日本は偶像崇拝の邪教が支配する国として批判の対象になりやすく、特にカルト教団は、それで罪悪感を植え付け続け、マウントを取ります。 しかし、どの宗教も他の宗教から見れば偶像崇拝に見える要素を含んでいます。 たとえば、執着を嫌う仏教から見れば、教典や、その言葉に固執すること自体、偶像崇拝になります。そして、一神だ多神だという発想自体、この世的だということになります。なぜなら、本当に万能だというなら、一でもあり、多でもあり、有でもあり、無でもあり、変幻自在であって、一に限定されないでしょう。 宗教が、理解を豊かにし、人々を幸せにするよりも、偏見に囚われ、無理解と対立とテロを煽ることが歴史上繰り返され…