Marcel Duchamp (1887−1968) 芸術家。ダダイスト。
1887年にノルマンディに生まれた、20世紀を代表する芸術家…というより、20世紀の芸術思想を体言したアーティストといったほうが正しいかもしれない。つぎつぎと変遷した彼の作風と思潮を、一言でまとめて語ることは不可能だ。なぜなら、彼はスタイルを生み出しては捨てていったアーティストだからだ。デュシャンについては、芸術作品についての最後の判断を下すのは見る者なのだ」、「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が起こるように、何ものかを生み出す」という、彼自身の言葉が何よりも雄弁に語っているように思われる。
■絵画
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↑「階段を降りる裸体 No.2」。
1911年の「国際現代美術展」に出品されたが、キュビスムによる作品と共に、轟々たる非難にさらされる。当時こうした絵画を描くことは、とりもなおさず精神障害の現れとさえ受け取られることもあった。「彼ら狂人には自然が、こういう風に見えているのだ、そうでなければこんな風な絵を描くなどということは考えられない」というのが群集側や一部の心理学者の主張だった。この時期の前後数年の間しか、デュシャンは油絵を描かなかった。彼は、ほかの同時代の画家が必死で手にしようとした、自分だけの絵画スタイルを捨てさることに、何の抵抗も持たなかった。同じスタイルによる「反復」で芸術を生み出すことなど、デュシャンには考えられないことだったのである。
■レディ・メイド「作品」
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↑「泉」。
「ダダの教皇」デュシャンの厳しい芸術観、ひっくり返せば、真摯なキテレツぶりが極まったのが、これらの「レディ・メイド」芸術。既成の文化芸術を否定する刹那的なパフォーマンス中心のダダイズムの影響を受け、デュシャンは、デパートで買ってきた便器にR.MATTの名でそのままサインし、「fountain(泉の意)」のフランス語タイトルをつけ、1917年の「アンデパンダン」展に出品しようとするが、展覧会の趣旨に反したとして、作品は拒絶される。
なお、これらのレディ・メイド作品の大部分の「オリジナル」は失われてしまっている。
■オブジェ
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↑「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも」。
通称「大ガラス」と呼ばれるこの作品は、1912年から10年の製作年数をかけつつ未完のまま放置された。運搬途中に入ってしまったガラスのひび割れを、デュシャン本人は、これで作品が完璧になったと、大喜びさえした。結局、その傷をデュシャン自身が修復することで、実質上の「大ガラス」は完成を見たと言ってよいかもしれない。
■最後に残ったのは「思想」。
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↑「(1)落ちる水 (2)照明用ガス、が与えられたとせよ」。通称「遺作」
これらの作品を世に問うた後、デュシャンは制作ではなくチェスの研究に没頭。芸術活動を止めたと考えられていたが、のぞき穴のようなインスタレーション作品「遺作」が、死後の1969年に公表され、同年フィラデルフィア美術館に常設される。遺作の正式タイトルは「(1)落ちる水 (2)照明用ガス、が与えられたとせよ」。木の扉に穴が開いており、そこから覗けば、光の効果によって実際水が流れているような滝があり、前景に裸体の少女の性器もあらわに横たわっているという作品。