ゆと里著を読む。 ハイデガーの『存在と時間』岩波文庫全3巻は、学生時代に読み通せた数少ない本。あ、一応読んだということで、わかったかというと甚だ心許ない。 なぜ読み通せたのか。他の哲学書が観念的(ま、一応)、小難しいジャーゴンだらけなのに対し、『存在と時間』は何かシステム論的というのか、人間社会の構造や自己と他者の関係性の枠組などが書かれていて、比較的とっつきやすかったから。 ま、大テーマがである「私たちがそれぞれ「私」の生を生きているとはどのよう…