平治の乱

(社会)
へいじのらん

保元の乱から三年後、1159(平治元)年12月に、後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びついて勃発。
平清盛が熊野詣で京を留守している間に、藤原信頼源義朝を中心として起こされたクーデターが端緒。
後白河上皇・二条天皇は幽閉され、藤原通憲(信西)は京外に逃亡するも数日後に自害し、梟首される。
しかし、六波羅に引き返してきた平清盛や二条天皇近臣の葉室光頼らにより天皇は内裏を脱出、清盛の六波羅邸に迎えられ、さらに後白河上皇も仁和寺に退避すると信頼・義朝が孤立。
追い込まれた義朝は軍勢を率いて六波羅に攻め込み、源義平(悪源太)ら東国武士が勇戦するが、激しい合戦の末に数に勝る平家方が勝利。
信頼は仁和寺に逃げ込むも即刻斬首。義朝も逃亡先の尾張で討ち取られた。
なお、義朝嫡子の源頼朝は助命され流罪となり伊豆に流され、20年後の決起旗揚げまで流人生活を送った。 また、常磐御前所生の今若(阿野全成)・乙若(義円)・牛若(源義経)の幼い三兄弟も助命されている。

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