当初は臨済正宗黄檗派と言いましたが、明治9年、臨済宗から一宗として独立、「黄檗宗」を公称しています。
中国では臨済宗に含まれますが、日本の臨済宗と異なったため、独立して一派を成すに至ったのがその経緯です。
臨済宗は禅宗五家のうちの一派で達磨大師から十一代目の臨済義玄禅師を宗祖と仰ぐ宗派で、中国で起こり発展し、日本に伝来してきたものです。
お題「思い出の場所」 私にとって思い出深い場所は群馬県南牧村にある黄檗宗黒瀧山不動寺です。 2002年のGWの1週間前にたまたまNHKで放送していた「小さな旅」を観ました。その回では群馬県の山奥にあるお寺を紹介していたのですが、大変素晴らしい景色に目を奪われて、早速GWに行ってみました。 上信越自動車道を降りてから田舎道をひたすら進み、南牧村という山間の村に向いそこから更に山道を数キロほど走りました。軽自動車でも少しひやりとするような細く所々未舗装の道が続きました。 思いもしないところに駐車場があり、そこに車を止めるとそこから徒歩で登りましたがテレビで見た以上の絶景が広がっていました。文字通り…
こんばんわ、うめじろうの新たなるアクティビティ「ブッダ巡礼」のお時間がやって参りました。 今回訪れたのは京都府は宇治市、黄檗宗大本山は「萬福寺」。 こちらのお寺は江戸時代(寛文元年1661)に中国人僧侶・「隠元」によって開かれました。江戸時代ですか、いやー新しいですねー笑 近畿に居ると歴史が深過ぎて、江戸時代なんて「最近」に思えるようになってきました^^; (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 江戸時代の長崎はご周知、中国人が多数入っていましたが自然、彼らの為の宗教施設が必要でした。その為、興福寺や福済寺、宗福寺など多くの唐寺が建…
Olga KriklivaによるPixabayからの画像 萬子媛の呼び名を考察する 初婚だったのか、再婚だったのか? 直朝公の愛 萬子媛の呼び名を考察する エッセー 88「祐徳稲荷神社参詣記 (9)核心的な取材 其の壱(註あり)」の註5で、わたしは次のように書いた。 2018年10月4日に祐徳博物館を見学した際、文麿公は痘瘡[とうそう]に罹り、長く病床にあったとの解説があった。痘瘡は、痘瘡ウイルスの感染によって起こる悪性の伝染病で、天然痘、疱瘡[ほうそう]ともいわれる。 「天然痘は紀元前より、伝染力が非常に強く死に至る疫病 として人々から恐れられていた。また、治癒した場合でも顔面に醜い瘢痕が残…
一時期、何かにつけて仏教用語を日常生活に組み込みたい時期があった。 ※ちなみに特に信仰している宗教はない。 特によく登場したのが「只管打坐」。只管打坐ってなんだよ、という方も多々いらっしゃるはず。平たく言うと、「ただひたすらに座ること」。只管(しかん)=ただひたすらに打坐(たざ)=座るそのまんまである。曹洞宗の道元流の座禅スタイル、只管打坐。 道元の坐禅は、「只管打坐(しかんたざ)」であります。「ただ ひたすらに坐る」という意味です。「それに成りきること」であり、坐禅は、坐ることに成りきることであります。 引用元:只管打坐(しかんたざ) | 曹洞宗 黒羽山 大雄寺 (daiouji.or.jp…
こんにちは。 禅宗の中には「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗」が存在しています。 似ているようで、どのあたりが違うのか、私自身の学習もふまえ、表としてまとめてみました。 曹洞宗・臨済宗・黄檗宗、比較表 いかがでしょうか。本尊や経典の違いは分かりづらいかもしれませんが(私も詳しくありありません)修行スタイルと坐禅用具の違いが分かりやすいところです。 私は普段、曹洞宗のお寺さんにお世話になっているので、ただ黙って坐っているだけなのですが、臨済宗のお寺に坐禅会に行くと禅問答の世界も窺い知ることになるのでしょうか。坐蒲も普段は丸形のものを使用しています。 ちなみに、過去の歴史の中では中国において「五家七宗」…
出典:Pixabay 2018年 6月 、電話取材に応じてくださったかたは、鹿島市民図書館の学芸員でいらっしゃいます。祐徳稲荷神社の創建者である花山院萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿を書くための取材でしたが、ブログ公開の許可をいただいたので、紹介します。貴重な内容だと思います。 鹿島市民図書館学芸員への取材で、わたしが主にご意見をお伺いしたかったのは、萬子媛の断食入定は事実としてあったのか、また黄檗文化の普茶料理や煎茶などに鍋島焼は使われたのか――という二点でした。 わたしの質問で、それを除いても文章の意味が通る箇所は省略しました。 2018年6月5日 萬子媛(祐徳院様)の死の前後について…
出典:Pixabay 2018年8月に、『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社、昭和54)を祐徳博物館から購入した。それを読むと、萬子媛は病死なさったのではないか――との推測が成り立つ。一方では、萬子媛には断食入定の伝承があり、その可能性も否定し去ることはできないと思われるので、当エッセーの記述は訂正せず、そのままにしておくことをお断わりしておく。(2018年10月14日、筆者) 萬子媛について復習 2016年6月15日、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学する 萬子媛の身長 わたしが萬子媛を高級霊と疑わない理由 断食入定の伝承 何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉 カーマ・ルーパという、…
