個人に於ける、社會上の功罪が莫大に至るので、 貢献度も高いのかもしれませんけれど・・・ 一方で 迷惑度も無視できません・・・ 宗教では、公>私 で 塾産業・成果主義の企業などでは。 私>公(社會) だと 個人の立ち位置というのを、社會制約上、勘違いする人が多く。 私人としての飽くまで企業人であれば、企業に於ける、儲けという功利性が高いと判断されれば、収入は莫大に至り。 私人としての飽くまで、人という立場では、公(社會)に於ける、迷惑度が低いという、社会契約上の倫理性が高いと判断されても、収入は先ず、約束されず、人に依っては、独りで田畑を耕し、独りで社會の助けを借りず、生活することは、支出そのも…