古代、任那の人びとの一部は日本に渡来したのではないだろうか。実際、百済の人はヤマト王権に近い、例えば大阪府枚方市(百済寺があったという)、新羅の人びとは王権から離された埼玉県の新座付近、そして高句麗の人びとは埼玉県日高市・高麗に住まわせたという。それならば、任那の人びとも一部は日本に渡来したのではないだろうか。今回、その候補地につき、高知の室戸や和歌山の牟婁をあげる。次の流れで紹介していく。 ・任那4県割譲・大加羅の滅亡・新羅の昌寧碑(しょうねいひ)・西暦535年~西暦536年の世界規模の火山爆発・中原高句麗碑における牟婁・高句麗王に仕えた牟頭婁(むとうる)・高知県の室戸(ムロト)・和歌山の牟…