江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸と建てられ、貴船から鎮宅霊符神を歓請し、六代目黄檗山萬福寺管長・千呆禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりで、黄檗宗の禅寺「瑞芝山・閑臥庵」。 詣内には「後水尾上皇」お手植えの桜がかっては咲き誇り、「霞みゆく松は夜ふかき山端の あけぼのいそぐ花の色かな」 と詠まれたので、それより桜は「あけぼの桜」と名付けられました。 寺名も「曙寺」とも呼ばれますが、この桜は1925年に枯れ、現在の桜は近年の植え替えです。 瑞芝山 閑臥庵。 京都市の駒札。 奥に本堂が見えます。 五百羅漢でしょうか、新しい様です。 「鞍馬口通」を南に、「寺町通」…
王龍寺の境内の木槿です。 2023年9月7日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
ひょんなことから、長年の疑問が解けた。先週のことである。日本武道を教えるこちらの道場で空手のセミナーが開かれて、参加した。と言っても、私が空手をやっているわけではない。あるご縁で開会の挨拶を頼まれたので。日本から空手9段の師範を迎えて、スイスはじめ、ドイツやイタリアからも集まった生徒さんたちが直接指導を受けるというものだった。 空手9段といったら、これは大したものだ。それはもう数えるほどしかおられない。先生は、85歳の小柄な方だったが、指導中の動きは大変機敏で、さすがというしかない。そして、空手の師範というだけでなく、禅寺の住職さんでもあられた。セミナーの後の夕食の席でお隣になったので、あるお…
王龍寺の境内の木槿です。 2023年9月1日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
王龍寺の境内の擬宝珠です。 2023年9月6日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
王龍寺のネコです。 2023年9月9日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
A君が知る仏教は門徒だった祖父母を通じてのもの。仏教はインドから中国に入り、その際に経典が漢訳され、それがさらに日本に入る外来の宗教でした。ですから、仏教の用語や概念は外来のもので、英訳しても通じそうに思えるのですが、そのようには決して考えないのが多くの日本人です。多くの日本人は鎌倉新仏教以後の仏教を通じて、仏教は日本的な思想や信仰であると考えてきました。そのため、仏教の概念や用語は日本的で、西欧の言葉で表現しにくいと考えています。 A君は曹洞宗が臨済宗や黄檗宗に比べると日本的であり、浄土真宗や日蓮宗も日本的な仏教だと思っています。そのためか、親鸞の浄土真宗を理解する、彼の著作を英訳するとなる…
朝早くにHさん家に呼ばれ、母君のお供え用にと仰るには随分な分量の(中くらいのタッパーにびっしり詰まった)炊き込みご飯を頂きました。お供えの後、自分用の朝食にも、昨夜(かなり酔っぱらった状態で)作った味噌汁の残りと一緒に。本日は早い時間から(かなり確りと)日本酒を飲むので、空きっ腹は避けておこうという算段です。 午前中は書斎で書き物と机仕事(10月に第3回、12月に第4回が行われる校内模試関連)と。昨日、職員室で特講の答案返却の準備を全て終わらせましたが、私は今日から3日連続で学校に立ち入りません。今日は祝日でイベント参加、明日・明後日は1泊2日の旅行です(高3が外部模試受験で授業が無いのをいい…
王龍寺の境内の金糸梅の花のあとです。 2023年9月6日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
王龍寺の境内の柊です。 2023年9月6日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
王龍寺の池の鯉です。 2023年9月6日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
王龍寺の境内の南天の葉です。 2023年9月6日撮影 王龍寺は奈良にある禅宗(黄檗宗)の寺院 永代供養・樹木葬・納骨・霊園 座禅 王龍寺 納骨 永代供養 樹木葬 HP http://oryuji.com/reien.html
既に掲載済みの湯山稲荷大明神、そこから有馬温泉駅方向に下る事5分程、道沿いに鎮座する温泉寺に立ち寄った。道から温泉寺境内の薬師堂前に直接入れますが少し下って「湯泉神社、薬師寺参詣道」から向かう事にした。 参詣道。多くの参詣者が踏みしめたであろう緩やかな石段を境内に向けて上る。正面の屋根は薬師堂(本堂)で、左手に見えているのが鐘楼。 鐘楼。現在の鐘楼は1995年1月7日に発生した阪神淡路大震災で被災、2009年に修復された、二層の入母屋瓦葺で袴腰が付くのもので、上層の廻り縁の欄干には擬宝珠も付けられているようです。年代はともかく、二層の鐘楼に袴腰が付くとなんと優雅な事。この意匠の目的が単に見た目…