当初は臨済正宗黄檗派と言いましたが、明治9年、臨済宗から一宗として独立、「黄檗宗」を公称しています。
中国では臨済宗に含まれますが、日本の臨済宗と異なったため、独立して一派を成すに至ったのがその経緯です。
臨済宗は禅宗五家のうちの一派で達磨大師から十一代目の臨済義玄禅師を宗祖と仰ぐ宗派で、中国で起こり発展し、日本に伝来してきたものです。
2021年9月29日から10月2日にかけて、山口県の萩の街を巡りました。 今回は 東光寺 です。ここは、全国有数の黄檗宗(おうばくしゅう))の寺院だそうです。道の駅で車中泊した翌日、萩の街を巡り始めた1日目です。 この日は、松陰神社から出発し、伊藤博文の旧宅や吉田稔丸誕生地を見て、そこから片山東熊別邸跡や、松陰吉田松陰誕生碑、そして玉木文之進旧宅(松下村塾発祥の跡)を巡りました。 そこから、吉田松陰の誕生地へ車で移動し、吉田松陰の墓と墓所もパチリしながら歩きました。 次ぎに予定外の陶芸の村公園展望広場へ行き、前回は楫取素彦旧宅地や、山田顕義誕生地をアップしました。いずれも吉田松陰に関係する方達…
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。今回の遠江の神社・仏閣は地元の人々から「お薬師様」や「赤池さん」として親しまれている地域では数少ない黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院『白華寺(はっかじ)』です。
深草の山手にあるこのお寺は、伊藤若冲が描いた絵を基に掘られた五百羅漢さんの石仏で有名である。 一般的な羅漢さんとは異なるユニークな石像が多く、言われてみれば若冲かもしれない⁉ 五百羅漢の撮影はNGだが、若冲のお墓はOKだった。 伊藤若冲家のお墓は裏寺町の宝蔵寺だが、長男の若冲のお墓がここにあるのは良くわからない。
お題「思い出の場所」 私にとって思い出深い場所は群馬県南牧村にある黄檗宗黒瀧山不動寺です。 2002年のGWの1週間前にたまたまNHKで放送していた「小さな旅」を観ました。その回では群馬県の山奥にあるお寺を紹介していたのですが、大変素晴らしい景色に目を奪われて、早速GWに行ってみました。 上信越自動車道を降りてから田舎道をひたすら進み、南牧村という山間の村に向いそこから更に山道を数キロほど走りました。軽自動車でも少しひやりとするような細く所々未舗装の道が続きました。 思いもしないところに駐車場があり、そこに車を止めるとそこから徒歩で登りましたがテレビで見た以上の絶景が広がっていました。文字通り…
こんばんわ、うめじろうの新たなるアクティビティ「ブッダ巡礼」のお時間がやって参りました。 今回訪れたのは京都府は宇治市、黄檗宗大本山は「萬福寺」。 こちらのお寺は江戸時代(寛文元年1661)に中国人僧侶・「隠元」によって開かれました。江戸時代ですか、いやー新しいですねー笑 近畿に居ると歴史が深過ぎて、江戸時代なんて「最近」に思えるようになってきました^^; (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 江戸時代の長崎はご周知、中国人が多数入っていましたが自然、彼らの為の宗教施設が必要でした。その為、興福寺や福済寺、宗福寺など多くの唐寺が建…
Olga KriklivaによるPixabayからの画像 萬子媛の呼び名を考察する 初婚だったのか、再婚だったのか? 直朝公の愛 萬子媛の呼び名を考察する エッセー 88「祐徳稲荷神社参詣記 (9)核心的な取材 其の壱(註あり)」の註5で、わたしは次のように書いた。 2018年10月4日に祐徳博物館を見学した際、文麿公は痘瘡[とうそう]に罹り、長く病床にあったとの解説があった。痘瘡は、痘瘡ウイルスの感染によって起こる悪性の伝染病で、天然痘、疱瘡[ほうそう]ともいわれる。 「天然痘は紀元前より、伝染力が非常に強く死に至る疫病 として人々から恐れられていた。また、治癒した場合でも顔面に醜い瘢痕が残…
一時期、何かにつけて仏教用語を日常生活に組み込みたい時期があった。 ※ちなみに特に信仰している宗教はない。 特によく登場したのが「只管打坐」。只管打坐ってなんだよ、という方も多々いらっしゃるはず。平たく言うと、「ただひたすらに座ること」。只管(しかん)=ただひたすらに打坐(たざ)=座るそのまんまである。曹洞宗の道元流の座禅スタイル、只管打坐。 道元の坐禅は、「只管打坐(しかんたざ)」であります。「ただ ひたすらに坐る」という意味です。「それに成りきること」であり、坐禅は、坐ることに成りきることであります。 引用元:只管打坐(しかんたざ) | 曹洞宗 黒羽山 大雄寺 (daiouji.or.jp…
こんにちは。 禅宗の中には「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗」が存在しています。 似ているようで、どのあたりが違うのか、私自身の学習もふまえ、表としてまとめてみました。 曹洞宗・臨済宗・黄檗宗、比較表 いかがでしょうか。本尊や経典の違いは分かりづらいかもしれませんが(私も詳しくありありません)修行スタイルと坐禅用具の違いが分かりやすいところです。 私は普段、曹洞宗のお寺さんにお世話になっているので、ただ黙って坐っているだけなのですが、臨済宗のお寺に坐禅会に行くと禅問答の世界も窺い知ることになるのでしょうか。坐蒲も普段は丸形のものを使用しています。 ちなみに、過去の歴史の中では中国において「五家七宗」…
出典:Pixabay 2018年 6月 、電話取材に応じてくださったかたは、鹿島市民図書館の学芸員でいらっしゃいます。祐徳稲荷神社の創建者である花山院萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿を書くための取材でしたが、ブログ公開の許可をいただいたので、紹介します。貴重な内容だと思います。 鹿島市民図書館学芸員への取材で、わたしが主にご意見をお伺いしたかったのは、萬子媛の断食入定は事実としてあったのか、また黄檗文化の普茶料理や煎茶などに鍋島焼は使われたのか――という二点でした。 わたしの質問で、それを除いても文章の意味が通る箇所は省略しました。 2018年6月5日 萬子媛(祐徳院様)の死の前後について…
出典:Pixabay 2018年8月に、『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社、昭和54)を祐徳博物館から購入した。それを読むと、萬子媛は病死なさったのではないか――との推測が成り立つ。一方では、萬子媛には断食入定の伝承があり、その可能性も否定し去ることはできないと思われるので、当エッセーの記述は訂正せず、そのままにしておくことをお断わりしておく。(2018年10月14日、筆者) 萬子媛について復習 2016年6月15日、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学する 萬子媛の身長 わたしが萬子媛を高級霊と疑わない理由 断食入定の伝承 何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉 カーマ・ルーパという、…