大学共通テストの日本史探求に幕末のコレラの流行についての出題がありました。安政5年の5月に長崎、6月に伊豆の下田に来航した米国の軍艦ミシシッピ号を感染源とし拡大したもので、一説には江戸だけで三年に渡って10万とも26万ともいわれる死者を出しています。問題では各地の感染の流行時期とミシシッピ号の寄港の時期を示した図が掲げてあって、それについて問うています。設問の詳細は新聞等で確認していただくとして、このときの拡大が興味深いのは長崎から東進して江戸に達したわけではなく7月中旬の駿河や7月上旬から8月にかけての江戸での流行のあとに大阪へ8月中旬に伝播し、京都は9月である点です。 このことについて以前…