第21代の天皇。 大泊瀬幼武天皇、大長谷若建命、ワカタケル大王とも。
雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の第五子。母は忍坂大中姫命。 兄の穴穂天皇(安康天皇)が眉輪王(目弱王)に殺され、兄弟を疑いて、八釣白彦皇子を殺して、葛城圓大臣宅を炎上す、坂合黒彦皇子、眉輪王、圓大臣を一緒に燒死した。この後、市邊押磐皇子まで、自分以外の皇位継承者をすべて殺した、天皇になる。
子には、白髪武廣國押稚日本根子天皇(清寧天皇)、稚足姫皇女、磐城皇子、星川稚宮皇子、春日大娘皇女がある。
前稿で臼が峰往来(石仏峠)の歌碑の紹介が終わりました。万葉歌碑としては下記のように40基(重複や説明碑、平家物語関連などは除いて)が立てられていました。 富山県氷見市葛葉臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑群 20230704撮影 地元の愛好家さんたちの熱い思いが感じられるゾーンでした。きれいに整備されており思う存分万葉の世界を満喫することができました。 紙面を借りて心から御礼申し上げます。ありがとうございました。 次は、富山県側の臼が峰山頂公園である。 ●歌は、「こもよ みこもち ふくしもよ みふくし持ち この岳に 菜摘ます子 家のらせ 名のらさね そらみつ 倭の国は おしなべて われこそをれ 敷き…
今回はシリーズ第29弾、雄略天皇・18回目(雄略紀の最終回)を紹介する。雄略が病に伏し崩御する。雄略の遺言や皇太子(清寧天皇)が継ぐことの正当性が星川皇子との対比を通じて描かれる。次の流れで紹介していく。・病気から賞罰支度を皇太子に委ねる・雄略天皇の崩御・雄略の大伴室屋大連と東漢掬直への遺言・臣下に対して思うこと・雄略の心残り・天皇の職責と後継者に対して・皇太子と星川皇子・吉備臣尾代と蝦夷の戦い ■病気から職務を皇太子に委ねる即位23年7月(秋)。天皇は寝疾不預(みやまい、病気により寝ているさま)していた。詔(みことのり)し、賞罰支度(まつりごとおきて)など大小問わず皇太子に付にたまふ(ゆだに…
前回の記事ではさきたま古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた文字から古代のさきたまと大和との関係を考えてきました。今回は鉄剣を作らせて稲荷山古墳に埋葬されたとされるヲワケの臣について掘り下げていきたいと思います。 目次 ・大仙陵古墳と稲荷山古墳の共通点 ・5世紀の大和政権はグローバル? ・巨大古墳を造った渡来人 ・百済滅亡の衝撃 ・雄略天皇は新羅派だった? ・ヲワケの臣と渡来人 大仙陵古墳と稲荷山古墳の共通点 鉄剣に刻まれた文字からヲワケの臣は5世紀に21代雄略天皇に仕えていた杖刀人(警備を司る役職)の首であり、大和(奈良県)もしくは河内(大阪府)からさきたまへ赴任したのではないかと考察…
前回の記事では埼玉古墳がある埼玉(サキタマ)の地名の由来について書きました。今回はさきたま古墳を一躍有名にした、100年に一度の大発見と評される「金錯銘鉄剣(キンサクメイテッケン)」の謎に迫っていきたいと思います。 目次 ・さきたま古墳と大仙陵古墳の類似点 ・古代の謎を解く鉄剣 ・ヲワケの臣の祖先オホヒコとは? ・オホヒコはヲワケの臣の先祖ではない? ・謎の都シキの宮 ・シキの宮は奈良にあった? ・シキの宮は大阪にあった? さきたま古墳と大仙陵古墳の類似点 鉄剣が出土したのはさきたま古墳公園の最北に位置する「稲荷山古墳」です。 稲荷山古墳は5世紀後半に造られた前方後円墳で、埼玉古墳群で最初に作…
