第21代の天皇。 大泊瀬幼武天皇、大長谷若建命、ワカタケル大王とも。
雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の第五子。母は忍坂大中姫命。 兄の穴穂天皇(安康天皇)が眉輪王(目弱王)に殺され、兄弟を疑いて、八釣白彦皇子を殺して、葛城圓大臣宅を炎上す、坂合黒彦皇子、眉輪王、圓大臣を一緒に燒死した。この後、市邊押磐皇子まで、自分以外の皇位継承者をすべて殺した、天皇になる。
子には、白髪武廣國押稚日本根子天皇(清寧天皇)、稚足姫皇女、磐城皇子、星川稚宮皇子、春日大娘皇女がある。
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(なの)らさね 空(そら)見つ 大和の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそませ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも 現代訳 美しい籠を持ち、美しい堀串(ふくし)を持って、この丘で菜を摘んでいる娘さん。どこのおうちの娘さん?お名前はなんていうの?大和の国は、すべてわたしが従えています。だから、明かしてくれますよね? 私も、あなたに明かそう。家柄も名前も。 歌の意味 籠(こ)は、摘んだ若葉を入れるカゴ。 堀串(ふくし)は、土を掘るヘラ。 み籠、み堀串の「み」は、相手の持ち物を称える…
奈良県桜井市黒崎の初瀬街道沿いに、泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)の伝承地がある。白山比咩神社の前、国道165号線を挟んだところに案内板が立つ。初瀬谷口の集落景観の中で、古代宮都の痕跡を静かに伝えている。 『古事記』『日本書紀』は、第21代・雄略天皇が「泊瀬朝倉宮にまします」と記し、この地に王権の中枢が置かれたことを伝える。初瀬谷は東国へ通じる交通の要衝であり、三輪山を仰ぐ聖域にも近い。 泊瀬朝倉宮が営まれたのは、5世紀後半と思われる。前代・安康天皇が天理市に築いた石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)に続き、王権の中枢は再び初瀬谷へと移った。 朝倉は谷の出入口にあたる場所で、東国へ抜ける…
2025年5月8日のこと。 たまたま早起きしたので、御所市の葛城一言主神社に行ってきた。 御所駅まで電車で行き、駅から神社まで歩くというコースである。 ↑ JR御所駅である。実をいうと、御所に行くのはこれが初めてかもしれない。私の住んでいる市とはお隣さんなのであるが。 ↑ 一言主神社の近くの標識である。「駅から45~50分歩いたか?」と思っていたのだが、後で確認すると、1時間歩いていたようだ。 奈良盆地の景色を見ながら歩くのは気分が良く、楽しかったのだが、交通量が結構あり、なおかつ歩道が狭いので、車にかなり気を付けながらのウォーキングとなった。 ↑ 鳥居が見えてきた。 ↑ 神社に着いたと思った…
「采女(うねめ)」とは、古代、天皇や皇后の身の回りの世話をした女性たちの呼称です。 彼女たちの身分は高くありませんでしたが、歴史にエピソードを残している采女もいます。 2025年1月30日の記事で紹介した飯高笠目(後に飯高宿禰諸高)も采女出身でした。 diconoroshi.hatenablog.com この記事では、古事記に名を残す采女のひとり、「三重采女(みえのうねめ)」のエピソードについて記します。 三重采女(イメージ) 雄略天皇の宴でミスをした三重采女 「三重采女」は伊勢国三重郡の出身で、雄略天皇に仕えた采女で、古事記にそのエピソードが記されています。 雄略天皇が泊瀬の屋外で宴会を開い…
