メアリー・ノートン作「床下の恋人たち」より。舞台を1950年代のイギリスから、現代2010年の日本に移す。場所は見なれた小金井かいわいで良い。古い家の台所の下にくらす小人の一家。アリエッティは14歳の少女、そして両親。くらしに必要なものはすべて床の上の人間から借りてくる「借りぐらし」の小人たち。魔法が使えるわけでもなく、妖精でもない。ネズミとたたかい、ゴキブリや白蟻になやまされつつ、バルサンや殺虫スプレーをかわし、ゴキブリホイホイや硼酸ダンゴの罠をのがれ、見られぬように目立たぬようつつましくも用心深く営まれる小人たちのくらし。危険なかりに出かける父親の勇気と忍耐力、工夫し切り盛りし家庭を守る母親の責任感、好奇心とのびやかな感受性をもつ、少女アリエッティ。ここには古典的な家庭の姿がのこっている。見なれたはずのありきたりの世界が、身の丈10cmほどの小人たちから眺める時、新鮮さを取り戻す。そして、全身を使って働き動く小人たちのアニメーションの魅力。物語は、小人たちのくらしからアリエッティと人間の少年の出会い、交流と別れ。そして、酷薄な人間のひきおこす嵐をのがれて、小人たちが野に出ていくまでを描く。混沌として不安な時代を生きる人々へこの作品が慰めと励ましをもたらしことを願って……。2008.07.30 (宮崎駿の企画書より引用)
宮崎駿がこの映画を本格的に企画したのは、2008年の初夏。40年前に高畑氏*2と一緒に考えていた企画をふと思い出したのがきっかけである。プロデューサーの鈴木敏夫氏は、当時別の企画を考えていたため、どちらの企画を通すか宮崎氏と何度も議論を行った。結果、宮崎氏の強引な説得により、アリエッティの企画が進行することとなり、今に至る。これほどまでにアリエッティにこだわる宮崎氏の背景には、自分たちの若き日への憧憬があったのではないかと、鈴木氏は語る。
どうして、今、「床下の小人たち」なのか?という問いに対して宮崎氏はこう答えている。「この話の中に登場する『借りぐらし』という設定がいい。今の時代にぴったりだ。大衆消費の時代が終わりかけている。そういうときに、ものを買うんじゃなくて借りてくるという発想は、不景気もあるけど、時代がそうなってきたことの証だ。」
監督に米林氏を起用した背景にはこんなエピソードがある。スタジオジブリで交代で監督を務め、ジブリ作品を作り上げてきた宮崎駿氏も高畑勲氏も高年齢を迎えており、『ゲド戦記』で若い宮崎吾朗を起用したように、若い監督の力を必要としていた。そこで、プロデューサーである鈴木氏が推薦したのが、米林氏である。米林氏はジブリで一番腕のいいアニメーターとして認められており、「崖の上のポニョ」では、“ポニョ来る”のシーンを担当し、宮崎氏を唸らせたという実績もある。米林氏を提案された宮崎氏はその場で即決し、自身のアトリエに呼び寄せ、早速説得にかかったという。