今回はシリーズ第24弾、雄略天皇・13回目を紹介する。玉縵(たまかづら)が再び登場する。そして大草香皇子の疑いが晴れる。これにより大草香皇子の忠臣であった難波吉士日香々の子孫が大草香皇子の名にちなんで大草香部吉士となる。次の流れで紹介していく。 目次・身狭村主青らの呉国からの帰国・磯歯津路(しはつのみち)・呉原の由来・飛鳥と伊勢の衣縫部の先祖・大草香皇子の疑いが晴れる・日根に逃げて稲城を築いた根使主・二つの子孫にわけられた根使主・坂本臣の由来と根使主の子、小根使主(おねのおみ) ■身狭村主青らの呉国からの帰国即位14年1月(春)。身狭村主青(むさのすぐりあお)らは呉国(くれのくに)の使者ととも…
今回はシリーズ第23弾、雄略天皇・12回目を紹介する。「韋那部真根」を惑わす采女の相撲、そしてその真根を救った仲間の巧みたちのエピソード回。次の流れで紹介していく。 ・木工の韋那部真根・采女の相撲・同伴巧者(あいたくみ)の嘆き・甲斐の黒駒(かいのくろこま)・まとめ ■木工の韋那部真根 即位13年9月(秋)。 木工韋那部真根(こだくみいなべのまね、木工職人)は石を質(あて、木を削る基礎の台)として手斧をとって木を削った。終日(ひねもす)削っても、誤って刃を傷つけることがなかった。 天皇はその木工の作業場へ遊詣(いでま)して、不思議に思って尋ねた。「誤って石にあててしまうことはないのか」 真根は答…
今回はシリーズ第22弾、雄略天皇・11回目を紹介する。山辺小嶋子と歯田根命、人文石小麻呂となった白い狗(いぬ)を紹介。次の流れで紹介していく。 ・山辺小嶋子(やまべのこしまこ)と歯田根命(はたねのみこと)・人文石小麻呂となった白い狗・まとめ・考察~人文石小麻呂の人物名について~ ■山辺小嶋子(やまべのこしまこ)と歯田根命(はたねのみこと)即位13年3月(春)。狭穗彦(さほびこ)の玄孫にあたる歯田根命(はたねのみこと)はひそかに采女(うねめ)の山辺小嶋子(やまのべのこしまこ)を犯した。 ※狹穗彦は狭穂彦王(さほひこのみこ)のこと。垂仁天皇の条に登場。垂仁天皇5年に妹の狭穂姫命(さほひめのみこと)…
今回はシリーズ第21弾、雄略天皇・10回目を紹介する。闘鶏御田と猪名部御田、そして秦酒公が読んだ琴の声を紹介。これから鶏御田と猪名部御田の名前のヒミツを紹介する。次の流れで紹介していく。 ・呉(宋)への遣使・闘鶏御田と猪名部御田・まとめ・考察~闘鶏御田と猪名部御田の名前のヒミツ~ ■呉(宋)への遣使即位12年4月(夏)。前回の遣使は即位8年。今回は2回目。身狭村主青(むさのすぐりあお)、檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)を呉(宋)に派遣する。 ■闘鶏御田と猪名部御田即位12年10月(冬)。天皇は木工闘鶏御田(こだくみつけのみた)に命じて初めて楼閣(たかどの)をつくった。ある本にいう…
今回はシリーズ第20弾、雄略天皇・9回目を紹介する。即位10年9月~即位11年10月の出来事を取り上げる。次の流れで紹介していく。 ・呉国からのガチョウの献上と養鳥人・養鳥人によるガチョウの安置・川瀬舎人の設置・呉国の貴信と子孫の琴彈壃手屋形麻呂(ことひきさかてのやかたまろ)・鳥養部と黥面 ■呉国からのガチョウの献上と養鳥人即位10年9月(秋)。身狭村主青(むさのすぐりあお)、檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)は呉の献上した二匹の鵝(ガチョウ)を持って筑紫に到着する。しかしこの鵝(ガ)は水間君(みぬまのきみ)の犬に食べられて死んでしまう。別の本では筑紫の嶺県主泥麻呂(みねのあがたぬ…
