1880年生まれ、1977年没。岐阜県出身。画家。 東京美術学校(現在の東京芸術大学)を首席で卒業するも、職業的な画家にはならず、筏流しなどの職業に就く。画家として本格的に活躍し始めるのは50代になってからだが、その後も寡作であった。1967年には「来客が増えると困る」という理由で文化勲章を辞退、「現代の仙人」と呼ばれた。動植物を単純ながらも味わい深い筆致で描いた作品に特徴がある。
熊谷守一「どくだみ草」(1972)、部分。 桜前線まさに北上中。ご挨拶の冠にはすべからく花便りが添えられるころおいとなりました。お健やかな日々をお過ごしのことと、お慶び申しあげます。 あいだに挟まりまして、ひとことお報せとお礼とを申しあげます。2021年の5月3日に初投稿いたしました当「一朴洞日記」が、本日この投稿をもちまして、1800日の連続投稿となりましてございます。 健康状態・精神状態ともに、つねに万全とは申しがたき身の上にて、かような足取りを維持できましたのも、あなたさまを始めといたします、読者の皆々さまあってのことと痛感することしきりにて、あらためて深くふかくお礼申しあげます。 世間…
中国のお菓子を、お土産にいただいた。手提げの紙袋まで、コテコテ中国だった。 朋あり遠方より来る。名古屋の有名大学にて勤めあげ、今は名誉教授となった同齢の友人から、突如連絡があった。東京へ行くからお茶でも飲もうとのお誘いだ。会うのはじつに久しぶりだ。 わが町までご来駕くださるとのことなので、駅にて待合せる。あちらがトキワ荘方向、ここが神社、そしてここが帝銀事件の跡地と、駅周辺を軽くご案内してから、ロッテリアに腰を落着けて話し込む。 若き日に、とある同人雑誌創刊の下相談にて知り合った。甲論乙駁と揉み合うなかで彼は離れ、私は参加した。それ以後も同じ雑誌に身を寄せる機会はなかった。小林秀雄に注意を凝ら…
昔ここに、皮膚科・泌尿器科の医院がありました。この地に開院したのは、昭和三十三年だったでしょうか。午前中は大学病院の勤務医で、午後三時ころから開業するという、二足の草鞋の医師でした。五十年ちかくも診療いたしました。 近所で産れ育った皆さんはどなたも、赤ん坊のころか幼児のころ、汗疹(あせも)だ飛火だ火傷だで、慌てふためくお母さんに抱かれて、この医院へ連れて来られたことでしょう。その赤ん坊たちも、今やよいお齢でしょう。ただしご近所に今もお住いのかたは、多くはありません。この地から離れていったかたがたがほとんどです。 医師はこの地で死にました。自宅で息子に看取られた、静かな最期でした。 白樺派の一人…
熊谷守一 生きるよろこび / 東京国立近代美術館、日本経済新聞社文化事業部 / 装丁、菊地敦己、森裕美子 / 日本経済新聞社 / 2017年 / 214x174mm / 359ページ / ハードカバー は「本まるさんかくしかく」で販売中です。 hon034.stores.jp 2017年から2018年にかけて開催された展覧会の公式図録。初期の重厚な画風から、猫など身近な題材を鮮やかな色彩と明快な輪郭で描いた代表作に至るまで、熊谷守一の画業を豊富なカラー図版で紹介しています。私も実際、観ましたが、出品数&内容ともに素晴らしくて、見終わるのにずいぶん時間を要しました。でも、あっという間の出来事のよ…
よろコンです。 ここ2回、5/23(金)-25(日)に関西で見て来た展覧会について、書いてきました。あと一回、書くつもりですが、今回は一回お休み。先週・先々週と東京で見た二つの展覧会について書きます。今回も、あとから「あの時、こんな展覧会に行っていたんだなぁ」と自分が思い出すためのメモということで、よろしくお願いします。(写真は撮影OKだったものです) (いねむるモリ) (1) めぐる いのち 熊谷守一美術館40周年展@豊島区立熊谷守一美術館(6/29(日)まで) 特別企画展 「めぐる いのち 熊谷守一美術館 40 周年展」 | 豊島区立熊谷守一美術館 | Kumagai Morikazu M…
