三遊亭円朝

三遊亭円朝

(読書)
さんゆうていえんちょう

落語の名跡。
初代が特に有名。二代目が襲名直後に死亡して以後、「円朝」を名乗る落語家は出ていない。

初代:本名、出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。天保10年4月1日(1839年5月13日) - 1900年(明治33年)8月11日
音曲師橘屋円太郎の息子として生まれる。
七歳の頃から小円太の名で高座に上がるが、一時中断して歌川国芳のもとで画工の修行をする。
その後、復帰して二代目三遊亭円生に入門、十七歳の時に円朝を名乗り、真打ちに。書き割りや鳴り物を用意して芝居の世話狂言を模した演出で大いに人気を呼んだ。
二十一歳の時、自作の「累が淵後日談」を自演*1。以後自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で、独自の境地を開いた。
維新後は寄席での演劇類似行為が禁止されたため、道具一切を弟子の三代目円生にゆずり、扇一本の素噺で通した。
代表作は「怪談牡丹灯籠」「塩原太助一代記」「真景累が淵」など。
円朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博し、これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致を促した。

二代目:初代三遊亭円右(1860年6月15日 - 1924年11月2日)が死の間際に襲名した。

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*1:このころから師の円生が人気をねたんで円朝の出し物を先にやってしまうので、困った末に創作に走った、という裏事情があった。

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