大閤の町割り楽し道修町なにわの「とめ」の祭りも終わる 縦横平行につくられた大阪の道路は、南北の道路を「筋」、東西の道路を「通り」といい、通りを挟んだ両側が一つの町を形成しています(両側町)。だから、東西に延々と同じ町名が続くのに対し、南北では通りが一つ変われば町名も変わります。道路が町の境界になっているのではなく、建物の背中合わせのところが境界になっているのです。太閤さん(豊臣秀吉)による町割りは実にユニークなのであります。 そのなかに道修町(どしょうまち)という町があります。ここは江戸時代以来「薬の街」とされ、現在でも、多くの薬問屋や武田薬品工業、塩野義製薬、小林製薬、田村薬品工業、大日本住…