今回はシリーズ第19弾、雄略天皇・8回目を紹介する。誉田陵の赤馬伝説を取り上げる。次の流れで紹介していく。 赤馬伝説・田辺史伯孫・月夜の出来事・誉田陵にて赤駿にのった者との出会い・赤駿・驄馬(みだらのおうま)・驄馬と赤駿の交換・土馬になった赤駿・まとめ・感想・豆知識~赤兎馬~ 以下、日本書紀 雄略・即位9年・7月(秋)より。 ■田辺史伯孫 河内国が次のように言った。 「飛鳥戸郡(あすかべのこおり ※1)の人、田辺史伯孫(たなべのふびとはくそん)の娘は、古市郡(ふるいちのこおり ※2)の人、書首加龍(ふみのおびとかりょう)の妻なり、と。 ※1:飛鳥戸郡:河内国安宿郡安須加倍、現在の大阪府羽曳野市…
本コンテンツは、底本の発行当時の収録内容をもとに作成されています。 底本とは一部の表記・表現が異なる場合があります。 また、使用するリーディングシステムや機種によって、表示に差が認められる場合があります。 天皇の国史 竹田恒泰 はじめに 日本は天皇の知らす国である。 「日本とは何か」という問いに真しん摯しに向き合うと、自ずとこの答えに辿り着くのではないだろうか。明治時代、大日本帝国憲法を起草する大役を担った天才官僚の井いの上うえ毅こわしは、第一条を書くために、『古事記』『日本書紀』をはじめとする国史に関係する膨大な量の本を読み込んだ。憲法の冒頭に日本の国柄を、つまり「日本とは何か」を簡潔に書く…
読んだ。 #日本の歴史をよみなおす(全) #網野善彦 1991年に刊行された『日本の歴史をよみなおす』と、1996年に刊行された『続・日本の歴史をよみなおす』を合わせて一冊として2005年に刊行された本。 百姓=農民ではなかった。百姓とは、さまざまな職業に従事する人々(武士、町人、神官・僧侶など以外)を指す用語だった。 貧しい水呑み百姓として分類された人々のなかには、実際には大規模な交易や様々な産業・事業を経営する裕福な事業家もいた。 日本列島は孤立した孤島ではなく、海や河川が交易路として活用され、海外と緊密な交易を行う貿易立国であった。 かつては穢れを清める職能集団として畏怖されていた人々が…
🤑事実より見栄を最優先するナンコリ習性とボッタクリ世界遺産商売が合致 🤣ナンコリに世界遺産が16件もある茶番---------------------------------------------コリ半島南部の「伽耶古墳群」が世界遺産に ナンコリ16件目サウジアラビア・リヤドで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は17日、コリ半島南部に残る古代国家・伽耶の遺跡7カ所から成る「伽耶古墳群」の世界文化遺産登録を決めた。ナンコリで16件目の世界遺産となる。伽耶は紀元前後から西暦562年まで、主に洛東江流域を中心に繁栄した小国の総称とされる。世界遺産登録が決まった遺跡は1~6世紀中…
古事記や日本書紀に出てくる初期の人皇家は 皇位継承をめぐって血族同士の殺し合いをしている かのように描かれている。 けれど、実際は人種が違うのだと思う。 そもそも人皇初代の即位にしても それ以前の「神話」にしても 殺しが無いわけではないのだけれど 「血族同士の殺し合い」が酷くなるのは 偽の仁徳天皇・大鷦鷯や雄略天皇ら 高句麗系の疑いがある「倭の五王」からで 藤原氏や桓武天皇が権力を握るまで テロや陰謀が繰り返されている。 前世の私にも落ち度はあっただろうけれど 「血族同士の殺し合い」をしてる皇族全てを 「自」とは感じないのもまた事実だ。 あれを「自」と感じる方は、 かなり危険人物ではなかろうか…
