本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれる。
正式には蓮華王院という名の天台宗の寺院である。
千一体の観音像が並んでいることで有名。
毎年一月十五日に近い日曜日には、最も重要な法要である「楊枝浄水供(やなぎのお加持)」と、通し矢に因む弓道大会である「大的(おおまと)大会」が行われる。
宮本武蔵が決闘したっていうのは吉川英治の創作らしい。
よく耳にする洛中洛外図屏風。今日の画像は洛外図屏風だがそもそも洛中・洛外とはどの場所を指すのか。おそらく洛中とは京都、洛外とはその外となのだろうが明確な線引があるのか調べてみると豊臣秀吉の京都整地によって洛中・洛外が区別されるようになったらしい。御土居堀(おどいぼり)という城壁で区切りその内を洛中、外を洛外とした。 史跡御土居 グーグルマップで重ね合わせると下図のようになる 赤枠が御土居 鴨川を堺とした東側が洛外・東山である。屏風には豊国廟、三十三間堂、方広寺大仏殿、清水寺、八坂の塔、祇園社、知恩院、などが描かれている。東山名所図屏風と同じく北側を右に位置して鴨川を下に描くのは決まりごとなのか…
せっかくでかけた美術館で得るものが無いのは悔しいので掠める程度に勉強してみる。一隻(いっせき)の屏風を観て時代と場所程度がわかれば御の字とする(レベル高いかな)おいおいここに書き連ねていけば自ずと様々なことが理解できると期待している。 1 東山名所図屏風 東山名所図屏風 右から第一扇、第二扇にかけて三十三間堂、次に方広寺大仏殿が描かれている。作成は桃山時代。織田信長や豊臣秀吉が生きた時代なのでもう400百年前の絵を上手い下手だと言う気はないけれども西洋だとラス・メニーナスの描かれたバロック時代だそうだから日本絵画について誰も突っ込まないのは自国民の優しさなんだと思う。多分。 三十三間堂と方広寺…