藤原頼長

(一般)
ふじわらのよりなが

藤原忠実の次男。内覧・左大臣、藤氏長者。悪左府と称される。
父の寵愛深く氏長者となり、内覧宣旨を受けて権勢を誇るが、異母兄の関白藤原忠通と対立。そして近衛天皇が崩御し、後白河天皇が即位すると内覧を停止され失脚。鳥羽法皇の崩御後、巻き返しを図るが保元の乱に敗れ、流れ矢で重傷を負ってそのまま没した。
彼の日記『台記』は当時の貴重な史料。

衆道家

日記『台記』に院政期には一般的に行われていた衆道男色の様子を書いているため、一部のお嬢さん方には男色家として意外と有名だったりする。
先発優先提言騒動の発端となったサイト自身がパクられたと訴えられた理由に「名前が一文字違い」というのがあり、参考サイトの検証に「平安時代の男色家として名高い人物の名前とも一字違いだった」とあるのは頼長を意識していると考えられる。
7.提言の発端となったサイトは、本当はパクっていたんですよね?

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