※記事で紹介した旅行商品を購入すると、売上の一部がSBIふるさとだよりに還元されることがあります年明けの初詣から3月にかけての受験シーズンは、全国各地で「学問の神様」として有名な神社に、合格を祈願する受験生やその家族が大勢参拝します。そこで今回は、学問の神様といわれる菅原道真について、また道真にゆかりのある全国の神社をご紹介します。 菅原道真が「学問の神様」といわれるのはなぜ? 【北海道地方】札幌八幡宮(さっぽろはちまんぐう)[北海道] 住所 アクセス 【東北地方】榴岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)[宮城県] 住所 アクセス 【関東地方】湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)[東京都] 住所 ア…
古代日本は、100年単位で、大きな変革を遂げている。 西暦400年頃、後の東漢氏や秦氏につながる渡来人が大挙してやってきて、この頃から古墳が超巨大になり、副葬品として、武器や馬具などが多く含まれるようになった。 西暦500年は、今来という新しい渡来人が大挙してやって来て、訓読み日本語の創造や、後の官僚制につながる新しい政治機構をもたらした。豪族たちの氏姓制度なども、この頃から始まるが、この時代に即位したのが、第26代継体天皇だった。 西暦600年は、17条憲法(604年)が制定された推古天皇の時代で、この頃の政治の中心、飛鳥の住民の80%以上が渡来系だったとされる。 西暦700年は、大宝律令(…
日本には無数の聖域があり、それらの聖域のあいだを線で結び、なんでもかんでもレイラインだと主張するのは、あまり意味がないことだと私も思っている。 しかし、日本の各地を旅すればよくわかることだが、古代において、冬至や夏至、春分や秋分の太陽の位置というものが強く意識されていたことが伝わってくる場所は多い。 広く知られているのは、伊勢神宮の宇治橋で、冬至の日に橋の真ん中から太陽が昇る。伊勢の夫婦岩は、夏至の日に、二つの岩のあいだから太陽が昇り、よく晴れた日なら、富士山が、二つの岩のあいだに見える。 神社の鳥居のど真ん中に、秋分や春分の日の出や日没の太陽が入るところは、いくらでもある。 それらは、日々の…
文字霊日記・3352日目 亜流=亞流・・・三流・・・ あら、まぁ~ あら、不思議・・・ ↓↑ 「安全保障条約」=「危難保障条約」・・・? 「不安全保障条約」=「不可侵条約」⇔「日ソ可侵条約」? 「日米安保条約」⇔「日米不安保条約」? ↓↑ 中国独立 1949年10月1日 己丑・癸酉・甲子・甲子(乙丑) 印綬 三合辛 正官格 ↓↑ 日本独立 1951年9月8日・SF平和条約 1952年(昭和27年)4月28日執行 壬辰・甲辰・甲辰・甲子・(乙丑) 比肩 透干乙 偏財(劫財) ↓↑ 略称 日中平和友好条約 署名 1978年8月12日 中国(甲子) 日本(甲辰) 戊午(丙 丁)食神・ 比肩帝旺・・・…
文字霊日記・3352日目 亜流=亞流・・・三流・・・ あら、まぁ~ あら、不思議・・・ ↓↑ 「安全保障条約」=「危難保障条約」・・・? 「不安全保障条約」=「不可侵条約」⇔「日ソ可侵条約」? 「日米安保条約」⇔「日米不安保条約」?ahebi2 ↓↑ 中国独立 1949年10月1日 己丑・癸酉・甲子・甲子(乙丑) 印綬 三合辛 正官格 ↓↑ 日本独立 1951年9月8日・SF平和条約 1952年(昭和27年)4月28日執行 壬辰・甲辰・甲辰・甲子・(乙丑) 比肩 透干乙 偏財(劫財) ↓↑ 略称 日中平和友好条約 署名 1978年8月12日 中国(甲子) 日本(甲辰) 戊午(丙 丁)食神・ 比…
