藤原仲麻呂

藤原仲麻呂

(一般)
ふじわらのなかまろ

藤原恵美押勝仲末呂。慶雲3年(706年)〜天平宝字8年(764年)9月18日。
藤原氏南家。父は藤原武智麻呂
養老律令』の施行*1と恵美押勝の乱ほか、新羅征伐未遂で有名。

略史

平清盛の人生を400年前に送ったような人物である。。。
『続日本紀』の聖武天皇以降の記述には作為が多いと見られるため、細部についてはよく分かっていない点も多い。今日では孝謙天皇は傀儡であったと考えられているが、光明子(仁正皇太后)と仲麻呂のどちらが政権を主導していたかは意見が分かれる。

孝謙天皇代

聖武天皇が孝謙天皇に譲位すると皇太后の信任を得て紫微中台の長官に就任し橘諸兄と権勢を競うが、密告により諸兄は失脚。聖武法皇の遺詔により道祖王が立太子するも廃され、仲麻呂と外戚関係にある大炊王(後の淳仁天皇)が皇太子となる。諸兄の遺児・奈良麻呂も橘奈良麻呂の乱を企てたとの密告により獄死。

淳仁天皇代

淳仁天皇が即位すると藤原恵美押勝の名を賜る。その翌年、安史の乱で唐の対外影響力が低下したことにより新羅征伐を企てるが未遂に終わる。押勝の権勢は絶頂に達し人臣としては初の太政大臣*2に就くが、時を同じくして皇太后が崩御し後ろ盾を失う。息子を次々と要職に就けるもかえって他の藤原氏一族の反発を買って孤立してしまい、恵美押勝の乱を起こすが討死。


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*1:あまりにも称徳天皇のイメージが強いため見逃されがち。。。

*2:ただし、押勝が大師と改称していた。

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