埼玉古墳郡の稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた獲加多支 (わかたける)大王に左治天下したとされる乎獲居臣(おわけおみ)とは誰なのか考えていきたいと思います。 目次 稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた内容 雄略天皇の右腕身狭村主青(むさのあお) 身狭 青(むさ の あお)は呉の孫権の末裔? 身狭青が治めた大和国檜隈 まとめ 稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた内容 稲荷山古墳の鉄剣には乎獲居臣(おわけおみ)が斯鬼宮(しきのみや)で獲加多支 (わかたける)大王に仕えた事、乎獲居臣(おわけおみ)の祖先の名前が記されています。 獲加多支 (わかたける)大王は21代雄略天皇だと考えられています。『古事記』では「大長谷若建命」、『…
さきたま古墳群の稲荷山古墳(5世紀後半)から出土した稲荷山古墳出土鉄剣(金錯銘鉄剣)には獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)の文字が刻まれ、21代雄略天皇の実在が証明されました。 今回は鉄剣に刻まれた「辛亥年」とはいつだったのか考えてみます。 目次 雄略天皇天皇とは? 稲荷山古墳出土鉄剣の辛亥年はいつ? 火山灰の年代から推定 雄略天皇天皇とは? 21代雄略天皇は『古事記』『日本書紀』に登場する人物です。古墳時代に活躍したと想定されていましたが、古墳時代の日本には文字で記録する文化がなく実在したかどうかは疑わしいとされていました。 鉄剣に刻まれた「獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)」が『記紀』…
赤猪子が御召しを待った八十年乙女心の純真哀れ 英雄的な君主とされる雄略天皇は、5世紀後半の第21代天皇です。歌をよくし、その霊力によって女性や国を獲得したという伝説があります。その雄略天皇について、『古事記』下巻に、次のようなエピソードが載っています。 長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)で天下を治めていた雄略天皇は、あるとき三輪山のふもと、美和河(みわがわ)のほとりで洗濯をしている少女に出会います。見目麗しいその少女を、天皇は一目で気に入り「おまえは誰の子か」と尋ねると、少女は恥ずかしそうに「私は引田部の赤猪子(あかいこ)と申します」と答えました。天皇は「おまえは誰にも嫁がずにいなさい。その…
泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代 大泊瀬稚武天皇 天皇の御製歌 篭もよみ篭持ち堀串もよみ堀串持ちこの岡に菜摘ます子家聞かな告らさねそらみつ 大和の国はおしなべて我れこそ居れしきなべて我れこそ座せ我れこそば 告らめ家をも名をも 雄略天皇 (萬葉集 巻第一 1) 書 多紀理 歌詠 多岐都 万葉集の巻一の最初に詠われているのがこの歌である。 大泊瀬稚武天皇とは第21代雄略天皇のことで、允恭天皇の第5皇子、安康天皇の同母弟である。安康天皇が眉輪王に殺害されたため、雄略天皇はふたりの兄八釣白彦皇子と坂合黒彦皇子と眉輪王の関係を疑い、三人とも殺してしまった。また、安康天皇に後継として指名されていた…
初代天皇と言われる神武天皇は九州から大和へ東征を行い大和を都と定めて大和政権を立ち上げた人物と言われています。 『古事記』『日本書紀』によると神武天皇は紀元前600年代の人物と言われていますが、実在が確認されている天皇の系図から遡っていくと、1人の天皇の寿命長すぎる問題が発生します。 おそらく『記紀』を編纂する時に『魏志倭人伝』の卑弥呼と神功皇后を一致させたいために辻褄を合わせようとした結果と思われますが、ややこしいので天皇の系図からざっくり遡ってみることにしました。
行田創生RPG 言な絶えそね 過去の記事ではヲワケの臣は雄略天皇がライバルを倒して大王に即位し、勢力を大和から河内に広げていく際に活躍した人物であり、その功績を讃えて鉄剣を作った事を書きました。前回の記事↓ rekitabi.hatenablog.com また朝鮮半島の情勢の変化によって、大和政権の中枢を担っていた渡来人が百済系から新羅系に変わった事で、新天地を求めた百済系渡来人達がヲワケ臣に従いさきたまへやってきたのではないかと予測しました。今回の記事では『日本書紀』での記載をもとにヲワケの臣の正体について考えていきたいと思います。