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パブロ・ピカソ

(アート)
ぱぶろびかそ

Pablo Diego Jose Francisco de Paulo Joan Nepomuleno Maria de los Remedios Cipriano Santisima Trinidad Ruiz y Picasso
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ
略してピカソとも。
1881年、マラガ(スペイン)に生まれる。1973年、没。
20世紀を代表するスペイン/フランスの芸術家。長い創作活動の中で、次々と創作スタイル、そして愛人・妻をとり変える。絵画のほかに、彫刻をはじめとするオブジェ制作、版画、陶芸にも精力を傾ける。
1881年、スペインのマラガに生まれる。神童として、美術教師をしていた父のもと、幼少から指導を受け、デッサン、油彩に非凡な才能を示した。当時の作風は、当然ながら(?)きわめて古典的な写実色の強いもの。
1900年、パリに出る。ロートレックらの影響を受ける。
1901年、友人の死をきっかけに、「青の時代」に入る。背景の灰色を帯びた青は貧困や悲しみを象徴しており、貧民を題材に哀感あふれる作品を制作した。
1904年、モンマルトルで今では有名な「洗濯船」 (Bateau-Lavoir)という安アトリエに入居。ここで詩人のアポリネール、後の恋人フェルナンド・オリヴィエらと出会う。この頃から「バラ色の時代」に移行し、温かみのある色調で旅芸人やサーカスを主題とした作品を作り出した。
1907年、一つの対象を、複数の別の視座から眺めたイメージを集めて再構築するという、いわゆるキュビズムの傾向が現れた「アヴィニヨンの娘たち」を世に送り出すが、当時はほとんど理解されずに非難をあびる。キュビズムはこれ以降、ジョルジュ・ブラックらと共に、ピカソによってさまざまな形で追求されていく。なお、キュビズム=キュビスムという言葉は、1908年、アンリ・マティスがブラックの抽象画を評した蔑称に由来している。
1918年ごろから、「新古典主義的」な絵画を制作する。画面から抽象性は退き、強調した四肢や安定感を重視した構図などの特徴を持つ、ボリューム感のある人物像が描がれるようになる。
1937年、スペイン市民戦争でナチスが、都市ゲルニカに対して行った空爆に抗議するため縦3.5m、横7.8mという巨大な作品「ゲルニカ」を発表する。しかし、スペイン市民戦争後、スペインにフランコ独裁政権が成立すると、ピカソは二度と祖国の地を踏むことはなかった。「ゲルニカ」もニューヨークのMOMAから、フランコ将軍の死後の1981年、スペインに返還された。プラド美術館の別館を経て、現在はマドリッドのソフィア王妃記念美術館で公開されている。
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