京都府京都市伏見区『伏見稲荷大社』、中社・北座に佐田彦大神を祀る。 2023,9,2 前記事の続き。 全国的に、摂社などの稲荷信仰としてウケモチを祀る神社は多い。この穀霊・農耕神信仰もオオトノジ・サルタヒコ子孫と関係があるのだろうか?。稲荷信仰の一側面として宮下文書から考察してみた。 因みに、通説オオトノジはオオトノヂですが、本ブログでは三輪本現代訳を踏襲させていただきます。 (´(ェ)`) ~目次~ 飯縄権現ウケモチは富士朝神? 伊勢国・保食神大國道命とは?、やはりオオトノジか? 伏見稲荷サタヒコと秦氏の関係 田+山の神、何故ミケツが皇祖神なのか? 狐と烏天狗、はじめは猿だった??? ホツマ…
2023-08-23https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/08/23/162747「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について「再考」 本書「古代の新羅王国1974泊 勝美 」は、なんとアマゾンでも出てこない。内容はそんなにマイナーかと思いきやそんなことはない。それどころか内容豊富である。夕刊フクニチ新聞、編集部長。九州在住。 1932年生まれ。まあ、この年代の有りがちな「アジアへの贖罪」に駆られた人ではある。ただ、とはいえ書くものはしっかりしている、と私は信じている(笑)。 今回この場では2つ取り上げたい。太宰府・観世音寺…
世界情勢見てると、これまでの常識や日常が、変わるというか「終わる」のは確実な気がしますね。準備ほとんどできてないですが・・・。 今回は邪馬台国以前には、出雲が日本列島を統治してた話について。 卑弥呼以前には出雲が九州~本州統治した 通説では出雲というのは、島根県の狭い領域であると言われてるのですが。 これ、間違ってるんじゃないかと想像しています。 日本神話には、なぜか出雲について語る時代が長いじゃないですか。 それは天岩戸事件のあと、高天原から素戔嗚尊が追放され、出雲の八岐大蛇を退治し、大国主が出雲を開拓、天照に国譲りする時代まで。やたら出雲が古代の日本各地で幅を利かせてることも分かっています…
●歌は、「志雄道から直越え来れば羽咋の海朝なぎしたり舟楫もがも」である。 富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園万葉歌碑(大伴家持) 20230704撮影 ●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園にある。 ●歌をみてみよう。 題詞は、「赴参氣太神宮行海邊之時作歌一首」<気太(けだ)の神宮(かむみや)に赴(おもぶ)き参り、海辺を行く時に作る歌一首>である。 (注)気多大社(けたたいしゃ):創建二千年もの歴史を持つ能登一宮。(中略)古くは天平二十年(748年)、当時越中国守であった大伴家持が能登巡行の折に「気太神宮」に赴いたと「万葉集」にみえる(後略)(羽咋市HP) ◆之乎路可良 多太古要久礼婆 波久…
※ 「超革新ひふみ神示」は、ある出版社に送信した文書を元にしていますが 当初は第29章まででした。30~33章は追加部分となります。 ※ なお、URL(インターネット上のアドレス)を除くと1~29章は 8万8477字ほどでした。削られても8万字にするための追記 でもあるのですが、23~29章は特に、本になる場合はカットされる であろう箇所も多いだろうと思われ、「共同出版」の資金が集まってない ため、図書だったら書かなかったかも知れない話を追加してもいます。 < 32 > エセ神示 日月神示や大本神諭は、体制を全否定するものです。 大本神諭は明治時代から(1892年~1918年)、 日月神示は戦…