久しぶり(?)に「あほ桐」の集まりの記録です。 5月9日(金)、この日はいつもの四人に加え、大阪から一名、浜松から一名、合計六人の集まりになりました。拡大「あほ桐」のフルメンバー、勢ぞろいです。今回のメインは食事とカラオケだったのですが、そこは文化と教養!?を謳い文句にしている集まり、寸暇を惜しんで「愛知県美術館」のコレクション展を覗きに行きました(ついでに、隣のNHKスタジオにも顔を出しました)。 大阪万博が開催中ですが、今年は愛知万博20周年の年でもあります。その記念事業の一つとして「フランス・オービュッソンのタピスリー;『千と千尋の神隠し』」の特別展示が開催されていました(愛知・中部圏以…
学生時代に、谷川徹三の影響を受けた時期があった。 今も熱心な読者はあるのだろうか。お若いかたには、詩人谷川俊太郎のお父上と説明しなければならぬかもしれない。肩書は哲学者という括りになっているのだろうが、芸術史・美学史に関する、柔軟で幅広い、啓蒙的エッセイストの著作として私は読んだ。『芸術の運命』が最初だった。 家庭環境にも生立ちにも、美術の素養を育む要素などなかった私には、たまたま物の本で知った対象に場当り体当りでのめりこみながら、見聞を広めてゆくしかなかった。必然的に知識は粗密まだらとならざるをえなかった。そのまだら模様たるやひどいもので、梅原龍三郎や坂本繁二郎の代表作を思い浮べることができ…
文字らしい文字、立派な文字というものが、あるのだろうか。あるような気がしている。ただし巧い拙いとは少し違うような気がする。美しい醜いとも違う気がする。丁寧な文字か粗雑な文字かなんぞは、初めから論外だけれども。 明治の元勲と称ばれる政治家・政商らの書や書簡を評した、榊莫山の言葉が残っている。巧い、平凡、下手、貧相、字になってない、などなど、忌憚なく評されてあって痛快だ。評価の基準も分れ目も、むろん私には解らない。ただ在世中の業績や、巷間伝えられる人柄や伝記的事実とは一致しない場合がしばしばで、面白いもんだなあと記憶している。 榊莫山は伊賀の人だ。大正十五年(1926)生れだから学徒出陣兵として徴…
熊谷守一美術館の外壁に彫られてある、逞しい蟻たちのうちの二匹だ。右の一匹は恥かしながら、ウェブ上での私のアイコンたる一朴蟻である。 「文化庁からお電話。なんでも文化勲章をくださるとかで、受取るかとお訊ねだけど、出てみる?」 「いや、いらない……」 熊谷守一と夫人との、有名な会話だ。美術館は画伯ご夫妻のお住い跡地に建っている。そこ豊島区千早の地に、ご夫妻は長年住まわれた。 往来からの眼を遮るように鬱蒼と繁茂した樹木と草ぐさに護られた、平屋の日本家屋だった。晩年の画伯はほとんど外出することもなく、庭にしゃがみこんだり縁側に寝転んだりしながら、猫と戯れ、小動物や草木を観察して過した。花ばなや小鳥たち…
★熊谷守一 画壇の仙人展 札幌三越、2023年11月7日(火)-11月13日(月) (WEBサイト→) www.mitsukoshi.mistore.jp 熊谷守一(1880年-1977年)は岐阜県恵那郡(現在の中津川市)生まれ。1900年東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学。1909年、文部省美術展覧会にて『蝋燭』が褒状を受けました。1967年には文化勲章を辞退し、世俗から離れて、終日自宅の庭の草花や花を眺め、97歳まで描き続けました。その姿は「画壇の仙人」「超俗の人」とも呼ばれました。 モリカズの作品は、その生活(人生)そのままに、自由で、伸びやかです。その作風は「モリカズ様式…